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幻想魔譚~Fantastical Evil Tale~  作者: 味噌カツZ
(I)Bloody Twilight
6/11

第六話 Bloody Twilight~覚醒する憤怒の魔人~

 熱い、身体が太陽に焼かれているかのように燃えている―――まるで熱病にうなされている患者の如く、少年は夢と現の狭間にあった。ぼやけた視界の中を何度も過り、浮かぶは金色の乙女。彼の胸に押し付けられた白い布は、忽ち真っ赤に染まっていく。彼女は少年の胴体に大きく空いた傷を強く圧迫したが、彼はたまらずその痛みに反応して手を大きく振り払った。

 「―――!」

 少女は意識が混濁している隼人に向かって、何かを叫ぶ。だが、彼にはそれが水の中で反響する音のように靄が掛かって聞こえて、何を言っているのか理解できない。

 「―――!?」

 喉が渇いた、痛い、熱い、死にたい―――そんな戯言を彼はただ繰り返す。その度に少年の手足が跳ね上がり、献身的な看病をしている少女を襲っていた。そして、そうやって暴れる度に貴重な血が失われていくのだった。最早彼には何も聞こえない、耳に入ってこないのだ。

 「あなたは絶対に死なせません―――死なせて、なるものですか」

 だが、それでも。眩い緑色の瞳の持ち主の、そんな切実な叫びにも似た声だけは彼にも聞こえていた。薄めに開いた黒い眼を金髪の乙女が覗き込んだその時、隼人の意識は再び闇の中へと沈みだす。伸ばしたその手を包む冷たさが、彼の気絶への道中を見守っていた。

 ―――少年は、一体どれだけの間眠りについていたのだろうか。目を覚ました隼人が見たのは、ひび割れた灰色の天井だった。

 「ここは―――ああ、あの廃墟か」

 そう、そこは彼が拠点化した『矢島ビル』三階の探偵事務所跡。窓から差し込むはオレンジ色の日差し。時刻はどうやら夕暮れ時手前のようだった。隼人はそこで、来客向けの長方形のテーブルに寝かされていた。

 「ッ!?」

 上体を起こそうとして、彼は痛みに呻いていた。身体に掛けられていた上着―――胸の部分に穴が開いた学生服―――がずり落ちて、胸に巻かれた白い包帯が露出する。そしてそれを見た事で、少年魔術師は自分の身に起きたことを思い出した―――粗末な復讐の末路、虐殺の果てに現れた謎の男の事を。そう、彼は教会での戦いの最中、背後から胸を何かで貫かれたのだ。包帯の下にあるのは、その時の傷であった。

 「そうだ、エリシアは?」

 隼人はそこまで浮かべて、自分をここまで運んで手当てをしてくれたらしい少女のことを考えた。この場所まで運んで手当てをしてくれたのは、ここが結界に包まれていることを知っている彼女しかいないのだ。それ故、隼人には聞きたいことが山ほどあった。どうして彼女の方が先に早まった行動に出たのか、どうして朱魅坂の教会に自分よりも早く到着しなかったのか。そして―――自分を殺そうとした、あの男のことを知っているのかについて。

 「ああ……クソ、優理のこともじゃないか」

 そして、少年は額に右手を当てて自己嫌悪に陥る。何故最愛の妹の事が真っ先に気にならなかったのかと。唯一生き残っているかもしれない肉親の事を、怒りや憎しみのあまりおざなりに考えていたことを。

 「あの時、もっと話し合うべきだった」

 隼人は襲撃に踏み切る前の、ここでのやり取りを後悔していた。自分から議論を感情論で打ち切るべきではなかった、怒りや復讐の念に囚われるべきではなかったと。そうすれば彼らは同時に教会に乗り込むことも出来たし、別働隊という形で妹の捜索に専念することも出来たのだから。後悔先に立たず、まさにそのことを彼は痛感しているのだ。

 夕焼けの光の中で、少年は何時までも頭を抱える。朽ちた部屋の静けさに響くは、何処かの街路樹で鳴く虫の声のみ。砕けた窓から吹き込んだ風が、項垂れた隼人の頬を撫でる―――それには、僅かながら乾いた血の匂いが含まれていた。不審に思って顔を上げた彼の眼に入ってきたのは、辺りに散らばった黒い染みだらけの白い布切れ、窓際で倒れた革張りの椅子と事務机、ドアの近くにある傘立てに差し込まれた自分の杖、空っぽの棚に置かれた正装たるマントと血染めのワイシャツ。そしてくすんだ白い床に描かれていた、何かがのたうち回ったかのような赤黒い跡。

 「なん……だ、これは」

 彼は無意識の内に生唾を飲む。そこはまるで、強盗殺人犯に荒らされたかのような惨状であった。汚れた白い布切の山は、彼を手当する過程で生まれたものに違いないだろう。だが、彼方此方に見える帯のように太い血の軌跡は一体何なのだろうか。彼は確かに、激しく出血していても可笑しくない怪我を負っていた。だが、そのような状態で床を転がり回ることは可能であろうか。

 「くっ―――急にッ、喉が」

 そんな風に状況を整理していた彼は、突如強烈な衝動に襲われる。それはあるモノへの渇望―――即ち『()』を飲みたいという生理的な欲望。身体の奥底から全身を焼かんとする熱と、鋭い頭痛のような痛み。それらを抑えるには渇きを鎮めるしかないと、どうしてか隼人には分かっていた。『ソレ』を求めて、彼はベッド代わりのテーブルから転げ落ちていく。

 「飲みたい、飲まなければ、早く『()』を―――ッ!?」

 手はぶるぶる震え、足がガタガタ揺れて、視界をぐるぐる回す。そんな状態で、彼は無理矢理にでも立ち上がる。

 「どこだ、どこにある」

 そして少年は床に落ちたボロボロの上着を何とか拾って、ボタンを留めずに羽織った。頭も身体も、どちらも渇きに支配されていたのだ。隼人の全て―――そう、文字通りの全て―――が、本能の叫びに従おうとしている。

 「あ、あああ―――」

 口から涎を垂らし、意味不明な声を発して。朦朧とする意識の中で彼は歩き出す。その足取りはどこからどう見ても正常ではなく、明らかに異常が生じているようだった。それでも重い肉体を引きずるようにして、部屋を出ようとする隼人。その耳に、反響してぼやけた―――聞き覚えのある少女の声が聞こえだしていた。

