色彩
私は色が嫌いだ。
他人が見せ付けてくるコントラストが嫌いだ。
あいつの笑う赤の混じった黄色い表情が嫌いだ。
私の卑屈な紺のような紫のような素を隠すための俄に混ざった黒が苦手だ。
だから私は
スマートフォンのアラートの、甲高い無色が私の耳を塗り潰した。
外では何の鳥か分からないが連続で赤い音を発していて、それが私に、「ああ、朝が来たのだ。」と感じさせた。
その日も、そんな、おおよそいつもの朝と同じだろうと目を開いたとき、強烈な赤を感じて、焦って目を閉じ、青を浮かべる腕を持ち上げ、赤への遮蔽とした。
赤の原因は不明だが、恐らく何かに反射して運悪く私の部屋の私の目に届いてしまった太陽光なのだろう。
西向きの窓から入り得ないと思っていた太陽光は、私にその日の色を予見させたようだった。
春のまだ乾いた風が吹く。
私はこの季節がとても好きだ。
夏特有の苔むした茶色のようなどんよりとした湿気がなく、冬特有の肌を指すような銀を帯びた錆色の寒気も和らいで、緑を基調とした淡い色達が私を迎えてくれる。
駅に向かうと、いろんな色が周囲を攻め立てている。
いつもの光景だ。
鞄を背負った学生が、スーツを纏った会社員が、片手に杖を持つ老人が、各々の色で周囲を牽制、同調を求めるように周囲に色を投げつけ受け入れ、銃弾飛び交う戦場のようにお互いを主張する。
私にも色が刺さり、受け入れる。それは、内蔵をかき混ぜられるかのように、何十人何百人の見知らぬ人に肌を触られるように、私には耐えがたいものだった。
だから私は、できるだけ誰とも目が合わないように、ドアに向かって現実から目を背ける。
じわじわと訪れる吐き気を堪え、最寄り駅に着くと、急いで人の密度の低い朝の公園の椅子に向かう。
朝早い時間とは言え、公園にはちらほらと子供が居る。
子供は無垢と良く言うが、あれは私にとっては嘘っぱちだ。
子供は混沌なのだ。特定の色を見せない。色をコロコロと変え続け、混ざり、グルグルと渦を巻く。
色紙を切り替えるような変わり方ではない、絵の具の上に絵の具をぶちまけて、筆で混ぜたり、さらに上から絵の具を混ぜたり、溶けて混ざらない砂のような固形物を絵の具にかけたり。
人によってはこれを現代アート等と呼ぶのだろうが私にはただ、混沌とした色でしかない。
こんなものは楽しめないが、でも、それでも、大人達特有の色が刺さるよりはマシだ。
子供達は大抵自己完結していて、私にその色をぶつけてこないからだ。
教室に着くと、既に奴が居た。
沙上翔。
外面だけは良いこの男の色は黒だ。
類を見ないほど真っ黒で、その表面を原色に近い色で覆っている。
つまりこいつは自分の心情を塗り潰して自分を作っているのだ。
私も自分の色を変えて良く見せようのしているので似たようなものだが、それでも、こいつのように自分を塗り潰して完全に見えなくする程ではない。
しないのではなくできない。
「おはよう、----さん。」
赤交じりの黄色の挨拶をかけてきた。
「うん、おはよう。」
黄色を装い、挨拶を返す。
これが私達の普段の挨拶。
お互いの色を見せない、不快な朝。
「今日も早いね。」
青いさっぱりとした形だけの言葉。
「あなたこそ。」
当たり障りの無い薄い色の挨拶。
意味の無い、ただ会話をしているポーズを取るためだけの無意味な会話。
教室の左前、窓側の日の当たる前から2番目の自分の席に着き、机の横に鞄をひっかける。
椅子に座り、鞄から本を取り出して、開きながら目も通さずに現状を整理する。
互いに部活もないのに示し会わせたわけでもなく早く教室に着き、多少の会話をして、思い思いのことをする。
それだけの関係性である、あいつのことだ。
内面が真っ黒であるのは、反射する色が無いだけ。つまり、他人に心を一切開いていないだけだろう。
なのに何故、あいつは表面を取り繕おうとしているのか。
私には理解ができなかった。
私にとっての色は、感情表現であり、キャンバスにぶちまけられた絵の具であり、人を表す記号である。
