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幻想魔譚~Fantastical Evil Tale~  作者: 味噌カツZ
(II)Crimson Daybreak
10/11

第十話 侵蝕スル異変

 「Uuu―――」

 低く唸る人型の獣の声が夜間の街に響く。それはパイプオルガンの音色から荘厳さの一切を奪ったような、そんなおぞましい冒涜のコーラスだった。そこは本来ならば人気がまだある筈の市街地だが、今はまるでゴーストタウンが如く無人と化していた。

 そんな空虚なストリートを歩く合唱団の規模はたったの五人。されど彼らは重機にも匹敵する怪力の持ち主たち―――人間換算で言えば、剛力無双の強者に値するだろう。唯一戦士足りえないのは、飢えと渇きの思考に飲まれて理性の枷が溶けている所だ。

 その名も喰屍鬼(グール)、吸血鬼に噛まれた人間が変異する最も低級な隷属者。それは吸血鬼へと変わるだけの寄生虫を体内に宿しておらず、一度本性を表せば崩れた自我で食欲に従うだけとなる―――使い捨ての奴隷兼兵士だ。グールという屍を喰らう者の名を与えられたのは、血を吸う際に有り余る力で獲物の肉ごと血を喰らってしまうことに由来している。

 男女混合の五名は各自異なる服装―――犠牲となる前に着ていた私服―――であり、背格好にも共通点が無かった。ただ一つ重なるものがあるとすれば、それは土気色をした死体のような皮膚であろう。否、その様は死体のようではなく、正に死体そのものと言って過言ではなかった

 「VuuuAaaaaa!」

 夜道で憐れな生贄と邂逅することを夢見て、何処とも知れぬ巣穴から這い出して来た喰屍鬼たち。彼らは不機嫌そうに一際大きく唸った。生前―――人間だった頃の記憶や習慣―――から、この時間の街中にはまだ人間が多くいるだろうと考えたのだろう。だが、今日は未だに食事にあり付けていない。その事がグールの一団に苛立ちを与えていた。

 「もう出て来たのかよ、意外と早かったな」

 「Va!?Uva!?」

 上の方より聞こえてくる悪態に驚いたのか、男性型の屍喰らいが天を見渡す。だが、周囲のビルの屋上には一切の人影がない。最初の一体以外も次々と視線を忙しなく動かすが、声の主を見つける事は出来なかった―――その当人にとって、真に幸運なことに。

 「俺はここにいるぜ。どうした、死人同然のあんたらの眼じゃ見えないってか?」

 頭上から己が愚鈍さを嘲笑う声が聞こえたため、別のグールが今度は真上へ顔を上げる。濁った一対の眼球が月を捉えた時、青白い光の中に黒い影を見た―――その次の瞬間のことだ。月光に目を向けていた喰屍鬼の肉体を、飛来した何かが貫く。それは先端に三角錐の針が備わっている、一本の漆黒の鎖だった。

 「なら、死体は大人しく―――」

 鎖はたわみ、生気の失せた身体が勢いよく上へと跳ね上がる。影から構築されたチェーンで喰屍鬼を引き上げていたのは真影隼人だ。彼は鎖を右手一本で手繰り寄せながら、空中を落下していたのである。そんな隕石が如き隼人とグールが宙で上下に重なったその刹那、隼人は全力で左手を下方向に突き出す。

 「Vuvera!?」

 開かれた真紅の五指がぶよぶよの皮膚を穿ち、軟らかい肉を裂き、骨を断ち切って背の皮膚までも貫く。高周波で振動するその爪の先には、萎びた心臓が血を吹き出しながら幽かに脈打っていた。彼はそれを手先の感触で素早く確認すると、そのまま貫手の勢いを利用してくるりと反転。仰向けのような姿勢を宙で取り―――再び身体が反転する位の力で、グールの身体に刺さっていた腕を地面目掛けて振り下ろす。