 『フフッ……こちらですよ』

 「エリ、シア?」

 『はい。あなたが欲しいモノはこちらですよ』

 段々とはっきりし出すその鈴のような声に、少年は魅かれる。それは間違いなく金髪の少女、吸血鬼エリシアの物であった。だが、その姿は室内のどこにも見当たらない。聞こえている筈の彼にすら、それが何処から響いているのか見当も付かない。

 「どこにある、『()』はどこだ?」

 『まずは外に行ってください。そうしたら、私がソレの在処まであなたを導きますよ』

 隼人はそう聞いて、言われるがまま扉を開けて廊下に出る。至る所に罅の入った、埃臭いコンクリートの世界。彼は危ない足取りにて、右手側の階段を下っていく。徐々に強くなる橙色の光のカーテン。二つのドア―――その内一つは完全に外れて倒れていた―――を通り過ぎて、彼は日差しの中に踏み入れる。

 「うっ―――」

 久しぶりに陽の光を浴びたからだろうか。洛陽によって弱まった太陽光を眼にして、少年は右手で顔を遮る。

 『辛いですか?なら、早くこちらまできてください。私のいるこちらまで……ね?』

 またも隼人の耳元で木霊する魔性の声。彼が明るさを堪えて眼を開けば、向かいの道路にある路地への入り口―――その影の中に見慣れた少女がいた。顔は暗がりでよく見えないようだが、その口元には笑みが浮かんでいる。そして白い左腕だけが光の世界に伸ばされて、少年へと手招きをしていた。

 「ああ……そこに、あるのか」

 不思議と誰も居らず、車も通らない道をのそのそと横断していく隼人。彼がそれを渡り切る頃には、エリシアは背をそちらに向けて闇の中へと進んでいた。

 「まだか、まだ『■』に辿り着かないのか?」

 『うふふ……あと少し、あと少しですよ。あなたが求めるモノまで、あなたの望むモノまで。もう目と鼻の先なんですよ。だから、もう少しだけ我慢してくださいね?』

 どんどんと先を歩き、蠱惑的な声で少年を路地の奥へと誘っていくエリシア (何か)。されど、ソレは決して歩みの遅い彼を置き去りにする速度ではない。寧ろ隼人がぎりぎり追いかける事が出来るぐらいの歩調であった。そうして時折、ふらついて今にも倒れそうな少年に声援を送る。まるで水先案内人のように。彼は誘蛾灯に引き寄せられていく蟲のように、ただ無批判にそれを追いかけるのみ。

 『はい、到着です』

 廃墟を彼が飛び出して十分ぐらいが過ぎただろうか。唐突にソレは立ち止まって振り返る。そして少年に妖しげな微笑み―――相変わらず顔は隠れているが―――を見せていた。

 『後はもうそこを曲がるだけです。そこにあなたが『本当』に求めるモノがありますよ。さあ―――行きなさい。行って渇望を、欲望を、願望を満たすのです』

 そう言って彼女は左でその先を指さす。そこには確かに曲がり角があったのだ。隼人は最早ソレの操り人形の如く、何も言わずにただその指示のままに動いていた。その目の前を彼が通り過ぎた時、彼女は邪悪な微笑を浮かべたまま虚空に溶けていった。

 「ああ―――やっと、見つけた」

 暗がりの中、隼人らしきモノは口角を釣り上げる。先程までの意識の不鮮明さが噓のように、その声色は元の状態に戻っていた。牙を剥き出しにして、一筋の涎を垂らす彼の前にいたのは―――。

 「ッ……貴様、生きていたのか」

 ―――そこに立っていたのは、かの聖職者たちの生き残り。黒い十字架を背負う白き外套を身に纏った、イザークだ。彼は右手で左腕を抑え、苦虫を嚙み潰したような顔で少年を睨みつけていた。

 「貴様のせいで、貴様のせいでな、我々は全滅させられたも同然の有り様なのだよ。よくもやってくれたな、これでもうこの街は丸腰だ。迫り来る危機を前にどう対処するつもりか。魔術師よ、どうか聞かせて欲しいものだな!」

 「これか、これが俺の求めるモノ―――クククッ」

 「聞いているのか、真影隼人ッ!」

 何が面白いのか、隼人は右手を顔に当てて笑い出す。それを見て、烈火の如く唾を飛ばして怒鳴る男。だが、少年にはその声は聞こえない。

 その顔を醜く歪ませて、嘲笑うかのように不快な声。のけぞった姿勢に、小刻みに震える身体。耐えきれずに漏れ出したと思われるそれには、幾分かの狂気が含まれていた。昨日の夜とは別人の様だ―――それが、この隼人を眼にしたイザークの感想だった。

 「ハハハッ!そうか、やっぱりそうだよなぁ―――確かに、今の俺が欲しいモノだぜ。しかも、それらが一度にまとめて手に入るしなぁ」

 「この期に及んで、気でも狂ったかッ!」

 「狂った?この俺が?いいや、元から狂ってるのはあんたらの方さ!俺は人として真っ当な、怒りの感情に従っているだけだ!」

 吠え立てるイザークを前にして、愉快痛快と言わんばかりに高笑いをした少年。その瞳は紅く血走り、剥き出しの犬歯(けんし)は鋭いナイフの如く煌めく。その様を見ていた男は、その狂い様も納得できるというように眼を閉じる。

 「そうか、そういう事か。貴様、既に嚙まれた後か。ならば、最早問うまい」

 「あァ?」

 嗤いを浮かべた隼人は首を傾げる。だらりと下げた両腕がぶらりぶらりと―――まるで首吊り人形の如く―――軽く揺れていた。

 「死ぬがいい吸血鬼の子よッ!永遠なる地獄へ落ちろ、落ちろ、落ちてしまえ!!」

 その怒声と共に右手で腰のホルスターから抜かれる拳銃。細長いバレルが特徴的な純白のリボルバーが火を噴き、聖なる銀の弾丸が次々と放たれた。その数は六発、即ち全弾撃ち切り。直線を描いて空を走るそれらは、何の妨害も受けずに少年の肉を穿つ。初弾は右腕に、続いて左足に突き刺さり、右頬を抉って駆け抜けていく。そして残る四発目から先は、全て左脇腹に命中していた。

