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幻想魔譚~Fantastical Evil Tale~  作者: 味噌カツZ
(II)Crimson Daybreak
7/11

第七話 血鬼の咆哮

 お待たせしました。先の展開の見直しも含めてではありますが、この一話が形になるまで一年近く使ってしまいました。それに見合うクオリティかは分かりませんが、宜しければどうぞご覧ください。

 漆黒の身体に非対称な紅き骨の鎧、頭部の右側だけを覆う真っ赤な髑髏の仮面。そのような異形の姿をした者は、後天的吸血鬼の一種たる『異形魔人態(ヴァリアント・ダムピール)』。その正体は唐暮町に住む高校生にして、赤月市の裏を管理する魔術師一族の後継者―――真影隼人。

 「あぁ……目に染みる赤い光、まるで血溜まりみたいだ。あんたが立ち塞がると言うなら、こんなふうに中身をぶちまけさせてやる」

 今の彼の肉体は黒く染まり、胸の中心には黄色く輝く発光器官があった。そんな漆黒の肉を保護するかのように覆っているのは、骨格状に変異し硬質化した赤い皮膚。それが彼の身体を非対称な範囲ながらも、鎧として防護する役目を果たしているようだった。

 彼の頭部や顔面の右側と右腕、そして胴体の左側と左足は真紅の甲殻に覆われている。更にはその頭部からは一本の角が生えており、鬼が如き形相をしていた。その姿は正しく怪物。不完全な異形の戦士へと変貌を遂げた隼人は、既に羽織っていた学生服の上着を投げ捨てており、そのズボンは戦闘や変異の余波でボロボロであった。

 「真影さん―――あなたのことは、必ず止めてみせます」

 それと対峙するは麗しき少女、エリシア・カミラシア・ミラカミラ。西洋人らしい真っ白な肌に映える真っ赤な瞳と、ポニーテールになっている長い金髪。そして、黒い衣服と真紅のケープが特徴的な女性である。

 何処からどう見ても華奢なその姿だが、エリシアはれっきとした吸血鬼の一族、カーミラの系譜たる『ミラカミラ家』を継ぐ者だ。即ち彼女は『旧き貴族(ダークブルー・ブラッド)』と呼ばれた、吸血鬼の支配者層の血脈に属する人ならざる者。或いは体内に無数の吸血寄生虫を植え付けられ、遥か古代に枝分かれした人類種の成れの果て―――『悪性人類キャンサー・キャリアー)』の王族の家系に属した裏切り者。それが彼女の立ち位置だった。

 「邪魔はさせない………俺の邪魔は、誰にもさせねぇッ!」

 彼らは今、寂れた街の路地裏にて激闘を繰り広げている。異形の獣に堕ちた人と、人ならざる者。つまりは吸血鬼に嚙まれてソレへと変じた少年と、純血の吸血鬼である少女が相対していた。

 「それがわたしの、償いだから」

 これはエリシアが望んだ戦いではなく、そしてそれは隼人にとっても同様であった。だが、それでも彼には牙を剥くに足る理由があった。復讐心と吸血衝動―――その二つを燃料として燃える怒りの感情。それが異形と化した少年を支える柱であるが故に、隼人はその炎の邪魔しようとしている彼女を許す訳にはいかなかったのである。

 「Gyaaaaaaaa―――!」

 夕闇の中に響き渡るは、たった一匹の怪物が綴る慟哭と怨念の二重奏。聞くもおぞましき叫び声を薄暗い路地裏で反響させ、異形の隼人はエリシアに飛び掛かろうとしていた。

 「ッ!」

 高周波で振動する右手の爪五本。隼人は空中にて右腕を振り上げて、彼女を切り裂かんと迫る。ポニーテールの少女はそれを紙一重のバックステップで躱し、反撃の目途を窺っている。だが、エリシアの表情からは相手を害そうという意思は見受けられない。そこにあったのは悲しみと決意。彼女は自身の至らなさから、そうなってしまった目の前の少年を救いたいと思っていた。

