第五話 凶行の果てに
「そこにいたのか。待ちくたびれたぜ」
教会の敷地内を数分間歩いていた彼は、約二十メートル先に見えてきた聖堂の前に並ぶ人影を目にしてそう呟く。その声は喚起と怒りが込められて、震えていた。真っ直ぐ伸びる赤月聖堂への白い石畳の道、金色の鋲が打たれた木製の門の前に立ちふさがるは三騎の精鋭。
炎に照らされて真っ赤な曇りの夜空を背に、彼らは隼人へと向かって行進を始める。彼らはそれぞれ真の得物―――騎士団の上級戦闘員などに許された特注品の武装を手にし、黒十字を背負う白いコートの下に戦闘用抗魔術プロテクターを身に着けていた。
猫背のゲール・ググルフは十字架を模した『聖十字戦斧』を。四角い眼鏡のギャバン・ガルバルディアスは、白く染めた革表紙の聖導書『聖十字教典』と、金色の十字架が描かれた紅い『聖十字円盾』を。そして長身のリーダー格たるイザーク・マラサリーは相変わらず、両手で握る金色の剣―――『聖十字大剣』を。そう、各々が得意とする得物をそうびしていた。このように、三人は魔術師『真影隼人』に対して全力で挑むつもりなのだ。
無論、それは隼人の方も同じだった。短剣を錬金術によって改造した即席のロングソードではなく、今回は一族秘伝の仕込み杖―――魔導杖とそれに内臓された長刀を持ち出しているからだ。
「最悪な一日だったが、一つ良いこともあったな。それは―――あんたらが雁首三つとも揃えて、俺の前に再び現れてくれたことさ」
こうして少年と三人の聖職者が再び相対する。両者間の距離はおよそ十メートル。それは、何時でも戦闘を開始できる距離であった。
「やってくれたな、貴様。今この街で何が起きているのか、知らない訳ではなかろう?」
「こうしている間にも街の人々が襲われているかもしれないというのに、この始末とはね。もはや正気の沙汰じゃありませんよ」
「ハッ!だから言ったのさ、さっさと始末しちまおうってさ。どうせあの女吸血鬼に嚙まれて、オレたちへの悪感情を利用されたんだろうさ。そうなる前に、殺しきるべきだったぜ」
三者三様な言葉を述べて、彼らはそこに立つ。教会が掲げる正義と理念、そして秩序を背にして三人の戦士は目の前の外道に堕ちた魔術師を倒さんとしていた。
「あんたらが憎いのは確かだが、生憎と俺は噛まれてないぜ。俺は自分の意思で、ここに来てコレを実行しているんだ」
「ほう、『コレ』とは何だ?言ってみるがいい、魔術師よ。己の行為が何であり、どのような正当性があるのかについてな」
「―――血讐さ。その訳について、知らないとは言わせねぇぞ」
隼人の瞳に憎悪の炎が燃え盛る。今彼の心の中にある感情の炉心には、眼前に並ぶ仇たちへの憎しみがくべられている。そうして灯された憤怒の火炎は、標的を灰に帰すまで止まりはしない。彼にとって、一族殺しの犯人は聖天十字教会に他ならないのだ。
「フェーデ?あなた、一体何を―――」
「復讐のことだ。その理由を知らないとは言わせないって言ったぜ、俺は」
理解できない、そう心底から思ったらしいギャバンはゆっくり口を開いていた。対する隼人は、それを早口で淡々と遮っていた。
「もう分かってるだろ?家族の敵討ちと、人探しに来たのさ」
そう言って少年は刀を彼らに突き付ける。先程よりも一際鋭く眩い輝きを放つその刃。銘は『骨貫』、呪刀として真影の一族で代々受け継がれし一品だ。
それは、彼らの祖先がまだ呪術師だった頃の話。恋人を鬼に殺された男がいた。彼は真影家の呪術師が一人で、強大な力を持つ妖狐と契約して復讐のための力を得た。その一つが件の刀であり、男はそれで見事鬼の腕や胴体を鉄より硬い骨ごと斬ったという。故に『骨貫』の銘が、その刀に与えられた。そして長きに渡る一族の家業の中で、それは魔術行使の補佐のための仕込み杖として改造され、継承されてきたのだ。そのように一族の中では言い伝えられている。
また、骨貫の刀身には製法が失伝してしまったという伝説の金属『ヒヒイロカネ』の一種が使われており、歴代の使い手にその材質の特徴たる頑丈さと魔力伝導率の高さを示してきていた。
「敵討ち……それに人探しだと?待て、貴様―――」
そんな稀代の骨董品たる血濡れた刀を向けられた集団の長、イザークは慌てて口を開く。彼は少年の発言から、何かに気付いたようだった。信心深き鉄の男と呼ばれるほど冷静な男が、初めて焦りを見せていた。
「―――ッ!?」
だが、そこから先が語られることは無かった。弁明の機会など与えない、そう呟いた隼人が瞬時に自身の身体能力を無詠唱で強化し、斬りかかったからだ。横一文字に大きく薙ぎ払われた紫色の刃は、横並びの三人に対して放たれていた。
「しらばっくれる位なら、最初から口を聞くなよ」
それを難なく三方に跳んで避けた彼らは、イザークを中心として三角形に陣形を取り、各々の得物を各々の方法で構え出す。イザークはクレイモアの刀身の根本―――白い包帯を巻いて作った掴める部分―――を左手で握りしめ、右手で確とグリップを握るというハーフグリップにて中段に構えた。ギャバンは聖導書を左手に持って開き、右手のラウンドシールドを軽く突き出すようにして腰を落とし、攻撃に備える。そしてゲールは両手で持った十字架状の大斧を頭上に掲げて何度か回転させてから振り払って、相手を威嚇する。