 転がる薬莢はアスファルトの上で跳ねて、鎮魂の鐘を鳴らす。そうして糸の切れた操り人形の如く隼人は着弾の衝撃で後退っていき、やがて天を仰ぎ見る形で倒れる。

 「はぁっ、はぁっ、はぁっ……最後まで忌々しい少年だったな、この疫病神め。貴様のお陰で何もかもが滅茶苦茶だッ!」

 白い煙がたなびく銃口を下ろし、男は死体に悪態を吐いていた。イザークは更に言葉として記すのも憚られる程の罵倒を、彼の母国語たるドイツ語で浴びせる。

 「チッ、早くこの極東を去ってしまいたいものだ。どこかリゾート地の教会にでも赴任せねば、この怒りは収まらん」

 虚ろに開かれた瞳、十字架に磔にされているみたいに両手を広げて倒れた身体。徐々に広がる血の湖、薄暗い路地裏に戻り行く静寂(しじま)のカーテン。そして彼を上から覗き込み、その顔に唾を吐き捨てた長身の聖職者。

 「……魔術師の家に生まれ、あの吸血鬼に眼を付けられたのが運の尽きだったようだな。我々と手を組んでいれば良かったものを」

 だが、それでも少年の末路に何か思う所はあったのだろうか。男はそう苦々しく呟き、銃を仕舞った右手で十字を切る。彼は腐っているが、やはり聖職者であったのだ。故に、愚かで憐れな魔術師の死を弔ってやったのだ。

 「人と化物の境目で留まったまま眠れ、島国の魔術師よ。全ての罪をこれにて清算し、主の愛の下に救われることを祈ってやろう」

 そう言ってイザークは背を向けて歩き出す。ある程度距離を取ってから、その遺体を聖なる炎で火葬してやるためだった。だが、その時だった。男が気付かぬ間にピクリと動くは死体の指。開いた五ヶ所の傷からは血飛沫と共に銀の弾が飛び出して、下手人に異変を知らせるきっかけになっていた。

 「今のは?」

 再び響くは大地を弾む金属音。火花のように飛び散る紅のミスト、不規則に跳ねる冷たい身体。

 「何だ。何なんだ……貴様は。何故聖銀弾をあれだけ受けて死なぬッ!?」

 最早動かぬ筈の肉の人形が立ち上がる。二度と鳴らない筈の心臓がビートを刻む。そんな不気味な奇跡を目の当たりにしたイザークは、得体の知れない恐怖を覚えて震えだしていた。

 「あ、あが、あぐぐぐぐ」

 何とも不明瞭な声を挙げて、少年―――だったモノが再起した。彼の身体から噴出していた血はいつの間にか止まり、塞がりつつある傷を起点として皮膚が黒く変色を始める。指先から胴体へ、胴体から足や首へ、首から頭部へ向かって。

 隼人は、先の教会での戦闘で胸部に致命傷を受けて死んだかに見えた。だが、彼は生き延びていたのだ。その身を後天的吸血鬼―――『魔人(ダムピール)』へと変えて。そして今、もう一度致命的な重傷を負った彼は怪物として覚醒を始めていた。

 「自我の存在から喰屍鬼(グール)では無く魔人(ダムピール)だとは思ったが……まさか、これは」

 魔人、それは吸血鬼によって眷属にされた元人間を指す言葉。通常、吸血鬼に血を吸われて死んだ者は人間の血肉を貪る喰屍鬼(グール)へと堕とされる。だが、己を噛んだ主によって人であることを捨てさせられた者たちもいたのだ。彼らはその際にグールとは異なり、体内に主の血と共にミクロサイズの寄生生命体を注入されて、その肉体を吸血鬼として改造されている。

 そうして夜闇に君臨する一族に仲間入りした元人間を、現代では『魔人(ダムピール)』と呼んでいた。本来の東欧の伝承におけるダムピールは、吸血鬼と人間の間に生まれた混血の事であったが、人類はその概念を後天的吸血鬼にも当てはめるようになっていたのだ。この点で言えば喰屍鬼(グール)も後天的吸血鬼の仲間となるが、専ら彼らからは奴隷として見られている。

 「まさか―――」

 先天的、後天的かに限らず吸血鬼(ヴァンパイア)は人間と同じ姿形をしている。しかし、極稀に『人型の異形(ヴァリアント)』へと己の肉体を変化させる魔人が誕生することがある。

 「―――まさか奴は、『異形魔人態ヴァリアント・ダムピール』になったとでも言うのかッ!?」

 その名も『異形魔人態ヴァリアント・ダムピール』。吸血鬼を狩り続けてきた聖天十字教会の歴史上、異形魔人態ヴァリアント・ダムピールの確認件数は僅か五つだけであった。

 「馬鹿な!極東の片田舎、吸血鬼沙汰から最も程遠い地域だぞ!こんな事があってたまるものかッ!!」

 千年に及ぶ吸血鬼と人の戦いの歴史の中で、喰屍鬼にならずに魔人となり、しかもヒトの姿から外れた怪物はたった五体しか確認されていないのである。故に驚天動地、故に青天の霹靂。だからイザークは、ただ恐れ慄くことしか出来ない。彼は正しく、教会史にその名を刻む瞬間にあったのだ。

 「ぐぐぐ、ぐぎぎぎ……ぎぎぎ、ぎぃあああああああッ!?」

 言語化に苦しむ絶叫、何かが肉の内側で蠢く音。それらが夕焼けによって真紅と化した空に響き渡る。まさに今は『鮮血の黄昏ブラッディ・トワイライト』、血塗られたこの街で災厄の化身が生まれた瞬間。今日ここに、教会史に記すべき『第六の異形』が生を受けたのだった。

 羽織っていた上着を脱ぎ、全身を完全に黒く染めた少年。その右前腕と左膝の側面から、真っ赤な骨の如き突起物が肌を引き裂いて飛び出してきた。再び流れた血液が、今度は周囲の建物の壁に弾けていく。

 「ううう……ゔいぁぁぁぁぁぁ!!」

 そして段々と伸びていった赤い棘がアーチを描き、今度はその上にある上腕と大腿部にまで侵蝕を広げて―――否、それだけでは終わらない。手首や足首、果てには指といった末端部分まで赤い骨質が拡大していった。そうして赤い甲殻は胴体の漆黒の肌を閉じ込め、更には首へと延びていく。顔は右頬を始点として、憤怒に歪んだ髑髏の仮面を付けているような状態へと変化していった。