 「目を覚まして下さい!今ならまだ間に合います、血を吸っていない今ならッ!」

 故に、彼女はまだ手を出さない。攻撃を加えるにしても、それは隼人の意識を刈り取って拘束するため。だから少女は反撃に出ないのだ、確実に最小限度の攻撃で目的を達せられる時まで。その下準備として、エリシアは異形の戦士が繰り出す大ぶりな攻撃を回避し続けて、そのパターンと間合いを学習していく。その合間に、彼女は説得の言葉を紡いでいたのである。

 「Ugaaaaaa!!」

 左下から右上へ斬り上げ。それに続くはそのまま顔を狙った貫手―――即ち平手による突き、突き、突き。そんな連続攻撃を、隼人は真紅の骨のように硬質化した右腕で放つ。少女はそれを半歩ずつ下がりながら回避していった。後頭部で束ねた髪が跳ねて、赤いケープ越しにその背を叩く。

 「真影さん!」

 迫り来る黒い左腕によるアッパー、それを軽く仰け反って躱した少女。怪物はそれを受けて、右足による蹴撃を繰り出す。脚部を狙った下段への攻撃を、エリシアは後方への跳躍にて避ける。瞬時に彼女を追いかけた隼人が放ったのは、上段への右足による回し蹴り。着地したばかりの彼女はそれを左腕で受けて防ぐが、その対処は悪手であった。思いの外重かったその一撃を受け止め切れず、エリシアはよろめいてしまう。

 「ッ!?」

 そうして出来た隙に、細く脆そうな肉体を打った黒き左のボディブロー。そして僅かに宙へと浮いた少女を、思い切り突き飛ばすは隼人が突き出した右の鉄拳。それらの連撃によって、エリシアは後方へと飛んでいった。

 そんな中で、彼女は周囲の建造物の壁面に影の鎖を打ち込む。張り詰めた黒い線に引かれ、宙を飛んでいたエリシアの身体が強引に止まる。彼女はそのお陰で、何とか十数メートル程吹き飛ばされただけで済んでいた。故に赤と黒の令嬢の肉体に、目立った損傷は無い。

 「くうっ……」

 だが、傷無き一撃と言えども痛みはあるのだ。腹部を打ち抜かれるというのは、流石のエリシアにとっても堪える苦痛となるらしい。そのため少女は腹部を左手で押さえ、ふらついていた。そこへ隼人は警告の意を込めて、獣の様な濁った声を投げ掛ける。

 「……今ので最後だ。これ以上続けるなら、あんただろうが殺す!殺してやる!」

 「いいえ、あなたが止まるまで引きません。あなたにはこれ以上、わたしと同じ過ちを犯させるわけには行きませんから!」

 歪な姿をした赤と黒の怪人―――異形魔人態(ヴァリアント・ダムピール)の隼人は命の恩人を睨みつける。しかしその剣幕に断固として怯まず、あくまでも立ちふさがってみせると宣言した少女。それは少年の中に僅かばかりに残っていた、憐憫と恩義が成せる最後通告であった。しかし、それをエリシアは拒んだのである。

 「そうか、そうか。そんなにも俺の邪魔がしたいんだな―――」

 そうなれば、最早手加減は無用―――そんな思考に行き着いた隼人は、故に己の影から鎖を右手で引き抜いた。そうして振り回された漆黒の鞭は彼の周囲をぐるりと回って、その勢いを増幅させていく。

 「だったら死ねッ!死んで血肉となるがいいッ!」

 水槽の中を縦横無尽に泳ぐ魚のように、鎖は宙を舞って空を斬る。先端に付いている鋭利な三角錐の突起が、エリシアの真っ白な肌を裂かんと唸っていた。がりがりと削れていくコンクリートの壁、切り裂かれたアルミの配管から噴出する白いガス。速度は充分といった所なのだろうか、隼人はそれを少女に向かって叩き付けた。

 「Guuuruaaaaaaaaa!!」

 「ッ―――させません」

 だが、それは全く同様の手段で防がれる。空中で衝突するは全く同じ形状のモノ同士。そしてたわみ、地に落ちてゆく漆黒の鎖たち。エリシアは迫り来る黒い鎖目掛けて、自分の影から同様の棘付き鎖を射出したのだ。赤い餓鬼が如き隼人の顔に、苛立ちが浮かぶ。