「―――当方に復讐の大義あり。我ら一族を害した者よ、その罪は最早贖えぬほど重いと知れ。故に、汝らには生き残る術など無し。命乞いも抵抗も無駄と心得て―――潔く死に方、用意せよ」
少年が静かに、されどはっきりとした声で行ったのは怨敵への敵対宣言。古い言葉遣いによるそれは、彼らの伝統たる宣戦布告の文言を隼人なりにアレンジしたものだった。
そうして隼人は死力を尽くさんと構えを取る。それは刀を両手で握り、振りかぶって左足を前に出す上段の構え。別名を火の構え、或いは天の構えと言う。威圧効果や最早振り下ろすだけという攻撃速度を重視した攻撃的な構えである反面、刀を振り上げて維持するという点で体力を余分に消耗し、防御可能な範囲の減少や振り下ろし後の隙が大きいというデメリットも孕んでいた。そんな構えを、隼人は敢えて不利な局面で採用しているのだ。
「ハッ!死ぬのは―――テメェの方だろうがァァァァァァァッ!!」
やはりと言うべきか、隼人への先制攻撃を仕掛けたのは初戦と同じくゲールであった。雄叫びを上げながら突撃した彼は、十字の刃が付いた斧で横一文字を描くかのように薙ぎ払う。隼人は一瞬だけ、得物を振り下ろすか否か迷う。しかし彼はそうはしなかった。中段に骨貫を下ろしつつ、後方に跳ぶことでその一撃を回避することにした。
「そらそらどうしたァ!大言吐いてその程度かよォ!」
そこから続くは左右から流れてくる斬撃。遠心力と自重を最大限に活かした重量級の長物による連続攻撃を前にして、隼人はただ回避に徹するのみ。右、左、右、左、右、左―――繰り返される振り子が如き戦法。時折顔のすぐ手前を掠めていく刃が、少年の左頬に横一文字の傷を一つだけ残していった。
刀のような繊細な刃物を扱う少年には、ゲール攻撃を受け止めて反撃に出るなどという選択肢は取れない。如何にヒヒイロカネの刃と言えども、このような大型の得物と無茶なぶつけ合いをすれば刃毀れしてしまうからだ。故に、ここは一歩ずつ下がって避けることに専念していた。
「反撃の手を潰す―――それも立派な戦術ですよ、ゲール」
そう言いつつ加勢してきたのはギャバンであった。彼は手元の開かれた書物を一瞥し、そこに記されていた術式を詠唱する事無く作動させる。そうして現れたるは、神の奇蹟の証たる十字架が中心に刻まれた魔法陣らしきもの。そこから迸るは聖なる力、白銀の炎。火炎の塊がまるで竜が吐き出したかのようにそこから噴出し、ゲールの攻撃に気を取られていた隼人目掛けて突き進む。そしてゲールはそれを、阿吽の呼吸で把握していたと言わんばかりに横に跳んで避ける。だが―――。
「それを勝機にするのも手だぜ。そら―――『吸収』。向けられし悪意も我が血肉なれば、恐るるに能わず」
隼人の左手の掌に赤黒い魔法陣が形成され、その清らかな焔を吸い込んでいく。彼は第三者による不意打ちを考慮していたのだ。そのため、一族秘伝の『吸収』術式を起動させて、敵の聖秘術による火属性の攻撃を自らの内側に取り込んだのである。
「『反射』、人は鏡なり」
左手の魔法陣が消えて、少年の身体の右側に同様な魔法陣が浮かび上がる。そうしてそこから放たれしは、眼鏡の聖職者が繰り出した聖秘術による火炎だった。たった一言。そんな極短時間の詠唱にて、彼はその白銀の炎をそのままゲールへと放射したのだ。
「チッ!」
十字戦斧を自身の目の前で素早く回転させ、それを弾こうとする猫背の男。その隙に隼人はギャバンへと接近を試みようとしていた。その最中に彼は刀を一度鞘に納める。そしてベルトから外し、手に持つ事で魔術行使を補佐するための杖―――魔導杖に変える。
当の本人は自身の技を転用されたことで僅かに動揺するも、一度見た手口だと気づいて直ぐに近付く少年へと意識を向ける。杖を両手で握り締めた敵を確と見つめ、男はその魔術行使に備えていた。
「風よ、唸れ。人の子よ、恐れ慄け―――制風術式・『暴食なる鎌鼬』」
そう呟きながら杖を右から左へ、そして円を描くように振るう隼人。それが緑色の魔法陣となり、不可視たる風の刃を孕む渦を産み出す。万物を飲み込んで切り裂いてしまう、魔力によって凶器化した大気のうねり。それがギャバンを襲わんと宙を走る。
「原初の人は土より生まれ、アダムとして産声を上げん。『旧約創世・人智誕生』」
対する男は、慌てずに風属性と対置される土属性の聖秘術を発動。ギャバンの足元の石畳が浮かび上がり、凝縮されて大きな人間―――ゴーレムの上半身となった。約四メートルのそれは、握り締めた石の拳で迫り来る竜巻を粉砕する。そのまま少年も叩き潰そうとするが、時既に遅し。防がれる想定をしていた彼は、先の詠唱後にバックステップで巨人の間合いの外へ退避していたのだ。
「制水・『凍槍進群』ッ!」
続けて、隼人は水属性魔術を行使した。それによって彼は大気中の水分を一定数収束させ、尖った氷の塊を形成させる。基礎魔術たるこれを幾つも行い、無数の氷柱の槍を散弾の如く同時に射出したのである。
「守りなさい、アダムッ!」
その一声に応じた半身の巨人は、その背を隼人の側に向けることで術者の保護をせんとしていた。だが、降り注ぐ冷たい角錐の刃が幾つも貫通し、石の身体の内にある術式の核―――魔力が集う心臓部も含めて全体に突き刺さる。
