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幻想魔譚~Fantastical Evil Tale~  作者: 味噌カツZ
(II)Crimson Daybreak
11/11

第十一話 魔人激闘

 隼人から見て十三メートル程先の地面。そこで俯せで倒れていた少女は、槍を杖代わりにして立ち上がった。そして青紫色に腫れた左頬を左手で押さえ、隼人を睨みつける。

 対する隼人の方は先の手応えに満足したのか、左手を上下に軽く振るのを止めてファイティング・ポーズを取り始めていた。まず足を肩幅に開いて腰を落とし、左拳を前に緩く突き出す。そして右手は固く握り締め、胸部の辺りまで引く。これが彼の徒手空拳における基本形だった。

 魔力の逆流と暴発で生じた右腕の裂傷は塞がり、内側から砕けていた甲殻は剥がれ落ちる。それから真っ赤な角のような太い棘が四本ほど、肘関節周辺の皮膚を裂いて飛び出し―――まるで花の開花を逆再生しているかのように閉じていく。弧を描きながら伸びたそれらの先端は、腕の皮膚を突き破ってその内部へ潜り込む。そうして真紅の侵蝕は指先まで広がっていき、隼人の右腕は骨を連想させられる殻に再び覆われていった。

 「ううっ……女の顔を狙うとか、アンタマジで最低。これ絶対痣になってんじゃん」

 「ハッ!戦いに女も男もあるか。敵なら殺す、それがバケモノとあれば尚更だ」

 茶色い髪を掻き上げた少女に対し、隼人はニヤリと口の端を吊り上げてそう吐き捨てた。不完全(ヴァリアント)()魔人(ダムピール)である隼人は依然として、完全な魔人(ダムピール)だと思われる女子高生に対して身体能力的に不利と言える。だが、鍛え抜いた技によって反撃を成功させた今の彼からは、強者の余裕が表れていた―――それが殴られた当人の苛立ちを刺激し、その癇癪玉を破裂させる。

 「ざけんな……アンタだって、同じ吸血鬼(バケモノ)の癖にさあッ!」

 常人の眼にも止まらぬ速さで再び踏み込み、突撃してくる女子高生吸血鬼。再度始まる連続攻撃を隼人は冷静に回避、或いは手刀にて叩き落すことで捌いていく。その速さに眼が慣れたが故に、彼の防御はより強固なものになっていた。

 「やはり素人か。そのようにしか槍を振るえないとは、な!」

 「五月蠅い!黙って死ね!!」

 右、左、右、左、右、右、左―――速度が増していく突きの連撃。されど少年は今まで以上に涼しい顔でそれを弾き、躱し、捌き続ける。本来、真影家の武術の根幹には殺人剣(せつにんけん)の概念がある。それは即ち先手を取り続けて相手の攻め時を潰す剣術、つまり奇襲と連撃を重視する戦い方ということだ。これは対局の概念に当たる活人剣(かつにんけん)を、敵の動きを活かす剣術(カウンター戦法)という意味で捉えた場合の定義である。


 ―――そろそろ頃合いか


 その奇襲戦法は剣術のみならず、真影の武に関する思想のありとあらゆる個所に共通する概念であった。だが、隼人が今素手で行っている戦い方はその逆だ。相手の動きの後に合わせて打つという、活人剣の戦い方である。一対一の状況下では先手を潰してからの連撃を良しとする彼が、今は後の先で迎撃する選択を取り続けていた。だが、彼がそんな消極的戦術を続けるのも次の一手までだった。

 「破ッ!」

 「ッ!?」

 槍の刺突を払うべく繰り出された、隼人の右手刀が大きく槍を下げる。そうして守りが薄れた所で、隼人は頭部目掛けて左拳を見舞った。続けてその勢いを活かしてくるりと相手に背を向け、右の踵を脇腹へと叩き込むバックスピンキックへと繋げる。更には蹴った際の慣性を利用して一回転した後、そこから一歩踏み込んで放つは右掌底。開かれた右手が少女の腹を打ち抜き、その体内に物理的な衝撃波を浸透させていった。