例えば、私であれば、相手の色に合わせて色を出す、マーブルカラーだ。誰とも話していない、誰とも会っていないとき、私の色はコロコロと代わり、それまで表に出した色の反復を繰り返す。
それであっていたのか?あの人の色には他の表現法方があったのじゃないかと言葉を真似るオウムのように、言葉を覚えようとする赤子のように繰り返しているのだ。
だが、あいつ、沙上翔は私に似ても似つかない。言葉に対して色を出す。相手に対して色を見せる。普段裏しか見せないトランプの手札の中身をちらつかせるようなことしかしないのだ。
裏面が真っ黒なトランプは彼自身の心の闇のようなものなのかもしれないし、単に手札が暴かれることに臆病なだけなのかもしれない。
しかし、私は確信している。やつはそんな人間ではないと。どろどろと濁った黒い泥をまとった泥人間に過ぎないと。
私が沙上翔と出会ったのは入学式の日だ。
約一年前の春、薄緑の風が吹く気持ちの良い朝だったことを覚えている。
新入生達が、元々通っていた中学ごとにグループを作りながら雑談をしつつ、クラス分けの案内板を見て、一喜一憂しているなか、私も友人達と談笑し、赤青黄等の様々な色を浮かべていた。
私はAクラス。特別クラスのようなクラス分けの無い公立高校なので、それで成績のよさ等が分かるわけではないが、それでもAという一番前のクラスであるということに、僅かながら喜びを覚えていた。
奴が学校に表れたのは朝の予鈴の2分前、息を切らして教室に駆け込んで来た黒い影が沙上翔だった。
制服が黒かったから黒い影と表した訳ではない。私の通う高校は男女共に白いシャツにブラウンのブレザーで、男子のパンツは黒だったけども、女子のスカートは赤をベースに白のラインが入ったチェック柄だ。
沙上翔も例に漏れず白いシャツ、ブラウンのブレザー、黒のパンツという極他と変わらない服装だった。
だが、あいつはそんな普通な服装で塗り潰せないほど、色がぐずぐずと混ざり、黒と言わざるを得ない色を出し続けていた。
他の人であれば普段は薄い色が周囲に滲むだけ、感情や肉体的に触れ幅がでかいときに色が濃くなるが、基本的に多くて2~3色くらいの色しか表に出てこない。
その異質さは、沙上翔が教室に入ってきた瞬間、やつを目に入れた瞬間、「ひっ…」と小さな声で怯えてしまった程だ。
沙上翔は常に何かで喜び、笑い、怒り、嘆き、楽しみ、苦しみのような様々な感情を抱き、それを全て圧し殺して内側に向けているのだ。
恐らく入学式の日の沙上翔は、高校入学に喜び、案内板で友の名前があったことに喜び、遅れかけたことに嘆き、そんな状況を楽しみ、全力で走って来た肉体的な疲労に苦しんでいたのだろう。
常人では表れては消えるそれらの感情を、沙上翔は手放そうとしない。
やつは感情の最大値を握り続ける。決して手放さない。
少なくとも、私が沙上翔と出会ったあの入学式の日からずっと、やつは自分に向ける色を増やしこそすれ、減らすことが無かったのだ。
一年も同じクラスにいたら、他に接点がなくとも、時に会話くらいはする。
その中で、私は偶然やつと教室で二人きりになったときにした質問を覚えている。
夏の緑が赤く生い茂る季節のお昼前、私は軽い熱中症で保健室に行っていた。
普段授業中に眠るようなことがない私が、突然意識を失い、突然頭を机にぶつけ、衝撃で目は冴えたが、その様子を見ていた数学教師が保健室に行っておけとクラスの保健係をやっていた沙上翔ともう一人の女子生徒に私を保健室へと運ぶようにと指示を出したのだ。
視界が赤や青に瞬き、黄色や緑の線がひび割れのように写っていたあの時は本当に命の危機に近かったのだろう。
保健室にたどり着いた私達だが、保健室の鍵こそ開いていたものの、保健室の先生が席をはずしていた。
保健室の先生が女性であったこともあり、トイレに居るかもと探しに行くため、やつを私の見張りに残して保健係の女子生徒は保健室の先生を探しに走って保健室から出ていった。
「くそっ、熱中症の対応とかやったことねぇからわかんねぇぞ。」