「人が造りし戦火、有象無象を破壊する焔の一撃―――」
それをチャンスと見た魔術師。今度は火属性魔術による爆破でギャバンに被害を与えんと企み、魔力を込めて詩を紡ぎ出していた。だが、それはイザークの接近という横槍を察知した本人によって、中断されることとなる。
「チッ!詠唱破棄、魔力流用―――『凍槍炸裂』」
そういう訳で仕方なく、彼は手早く発動可能な魔術―――先の攻撃でゴーレムに刺さっている大きな氷柱を炸裂させ、完全にとどめを刺す方向へと術式を変更。硝子が割れるかのような音と共に崩れ去る石の半身、それに庇われていたギャバンへと降り注ぐ瓦礫。それを眼にした少年は、すぐさま視線を後方より迫るイザークへと移す。その男は両手で金色の大剣を腰だめに構え、隼人へ突撃を仕掛けていたのだ。
「そこかッ!」
「くッ!?」
迸る火花、響き渡る金属音。男が放った剛力による突きを少年は杖でずらして躱す。柔よく剛を制すとはまさにこの事だった。そうしてすれ違った両者。隼人はその刹那、イザークの背に魔力を乗せた回し蹴りを放とうとする―――も、そうはいかない。炎をどうにかやり過ごしたゲールが攻撃を仕掛けてきたからだ。彼はその大斧を胸の前で握り締めて、少年へと近付いてくる。
「制水・制闇―――『淫蕩娘の涙』ッ!」
そこで隼人は短縮形の詠唱を挟みつつ回し蹴りを止めず、そのままの勢いでぐるりと一回転した。振り抜かれた右足から迸り、飛び散るは透き通った水色の液体。それは水属性と闇属性の混合魔術に分類される、強力な酸の水を精製し制御する術式だった。此度のものはそれを右足に展開し、蹴撃と共に敵を溶かす波を周囲にまき散らしていた。
「うおッ!?」
咄嗟の事で足が止まった茶髪の男。魔術師はそこに杖による突きを見舞いする。中段、右下段、左上段、右中段―――という具合に連続した点の攻撃。それを十字戦斧の柄で次々に弾いていくゲール。そんな攻防の中、イザークが隼人の背後から斬り付けようとしていた。
「術式再現ッ!」
その一声で隼人の右足に、再度青い魔法陣が現れて酸の飛沫を充填。そこから杖の上部と下部を掴んで縦にして、ゲールの斧の柄に当てて押し飛ばした隼人。そして、彼は振り向きざまに後ろ回し蹴り―――踵による半円軌道の蹴りを繰り出す。細かい酸のミストが隼人の周囲に滞留することで、イザークの奇襲は不発に終わる事となったのだ。
「そこです」
イザークとゲールの接近を阻止した少年だったが、今度は側面から放たれた光の矢への対処が要求されていた。それは瓦礫の中から立ち上がったギャバンによるもの。彼が聖導書より撃った数は五発。それを隼人は大きく跳躍して回避する。宙にて反転する魔術師の視界、くるりと一回りする躰。着地した先は鋼鉄のガス灯のようなデザインの電灯の上。マントをはためかせて、少年は右手で杖の上部を持って突き出し、長き詩を紡ぎ出す。
「三つの焔は暗夜に踊り、旅人の末路を飾り立てる。迷い人も求道者も、等しく幽世へと誘うは死せる者の導きなり。三連制炎術式・改変 ―――追加・十倍並列起動」
そこで隼人は口を一度閉ざす。その正面に並ぶは、先の遭遇戦における『鬼火の円舞曲』の十倍―――即ち、三十個ものオレンジ色に発光する魔法陣だ。三つの円が重なり合って一つの砲門となるそれは、実質的には十個の回転式機銃 ガトリング砲に狙われているのと同義であった。これこそ真影隼人個人の切り札が一つ。杖の補助によって、術式の同時制御数の限界を超えた代物。その名を少年は高らかに叫ぶ。
「魑魅魍魎よ、その命果てるまで踊り狂え―――『愚者火の葬送曲』ッ!!」
号令と共に回り出す全ての魔法陣。そこから高速で発射されるはテニスボール大の火球たち。火炎弾による豪雨が如き弾幕が展開され、三人の騎士はその場から動くこともままならずに防戦一方へと追い込まれていく。
「主よ、どうか我らを罪火より守りたまえッ!」
眼鏡の男が大きな丸盾の裏で、聖導書に記された防御術式を広範囲に起動させる。それは術者本人を起点に広がるドーム型の防御結界。すぐさまギャバンに近付くことで、ゲールとイザークは何とか直撃を免れることに成功していた。これは前哨戦にて突出しすぎたゲールが、『鬼火の円舞曲 』による集中砲火を至近距離で浴びてしまったことへの反省から組まれた作戦であった。敵の魔力をいたずらに消費させ、術式が魔力の枯渇によって停止した所で結界を解除して躍り掛かる。それが狙いなのだ。
それに対し、隼人はただ左手を地面と平行にして軽く振るう。すると少年の前面に展開されていた魔法陣たちが動き始め、カーブを描くかのように位置取りを変えていく―――密集している三人組を囲むように。当然、彼らを守る結界に降り注ぐ火球は側面にも命中するようになっていた。多方向からの飽和攻撃で障壁を破壊する。それが隼人の考えであった。
「クソがッ!こんなん聞いてねぇぞ、どうすんだよッ!?」
「ぐぅっ―――私も、このレベルは想定外ですよ。何時まで持ちますかね、これ」
爆煙と砂埃に包まれた結界、その内側にて悪態と共に大地を蹴ったゲールと、脂汗を浮かべながら半球状の障壁を維持するギャバン。
「十秒だ、これは後十秒も立たん内に停止する筈だが―――」