 「チッ、糞忌々しい。俺に出来る事は、あんたにも当然出来るってか」

 悪態を吐きつつも弾む鎖を右手で引きもどし、影から同様のモノを新たに左手で取り出した紅蓮の悪鬼。彼は右足で大きく踏み込み、そのまま両手の鞭を回転しながら薙ぎ払う。

 「むかつくぜ、だからとっとと潰れろ、壊れろ!肉の花咲かせて、砕け散れぇぇぇぇッ!」

 少女から見て右側の壁に、二重線の軌跡を刻んで迫るは憤怒の一撃。それをエリシアはしゃがんでから一気に宙へと飛び上がって避ける。弾丸のように一直線に空を駆けた彼女は、真っ赤なケープを同じく紅の日差しの下に広げていた。その様はまるで夕闇の空を舞う蝙蝠が如く。その翼のように見えるケープを風に靡かせながら、少女は張り巡らされた電線の上に降り立つ。

 「っ……言葉で駄目なら、結局こうするしかないのですね」

 小さな声で金髪の少女の口から発せられた悲しみ。それは正しく彼に対して向けられた贖罪の意に他ならなかったのだろう。

 「高い所から、この俺を、見下すなぁァァァァァッ!!」

 だが、エリシアを仰ぎ見た魔人からはより激しい怒りが発せられる。その激情に身を任せた隼人は先の攻撃の勢いを利用し、左手の鎖のみを怒号と共に叩き付ける。より強く、重く踏み込まれた足。それによって、空を切る黒い鞭の速さも増していたのだ。そんな影の鎖はエリシアの右手に巻き付き、彼女の細く青白い肌を締め付けていく。

 「うらァッ!」

 髑髏の怪人は右手の鎖も同様に振り下ろし、先とは反対側のエリシアの手を拘束する。されども、そこまでされても尚金髪の少女は何もせずにいた。止まった電線の上でただ隼人の事を見つめ、佇むのみである。その様はまるで、怒りに飢えた群衆へ自らを生贄として捧げる聖女の如く。

 「落ちろッ!」

 そして、隼人は二本の鎖を同時に勢い良く引く。エックス字に交差した暗黒の連環が、互いを擦り合いながらエリシアの身体を宙に晒そうとしていた。それによって少女の身体は重力と髑髏の怪人の腕力に引かれ、アスファルトの大地に悪趣味な紅い華を咲かして終わる―――筈だった。

 「ッ―――!」

 しかし、そうはならない。少女は歯を食いしばり、電線から足が離れる前にその身を屈めて跳躍の為の準備としていたのだ。これにより、隼人がエリシアを引き摺り降ろそうとした瞬間―――自らの脚力と引っ張る隼人の力の二つを利用して、弾丸の如く飛び出す事に成功。

 「洒落臭いことをしやがる!」

 空を切って真っ直ぐ異形の戦士へと肉薄していく少女と、想定外の行動に焦る隼人。やがてエリシアはくるりと一回転して勢いを補充し、魔人目掛けて空中から踵落としを仕掛ける。

 「はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 直ぐ様両手の鎖をかなぐり捨てた隼人は、両腕を頭部前面でクロスさせて防御態勢を取る。されどエリシアが放った重き蹴撃はその守りを貫通し、彼を大きく後方に吹き飛ばした。

 「ぐおぉぉぉッ!?」

 十メートル―――とまでは行かないにしろ、宙を裂いて飛ぶ赤き半分髑髏の黒い怪人はアスファルトの上を三度跳ねる。そして隼人は終いには、灰色のコンクリートで出来た壁へと激突した。飛び散る大小の破片、周囲に舞う粉塵の霧。彼は完全に壁を破壊して、屋内へと転がり込んでいった。

 「これで気絶してくれれば良いのですが……」

 エリシアはそんな呟きと共に着地し、曇った表情で砕けた壁の方を見た。未だに滞留する粉塵は、少年がどうなったのかを覆い隠している。そんな中、煙の向こう側で軽い金属質の物体が転がるような音がした。