 「あ、あああ―――」

 響き渡る地獄からの唸り声。まさしく隼人は餓鬼のような姿へと変異している最中にある。血濡れた骨の鎧を身に纏った、飢えと渇きに苦しむ悪鬼。その様子はまるで、肉体に血の色の骨格が浮かび上がっていくかの様だった。

 加えて、その額からは鬼が如き紅の一本角が生えだしていた。そして、最終的には変異に伴って筋肉が僅かに膨張し、胸を覆う包帯がはじけ飛ぶ。そこにあったのはエックス字に盛り上がった点滅する発光器官であった。心臓の鼓動に対応し、斜めの十字架は黄色の光を放っていた。

 だが、そういった外骨格的な変異は全身に広がった訳ではなかった。現に頭部や顔面の左側と左腕、そして右足は未だに皮膚が黒色になっているだけであった。これは先程の銃撃を受けた部位に対応した、極めて非対称(アシンメトリー)な異形化であった。

 それはまさしく不完全な変異の証拠。それは未だに吸血生命体の群体が、隼人の肉体に定着し切っていない証明。もしも完全な変異を遂げていたのなら、赤い外骨格状に硬質化した皮膚の生じ方はきちんとした対称(シンメトリー)になっていただろう。

 「―――ふう。ああ、熱い。酷く熱いな」

 歪な黒と赤の骸骨男が、そうポツリと呟く。先程までの奇声や絶叫はどこに行ったのか、その声は酷く落ち着いていた。まるで、普段通りであるということを装っているかのように。

 「それに喉の渇きも限界だ。飲みたい、早く()が飲みたいぜ」

 喉元を掻くような仕草をして、彼は仕切りに己を潤したいという欲求を漏らしていた。そして、不意に彼は男の方を向く。爛々と輝く黄色の眼がイザークという獲物を捕らえ、角に集約された聴覚がその内側で脈打つ心臓を確認し、紅の皮膚に包まれた鼻が血管を流れる甘美なワインの香りを吸い込んでいた。

 「そういや、そこにあったな。丁度良い、飲ませろよ―――あんたの血を」

 「ッ!?」

 唐突に低くなる声、その威圧感に思わず後退りをしていたイザーク。左足が踏んだ砂利の音がやけに大きく聞こえて、漸く男は吸血鬼を前にして戦意を失い掛けていたことをはじめて自覚する。

 「クククッ、そうだ血だ!血を寄越せッ!飲ませろ、俺に飲ませろ!さっきから喉が渇いて疼いて―――仕方ないんだァァァァァッ!」

 再度噴出する狂気、首を擡げた極めて原始的な本能。隼人だったモノ―――人の形をした獣が吠える。黄色い鼓動は一際強い輝きへと変わり、彼の激情を代弁するかの如く。そうして彼は掴んでいた学生服の上着を投げ捨てる。身も心もその渇望へと委ねたソレは、今まさに走り出していた。

 「チッ、何度邪魔をすれば気が済むのだ―――真影隼人ォォォォォッ!!」

 そう叫び、男は背負ったクレイモアを思い切り抜剣した。痛む左腕を庇いつつもイザークは、得物を両手で中段に構えて迎撃せんと備える。対するは右足で踏み込んでアスファルトを砕き、大きく跳び上がった髑髏人間。そちらは落下の勢いと単純な腕力を組み合わせた、拳による攻撃を繰り出さんとしていた。

 「シャッ!」

 「はぁッ!」

 徒手空拳と薙ぎ払い―――握り拳と刃が衝突し、辺りに殺伐とした金属音を反響させる。そこからくるりと宙返りをして降り立つ隼人。そこから彼は瞬時に右腕を引いて殴り掛かる。しかし、それはイザークによる袈裟斬りによって阻まれてしまった。皮膚を裂く刃、潰れていく中指、そして刀身に込められた聖なる力で焼かれていった肉。

 「うらぁッ!!」

 だが、まるで意に介さず―――そう言わんばかりに、少年の左拳が男の頬を撃ち抜く。そのまま刃が切り裂けば、隼人の利き腕は当分使い物にならなくなっていただろう。けれども魔人と化した少年が反撃の一撃にて彼を殴り飛ばしたことで、その目論見は失敗に終わる。

 「ああクソ―――滅茶苦茶痛ぇじゃねぇかッ!」

 すぐさま修復される異形の右手。裂かれた筋肉がまるで映像を逆再生するかのように合わさり、折れていた筈の骨は嫌な音と共に真っ直ぐに戻る。そうして骸骨の化物は、何度か治った指を閉じたり開いたりして悪態を吐いていた。

 「まさか、こうも再生能力に違いがあろうとは」

 そんな様子を離れた間合いから見て、額の汗を拭いながらイザークはそうぼやく。

 「修行生の頃に聞いた、たかが魔人の変異種という噂は嘘だったな」

 男は自らにデマを教えた先達に恨み節をぶつける。そして、その過程で思い起こされたのは、聖天十字教会の聖職者育成機関たる『スクール』での日々。若き情熱と信仰心に身を任せた青春の時間。そしてそこには、無論先の襲撃で死んだギャバンやゲールとの思い出もあった。

 「だが、それがどうした。例え強敵であろうとも、このイザーク・マラサリーは引かず、臆さず、剣を振るうのみだ」

 故に、彼は剣をもう一度確と構え直す。騎士団に入った時にした神への宣誓と、死した友への手向け。その二つを胸に、イザークは目の前の怪物を倒すまで『不退転』を貫かんと決意する。

 「ハッ!面白い、やってみろよ。この俺を、そんなヒーロー気取りで殺せるならな!返り討ちにして、身体ん中の血全部吸い取ってミイラにしてやるッ!」

 そう唾を飛ばした骸の異形。最早彼には怒りと渇きしか存在していない。それは急激な肉体の変化に精神が引きずられ、吸血衝動と自身が持つ憎悪が過剰に増幅されているからだった。故に今の隼人には、ただ暴れて血を貪ることしか考えられないのだ。

 「ならばその前に斬ってくれるッ!」

 二度目の攻防はイザークから始まる。彼は『聖十字大剣クロスオーダー・クレイモア』を腰の左側まで引き、剣先を斜め下に向けた構え―――ドイツ流剣術における『猪の牙の構え』にて走り出していた。