イザークは独り、目を閉じて冷静にそう二人に告げる。そうして時を数えだし、彼がちょうど十と言い切った所で爆音は止む。彼はざっと計算していたのだ―――平均的な第一級魔術師の魔力量と、垂れ流し状態の火球射出術式十個の魔力消費量を。そこから導き出した答えが、真影隼人はこれで魔力をすっかり使い切るだろうということ。
「言った通りだろう?これでチャンスの到来だ」
濃い煙の中、故に男たちはほくそ笑む。そこからは打ち合わせずとも、彼らは阿吽の呼吸にて戦闘を再開する。それは長年、同僚として互いの背を預けてきたという信用が成せる技であった。
「あれで無傷か!」
黒いヴェールを突き破って飛び出すは、回転する一振りの『聖十字刀剣』。舌打ちをした隼人目掛けて飛んできたそれを、彼は電灯から跳び上がることで回避する。続けて飛来するは同様の攻撃。二本目の剣が着地したばかりの少年を襲うも、今度は杖を両手で持ってそれを弾く。
「次はどこだ……どこから仕掛けてくる?」
敵は何処にいるのかと、辺りを見渡して警戒していた隼人。そこに放たれたのは、十字架状の黄色いエネルギー弾。少年はそれを左に跳んで回避する。外れた聖なる光弾は石畳に命中し、爆発するとともに破片を周囲に飛び散らしていた。それにより、隼人は発光と石礫から眼を守ろうと咄嗟に左腕で顔を隠してしまったのだ。それが、相手に付け入られる隙となる。
「―――悪を咎めるは神の愛。汝、抗う事なかれ」
「しまっ―――!?」
敵の詠唱を聞きつけた隼人だったが、気付いた時には遅かった。少年は立ちあがってその場から離れようとするも、現れた複数の白い光の輪によって拘束されることとなる。両手は胴体に沿うように、両足はぴったりとくっつくように。彼は所謂簀巻きの状態にされてしまったのだ。
「……一本取られたか」
「さて、これで身動きは出来ませんね」
立ち込めていた煙が晴れる。隼人の正面に出て来たのは、十字架が描かれた盾を左手で構えているギャバンだった。右手の書物が光り輝いていることから、先の光輪は彼によるものだったことが分かる。
「ハッ!大きな口のわりに、大したことはねぇな。このままじっくり嬲り殺してやる」
少年から見て左側で、そう下卑た嗤いを浮かべていたのはゲールだった。彼は十字の斧を肩に担ぎ、動けぬ標的をどう調理するか舌なめずりを始めていた。ギャバンも特にそれを止めようとはせず、ただ藻掻く隼人を眺めるのみ。
「いや、手早く済まそう。ギャバン、ゲール、アレをやるぞ」
右側から現れたイザークは、大剣を地面に突き刺してそう言い切る。そうした緩みを正すのは、何時だってその男の役目だった。彼の顔には些かの油断も、喜びも浮かんではいない。ただ標的を確実に殺すという、意思のみが伺えた。
「な―――気は確かですか、イザークッ!?その魔術師は当分動けませんよ。第一、このような中途半端に狭い場所でアレを使えば、我々にもその余波が当たる危険性があります。聖堂にも被害が出かねません」
切り札を出す、そんなリーダーからの宣告に真っ先に反発したのは冷静なギャバンだった。
「まだ分からんのかッ!こいつは今までの魔術師とは比べ物にならないほど厄介な奴だ。アレを使う以外で確実に殺せるものか!」
だが、その意見具申は長身の男の気迫によって掻き消された。彼は本気で、目の前のまだ若き第一級魔術師を危険視しているのだ。ここで始末しなければ、将来必ずや教会を滅ぼしかねない災厄になると。
「こっちは何だって構わないぜ?アレはアレで、苦しむ様を堪能できるからな」
「はぁ……戦闘狂のゲールに期待するだけ無駄でしたか。二対一では私が折れるしかありませんね」
愉しそうに語る茶髪の男の一声で、空気が変わる。三人はそれぞれ移動し、三角形を描くように立つ―――その中央に、動きを止められた隼人が来るように。
「三つ数えたらやるぞ。三、二―――」
そうして刻まれるカウント。一と言い終わるや否や、イザークが今だと叫ぶ。そして重なる、三人の詠唱。
「「「主の怒りを買った罪深き者よ、その悪行は最早贖い切れぬ。故に受けよ、父と子と精霊による天罰を―――『三位一体・終末裁定』ッ!!」」」
突き出された三人の掌、そこから放たれるは白銀の稲妻。三つの雷撃が龍のようにうねり、轟き、三角形の陣の中央に立つ隼人へと迫っていた。このまま行けば少年の身体を稲妻が貫き、炭化するまで捕らえて離さないだろう―――だが、しかし。
「術式介入ッ!!」
そう隼人が叫んだとき、学生服の袖から呪符が二枚飛び出した。それが彼をその場に拘束していた光輪に張り付き、赤黒く染めていって―――一気に砕け散らせる。
それによって三者の目が驚きに満ち、大きく開かれる。けれど、一度放たれた大技を中止にする訳にはいかない。三人が三人ともそう思い、変わらず聖なる祈りと力を込めて電撃を維持することを選ぶ。そして、それが彼らにとっての決定的な分水嶺となったのだ。
「吸収―――万物全てを我が血肉とせん」
隼人はそう詠唱し、そこで一度区切った。そして彼は右手の杖を大地に刺して正面に立て、空いた両手の掌を相手に向けて左右に広げる。杖と両の掌、その三方に展開されたのは赤黒い魔法陣だった。その三つの魔法陣は先の『吸収魔術』、その強化版であった。