 「Gaaa……ああ、クソが。流石に今のはっ、効いたぜ。こん畜生が」

 そこに浮かぶシルエットは、正しく人型のモノ。ベージュ色のスモークの中から、ふらつきながら現われた隼人。彼は左手で頭を抑えながら、健在な肉体を示しつつ姿を現した。その足取りは僅かに覚束ないようだったが、先の少女と同じで外傷の類は見受けられなかった。

 「おまけに力が出ねぇな。血……そうだ、血を飲まねぇと」

 ちらりと、怪物は少女から視線を外す。その先には先程隼人に敗れ去り、瀕死の重症を負っている男―――イザーク・マラサリーがいた。彼は全身血塗れのままエリシアとの戦闘が始まった際に、隼人によってこの路地裏の脇に投げ捨てられていたのだ。

 「ァ……」

 異形の少年が放つ殺気―――いや、捕食者(プレデター)の気配を感じ取ったのか。死に体の聖職者の身体はピクリと動き、時折呻き声のような音を発する。そしてその動作が、隼人の衝動を逐一刺激しているのであった。

 「させません!」

 そんな彼の様子に焦りを覚えたのか、エリシアは急速に間合いを詰めようとする。だが、それこそ隼人の思う壺だったのだ。彼は己の荒ぶる吸血衝動と、その成就の阻止を目指す彼女の動きを半ば本能的に勘定に入れていたのである。

 「ハッ!吹き飛ばせ、有象無象を―――」

 隼人は詠唱と共に左手をエリシアへと向け、掌に紅い魔法陣を展開。五芒星の描かれたマンホール程度の大きさのサークルが完成すると同時に、彼は右腕の拳でその中央を打ち抜いた。

 「『制炎(ファイア)拳弾(バレットナックル)』ッ!」

 すると、そこからバスケットボール大の火球が射出される。龍の咆哮が如き轟音と共に飛び出したそれを、少女は走りなだら何とか前傾姿勢を取る事で回避しようとする。

 「躱せた!?」

 吸血鬼の髪に着火するか否かの瀬戸際を通過していく炎の砲弾、思わず少女の頬を伝った冷や汗。オレンジ色の球体は少女に直接害を及ぼす事は無かった―――が、その背後の地面に着弾して強烈な爆風を産み出した。

 「くうッ!?」

 轟音と黒煙を孕んだ熱き風は乙女の背を押して、仰け反らせた状態にしながら隼人の間合いへと彼女を運んでいく。それを待っていたと言わんばかりに、紅い左足を大きく後ろに引いて構えていた異形の戦士。彼の口角は吊り上がり、発達した牙を見せつける嘲笑を形作っていた。

 「ジャストミートってのは、まさにこういう事だよなァ!」

 そう吠えて、紅の戦鬼は回し蹴りを放つ。空を斬って走るその一撃はエリシアの華奢な胴体―――その腹に深くめり込み、先の意趣返しが如く彼女を遠くへと跳ね飛ばしていった。

 「ギャハハハハハッ!見ろォ、まるでゴムボールみたいだッ!」

 少女は飛んで、飛んで、飛んでいく。エリシアは先程の隼人の二倍程の距離を飛ばされ、前方にある雑居ビルの三階をそのまま貫通し、その後ろにある別のビルの壁面に叩き付けられていた。立ち込める粉塵、パラパラと散っていくコンクリートの破片。エリシアは壁に出来たクレーターの中心に、両腕を広げた状態で気を失っているようだった。その様は正しく磔刑が如し。

 「―――死んだか?」

 突然真顔に戻り、冷たい声でそう呟いた怪物。一瞬前にはあった狂気が、今の隼人からは感じられなくなっていた。彼は落ちていた聖十字大剣(クロスオーダー・クレイモア)を拾い上げ、標的の死を確かめるべく歩き出す。そして大穴の開いた建物を跳躍で飛び越え、その屋上に怪物は着地した。丁度、壁面にめり込んだエリシアを見下ろす構図になっていた。

 「まだ生きてるのか。しぶといんだな、吸血鬼というのは」

 そう呟いた隼人は、右手で握りしめた金色の刃の両手剣を一瞥する。磨き上げられた刀身に映り込む白き月光、輝くは刻まれたラテン語の聖句。

 「だったらコイツの試し斬りをするというのも、悪くないなぁ?」

 赤と黒の異形は切先を斜め下のエリシアに突き出し、右足と共にゆっくりと引いていく。長く鋭い十字架を握り締めた右手首は捻じれて、ぐるりと刀身の上下が変わる。隼人は空いている黒い左腕を前方の標的へと突き出し、開いた五指の隙間で狙いを定めていった。