 「―――土ん中で眠っていやがれッ!」

 ずるりと抜けた腐肉の塊と潰れた心臓が、空を切って落ちていく。落下時間は僅か一秒足らず。人為的な加速と重力に耐え切れずに胸から上と下で二つに裂けたグールは、そのまま一団の中央へと落ちて小さなクレーターを生み出した。土煙が立ち込めて十秒が経過した頃、その中で何かが潰れるような音と短い断末魔が聞こえてきた。

 「Vaaaa!?」

 「UuuAuu!」

 慌てて飛びのいた四体の同族は、その周囲で各々動揺の声を上げるのみ。そんな彼らの前へ、隼人は薄れゆく煙を裂きながら悠然と姿を晒す。少しずつ見えてきたその背後には、赤黒い肉の花が二つほど咲いていた。

 彼の両腕の皮膚は紅く硬質化していた。それは隼人の異形魔人態ヴァリアント・ダムピールに特有の―――黒い皮膚の上に形成された、骨格を模した甲殻だった。だが硬い真紅の手以外に、隼人の容姿は魔術師だった頃と何一つ変わっていない。

 「聖職者の次はゾンビ共の相手、か。まあいい、折角のお客様だ。人様の土地で狼藉を働いてくれた礼は、きちんと返してやるぜ。非常用の結界も、問題なく作動しているようだしな」

 隼人はそう嗤うと手にした鎖を捨てる。そして胸に斜め掛けされていた帯状の紐を掴み、背負っていた物を下ろした。それは包帯が巻かれた十字の剣―――イザークが使っていた聖十字大剣クロスオーダー・クレイモアだった。本来、聖なる加護を帯びた物品に吸血鬼が触れた場合、その個所は焼かれてしまう筈である。しかし剣全体を特殊な包帯で覆っているため、隼人は掌を焼かれずに済んでいたのだ。


 『―――こちらは持って行かなくてよいのですか?』


 グールが街中で活動し始めた事を知らせたエリシアは、隼人に対して出発直前にそう聞いていた。彼女が手にしていたのは呪刀骨貫(ほねぬき)を内蔵した大型の仕込み杖だった。それは魔術師としての隼人が継承した、かつて鬼の骨を斬ったという伝説を有する直刀。そして大規模な魔術や特殊な術式を操る魔術師にとって、生命線とも言える魔導杖の一種。

 そんな大切な仕事道具を、彼は拠点とした廃ビルの一室に置いて行こうとしたのである。何故なら今の隼人には、自身が従来の第一級魔術師(Aランク・メイガス)としては愚か初歩的な術式も使えるか怪しい―――第四級(Dランク・)魔術師(オカルティスト)以下であるという認識があったからだ。刀としては兎も角、魔術も碌に使えないであろう状況下では邪魔にしかならないと思ったのである。

 身体に固定するための帯を解き、そして剣先から徐々に包帯を外していく隼人。抑え込んでいた聖なる加護が黄金の刃から立ち上り、それが青白い霧のような光となって彼の肌に微かな刺激を与えていた。両手剣の露出が増えれば増えるほどそれは力を増し、隼人の顔に浮かぶ苦悶の表情を深くさせる。

 「っ―――行くぜ」

 外した枷をポケットに押し込み、彼は両手で金色のクレイモアを握り締めた。そして、一気に駆け出す。銃弾の如く空を切って、走り抜けるは五メートル。僅かな斜面を越えて、彼は手始めに前方にいたグール一体に斬りかかる。

 「破ァッ!」

 闇夜に走る縦一文字。金色の軌跡は大きな直線を描き、振り抜かれた勢いで生じた風圧が一瞬の突風となる。足元のアスファルトすらも砕いていたその一撃は―――グールに躱されていた。

 「チッ、想定よりも馬鹿力になってやがる!」

 バックステップで間合いを離した相手を睨み、隼人は悪態を吐く。隼人にとって、今の一振りは地面に当たる前にぴたりと止まる筈だった。しかし実際には停止は愚か勢いが弱まる事も無く、彼は剣に振られていた。これは感覚と身体能力の間に、致命的なズレが生じている証だった。