そう、彼には一族固有の術式による『吸収』、『反射』、『転化』の魔術があったのだ。それらによって、既に彼らの聖秘術による攻撃は悉く無効化されたり、或いはその力を利用されたりしているた。しかも、幾ら強化されているとはいえ『終末裁定』は一度呆気なく破られている。それにもかかわらずその使用に踏み切り、誰も止めなかったのは―――完全に怒りや焦りで冷静さを失っていたとしか言えない失態だ。
「―――さすれば我が最奥流れし大河に混ざりて、叡智はより深淵へと到らんッ!!」
力強く続けられた言葉と共に、魔法陣の輝きは一層強まっていった。そこにやってきたのは三つの聖なる雷。それらの軌道は全て歪められ、血の色のサークルの中心部に吸い込まれていく。魔術師から『聖なる魔術』と揶揄される位には、聖秘術と魔術はほぼ同一と言ってもいい。人から進化した神の理か、自然の具現たる神々の理かの違いはあれども、所詮は同じこの『星の理』に拠るもの。また、聖秘術に使われるエネルギーは光属性をデフォルトで帯びた魔力に過ぎない。そうした点から、隼人にとってはとても吸収しやすい攻撃と言える。
「幾ら拘束を解こうとも、この近距離からの三位一体術式ならばひとたまりも―――何!?」
そして、そんな異常事態に最初に気が付いたのはイザークであり、それは吸収が始まってからのことだった。何故なら、自分たちによる雷が発するあまりの轟音と発光で隼人の詠唱が聞こえず、彼が何をしているのか見え辛いせいであった。
「馬鹿なッ!?」
ギャバンは驚愕した。三者が力を結集した渾身の一撃ですら、敵対する魔術師は己の力に変換出来てしまうのかと。そして恐怖する。必殺の技を吸い尽くし、それを利用して相手はどんな強力な魔術を放つのかと。
「くッ―――結構な量じゃないかぁッ!!」
そして、そんな中で隼人は不敵に笑いつつも叫ぶ―――彼もまた死力を尽くしているのだ。聖職者三人衆が全力を雷撃に投じているならば、少年も同様なのである。隼人について、魔力が尽きかけていると評したイザークの予想は決して外れではない。故に、彼は少ない魔力をやり繰りして何とか吸収魔術を起動したのだ。そうして得られた魔力はすぐさま体内にある魔力を流す血管のようなもの―――『魔導路』に通し、片っ端から貯蔵庫にして炉心たる『魔導核』へと誘う。そうやって魔導核も魔導路も魔力で満たした所で、彼は次の一手に移る。隼人は一部の魔力を逆流させ、三人の術者それぞれの魔法陣を通じて彼らに聖なる電流を送り返そうとしたのだ。それにより、イザークらは攻撃が跳ね返ってくるまえに術式を停止させざるを得なくなる。それが彼の狙いだった。
「転化、我が影は朱と交わろうとも―――この世全てを黒く染め上げんッ!!」
そうして出来た隙に吸収術式を止めた少年は、蓄えた聖なる雷光を自身の力へと変えていく。身体の外へと溢れ出していた白きスパークが紫を経て赤く染まり、徐々に黒く堕ちていく。神聖なる光属性が邪悪な闇属性に置換され、神の理をその中から消していったからだ。それだけではない。今度の転化魔術では更に追加で闇属性を付与し、光から闇へ完全に反転させたのだ。
「人よ、その傲慢さを知れ―――制雷・制闇・混合術式・『天罰招雷』ッ!」
詠唱と共に隼人は右手を空に掲げ、黒き光の柱を放った。それがある程度の高さまで行くと、黒い魔法陣へと変わり、そして―――そこから暗黒の天罰が落とされる。それは、かつて天まで届いた人類の傲慢さの象徴。それは、バベルの塔を砕いた怒りの一撃を模して作られた術式。四人の上空にて輝く漆黒のサークルから、順次ランダムに発射されているのは稲妻の雨霰だった。
「おいおい、こりゃあやべぇぞ―――」
そんな言葉を漏らしたゲール。彼はすぐさまその場から逃れ、術式の範囲外から脱しようと走り出す。だが、そんな彼が真っ先に雷撃を喰らってしまうのだった。肉体を内外から焼くは凄まじい熱、体内を駆け抜けて痺れさせる闇雷の力。神に殉じる狂戦士は、そのまま大地に穿たれた無数の落雷による爆炎に包まれて見えなくなる。
「避けようとすれば当たってしまうな、これでは!」
一方、それを視界の端で捉えていたイザークは咄嗟の判断でギャバンの元に駆け寄り、彼にまたドーム型の障壁を展開させていた。下手に動き回るより、じっと耐えた方が良いという判断であった。だが、それも気休めに過ぎないのかもしれない。全力で放たれた三位一体の一撃。それを吸収して得た魔力の内の七割が、この攻撃に使われていたからだ。
「ハッ!そんなもので、防げるかよ」
無差別に雷の爆撃が行われる中、少年は狂ったように笑い声をあげて歩き出した。一歩一歩確実に、ゆったりと歩みを進める。落ちてきた黒い雷と、未だに燃え盛る紅の炎が少年の頬を照らす。
右手の杖を左手に持ち換えて、隼人は再び長刀を引き抜いた。そして何を考えたのか、立ち止まってそれを天に掲げだしたのだ。そこに直撃したのは自らの魔術による稲妻。避雷針を駆け抜けるかの如く、骨貫の切っ先から刃の根本目掛けて向かうは黒き電流。そうして、彼は手にしていた鞘を腰のベルトに掛けて進撃を再開した。
「もう罅が入ってるぜ。そら、これで結界は終わりさ」