 「だからさ。早急に無惨に、切り刻んでやるよ」

 刹那の間に思考がかちりと切り替わる。血と復讐を渇望する狂気から殺戮を司る理性へと、少年の思考の支配権が譲渡されていく。人間の魔術師であった時の冷徹さに由来するその殺意は、隼人に今一度の攻勢を選択させたのだ。

 「ッ!?」

 だが、粉塵の中でエリシアによる妨害の一手が打たれる。彼の正面目掛け、複数の黒い鎖が飛び出してきたのだ。その一本目を隼人は、一歩踏み込んで放った回転斬りで叩き伏せる。火花が飛び散り、大地を闇の連環が跳ねていく。だが、そこで間髪入れずに彼を襲うは第二撃。左側面から弧を描いて迫るそれを、魔人は右から左下へと振り下ろして弾く。

 「このくたばり損ないがァァァァァァァッ!」

 鎖に向けていた注意を隼人は戻す―――が、しかし。そこには最早エリシアはいない。慌てて顔を上に向ければ、そこには跳び上がった女吸血鬼がいたのだ。

 「少し、頭に来てしまいました」

 エメラルドの瞳を冷たく輝かせ、今度は彼女の方が上空から魔人を見下す形になっていた。そこからエリシアは落下の勢いを利用して、手にした二本の鎖を叩き付けんと回転し出す。くるりと回った華奢な身体。赤と黒の布に包まれた細腕から放たれしは、半月を描く双子の鞭。

 「はあぁぁぁぁぁぁっ!!」

 「ッ!?」

 対する隼人は大きく後ろに跳ぶことで、それの回避に成功する。だがその対価として、飛び散る破片で彼の左頬には切創が一つ刻まれてしまった。

 「血、血、血、血ィッ!?どいつもこいつも俺から奪うなァッ!?」

 砂塵を巻き上げて地を滑る黒と赤の足、狂気渦巻く錯乱の瞳、そして鈍く黄金色に光る十字架。異形の餓鬼は金切り声を上げる。聖職者が用いていた両手剣を握り締めている右手からは、肉が焼けるような音と共に白い煙がにわかに上がっていた。

 「ああ、ああ―――足りねぇ、これじゃ足りねぇんだよ!?血も、悲鳴も、敵討ちも、何もかもが手に入らないッ!!何故だ、どうして俺から奪う!?なんで俺から全てを奪っていくんだァァァァァァァッ!?」

 狂乱の雄叫びを上げて、怒りの魔人は走り出す。己を取り巻く満ち足りなさを目の前の相手にぶつけるべく、彼は弾丸の如く飛び出したのだ。そうして再び激情の流れに溺れた怪物は、一心不乱に斬り掛かる。

 「Gigiyaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」

 「はあっ!」

 空を縦一文字に裂く黄金の斬撃を、受け止めるは漆黒の横一文字。魔人が振り下ろしたクレイモアは、エリシアが広げた二重螺旋の鎖によって阻まれていた。それは二本あった影の鎖を、絡み合うように捩じる事で作られた縄であった。

 「Aaaa!?」

 驚愕に歪む髑髏の顔。聖十字大剣を押し込む隼人の手から、一瞬だけ力が抜ける。それを吸血鬼の令嬢は逃す事なくチャンスとし、自身の右足を彼の脇腹へと叩き込んだのだ。彼女の蹴撃は丁度彼の肉体の内、赤い甲殻に覆われていない部分に命中していた。それによって隼人の身体は、その衝撃を殺し切れずに『く』の字に曲がって後ろに僅かによろめく。

 振り抜かれた足に引かれて、エリシアはくるりと回り出す―――さながらバレリーナの如く。そうして加速を付けて薙ぎ払われたのは、束ねられた二本の鞭。二重螺旋の鎖が彼の黒い右足を重く打ち抜き、彼の膝をアスファルトへと付けさせる。