等と呟きながら、道中廊下にある水道で濡らして絞ってくれていた沙上自身のハンカチを私の頭にかけてくれていた。
この時の彼は何か保健係として対応できることはないか本気で考えてくれていたのだろう。
私の色味がかった視界からも彼の青や黄色の真剣な色が見えていた。
その色は彼が普段からまとい続けている黒の亀裂から溢れるように、私に向かって漏れ出ていて、私はその色に暗闇に咲く花火のようだと感動にも似た感覚を覚えていた。
だからだろうか、熱中症の熱でやられた私の口が、「きれいないろ。」等とうっかり滑ってしまったのは。
やつは私のポツリと滑らせた言葉をしっかりと聞いてしまっていた。
「は?」
沙上翔からは漏れ出ていた青や黄色が混ざり、緑がかったマーブルカラーの色を出しながら、私の言葉に困惑を示し、暫く考え込んだあと、納得したように頷いた。
「あー、病人に聞くようなことじゃ無い気がするが…」
やつは軽く呼吸を整えながら。
「お前、俺が何色に見える?」
黒の亀裂が閉じ、真っ黒になった自身を指差していた。
タイミングが悪く、保健室の先生を連れて女子生徒が保健室へと入ってきたのはその直後だった。
私が沙上翔に返事をする前に、保健室の先生は私に生理食塩水を飲ませ、念のためにと救急車を呼び、その日の午後は仕事を途中で投げ出してきた親が迎えにくるまで、病院に行く事になった。
あれから半年以上の時間が経ったが、私はまだ、やつの問いに答えられていない。
朝早く登校しているのも、やつに対し、半年以上前の問いかけに答えるために、意気地のない私がやつに話しかけるきっかけを作るためのことなのに。
あれからことあるごとにあいつを観察していたお陰か、私がやつのことを好いている等という噂が女子生徒間で広がってしまったが、私が否定しても頑なに色恋に繋げたがる彼女達の認識を変えられそうにない。もとより私が彼女達の側なら似たようなことをしていただろうから彼女達を責めることはできないが。
流れてしまった噂は仕方がないにしても、沙上翔を観察していた成果はそこそこ集まっている。
やつはすべての感情に本気であろうとしている。
楽しめるときは楽しみ、悲しいときは全力で悲しみ、怒る時は際限なく怒りが膨らむ。そういう姿を演じている。
演じていると言っても、表に出ている色は本物だ。
彼がそうあろうと本気で感情を色として表に出しているからだ。
私が熱中症で倒れた時には、私に対して本気で心配しようとしていたのだ。
だが、私が沙上翔に対し、演じていると断じたのにも訳がある。
やつは、他の人に比べて、色が出るのがワンテンポ遅い。
つまり、やつは「自身の現状を判断して、適切な色を表に出している」ということを日常的にやってのけているのだ。
熱で頭が湯だっていたとは言え、沙上翔の色を綺麗等と表現してしまった自分に憤りすら感じている。
やつの感情は最早最大値を越えないと揺れ動くことすらない。
やつが溜め込んだ色は過去の栄光で、そんな過去に縛られ続ける沙上翔の今感じられる色は、どんどん薄れているのだろう。
あれは負債だ。やつにとって呪いなのか祝福なのかは分からないが、少なくとも私にはやつが過去に縛られた亡霊のように見えている。
過去の色という鎖に繋がれた亡霊は、鎖で視界が塞がっている。
今、私がやっている沙上翔の観察という行為は、その鎖を掻き分けて中身を見たいという一種の知識欲から来る暴走に過ぎないが、それでも、どうにかやつの「今」を輝かせてやりたいと感じられずにはいられなかった。
だから、私はやつを呼び出すことにした。
「放課後、一対一で話がしたい。」
短い文章をクラスラインの参加者一覧から沙上翔のアカウントを選び送りつける。
独善的な理由から、やつが本当に今を過去の最大の色と比較しているのかも定かでないまま、私が勝手に断定し、私が勝手にやつに光を与えたいと思った。
やつの色を取り除く手段を思い浮かんだわけではない。
ただ、沙上翔の過去がどうであったか分からないが、その過去の色全てを塗り潰す色を見せてやれば良い。
だから私は、やつに告白をする。