 対するは、おもむろに自らの足元の影に右手を突っ込んだ隼人。そこから引きずり出したのは、影で構築された一本の鎖であった。

 「いいねぇ。そういうの、まさに最高だよ」

 彼はその両端を右手と左手で握り、三度引っ張って調子を確かめるような仕草をする。

 「復讐相手は手強い方が―――殺りがいがあるからなァッ!」

 そうして、髑髏男は振り上げたそれを全力で標的へと叩き付けた。イザークはそれを斜め右上へと斬り上げて弾く。刃と暗黒の鞭が衝突し、橙色の火花が散らす。徐々に詰まっていく間合いを前にした隼人は、跳ね返った鎖を右腕に絡めて巻き取って走り出した。

 そして一足一刀の間合いに入った両者。その瞬間に騎士が繰り出したのは金色の突き、それを異形は鎖の籠手にて刀身の腹を押して外側にずらす。剣先が左の方へと向かわされ、イザークは大きく体勢を崩すことになった―――かに見えた。

 「ハァッ!」

 そこで彼はその勢いを利用して回転斬りを決行、反時計回りにクレイモアの刃が薙ぎ払う。それを隼人は一度のバックステップで回避し、続けて二回それを行って間合いを離す。

 「ギャハハッ!コイツは使えるなぁ!」

 異形の怪物はそう嬉しそうにはしゃぐ。頭蓋骨のような赤い外皮に覆われた顔で、さも面白いと笑っていたのだ。故に彼は先程とは反対の腕も影に突き刺し、二本目の鎖を入手した。そうして素早く左腕にも巻き付け、即席の防具を作成する。今度は右の物よりも長く取ったようで、より大きな盾となっていた。

 そうやって防御の準備を整えた彼は、今度は攻撃のための準備に移る。右手―――紅い骨格のようなラインが黒い皮膚に浮かび上がっている方―――の爪が伸びて、真紅に輝きだしていた。これは、エリシアが行った事と同じく高周波を利用した振動による物だった。

 「震弦紅刃バイブレーション・ブラッドネイル―――行くぜ、行くぜ、行くぜッ!」

 戦いの主導権を握るべく隼人は走り出す。一方のイザークの方はと言えば、またも基本の中段に構えを戻して攻撃に備えていた。そこに放たれた左の貫手、それを半歩斜めに下がって躱す騎士。続けて右手の爪が左の方向に振り抜かれるも、またもや聖職剣士は僅かに後退して避ける。

 「シァッ!」

 そこで、隼人はその外れた右腕を戻す軌道にて振り抜いた。それを明確な一歩として後ろに下がって回避したイザーク。彼は後退と共に剣を上段に振り上げておき、開かれた少年の上体に向かって振り下ろす。それを阻むは左腕に巻かれた鎖の盾。

 外骨格のような赤い外皮の無い左腕では、本来ならば聖水の加護を宿した刃を受け止めることは不可能であった。それをすれば、直ちに骨ごと腕を斬り落とされていた筈である。故に彼は、距離を置いた時点で左腕に影の鎖を巻いておいたのだ。

 「チッ!」

 舌打ちをするイザークとニヤリと嗤う化物、二人の視線が刹那に交差していた。拮抗する力と力、刃と籠手が互いに押し合いを続ける。そんな状況を打破すべくイザークは剣を寝かせ、柄頭による打撃を相手の腕部側面に浴びせる事で防御を崩しに掛かった。

 「これならば!」

 そして右手を柄から離して刀身のリカッソを握り、逆さまに持ったクレイモアを突き出す。それは、ポメルによる再度の打突。真紅の甲殻をそれによって打ち、彼は異形の戦士を仰け反らせたのだった。

 「うぐッ!?」

 痛みに呻け、よろめく怪人。そうして生じた隙にイザークより放たれた三度の突き。その一発目と二発目を隼人は敢えて腹部に命中させていた。そして―――最後の三度目を両手で掴む。彼はそこから聖職者の腹に蹴りを放つと共にそれを離してやる。すると、イザークはそのまま後ろによろけていった。

 「だァッ!」

 隼人はそこで再び貫手を繰り出す。されど、それは先の牽制打とは異なる必殺を狙った一撃。硬質化し、高周波で震えている爪が生えた右手によるもの。そんな攻撃が空気を裂いて、標的の心臓目掛けて放たれていた。

 「ぐッ―――!」

 それを剣士は柄頭を上向きにした状態の剣―――その刀身の腹にて防ぐ。その衝撃に耐え切ってその場に踏み留まったイザーク。彼はそこから刃の向きを戻し、先程の状態のまま柄を握る左手を引き、刀身の根本を持つ右手を突き出す。

 「そこだッ!」

 それは正しく『梃子の原理』を使った攻撃。切っ先が身をよじって躱そうとした隼人の左脇腹を切り裂いていた。削られていく赤い鎧、その下の肉は浅く焦がされて、怪物は煩わしそうにうなりを挙げる。

 「グルル―――Gugaaaaaa!」

 かっと開いた口から甲高い咆哮が放射されて、聖職者の身体を紙屑の如く吹き飛ばした。これはエリシアがシスター・アンヌに対して放った超高周波(ハイバイブレーション)ブレスの出来損ないであり、音波の収束が不充分な場合に生じる現象だった。差し詰め、高周波衝撃砲バイブレーション・ストライクとでも言った所である。

 「がはッ!?」

 アスファルトの上を弾み、強かにその背を打ち付けられたイザーク。仰向けになった一瞬に肺の中の空気を全て吐き出させられ、そのまま転がっていく。そこで隼人は腕に巻いた鎖を勢いよく解き、両手を交互に振るって悶え苦しむ男にそれを叩き付けた。

「動くなッ!足掻くなッ!大人しくッ!しやがれッ!」

 右、左、右、左―――交互に波打たれる暗黒の連環。立ち上がろうとするイザークの背を何度も何度も、執拗なまでに彼は打ち続ける。

 「ヒヒヒッ!痛いか?痛いのか?そうだよなぁ、痛いよなぁ―――けど、俺が味わった痛みはこんなもんじゃねぇッ!!」

 破けていく白い外套、散り行く黒き十字架の紋章。純白のコートの下に装着されたプロテクター、その背中部分が異形の腕力に耐え切れずにエックス字に凹んでいく。だが、そんな中でも男は反撃の狼煙を上げるチャンスを伺っていた。その証拠に顔は苦悶に歪みつつあれども、その瞳は決して絶望に支配されておらず、光が灯っていた。そうやって猛攻に耐えて何とか顔を上げたイザークだったが、そこを怪物に利用されてしまう。その首に二本の鎖が巻かれて締め上げていったのだ。