 「あがぁっ!?」

 そう、先程までのカウンター戦法は苦し紛れの防戦一方に非ず。彼は今か今かと耐え忍んでいたのだ。己が殺人剣―――否、殺人拳を活かせるようになるまで、敵の攻撃のスピードやパワーを見極める必要性があったが故に。そしてそれを把握出来たと判断したからこそ、彼は隙だらけの敵へと得意とする積極的戦術を仕掛けたのである。

 「続けて行くぜ―――震弦(バイブレーション・)紅刃(ブラッドネイル)ッ!!」

 その爪は高周波によって微細な高速振動を開始し、烈火の如く熱を帯びる。腹を押さえてよろめく魔人へ、そんな二重の意味で真紅に染まった左手が迫る。五つの凶刃が整った顔目掛けて突き進んでいた―――が、しかし。

 「調、子にィ―――乗んなァ!!」

 それは少女が無造作に振り回した槍に弾かれる。それを見越していたのか、ならばと言わんばかりに彼は右の貫手を繰り出す。それに対して彼女はバックステップを行うも、ワンテンポ遅かったが故に右脇腹を切り裂かれていた。

 「うぐッ!?」

 「シャァッ!」

 顔を痛みに歪めた女子高生へ、跳躍からの回し蹴りを放つ隼人。青いジーンズの生地の下、黒く染まった右足が少女の顔面を襲う―――が、それは少女の槍の柄に阻まれる。だが、その重い蹴撃の威力を彼女は殺し切れなかった。両手で握っていた槍に振り回されるように、少女はふらついて隙を見せる。

 「今だッ!」

 隼人はここぞという所で、影より一本の鎖を射出した。三角錐の先端が目指す先は、ビルの壁面に突き刺さっていた金色の剣。クレイモアのグリップに鎖が巻き付いた瞬間、彼はそれを左手で掴んで思い切り引っ張った。弧を描くように巻き取られる鎖と聖十字大剣クロスオーダー・クレイモア。柄を右手で確と握り締めた隼人は、体勢を崩した吸血女子高生の背中目掛けてそれを叩き付けんと跳び上がる。

 「―――ぬぅぅぅぅぅぉおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 しかし、その渾身の一撃は突如として少女の足元より伸びた二本の槍に阻まれる。それは彼女の影より、エックス字に交差するよう飛び出した十文字槍だった。甲高い金属音が響き、黄金の刃を受け止めていた二つの槍に罅が走る。

 「―――今度はこっちの番!」

 「くッ!?」

 槍を大きく水平に振り回した女子高生。短めのスカートをふわりと浮かせながら薙ぎ払われたそれが、クロスする二つの槍を硝子の如く砕いて―――実際には少女が自ら消したに過ぎない――――隼人に迫る。だが、彼はそれをバックステップにて躱した。

 「死ねよッ!」

 隼人が地面に着地する寸前、彼女は足元の影から再度槍を射出する。今度はまるで矢のように、隼人目掛けて一本の槍を飛ばしたのだ。彼はそれをクレイモアの刀身の腹にて打ち払おうとした―――が、僅かにタイミングが遅れたらしい。刃の根本より枝分かれした短刃が、その右肩を抉るように切り裂いた。

 「ぐぅっ!?」

 黒さが混じった血が、肩より噴き出て彼の横顔に斑点を描く。痛みに顔をしかめて、隼人は膝を着いて着地した。だが、彼に体勢を整えるだけの猶予は与えられなかった。茶髪の女子高生が影の十文字槍を二本構えて、弾丸の如く迫ってきていたからだ。

 「小癪な―――ッ!」

 突き出された右の槍に対し、彼は立ち上がりつつ片手でクレイモアを振って対処する。そうして右方向へと剣の腹を用いて弾いた彼だったが、立て続けに左の槍が襲い来る。再度聖十字大剣クロスオーダー・クレイモアで迎え撃とうとするが、肩に走った痛覚の悲鳴により隼人は右手を動かせなかった。