 「そこっ!」

 そこから返す刀で、右方向に振るわれた鞭。それが魔人の黒い頬を直撃し、その上体を仰け反らせる。更に追撃をと考えて、金髪の吸血鬼は鎖を振り被った。されど、隼人はその状態からブリッジの姿勢に移り、後方転回へと繋げていく。それは回避と仕切り直しを兼ねた一手であったのだ。

 「Syaaaa!!」

 たん、たん、たん―――そのような軽やかな音を立てて、少年の掌と足は大地を押して自らの身体を跳ね上げる。そうやって幾度ものバク転を経て、隼人はエリシアとの間に充分な間合いを稼いでいった。距離にして、およそ十五メートル。されど、それはたったの十五メートルでもあったのだ。彼ら人外の者の身体能力に掛かれば、それは直ちに詰める事が可能な程度にしかない間合いの開きでしかないのだから。

 「ここは一気呵成に―――」

 故にこそ、エリシアは間髪入れずに追い掛ける。赤と黒の魔人が離した、千五百センチメートルの空間。折角彼が仕切り直したその開きを、金髪の少女が弾丸の如く駆け抜けていく。

 「―――叩きますッ!」

 その掛け声と共に、エリシアの足元から伸ばされた黒い鎖。総数四本のそれらは宙へと飛び立ち、半円の軌道にて隼人へと迫る。それを目にした彼は苛立ちに唸りながら、同様に影から棘付きの鎖を一本だけ射出していた。

 「GiiiiiiiiiiYaaaaaaaaaaaaa!!」

 骸骨男はそれを左手で掴み、身体の前面にて振り回す。言うなれば、それは傘。上空より落ちてくる攻撃を弾き、防ぐための盾なのだ。回転によって描かれたその黒い輪は、事実としてエリシアによる四つの追撃の無効化に成功していた。

 「次!」

 隼人が反撃のために右手の剣を振り上げ、颯爽と走り出したその時の事だった。金髪の令嬢がそう叫んだのと同時に、再度影の中から鎖が複数本射出されたのである。それは彼の守りの外側からアーチの軌道で迫っていた。隼人はその初撃に気が付くのが遅れ、左腕を易々と傷つけさせてしまう。

 「Gaa!?」

 一本の鎖、その先端の針が如き刃が彼の手首を切り裂く。それによって異形の餓鬼は自らの盾を落としてしまう。続く二撃目、同様の刃が今度は右足を貫いた。

 それによって彼は完全に足を止める事となり、此度の反撃の機会を喪失。されど、隼人はまだ諦めていない。前方から次々と迫る暗黒の鎖をクレイモアにて斬り払い、左手で打ち落とし、防御を取り続けていく。

 響く金属音、鈍い打撃音。夜闇に走る数多の軌跡は黄金に輝き、赤い髑髏の外殻に埋もれた瞳は、黄色く殺意と闘志を燃やす。だがそれも、そう長くは続かなかった。遂に彼へと直撃したエリシアの鎖が、その右手から両手剣を弾き飛ばしたからだ。

 「Agaa!?」

 そして吹き飛んでいった剣に視線を向けてしまったが故に、隼人には致命的な隙が生じていた。その一瞬を逃す事無く、少女は更なる手を打つ。まずエリシアの足元の影より伸びた二つの黒い鎖が魔人の両腕に巻き付き、重く引き続ける事でその反撃を封じ込める。

 「―――離せ!離しやがれぇぇぇッ!」

 両腕を何度も振り回し、漆黒の鎖を引き千切らんとする骸骨男。宙を跳ねる二本の暗黒の連環は、その都度がしゃりがしゃりと音を立ててたわんでいく。そこへゆっくりと、されど確かな足取りで近付いていく令嬢。黒い革靴がアスファルトを打ち、日の暮れた路地裏にその音を反響させていた。

 「―――黙まりなさい」

 「ッ!?」

 そして発せられた、冷たくはっきりした命令の言の葉。少女がそれを口にした、辺りの空気が張り詰めた静寂に包まれる。うらぶれた街に風一つなく、ただただ時が過ぎていく。紅の骸を半分纏った魔人は一切の動きと明確な声を挙げる事無く、ただ高貴なる王女を見上げる。故に彼女が歩むその証だけが、唯一の音色となっていた。