 「う―――ッ!?」

 「苦しめ、もっと苦しめ。その苦痛と悲鳴が俺を動かす薪となり、この胸の内にある憎悪の炎を滾らせるのだからなッ!」

 万力のように締め付ける黒き蛇、弓の弦が如く力の限り引かれた両腕。赤い髑髏の口は嗤いと怒りに釣り上がる。対するイザークは握っていた剣を取り落とし、急激な酸素不足でその手をわなわなと震わせていた。苦しげにも藻掻き、喉を掻きむしるようにして鎖を解こうとする剣士。

 「ぁッ―――!?」

 そして、偶然にも男の右掌がそれに触れる。瞬時に切り替わる意識、痛みや苦しみに打ち克つ鋼の精神。風前の灯火の中、イザークはそれをしかと握り締めて―――無詠唱にて聖秘術を行使した。

 聖職騎士の手の中で迸るは白銀の稲妻、それは隼人との戦いの中で幾度も使われた彼の十八番―――終末裁定ディエス・イレ・トニトルス。それが左腕から伸びていた漆黒の鎖の表面を駆け抜けて、赤と黒の肉体を焼かんと迫っていた。

 吸収と転化の術式を専門とした魔術師たる彼には無力な技であったが、魔術を使えない吸血鬼化した相手には、極めて有効な術式だと彼は咄嗟に考えたのだろう。

 「馬鹿なッ!?何故発動しな――――」

 対する隼人は狼狽していた――――何時もの赤い魔法陣は生じなかったからだ。何度も術式を脳内で検証し、詠唱すら試みた。されど何度もやり直そうが魔力は微塵も動かず、結果魔術式は起動しない。彼は知らなかった――――吸血鬼が魔術を使えないことを、そうなった者からは魔術の才が喪われていくことを。

 事実として地球の神々がもたらした地球の法則たる魔術を、外宇宙から来訪した生命体の子孫たる吸血鬼は扱えない。そうした寄生虫や侵略者を排斥するのが神々と神の理―――即ち、魔力を源とした魔術と聖秘術であるからだ。

 「Gyaaaaaaaa!?」

 そして、紅の肉体を走り出した白い稲妻。金属音のようにおぞましい絶叫が、夕刻の街に木霊する。全身を焼き尽くさんと駆け上ってくる雷撃を受けて、骸骨人間はその身をよじるのみ。それ故に絞首の綱は緩みだす。

 イザークは無論、そんな好機を見逃す男ではなかった。彼は右手で鎖を握ったまま、左手でクレイモアを拾おうと試みる。跪いているような体勢の男のすぐ傍―――足元で鈍く光る剣。それを何とか手繰り寄せて左手で握り締めた彼は、それで鎖を断ち切って走り出す。

 「はぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 九、八、七メートル―――詰められていく両者の間の距離。イザークは聖十字大剣クロスオーダー・クレイモアを持ち替えて、右手の下側に左手が来るように剣を持つ。身体の左側で大地と平行になるように構えられたそれは、隼人の胴を横一文字に断ち切るため。

 六、五、四メートル―――電撃で朦朧としていた怪物の眼に、光が戻る。視界に大きく映った憎き仇を前に、隼人は両腕の鎖を消失させて反撃の一手を打つ。それは、彼が再三イザークたちに使った得意技なのか。最早定型の合言葉も必要ないと言わんばかりに、髑髏男は右腕を天に突きあげてただ一言―――呟く。

「―――大蛇雷霆スネーキング・スパーク

 残り三・五メートル―――聖職者が間合いをそこまで詰めたその時だ。隼人は右腕を振り下ろし、黒きアスファルトに手刀を叩き付ける。そこから放たれたのは、転化魔術によって得た魔力による魔術的な放電。それが大樹の根のように複雑に分岐しながらも蛇行して、男に迫っていた。

 「なッ!?」

 イザークの右足に絡みつき、よじ登るは金色に輝く魔の電流。黄色く輝くそれは無数の蛇のように聖職者の肉体に咬みつき、焼き焦がしていく。『抗魔力繊維』や『対魔力装甲』を物ともしないその威力は、隼人が第一級(Aランク)の魔術師であった事の証明である―――例え、彼がこの星の法則から逸脱した化物になっていたとしても。それだけの才があったからこそ、吸血鬼と化して尚も魔術を扱えているのだった。

 隼人は土壇場にて強引に術式を切り替え、吸収ではなく直接の転化によって雷撃の属性を反転。闇の雷霆として放ち返したのであった。その見事なまでの早業と鮮やかさ。吸血鬼になったことで魔術に関する才能や適性が低下している筈なのだが、今の少年の咄嗟の魔術式からはそれは微塵も感じられなかった。

 イザークはそれから一分半もの間、雷撃に打たれ続けた。全身に生じた火傷の数々、痛めつけられた多くの臓腑。またも剣を取り落として跪いた彼には、最早戦う為の力は残されていなかった。そんな敵の弱り切った様子を眼にした隼人は、稲妻の放出を止めて右腕を大地から離す。

 「―――ぁ」

 あまりの苦痛に叫び続けた男の喉は枯れ果てていた。故に、感電死寸前で電撃から解放された彼の口から飛び出したのは、あまりにも弱々しい声だった。黒く焦げた所が目立つコート、融解した白いプロテクター、人体から立ち昇る煙。イザークは瀕死の状態にまで追い詰められていたのだ。

 「まだだ!まだ終わらせねぇッ!!」

 このままとどめを刺せば、隼人は彼への復讐を遂げられる。だが、まだ怪物と化した少年はそれを行わない。

 「その目を抉り、耳を削ぎ、鼻を潰し、そして臓物を引きずり出してやるッ!」

 そう憎しみに満ちた声で叫び、紅の異形は歩みを進める。彼の進路にいる聖職者には、その言葉が聞こえて当然であろう。動かぬ身体を何とか動かそうとするも、ただただピクリと身体の一部が反応するのみ。

 「だが、だがなッ!そうする前に、あんたには聞かなきゃいけない事がある!」

 そんな状態の男を隼人は強化された腕力を利用し、左腕だけで彼の頭を掴んで持ち上げた。始まったそれは、所謂尋問であった。照らされたイザークの顔は、怒りの鼓動で黄色に染まっていた。