 「あははッ!」

 狂気に満ちた笑い声と共に、少女は刺突を繰り出す。隼人は右肩を押さえていた左手、その紅い殻に包まれた甲にてそれを逸らした。そこから彼はしゃがみ込み、右足を延ばして足払いを仕掛ける―――が、それは女子高生が跳躍したことで意味を成さない。そして彼女は右手の槍を天高く振り上げて、落下の勢いと自重を乗せた縦方向への一撃を放った。

 「あはははははッ!」

 「ッ―――させるかァッ!!」

 隼人はクレイモアを横に寝かし、刀身の腹に左手を添えてそれを受け止める。響く金属音、飛び散る火花、そして靴の形に踏み砕けたアスファルト。食い止めた攻撃の重さと肩の痛み、そして聖なる刃に直接触れたことでの火傷に彼の顔が歪む。それでも隼人は押し返さんと力を込めていたが、状況は拮抗したまま変わらない。

 「ほらほら!女のアタシに押し負けるなんて、それでも男な訳?」

 片手対両手、その時点でパワーの差は歴然だった。隼人が必死に二つの手で押し返さんとしている槍を、茶髪の吸血女子高生は右手のみで握っているのである。そしてたったそれだけの力で、隼人の左膝を地に付けさせるまでに至っていた。

 「ぐ―――ぅあああああああああ!」

 激痛を堪える絶叫と共に、隼人は刀身を支えていた左手を勢い良く手前に引いた。そうすることで梃子のようにクレイモアが動き、受け止めていた槍が左に逸れる。そこから彼は立ち上がりつつ強引に逆さまの聖十字大剣を突き出し、その柄頭(ポメル)を少女の腹部目掛けて叩き込む―――刃の根本を握っていた左手に走る、熱き痛みを無視して。

 「ぐぶっ!?」

 グリップエンドの球体状の飾りで強打され、少女は身体を区の字に曲げて息を吐き出した。続けて隼人は右手を剣から離し、強引に脇の辺りまで強く引く。そしてそこから引き絞った弓の弦を離したかのように、少年の鉄拳が放たれる。だがその途中で拳は開かれ、指先の伸びた爪が真紅に輝いていた。それは紛れもなく、貫手を放たんとしている証拠であった。

 「破ァァァァッ!!」

 喊声と共に右腕の黒い皮膚の侵蝕は進み、やがて肩の傷口を通り越して右頬までも覆っていく。彼の右眼の瞳が黄色い輝きを帯び始め、胸の傷跡もまたシャツの下で妖しく光を胎動させる。それは彼の肉体の変異を再生が加速していることを示していた。そしてそれは、体内の吸血寄生虫が痛みへの怒りに激しく呼応している証でもあった。

 「う―――ぐ!?」

 少女は宙を舞う最中、苦痛と屈辱にその顔を歪める。真っ赤な唇から発達した犬歯が覗き、白を通り越して青白い頬に朱が差していく。苦し紛れのバックステップ、それによって少女は隼人の平手による突きを回避した―――かに思われた。しかし、それは意趣返しと言わんばかりに彼女の左肩を抉っていたのである。

 「逃がさねぇッ!」

 黄色と赤の光が軌跡を描き、僅か三メートルの空間を駆け抜ける。それは後方へと跳んだ少女の背後に回り込まんとする、隼人が空間に刻んだものだった。彼は左手で逆さまに掴んでいた剣を地面に突き刺し、ブレーキ代わりにして減速。クレイモアを軸に方向を転換させ、その勢いのまま一歩踏み込みつつ右腕を大きく左方向へと振った。

 赤い甲殻に覆われた手、その指先で高周波にて振動する爪。赤熱する五本の刃が今まさに着地した少女の背中を走り―――その途中で引っ掛かる。そこから隼人は雄たけびと共に腕を振り抜き、強引に切り裂いていく。彼の爪は制服のブレザーごと、彼女の背中に横に五列の深い切傷を与えていた。それ故少女は背中より血のミストをばら撒き、体勢を崩した事で前のめりに倒れ込んでいく。

 「これでも―――喰らいやがれッ!!」

 隼人はそう言いながら腕を振った反動を利用し、くるりと右足を軸に左へ回転しながら背面からの蹴りを放つ。それは左の靴底にて少女の背を打ち抜き、その軽い身体を正面のビル目掛けて蹴り飛ばすに至った。つまり、朱魅坂高校の女魔人(ダムピール)は約三十メートル先の丁字路にある雑居ビルまで飛ばされ、その硝子製の扉を突き破って内部に転がっていったのである。