隼人はそう言い放ち、空いた左手でマントの内より呪符を三枚まとめて投擲する。狙う先はギャバンが展開した結界だった。緑色に淡く発光した半球状のそれの、側面に張り付いた長方形の紙切れ。その瞬間、呪詛を込めて描かれた血文字が真紅に光り、暖かみのある聖域に虫食いを生じさせていた。そんな形で障壁が役立たずになっていく中で、大剣使いは死地へと飛び出す。
「チィッ!愚弄されたものだな、我々も」
「言っただろ?あんたらは昔から傲慢が過ぎるんだよ、だから俺如きにしてやられるのさ」
若き魔術師と長身の戦士は、そう言い終わると得物を無言で構える。片やドイツ生まれの両手剣たるクレイモア、片や日本刀と苗刀のハーフのような外観の呪われし刀―――骨貫。どちらもその長さと重さから、両の手で振るうことを前提とした近接武器である。
イザークは相変わらずの構えを貫く。それは突きや十字の鍔による打撃を重視した、小回りの利くハーフグリップ。左手で包帯が巻かれた刀身の根本を、右手で柄を掴み、今度は腰だめではなく胸の前で斜めに傾けて剣を持つ。対する隼人もまた、全ての基礎となる中段の構えにて相対する。剣先は己が敵の喉へ向くように、柄巻―――刀におけるグリップエンド―――は臍の位置に来るように左手で握る。鍔の近くにある右手は、ただ添えるかのように軽く持つのみ。別名、正眼の構え。常に敵に胴体の正面を向けた、攻防一体の型だ。
そして、両者は同時に動き出す。だが、そこまでは同じでも攻撃に入ったタイミングで差が生じていた―――隼人の方が、僅かに早く動いていたからだ。彼は真っ直ぐ黒雷を纏った刀を右手のみで突き出し、浅めの一撃を相手の顔面目掛けて繰り出す。対する男はそれに合わせ、敵の刃を丸い柄頭で殴打して逸らさんと動き出した。
それは刀身の根本を握る左手を引いて、柄を持つ右手を押し出す―――所謂梃子の原理による迎撃。響き渡る金属音と飛散する火花。隼人の刺突はその刃の腹を打たれたことで、イザークの左頬を掠めて外れていたのだ。
「シッ!」
だが、隼人の口から蛇の鳴き声にも似た声が漏れる。放たれたのは、左足を軸とした後ろ回し蹴りだった。刀を外側に弾かれた少年はその勢いを回転する力へと転用し、右足の踵を命中させる回転型の蹴撃に繋げていたのだ。イザークの眼球の手前を走るアーチの軌跡。彼は状態を後ろへ僅かに引くことでそれを避ける。
そこから男が出した手は、ポメルによる頭部目掛けての突き。それを迎えるは、隼人が瞬時に腰から抜いた筒状の鞘。左手に逆手で握られたそれが地面と平行になりて、イザークの両腕を押し上げて止めたのだ。故に男は反撃を警戒して剣を引きつつ、すぐさま後方へと跳んで下がった。
それを受けて直ちに駆け出す隼人。彼は左手のスナップを使い、軽く鞘を上に投げて順手に持ち直していた。そうして出来上がった疑似的な二刀流にて、少年は相手に迫る。その姿はまるで、薙刀と太刀を掲げて敵陣へと切り込んでいく能登殿―――平教経の如く。長巻のように柄の長い苗刀もどきとその鞘という違いはあれど、心の内で滾らせる殺意と燃やしている闘志は武士そのものだった。
少年は間合いに入って刀で斬りかからんとする―――が、イザークはそこで腰の右側から突きを連続に、ランダムに放って牽制技を繰り出した。隼人はぎりぎりの所で減速を掛けて、その連撃の様子を窺わんとする。上段、下段、下段、中段―――そして、下段への突きが放たれた所で動き出す。彼はその攻撃を右へ身体を捌いて避けつつ、左の鞘を軽く素早く振り下ろしてクレイモアの刀身を叩いた。その衝撃で刃は少年の脚部から逸らされ、イザークの攻撃は不発に終わる。先程やられたことを、隼人は相手に返したに過ぎなかった。
「はァッ!」
そこから隼人は刀を片手で右から左へと水平に振り抜く。狙うはやはり首、生物の急所が一つ。それを男は大きく一歩下がり、何とか躱す。再度踏み込んだ隼人、返す刀で今度は左から右へと斬撃を往復させる―――が、下がられて回避されてしまう。そこに少年が放ったのは、左の鞘による打突。彼は敵の眼を穿たんとそれを突き出した。
「―――貰った」
けれども、その一撃はイザークの左手によって掴まれてしまう。隼人の突きを見た彼は、瞬時に包帯製リカッソを離していたのだ。
「くッ!?」
引いても動かぬ黒塗りの鞘、故に隼人は直ちに骨貫で斬りかかろうとした。だが、イザークがクレイモアの十文字の鍔で彼の顔を殴りつける。右手で振り上げた刀はその勢いで下に下がり、後ろに倒れそうになった身体は握られている鞘によって引かれて揺れる。
「ふんッ!」
そして再び白い鍔で頬を撃ち抜かれた隼人。その際に鞘を離されたことで後方に三メートル程飛ばされ、少年は地に倒れ込む。眩暈を感じた彼だが、それでも直ぐに立ち上がって構えを戻そうとした。
「そこですッ!」
若干ふらつく彼に向けて飛んできたのは円形の盾。それはイザークの背後に立ち込める粉塵の中から、ギャバンが少年の頭部目掛けて一直線に投げ付けたものだった。
「くッ……!」
弾く、斬る―――等という選択肢を取らずに、隼人は左に跳ぶ。鞘をまたベルトに引っ掛けた彼は空いた左手を二人に向け、そこから魔術を放とうとしていた。無詠唱で展開された蒼い魔法陣にて氷の矛が形成されていく。
「がら空きだなぁッ!!」