 「あんたらなのかッ!俺の父を丸焦げにして、母を磔にして殺したのは!!」

 「ううっ―――」

 頭蓋骨が砕けそうなぐらいに込められた力。痛みに呻き、藻掻こうとするイザーク。そんな彼に苛立ちを隠せない怪物の眼は釣り上がった。

 「答えろ!」

 「ち、違う。殺したのは、我々では……ない。我々が貴様の、家に行った時……には、既に―――」

 隼人が男を揺さぶりながら怒鳴ると、男は混濁する意識の中で語りだした。覚束ないその内容をまとめると、以下の通りになる。まず、彼らは昨日の日没時の戦闘でエリシアと隼人に逃走された後、隼人の―――即ち魔術師一族『真影家』の拠点たる屋敷に向かった。現当主に隼人の行動への抗議を伝えた上で、改めて事態の緊急性を訴えて吸血鬼の身柄を引き渡すよう要求するためであった。

 だが、イザークら三人が真影邸に到着した時には既に、少年の両親は人として死亡し、妹なる存在は影も形も無かった。そしてイザークが言うには、真影一家が襲撃を受けたのは隼人と彼らがエリシアの処遇を巡って争っていた頃であるとの事だった。

 「嘘を言うな!殺していないと言うならば、何故俺の母は十字架状に磔にされて、親父は焼死していたんだッ!」

 その弁明に対して、隼人の右腕がわなわなと動く。まるで彼に感情の高まりに呼応しているかのように、紅き爪はより一層濃い輝きを放っていた。

 「嘘ではないッ!我輩が見たのは……磔刑に処された女性と、喰屍鬼(グール)化して、理性を失った男性だ。我々は聖秘術を行使してソレを葬ったのだ。この街の住民と―――貴様の父親の尊厳を、守る為に」

 重傷を負っているイザークが発したその言葉には、はっきりとした響きがあった。先程までは息も絶え絶えであった彼だが、自身の冤罪を晴らそうとしたこの瞬間だけは威勢を取り戻していた。

 故に分かってしまったのだ―――隼人には、目の前の仇だった男が虚言を吐いている訳ではないことが。異形の怪物の身体が震える。怒りではなく、取り返しのつかない事をしてしまったという罪悪感から、少年の変わり果てた身体が騒めいていた。

 「そんな……嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ!?」

 認めれないと言わんばかりに金切り声を上げる憐れな怪物。少年はここまで、復讐する一念で戦いに身を投じてきた。そうする事で、隼人は殺戮への忌避感や罪悪感を誤魔化していたのだ。

 だが、ここに来て彼は知ってしまった。己の動機が間違っていたことを、自分がした事は復讐などではなく単なる八つ当たりに過ぎなかったということを。それらが、隼人の心を粉々に砕いていた。

 「違う、殺したのはあんたらだそうだあんたらに違いない。だから俺は正しいんだ俺の復讐は、正当な―――」

 「貴様の家族を殺したのは吸血鬼どもだ、なのに貴様は無関係の者を虐殺したのだッ!善良で無抵抗な信者すらも誤った憎悪で殺し尽くしたのが貴様だ、貴様という存在だ―――ソレから目を逸らすな真影隼人ッ!!」

 「うぐっ!?う、ううう―――Uwaaaaaaaaaaaaa!」

 狂乱、錯乱、惑乱……そのような言葉が今の隼人を表すのに適切なのだろう。狂ったように叫びながら、彼は掴んでいた男を無意識の内に離してしまう。イザークはそれを奇貨として、尻餅をついたような格好から両手で身体を押し、ソレから距離を置こうとする。だが―――聖職者の命運は、ここまでであった。

 「あぎゃッ!?」

 髑髏男の右腕が、イザークの顔面目掛けて突き出される。真っ赤な爪―――それも人差し指と中指の二つ―――が彼の顔を浅く貫き、球体上の何かを抉り潰したのだ。更に続けて、異形の少年は男の頭部側面にあるモノを両手の手刀で斬り落とす。

 ポトリと落ちた固形物が二個、黒い大地を跳ねては紅い涙を垂らしていった。そして、怪物は左足で喚く男の顔を蹴り飛ばした。曲がり、歪み、砕けた鼻の骨。先の宣言の殆どを、隼人は実現していた。

 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あッ!?」

 坂を滑り落ちていくかの如く転がるイザークは、その通り道に血だまりの軌跡を描いていく。男の頭の中には、もう逃亡も生存も無い。あるのはただ痛みへの恐怖と、現に抱えている苦痛そのものだけ。

 「クククッ、クハハハハッ!ギャアアアッハッハッハッハ!死ねぇッ!死んでしまえッ!味わえよ、地獄を骨の髄まで味わってから死ねッ!」

 隼人は目の前の虫けらの無残な末路を嗤う。先程までの慟哭を孕んだ狂気は何処へ消えたのか、今の少年には残虐な行為への狂喜しかなかった。そして、自ら蹴飛ばした男に追い付いた彼は、その身体の上に馬乗りになって拳を何度も振り下ろす。

 「死ねッ!死ねッ!死ね死ね死ね死ね死ねッ!!」

 「あぎゅっ!?うがッ!?ぐふッ!?ごふッ!?」

 一体何度その鉄拳が肉を打ったのだろうか。剥き出しの衝動と感情のままに暴力を振るい、それらに酔いしれる異形。抵抗する力も尽き、ただ成すがまま冥府へと堕とされていく聖職者。それはあまりにも凄惨で残虐な光景だった。

 嗤っているのか、泣いているのか、はたまた怒っているのか。もう隼人本人にも分からないくらいに感情が混ざり合っていた。吸血寄生体が自らに血をもたらす為に、宿主たる少年の負の感情を増幅した結果―――最早寄生虫にすらも制御できない正真正銘の怪物となっていた。その様子は、半分に割れた髑髏を仮面にしているちぐはぐな道化師が如く―――滑稽で愚かであった