 「駄目押しだ、ついでにもってけ!!」

 隼人は大きく息を吸い込み、破壊力を伴う超音波へと変えて吐き出した。それは不可視の刃となりて空中を一直線に進み、建物内部の暗闇へと突き刺さる。彼は首を横方向に一度振って、収束されたレーザーが如き高周波を薙ぎ払う。超高周波振動息ハイバイブレーション・ブレスの照射時間は五秒ほどだったが、それによってビル一階の室内には粉塵が蔓延していた―――床の上を音の刃が走った事で、削れた微細な破片が舞い上がったのだ。

 「はぁ、はぁ、はぁ―――」

 左手から血が流れ、黄金の十字架を伝ってアスファルトに赤い水溜まりを作る。荒い息を整えようと、少年は息を吸い込んだ。破壊力を有する咆哮を放ったことで息が苦しいのか、あるいは別の理由からか、彼は右手で胸の辺りを押さえつつ猫背になって喘いでいた。

 エックス字の傷がある辺りが先程から頻りに点滅し、シャツ越しにもその鼓動が早まっている事が分かる。隼人にはそれが何故起きているのか、そして息が荒くなったもう一つの原因は何なのか、薄々と察しが付いていた。

 「うぐっ……ああ、クソが。また、喉が渇いてきやがった」

 前者の傷跡の発光は無論吸血寄生体の活性化を示すものであり、後者は先の超高周波振動息だけでなく、吸血衝動の高まりによる興奮状態に起因するものでもあったのだ。

 「早く決着を付けないと、これは不味そうだ」

 隼人はそう口にすると、右頬を指先で撫でてその感触を確かめる。一文字の傷があった辺りは固くなっており、彼には心なしか隆起しているようにも思えた。事実として、隼人の右頬には既に紅い甲殻が現れていた。加えて、その黒き表皮の侵蝕は顔の半分を覆わんとするところまで進んでいた。それは両手を覆う甲殻と合わせて、彼の肉体が異形変異態(ヴァリアント)としての戦闘形態に移りつつある証拠であった。

 「今の俺が吸血鬼を確実に殺すには、心臓の破壊と斬首……その双方をこいつで行うしかない、か」

 彼が一瞥するは、左手の聖天十字大剣クロスオーダー・クレイモア。それは聖なる主の加護によって清められた、黄金に輝く両手剣。クレイモアとはゲール語に由来する名であり、中世後期のスコットランド人傭兵が用いた軽量な両手剣のことを指す。それをベースとして造られたこの聖なる大剣は、吸血鬼を殺すのに充分な性能を有しているだろう―――元の持ち主であったイザーク・マラサリーは、恐らくこの剣にて多くの吸血鬼を葬ってきたのだろうから。

 最後にもう一度深呼吸をしてから、隼人はアスファルトに突き刺したクレイモアを右手で引き抜き、軽く一振りして血を払う。特殊な包帯が巻かれたグリップを握る右手の平には、火傷のような跡は浮かんでいなかった。これは一重にその細長い布のお陰であった。

 その包帯は隼人が魔術師として常に携行していたものであり、対象の内部に満ちる魔力の流れを阻害し、術式の効果が発動しないようにする効果があった。吸血鬼を殺す事が出来る神聖なる毒素は、望まれぬ(吸血鬼である)使い手もまた傷つけるのだが、それによって少なくとも柄を握る手は保護されていたのである。

 「まぁ、このまま黙って殺させてくれる訳もないよな」

 数メートル程歩いた所で、彼はそう独り言ちる。それと言うのも、かの吸血女子高生がビルの中から姿を現したからだ。その右肩は服が大きく破け、かなりの出血を伴う傷が出来ていた。更には硝子片が身体の至る所を切ったらしく、ブレザーやシャツだけでなくチェック柄のスカートが細かく破れ、そこからも大なり小なり血を流していた。見るまでも無く、ふらつき俯く彼女の顔は怒気に染まり切っている。