しかし、そこでもまた乱入者が現れる。それは爆炎の中に消えた筈のゲールだった。素早く振り回せない十字戦斧を捨てた彼は、先程回収したと思われるアネラスを握りしめて少年の背後から斬りかかってきた。咄嗟に振り返って隼人は氷刃でそれを受け止める―――が、しかし。刃と衝突した途端に砕け散ってしまった水色のランス。急いで後退して間合いを取る少年。
「てめえの頭、かち割ってやるぜ」
そこですかさず距離を詰めた茶髪の男。両手で握ったアネラスを振り上げて、叩きつけるかのように振り下ろした。
「―――破ッ!」
隼人はそれを擦り上げる―――落ちてくる剣の腹を、下から刀の腹で軽く弾いて軌道を変える―――ことによって、冷静に捌いた。そして振り上げた骨貫にて、右上から左下に袈裟斬りを放つ。
「ぐゥッ!?」
胴体に走る裂け目から噴き上がった鮮血が、白い外套を赤く染めていく。それと共に、刃に絡み付いていた黒い雷がゲールの肉を焼いていた。片手で放たれた一連の技。それによる彼の傷は決して深くはなかった―――が、されど浅くもない。故にゲールは三歩程後ろによろめく。
とどめの一太刀を浴びせんと踏み込む少年。だが、それを阻まんと飛来した蒼い光球。それはギャバンがなけなしの魔力で射出した、五つの聖なる魔弾。隼人はその接近に気が付くと、すぐに攻撃を中断して跳び上がった。ほぼ垂直に上昇したことで数秒の間宙に逃れた彼であったが、光球もまたそれを追いかけて上昇してくる。それに対して彼は臙脂のマントから、白い和紙に血で呪詛が書かれた札を魔弾と同数取り出して放った。ひらりひらりと舞った呪符が一枚に付き魔弾一発を吸い込んで、やがて燃え尽きて灰となる。
「まずはあんたから殺してやる」
ギャバンに向かって苛立ちと共に放たれた宣告。隼人は一回転して石畳の大地に着地し、走りながらも古来より真影家に伝わる大呪術の行使に掛かる。
「臨、兵、闘、者―――」
彼は左手の人差し指と中指のみを立てて揃えた刀印にて、横、縦、横、横―――そう交互に空を切って格子を描く。これは九字護身法と呼ばれるものの亜流。中国の道教などにおける作法を日本式にしたものを、更に真影一族流に改めた呪術作法。その主な効果は厄除け。己に強大な呪いが返って来ぬように、或いはその呪詛に巻き込まれてしまわないようにするまじない―――そう彼らの一族では言い伝えられていた。
「皆、陣、烈、在、前ッ!汝は仇火の使い、九つの焔を従えし獣。我は怨の一文字を背負いし者、その血と約定を継ぐ者なり」
走る、走る、走る。九字を切り終えて尚も隼人は炎に包まれた戦場を駆け抜ける。狙いはただ一人、後方支援によって彼を幾度となく妨害したギャバンなる者。今もなお復讐鬼の進路に向かって白い光弾を撃ち続ける術者。そしてそれを、魔術師は稲妻の如くジグザグに走行することで回避し、接近し続ける。
「汝、古より怒りと憐憫を孕みしモノ。汝、復讐に力を貸すモノ。今一度太古の掟の下に、我は汝に助力を請わん」
彼はそう唱えると、またもや空いている左手で呪符をマントの内から一枚だけ取り出す。それには、先程までの物とは異なる黒い紙が使われていた。これぞ彼ら一族が秘伝とする特殊な術式用に造られた、門外不出の呪符。それは黒い靄を発しながら、隼人の掌に吸い込まれていった。
「それ以上は行かせんッ!」
進撃する隼人の前方に躍り出たイザーク。彼は敵を後衛のギャバンへと向かわせないように、その進路を塞ぐように立つ。徐々に埋まる二人の距離―――そして一足一刀の間合いに隼人が入ったその刹那、彼は大きくクレイモアを振り抜いてその胴を断たんとした。
「ッ!」
けれど、その一刀は虚しくただ空を切るのみ。剣が動いた瞬間に隼人は無詠唱にて自身の脚力を強化し、大きく深く踏み込んで天高く跳んだからだった。宙をムーンサルトにて舞う魔術師、その赤いマントが雲の裂け目から見えた丸い月を覆う。そして、彼はイザークを大きく飛び越えて大地へと降り立った。そこから弾かれるかのように隼人は駆け出して、標的へと肉薄する。
「我が怒り、燎原が如く。我が痛み、猛毒が如く」
その一節は少年の左腕を覆う漆黒の瘴気を増大させ、より禍々しい気を発せさせていく。
「くっ―――間に合いませんか!?」
魔力と詠唱に掛ける時間の不足により、ギャバンには為す術が最早無かった。また、迎撃用に装備していた聖十字刀剣は投擲して以降回収しておらず、聖十字円盾も同様だった。そこで、彼は懐に入れていた白銀の魔導拳銃ことを咄嗟に思い出して取り出した。そして近付く少年の眉間に狙いを合わせる―――が、しかし。
「洒落くせぇッ!」
銃口が彼を捉えた時にはもう手遅れだった。隼人はそれを右足で上に蹴り飛ばし、今度こそギャバンを完全に無防備な状態に追い込んだからだ。男の手を離れた反撃の切り札、浮かぶは驚愕と諦観の混じった顔。そこで少年の左手が、鋭い掌底として聖職者の胴体を打つ。
「かはっ!?」
「災いよ来たれ―――真影式奥義、『告死ノ呪印』」
黒い呪詛の靄が、密着した五指から彼の体内へと染み込む。まるで水に落とされた墨汁や黒い絵具の一滴のように、呪いの毒素が重く深く浸透していく。しっかりとソレを仕込み終えた所で、隼人は彼を右足で蹴り飛ばして間合いを取る。