 「ぜぇっ、はぁっ、ぜぇっ、はぁっ―――このぐらいで楽にしてやるんだ、感謝しな」

 動かない肉の塊に対して、少年はそう吐き捨てる。一角の骸骨鬼はまだ辛うじて生きているであろうソレを持ち上げて、鋭く長い牙の生えた口へと近づけていく。

 「さぁて、後は残ってる血を全て吸い出して終わりにするか―――ああ、漸く喉の渇きが潤せる。復讐も遂げられて、まさに一石二鳥だな」

 紅い舌が剥き出しの歯を舐める。イザークの身体から流れる血の滝、その香りに異形の吸血鬼は思わず生唾を飲み込んでいた。

 「待ちなさいッ!」

 しかし、彼にとっては待ち遠しかった宴に邪魔が入った。夕刻のコンクリート・バレーに響くは、スタッカートな足音。曲がり角から走って現れたのは―――エリシア・カミラシア・ミラカミラその人であった。

 「血を飲んではいけません!まだ今なら戻れます、だからその人を地面に下ろしてください!」

 「―――何を言ってるんだ。君がそうしろと言ったんだろう?」

 隼人には心底から理解出来なかった。何故自らをイザークの居場所まで導き、欲望を満たせとまで言った少女が自分を必死に止めようとするのか。故に首を左に傾げ、その黄色く光る眼でエリシアを見つめていた。

 「私が……いいえ、私はそのような事は言いません。そもそも私があの廃墟を出た時には、あなたはまだ眠っていました。だから今日私達が言葉を交わしたのは、今が初めての筈です」

 それに対し、彼女は緑色の瞳で見つめ返す。先程よりは落ち着いた口調で、ただ事実を提示するだけに努めていた。

 「それに私は反戦線派の吸血鬼です。自分が生きるためにやむを得ず吸血することはあっても、それを他人に勧めたり、無理矢理血を得ようとは思いません。故に私があなたを唆すことなど、決してありえません」

 「じゃあアレは何だったんだよ、俺は確かに聞いたぜ。道中俺に話し掛けてくる『あんた』の声を、俺をここまで案内したあんたの姿を見たんだッ!」

 だが、それでもエリシアは彼の不安定な精神にある地雷の一つを踏み抜いたようだった。憤慨してヒステリックに叫ぶ異形の者は、抱えていた食料を地面に落とす。

 彼をそのような状態にしているのは、やはり血管に巣食った吸血寄生体の群体なのだろう。先天的吸血鬼の場合、そのような本能の『囁き』や感情への『揺さぶり』が日常茶飯事である。

 だが、後天的吸血鬼の場合にはそれらが突然襲ってくるのだ。如何に強靭な精神を持っていようと、肉体に間借りするモノの甘く狡猾な誘いを跳ね除ける事は至難の業だった。

 「良いですか、あなたが見たり聞いたりしたモノは全て―――全て幻覚です。あなたの中にいる吸血鬼の本体が憎悪や欲望を扇動し、そうやって血を吸わせようとしているのです」

 それを知っているエリシアは静かに、されど一生懸命に彼の理性に話し掛けていた。

 「従ってはなりません、あなたの心がまだ『人』でいたいのなら。だから心を鎮めてください。衝動に身を任せて血を吸う前ならば―――あなたは『怪物』から『人』へと戻れます」

 その言葉に頭を押さえて苦しがる隼人。彼は今戦っているのだ―――『異形』としての自分と、『人間』としての自分が。少女に出来る事は、ただ悲しそうな顔で言葉を重ねて見守る事だけだった。ここから先は、自分の心と植え付けられた本能との戦闘で決するのだから。

 「お願いです、真影さん。どうか、どうか負けないでください。もしあなたがソレに負けてしまったら、あなたは……あなたは絶対に、後悔するでしょうから」

 「ッ――――それがどうした!己の衝動に従って何が悪い!欲望のままに生きて何が悪い!奴を殺し、その血で喉を潤すことの―――何が悪だと言うんだァァァァァッ!!」

 そしてその決闘は、隼人の本能―――吸血鬼の(さが)が勝利して終わる。それを示すは赤黒の髑髏が放つ咆哮。赤から紫へと変わりつつある黄昏の空、より暗くなる路地裏。それらに響き渡る獣の叫び。

 「何としても止めてみせます。あなたはそんなことを、望んでいない筈ですから」

 一筋の涙が、少女の白い頬を伝って落ちる。それは少年の境遇への憐憫か―――否、彼女がした選択への懺悔と、この街を守ろうとしていた隼人の事を想ってのモノだった。握り締められた拳、嚙み締められた奥歯。エリシアは自らが怪物に堕としてしまった被害者と戦う覚悟を決めた。

 「俺の復讐を邪魔するなッ!」

 真紅に煌めく右手の爪、背後の影から伸びて揺らめく無数の鎖。赤と黒の継ぎ接ぎな髑髏怪人―――『隼人・異形魔人態ヴァリアント・ダムピール』は、地獄の底から聞こえてくるかのような絶叫を発して威嚇する。

 相対するエリシアは何も言わず、ただ戦闘に備えるのみ。睨みあう二人の距離は約八メートル、その間を静寂が佇む。これより先は夜の時間、即ち魑魅魍魎が跋扈する百鬼夜行の刻限。そんな逢魔が時の血濡れた路地裏で、まさに今死闘が勃発しようとしていた。



                                  To be continued.


【次章予告】


 夜闇に響くは憎悪と悲嘆の二重奏、エリシアと暴走する隼人は互いに爪を振るう。そんな中、教会と魔術師という抑止力を喪失した赤月市で蠢く者たちがいた。歯止めの利かなくなった血濡れた路地裏の猟奇殺人、相次ぐ失踪者たち。そして―――深夜の街を徘徊する百鬼夜行。

 それを率いていたのは、かのドラキュラの血を引く者であった。遂に日本にも伸ばされた、吸血鬼戦線の魔の手。集うはその配下、三人の魔人たち。相対するは騎士団の残存勢力。黒き十字架の御旗の元、彼らは決死の抵抗を試みていた。

 深夜の激闘を乗り越えた少年が、黒幕の傍らに立つ者を眼にした時―――本当の悲劇が始まる。悲嘆の情を生贄に捧げ、彼は真の復讐を遂げるべく立ち上がる。金色の少女は、それに寄り添い導くのみ。真紅の朝日が街を染めた時、全ては決するだろう。異形の戦士へとその身を堕とした隼人と、人を愛する異端なるエリシアが行く道は―――果たして。


 次章、『幻想魔譚~Fantastical Evil Tale~(II)Crimson Daybreak』。

 待て、しかして希望せよ。燃える怒りと深き悲しみを刃に込めて、お前の敵を討て。

                                    

                                      乞うご期待!


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