 「ああ……マジで最悪。あちこちクソ痛いし、制服はボロボロだし、おまけにこれじゃあメイクも台無しじゃん」

 ぼそりと呟かれた声が、二十数メートル程先に居る隼人の耳に届く。それは後天的吸血鬼の一種へと変異したが故に強化された、超人的な聴力がもたらしたものだった。だが、そのおかげで彼は敵が激しい攻勢を仕掛けんと、怒りの闘志を燃やしている様を知る事が出来たのだ。

 「だからさ、アンタはもう―――メッタ刺しにしてから殺してやるわ」

 「来るか……いや、これで来ない訳がない。まさに好機だ、仕留めるなら―――今しかない」

 隼人はクレイモアを下げ、右足の横で剣先を後方に向けるようにして構える。それは左半身を突き出す形となる、脇構えと呼ばれるモノであった。対する少女は左右の槍をくるりと回した後、右足を後ろに引きつつ姿勢を曲げる。それは短距離走の選手が取るクラウチングスタートを連想させる、低重心の構えであった。そして隼人がそうであると認識した通り、吸血女子高生は右の足裏でコンクリートの大地を蹴って飛び出す。

 「死ぃぃぃぃぃぃぃねぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 茶髪の髪を風に靡かせて迫る悪鬼を前に、隼人は―――瞳を閉じた。暗闇の中、彼の聴覚で敵を捉える。喊声、空を切る音、アスファルトを打つスニーカーの靴音。隼人は左手を少しづつ下げ、両足に力を籠める。

 「ふッ!」

 僅か一瞬にして数十メートルの距離を詰めた少女は、全体重を乗せて漆黒の刃を突き出す。それが貫いたのは―――何もない空間だった。少年は槍が目前まで迫ったその時、直上に跳び上がって回避したのである。そして、隼人は跳躍の直前に鎖を二本影から射出し、それらを左右の手で掴んでいた。無論、彼が鎖を手にする直前にクレイモアは天高く放り投げられていた。

 「な―――!?」

 月を背にして宙を舞い、天にて反転する肉体。そしてその更に上で回転する剣と、地から空へと延びゆく二つの直線。逆さまの隼人と地上の女の視線が交差した時、彼はその手に握っていた影の鎖を投げ付けた。狙う先は標的の両腕。吸血鬼の影から精製されたそれらが、まるで囚人服の横縞模様が如く―――或いは二匹の蛇が絡み合うように―――巻き付いていく。

 「ぐ―――があっ!?」

 そして隼人は二つの鎖をクロスさせつつ全力で引っ張り、少女の足を―――否、身体を地から思い切り引き上げた。影に由来する人類未知の物質で出来た漆黒の連環は金属さながらの音を立てて擦れ合い、獲物を捕食者の下へと運んでいく。

 「シィャ!!」

 近付いた彼女目掛けて、くるりと一回転して反転した少年の踵が振り下ろされる。それは無防備な胴を見事に打ち抜き、少女の口から苦悶の音と唾液が噴き出させる。その後に、茶髪の吸血鬼は凡そ三十メートル程―――ビル十階に相当する高さ―――から地上目掛けて落ちていった。

 「これで―――」

 黒色の大地にクレーターと罅を彫り込んだ少女の身体、隼人はソレへ第二の手を打つ。時計の針が如く回転しながら落ちてきた黄金の剣を右逆手で掴んで、黒と赤のまだらに異形化した少年は遥か下界を睨む。

 「とどめだァァァァァァァァァァァァ!!」

 右手を鍔の下に、そして左手を柄頭に添えて放つは急降下の一撃。それは隼人が渾身の力で繰り出した、まさしくギロチンが如き必殺の一手である。重力による落下と加速を利用した下方向への突きは空を切り、咆哮をなびかせて真下へと突き進む。段階的に増していく加速度によって、彼の視界は狭まっていく。やがてその眼に標的しか映らなくなったその時―――それは物理的にも隼人と少女の距離が縮まった瞬間でもあった。