「……何とも無いようですね?」
後方に飛ばされて二歩、三歩とよろめきながらも体勢を整えたギャバン。彼は仰々しい見た目の一撃に対し、掌打の分の威力しかなかったことを不審に思っていた。男は怪訝そうに着撃部位たる胸部を見つめ、首をかしげる。
「どうやらこけおどしにす―――ぐぅッ!?」
そう軽口を叩こうとして、彼は胸の奥に違和感を覚える。そして、そのすぐ後に激痛と電流がギャバンの身体を走り出した。胴の前に浮かび上がるは真っ赤な五芒星、そこに渦巻く紫の稲妻、辺りに漂う暗黒の霞。
「一体、これは―――あがァッ!?」
「呪錨穿通。怨敵が霊魂―――摘出せん」
呻き声を上げる男の前で、少年は左手を手前から奥へと引くような動作を取る。すると不可視の糸に引かれるように、五芒星の中心から蒼い人魂らしきモノがゆっくりと―――小刻みに震えながら抜かれていく。そんな光景を前に、他の聖職者たちも思わず立ち止まってしまっていた。
これぞ真影家が誇る呪術の集大成にして秘奥義、『告死ノ呪印』。それは対象の魂を具現化して抜き取る大呪術。復讐のために妖狐より賜りし贈り物―――それは呪刀骨貫だけではなかったのだ。
「封印」
その一声にて、抜けかかっていた人魂が一気に隼人の手元へ向かう。その手に握られていたのは式札―――人の形を模した陰陽道における札―――だった。蒼く輝く魂がその白い紙切れに吸い込まれていく。
「ば、馬鹿な……現に生きている者の魂を、目に見える形で体外に持ち出すことなぞ不可能な筈だ」
イザークは驚愕していた。彼はそのような神秘を可能にする術式の存在を認められないのだ。魔術師の本場たる西洋圏ですら、そんな魔術を開発したという者は未だにいない。だが、この極東―――日本の地方都市にはいたのだ。それも、極めて原始的な『呪術』という形式によって。故の硬直、故の動揺。イザークの反応は、魔術を知る者として至極当然のものだった。
呆けた者と苦痛に喘ぐ者をよそにして、隼人はその式神を宙に軽く放る。そして、ひらひらと舞うそれを骨貫にて―――五度斬り伏せた。一太刀目は右上から左下に、二太刀目はその逆、三太刀目では右から左へと水平に振るう。続く四太刀目には右下へ向かい、そして最後の五太刀目で刀身を返して左上へと斬り戻した―――そんな刃の軌跡が描いていたのは五芒星。バラバラになった魂入りの式札が、桜の如く儚く散っていく。
「呪法―――魂影斬殺」
少年の呟くような詠唱が、静寂に包まれた戦場に木霊した。それから間もなくして、ギャバンが音も無く崩れるように膝から倒れだす。彼はその魂を式札ごと斬られたことで死んだ―――いや、呪い殺されたのだ。最早それは人間技に非ず。人の世にあってはならない禁忌指定級の外法であった。
「「ギャバンッ!!」」
イザークとゲールが死した屍の名を叫ぶ。そんな音を、少年は虚ろな心で拾い上げた―――ああ、これが復讐の味かと。殺せども満たされない器、両親の仇の死をくべても消せずに激しく燃える怒りの炎。それは当然だった。隼人はやっと、直接の仇を一人殺しただけだったのだから。一人殺しただけでは、彼の激情は収まる筈が無かったのだ。故に嗤う、彼はもう堪え切れないというように。
「テメェ、よくもギャバンを殺したなッ!」
茶髪の男がふらつきながらも隼人の前に立つ。その手に剣を握り締め、痛手を負いながらも外道なる魔術師に挑まんとする。その顔には、仲間の死を嘲笑う悪魔が如き人間への殺意が満ちていた。
「何としてでも殺し切るぞ―――今日、此処でな」
その横に並び立つは長身の剣士。白と金の両手剣の剣先を突き付け、少年と同様憎悪の炎を心に放っていた。彼ら教会の戦士は白い屋根が特徴的な聖堂を背にして、改めて悪鬼を必ずや討たんと決意したのだった。
「それは俺の台詞さ。あんたらだけは地獄に叩き落してやる、絶対にな」
彼らの心を再度憎しみが塗り潰す。最早彼らには、互いを殺す事しか頭に無かったのだ。だからだろうか、その場に現れた不審な影に気付く者はいない。真っ先にその気配―――濃密な血の臭いに気が付いたのは隼人だったが、その時にはもう手遅れであった。
「―――は?」
ずぶり、そんなような音と共に隼人の胸から黒い槍―――否、杭が生える。先端がぎざぎざした、まるで蜂の毒針のような鋭利なモノ。それが彼の背中を穿ち、胸部の中心を貫通していたのだ。
「ごひゅっ!?」
吐血、声にならない喘ぎと共に口から飛び出した真紅の液体。確実に両方の肺を切り裂いたと思わしきその杭が、ゆっくりと引き抜かれていく。抉り取られる肉片、前後両方の傷から噴き出す血飛沫。次第に暗くなる隼人の視界には、怯えたような顔つきの二人が見える。そして、うつ伏せに倒れてから見た反対側の視界には―――紫色のマントを羽織った、時代錯誤な貴族の男が君臨していた。その傍らには、黒いフードを被った一人の少女らしき人影があった。
「雑事の処理、大儀であったぞ―――極東の魔術師よ。最早貴様は用済みだ。故に終わらせてやろう、我が手で直接死を賜るという栄誉にむせび泣くが良い」
極めて尊大な男の声を最後に、少年の耳も目も鼻も、一切の感覚器官が外界の情報を得る事は無かった。消えていく意識の中で、隼人が思い浮かべたのは―――。