 「ぁ……ぁぁぁ……ぁ」

 ―――何故だ、何故動けない。何故声を上げられない。少年は異形の顔を歪ませて、身体を震わせる。隼人が感じているもの、それは恐怖である。吸血鬼となった彼の本能に植え付けられた、強烈な餓えや渇きに匹敵する程に大きな『上位者』への畏れ。己を造り変えた君主の意に従うよう定められた、血に巣食う寄生体の叫び。

 今の隼人はエリシアに噛まれ、吸血鬼へと変えられたことで一命を取り留めた存在なのだ。即ちそれは眷属として、彼女に仕える存在となった事を意味する。

 そう―――魔人とは『主』となった吸血鬼に奉仕し、その命令へ忠実に従う者なのだ。だからこそ、隼人は主たる彼女が『命令』として発した意志には逆らえない。故に彼は顔を上げて、目の前の少女に目を向ける事しか出来ないのである。

 「あなたがこれ以上堕ちることを、私は許しません。だから―――」

 足音が止まる。隼人と金髪の王女の間には、たった三十センチにも満たない距離しかない。真紅の空、夕日の逆光の中に浮かぶ白い顔。両腕を拘束され、更には抗う自由すら奪われた彼は、それを見つめ続けるだけだった。

 「―――今はただ、もう一度眠りなさい」

 その優しげな声と共に、翡翠が如き瞳に異形の姿が写り込む。それを直視隼人の黄色い眼球は、彼に漸く己の姿とやってしまった事の重さを見せてくれたのだ。

 「あ、ああ……お、れは…いったい、なに……を―――」

 力なく垂れていく(こうべ)。虚空へ伸びた赤い右手は、弱々しく開かれて落ちる。薄れる意識の中、少年は我が身の罪と愚かさを思い出していた。

 「いいえ、全てはわたしの責任。あなたに頼ってしまった、わたしの罪です。だからあなたは、もうこれ以上こちらに踏み込んではなりません」

 黒い地に付く前に、少女はその手を掴む。長い髪で影となったその顔。その目元から流れた一滴が異形の手首で弾けた時、敵対者の血で濡れた怒りの鎧が砕け散っていく。

 赤と黒の灰が宙を舞い終わると、そこには座ったままエリシアの意志よって意識を奪われた『人間』の真影隼人が居た。彼女は隼人を仰向けに返し、片膝立ちのまま横抱き抱える。

 「これはきっとわたしのエゴ。あなたはあそこで終わるべきだったのかもしれません。それでも、わたしはあなたを生かしたかったのです。あなたの怒りと悲しみに、答えたかったのです」

 エリシアは黒い鎖を消し去って、少年の頬に青白い右手を添えていく。その瞳からは、涙が小雨のように溢れてきていた。

 「だからわたしを怨んでください、許さないでください。あなたが憎む者たちと同じように、何時かわたしに裁きを下しなさい。それがあなたに用意できる、第二の償いなのですから」

 少女が隼人の頭を胸元で強く抱きしめ、震える声で告げるは懺悔。吸血鬼は神に仇なす者なれど、エリシアは神を信じぬ者なれども、この一時だけは祈らざるを得なかったのだ。家族を喪い、人としての道を奪われ、安らぎを捨て去らねばならない少年を想えば―――救いを求めたくもなるのだろう。

 跪く罪人と眠れる復讐鬼。建物の谷間に漸く流れて来た一陣の秋風は、橙色の光に包まれた彼らを優しく撫でる。第二幕の始まりを告げるかのように、鴉が一羽夕焼けに哭いている。この瞬間から少女は永遠なる贖罪を、少年は終わりなき戦いを義務付けられたのだ。これを悲劇と呼ばずして、何をそう呼ぶのか。

 だが、これはただの悲劇ではない。少なくとも、隼人は悲しみにくれるだけでは終わらないだろう。故にこれは復讐劇でもあるのだ。その第一幕が『喪失』の章ならば、ここから先は『報復』の章。故に、彼らはきっと立ち上がる。復讐とは、絶望という名の奈落を這い上がっていく不撓不屈の輝きなのだから。

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