 「あ―――」

 隼人のぎらついた瞳に吸血鬼の恐怖で青ざめた顔が映った刹那、落着と共に粉塵が舞い上がり、土気色の暗幕となって彼らを覆う。そしてワインのように真っ赤な液体のシャワーがその中心から噴出し、辺りに地獄の雨を降らせる。それと共に女の甲高い悲鳴が―――否、言葉無き獣のモノが如き断末魔が轟いた。

 「ッ!?」

 煙が晴れる。まず露わになったのは、苦虫を噛み潰したかのような隼人の険しい顔つき。続けて少女が苦痛に喘ぎ、悶え、身を捩ってのた打ち回る様が現れる。その後に、空から落ちてきたのは白い棒状の何か。べしゃりとアスファルトに叩きつけられたそれは―――少女の身体から分断された左腕だった。

 「う、ううううで、あ、ああたしの、う、うう、腕ぇッ!?な、なんで、なんでどうしてぇ!?」

 肘から先―――つまりは実質的に手を構成する部分―――を丸ごと喪失した彼女は、残った部分をじたばたと動かし、黒く淀んだ血を巻き散らす。肉が焼け焦げた臭いと白く細い煙は、千切れた手から立ち上っていた。

 「チッ!だったら、今度こそ―――」

 少年はクレイモアから左手を離し、五本の指を顔の横で揃えて構える。それは心臓を外れた第二撃に代わって、とどめを刺さんとする第三の攻撃。剣を引き抜く暇なぞ無いと性急に構えられた貫手が、今まさに女子高生の顔面目掛けて振り下ろされ―――。

 「―――何ッ!?」

 ―――それは横槍を入れてきた何かによって阻まれる。それは颯爽と隼人の手と少女の顔の間へと割り込んできた物体の影。真紅に光って微細に震える爪がその表面に突き刺さった瞬間、それはばちりと弾けて大粒の火花を宙に撒く。隼人の左手は発せられた衝撃波で返され、貫手は不発に終わってしまった。

 「増援か!?」

 隼人は素早く周囲を見渡す。左右の道路沿いに立つ低層ビルや、正面や背後に見える高層ビル等の屋上。斜め上より割り込んできたそれは、確かにある程度の高さを有する場所より投じられたに違いない―――彼はそう考えていたのだ。だが、その全てにおいて不審な影は見受けられない。

 「クソッ!」

 何にせよ、彼がその場に留まることは敵に狙ってくれと言っているようなものだった。それを理解している隼人は、敵影を確認出来なかった時点で直ちにクレイモアを引き抜きながら少女の上から飛び退いた。そして、彼のその判断は正しかった。

 「これは……羽搏きか?」

 そう呟いた直後、彼ははっとして真上に視線を向ける。そこにあったのは、黒く小さな点の集合体で出来た巨大な塊。それは上空から螺旋を描くように降りてきて、仰向けに倒れている吸血女子高生を取り囲んでいく。目を凝らして見れば、それは蝙蝠の大群であった。

 「チッ―――ということは吸血鬼の使い魔だな」

 『御明察。残念ながら、彼女は回収させてもらう』

 彼がクレイモアを中段に構え直した所で、そのような声が周囲に響き渡った。それはノイズ塗れの低音に変化した、男か女かも分からない不気味な群衆の声だった。一体何処のどいつだと隼人は叫んで返したが、ソレは答えを返さず一方的に告げてくるのみ。

 『今悪戯に戦力を喪うことを、我々の主君は許さない。下級とは言え従僕は従僕、古く気高き血に列する同族が故に』

 「主君とは誰だ!答えろ、姿を現せない臆病者がッ!!」

 『どちらの問いにも答えるつもりはない―――どうせすぐに分かること、だから。尤も、劣等変異種の貴様がそれまで生きていられるとは思わないことだ』

 死に体の少女を取り囲む蝙蝠の群れは、どんどん密度を増していた。やがてぼろ布が如き全身をすっかりと覆い尽くし、それは天へと昇っていく。どうやらあの女子高生は、蝙蝠たちが群体の中心にて何らかの方法でぶら下げているらしい。先程まで倒れていた辺りには、塵へと成り掛けている左手と血溜まりしか残されていなかった。