 「Aaaaa!」

 「カウンターならばッ!」

 飛び掛かってきた別の喰屍鬼に対して隼人は地擦りの斬撃を見舞う。左下から右上へと走る刃が、相手の脇腹を斜めに切り裂いていった。その切り口は流れに任せて斬るというより、強引に鉄の塊で強引に千切ったというに相応しい有様であった。

 「ぐぅっ!?」

 飛散する血と肉が隼人に幾分か降り注ぎ、その香りが獣の性を刺激した。彼は歯を食いしばり、強烈な衝動に耐えんとする。しかし、エリシアが言っていたように―――それは隼人の理性を溶かそうと、その内側を熱していた。

 「―――負けるッッッものかァァァァァァッ!」

 左手で強く刃の根本を握り締め、少年は吠える。その瞳には再び確と闘志が戻っていた。左掌に刻まれた傷から浸透した微量な聖なる力が、隼人の中で騒ぐ吸血寄生体を黙らせたのだ。

 隼人は転がっているグールの上半身、その額に剣を打ち込んだ。そして返り血をそのままにして、彼は突き進む。その先にいるのは先程斬撃を躱したグール。走るというより前方に跳ぶ―――そういう表現が似合う突撃で以て、隼人は標的目掛けて全体重と加速を乗せた刺突を繰り出した。

 「逃がすかよッ!」

 再度かのグールは、跳躍にてそれを避けようしている。だが、戦士に二度目はない。感覚を掴みつつある隼人は、突き出した手から剣を離し―――弾丸の如くそれを射出。黄金の十字架は目の前の男性型喰屍鬼の腹を突き破り、そのまま後方にいた別のグールを巻き込んで壁に激突する。

 「GuVea!?」

 「GyaVia!?」

 「破ァァァァァァァッ!」

 串刺しに処された二体は揃って苦悶の声を挙げている。それら目掛けて隼人は喊声と共に飛び蹴りを敢行。重なった二つの頭部を何の変哲もないスニーカーが撃ち抜き、踏み砕く。圧壊する肉と骨の感触を足裏で味わった後、彼は反対側の足で死体を蹴って飛び退いた。

 「これで四体。後は―――」

 上半身と下半身が分断され、脳を刃で穿たれた屍が二つ。そしてまとめて串刺しに処された上で、頭蓋を砕かれた屍が二つ。少年がすぐさま振り返れると、そこには残り一体となったグールが背を向けて逃走を始めていた。

 隼人は壁に刺さった剣をそのままにして、再度大きく跳び上がる。そうして月を背にして宙を舞い、敵の頭上からその進路に割り込んだのである。

 「逃がさないって言った筈だぜッァ!」

 そこから流れるような所作で放った右回し蹴り。風を切って突き進む右足が、グールの女の側頭部を打つ。まともにそれを受けた屍女は、後ろによろけながらも彼に向き直る。今の蹴りを受けたのが常人ならば、その首の骨は愚か筋肉が断裂、頭部が百八十度回転していても可笑しくはない。

 だが、確かに女の頭部は左へ不自然に向いていたが―――彼女は無造作に頭頂部を掴み、雑に捻る。ただそれだけの動作で、グールの顔は再び隼人の方を向く。その半開きの口からは唾液が零れており、濁った瞳には最早ヒトとしての輝きはない。

 「Uuuuuuu―――Guaaaaaaaaaa!」

 「今度は加減が過ぎたか―――ッ!」

 今度はそんな女グールから攻撃を仕掛けてきた。それは力任せに腕を叩き付け、あわよくばその先端にある爪で切り裂こう―――などという単純かつ強引な一手であった。隼人はそれを右手の側面で弾き、左の貫手で以て反撃とする。だが、それは思い切りの良いバックステップで回避されていた。