 『さらばだ、真影隼人(・・・・)

 「ただで行かせると思うなァッ!!」

 蝙蝠たちの塊は、別れの言葉の後に彼の頭上を越えて飛んで行こうとする。隼人はそれを見送る事無く駆け出し、天高く跳躍した。そして右手の聖天十字大剣クロスオーダー・クレイモアを大きく振り上げ、渦巻く漆黒の塊目掛けて叩き付ける。黄金の煌めきを有する浄化の刃は、確かにソレを切り裂いた―――が、しかし。

 「ッ!?」

 金色の軌跡は空を切ったに過ぎなかった。そこ(・・)には初めから、何も存在していなかったのだ。傷付いた同胞を運ばんとする蝙蝠の大群が居るのは、少年とは逆の方向―――即ち、最初から彼の頭上を通ろうとはしていなかったということだ。隼人が初めから向いていた方へと、黒い塊は既に真っ直ぐと飛び去った後だった。

 アスファルトに着地した彼はクレイモアを大きく振って血を払い、それから空を見上げた。赤紫の薄い雲が漂う夜空を、黒い塊は遠ざかっていく。その先に見えるは、白と黄色の光が灯る紅大橋のビル群。暫しの間それらを眺めた彼は、クレイモアの刃に聖なる力を遮断する包帯を巻き直す。それからポケットに入れていた帯をベルトのように結び付け、剣を斜め掛けに背負った。隼人は撤退した敵を追わない選択をしたのだ。

 「今のが幻覚、だと?」


 『―――今はただ、もう一度眠りなさい』


 「いや……彼女も催眠術の類を俺に使ってきたのだから、あの蝙蝠に幻術擬きが使えても不思議じゃないか」

 隼人が足を止めて思い返していたのは、異形魔人態へと初めて変異した時の事だ。吸血衝動と復讐心の増幅によって暴走していた彼は、エリシアの紅く輝く瞳―――普段は緑色をしていた筈のモノ―――を直視した次の瞬間意識を失っていた。それを吸血鬼の超能力の一つであると仮定し、隼人は幻覚を見させる能力もまた彼らとその使い魔にはあるのだと考えたのである。

 エリシアの行った行為を魔術の世界で例えるなら、『睡魔の魔眼(ヒュプノス・アイ)』と呼ばれる見つめた対象に眠りをもたらすものが近いだろうか。それは眼球を触媒として行使する『邪視魔術(アルス・オクロールム)』の一種であり、対象を石化させる『蛇睨みの魔眼(メデューサ・アイ)』と、発火と延焼に長けた『放火魔の魔眼(プロメテウス・アイ)』が代表例として挙げられる。

 無論その中には幻覚と狂乱を司る『月光の魔眼(ルーナ・アイ)』と呼ばれるものも存在しており、当然隼人はその存在を知っていた。こうした『邪視魔術(アルス・オクロールム)』への理解から、彼は自分が見せられた幻はそのような能力に由来するものだと考えたのである。

 「だが、あの時の横槍。あれは―――」

 一つの疑問が片付いたかと思えば、次の瞬間にはまた不可解な事実が現れる。彼が続けて思い出したのは、先程その左手を弾き返した謎の飛翔体に関することだった。それは隼人の爪と衝突した刹那に光を放ち、衝撃波か何かを発することでその貫手を妨害した。そのことが隼人には気掛かりになっていた。何故ならその閃光に―――そして、その飛来した物体上にて紫色に輝いていた何かに―――見覚えがあったからだった。

 「―――それよりも、今は」

 しかし、少年がそこから先へと思考を進めることはなかった。彼は湧き出た疑念を追い遣るかのように首を左右に何度か振った後、周囲の状況を改めて見つめて頭を抱える。

 「ああ、クソ。幾ら何でも、これはやり過ぎたな」

 眼前に広がるは激しい戦闘によって破壊された街並みと、赤黒い血溜まり。この現状もまた、彼が敵を追い掛けなかった理由の一つであった。幸いなことに、喰屍鬼の死骸は塵となって全て消えていたが―――魔術の円滑かつ精密な行使が出来なくなった今の隼人では、この現状を隠蔽することは不可能に近くなっていたのだ。

 「土地に掛けられた古い結界はまだ持ちそうだが……現代の情報拡散速度では、何時騒ぎが大きくなるか、分かったものじゃない」

 赤月市全域には古来より真影家による特殊な結界が仕込まれている。それは範囲内での魔力濃度の変化を常に観測し、異変が生じたと判断した際に一般人がその区域から自然と遠ざかるようにする『大規模忌避結界』と、目撃者に直接干渉して当該時間帯の記憶を曖昧なものにする『記憶封印型応急隠蔽結界』のことである。魔術師が市街地で戦闘を始める際には、戦闘区域を自らの手で一般社会から隔離する事が必須であったからだ。

 「っ―――魔術の才が、残っていれば」

 尤もそれらはあくまで仮の処置に過ぎず、基本的には魔術師やその関係者の手で細やかな後始末を必要としている。それは記憶の処理だけでなく、戦闘の痕跡や物品や建物に出来た損傷の理由を誤魔化すことも含まれている。しかし、吸血鬼化した隼人の劣化した魔術ではそれらが出来そうにない。それ故、苦虫を噛み潰したような顔で彼が取った行動は―――真影家の協力者に連絡を入れることだった。

 「仕方ない」

 そう呟いて、隼人はポケットからスマホを取り出す。電話帳のアプリで呼び出した連絡先には、『星崎家』と記されていた。五回のコール音の後に出たのは、中年の男性と思われる人物だった。

 「もしもし。夜分遅くに申し訳ありません、真影隼人です。星崎源次郎さんは―――ええ、はい、ご想像通りの件です。本家当主として、分家の星崎家でやっていただきたいことがありまして」

 内蔵スピーカから息を呑んだ音が聞こえてくる。相手の名は星崎宗一、彼のクラスメイトである星崎沙耶の父親だった。星崎家は真影家より呪術の一部を過去に授かった弟子の末裔であったのだ。だが、現在の彼らは最早半ば一般人と化しており、当然彼もまた自分が生きている間に呪術師としての召集令が下るとは思っていなかったのだろう。

 「ご心配なく、先代の源次郎さんにのみお頼みするつもりです。それに荒事にそちらの一族を巻き込まない、昔からそういう約束ですから」

 故に、隼人もまた心得ていた―――彼らに頼るのは最後の手段であると。そして何より、星崎の人間に呪術を駆使して怪物と戦えるだけの才も技もないことも。だから彼が電話口で頼んだのは、呪術を用いた隠蔽工作のみ。それだけならば、目当ての源次郎という人物にも経験がある。そのことは両者共に把握していた。故に相手方の声色から、僅かに緊張が抜けていく。

 「ええ、それでは源次郎さんに代わっていただけますか?」

 戦い終わったコンクリートとアスファルトの荒野に、冷たい風が吹き抜ける。人気の無さを辛うじて保つその空間に、再び平穏と言う名の静けさが戻っていく。だが、隼人はそれを嵐の前の静寂に過ぎないと感じた。激闘の中で熱を帯びた身体が未だに冷めず、頻りに胸のエックス字の傷が疼いているからだ。

 彼は電話の相手が変わるのを待つ傍ら、紅い甲殻に包まれた掌を握り締める。そして、あと一日で満ちる月を見上げた。黄色く染まった瞳に映るは、雲の隙間から暗い光を下界へと投げ掛ける白き鏡。それと重なって思い浮かぶは、唯一残された肉親の姿。けれど、その顔は霞んで上手く描けない。家で最後に見た妹の顔は笑っていた筈なのに、彼にはどうしてかそうだと思えなかった。

 「優理、お前もきっと……」

 だが、それでも隼人は信じようとする。己の妹は決して吸血鬼に後れを取らないと、街の何処かで人々のために戦っていると。そして何より、無事に生きて同じ月を見上げているであろうと。自身より優れた魔術師たる父と母が死した時点で、例えそれがどれだけ儚い望みだったとしても―――彼には縋らざるを得なかったのだ。最後の希望を喪えば、少年にはもう憤怒と憎悪に狂う以外に立ち上がる術がないのだから。


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