 「ならば―――」

 隼人は埒が明かないと悪態を吐くと、右手を突き出した。翳した掌と開かれた五指―――これは彼が魔術の行使に取り掛かると決めた証だった。隼人は敵が空中にいることを好機と捉え、これ以上間合いを離させないためにも魔術という遠距離攻撃を採用したのであった。しかし、吸血鬼と化した隼人では十全な魔術行使は不可能な筈だった。


 ―――今、魔術師としてどこからどこまでが出来るのか。逆に何が出来なくなったのか。基礎中の基礎たる魔術式、その工程を一から十まで徹底してやってやる。


 「魔法陣描画サークル・セットアップ変換先属性(エレメント)……(ファイア)

 隼人が選んだ術式は炎属性のもので、かなり初歩的で単純な代物にすると決めていた。数時間前までの彼は、確かにエリシアに対して魔術による攻撃を行っていた。それも詠唱を短く切った状態のものを使って、である。加えてかの聖職者―――イザークとの戦いでは相手の光と雷の二重属性の一撃を転化し、闇と雷の魔術として反撃していた。

 そう、先程まで隼人は人間の頃と然程変わらぬ魔術行使が出来ていたのだ。それ故、彼はまず試すことにしたのだ―――手順を省略せずに使えば、何とかなるのではないかと。そしてもしもそれが正しければ、初歩に帰ることで魔術が使えるのではないだろうかと。

 掌の先に現れた白く輝く二重の環は橙色に染まる。外側の大きな円の内にはアルファベットを変形させて作られた記号が四つ刻まれ、内側の小さな円にはラテン語の文章が右回りに記されていく。その最後の仕上げとして、魔法陣の中央に五芒星が描かれた。

 「詠唱開始(スタート)。迸る熱気、悪意を燃やす怒りの業火よ」

 隼人は右手を引き、その拳を握る。代わりに魔法陣へ左手をあてがい、まるで弓の如く狙いを付ける。その視線の先で、グールは未だに宙に浮いている。バックステップで後ろに跳び過ぎたのだ。

 「滾る炎で有象無象を吹き飛ばせ!制炎術式(コード・ファイア)(バレット)―――」

 ソフトボール位の大きさの光球が産まれ、オレンジ色の光を発して揺らめく。二重の環の先に浮かぶそれを、隼人は魔法陣ごと右手の一突きした。赤い拳が五芒星の中心を貫いたその時、凝縮された炎の球が射出される筈―――だった。

 「―――なッ!?」

 曲げた指が魔法陣に触れたその刹那、突如オレンジ色の輪が砕け散る。右手の先から腕を経由し全身へ電流らしき刺激が走り、痛みと驚愕で顔が歪む。肝心の火球はと言えば、弾けてただ爆炎を辺りに噴き出しただけ。彼はその炸裂の反動で吹き飛ばされ、後方五メートルほどの地点まで背中を擦る羽目になっていた。そして右腕の甲殻は所々内側から砕けており、内部の皮膚も矢鱈と裂けていた。そこからは焼けた血と肉の臭いと、白い煙が上がっている。

 「ぐっ……今のは」

 これは魔術の失敗時に起こる魔力の逆流現象であり、魔術師の世界においてバックファイアと称されているものだ。こちらのバックファイア現象は魔術式の発動に失敗した際に魔力が体内へと巻き戻され、術者の肉体へ逆流した魔力が物理的な傷害を与えるというものである。今回はどうやら火球の意図しないタイミングでの炸裂―――それも魔力の収束や圧縮に失敗した可能性が高い―――によって余剰となった魔力が逆流し、隼人の右腕の魔導路を引き裂く形で発生したようだ。

 「ここまで来ると、初歩の初歩ですら使えなくなるのかよ」

 隼人は裂傷と火傷が混在する腕を見つめて、忌々しくそう吐き捨てる。今の彼の肉体は吸血鬼と化している。つまり、魔力の通り道や触媒ともなる血液が異物で汚染され切っているということだ。恐らく吸血寄生体が血管内で蠢いているが故に魔力の循環が上手く行かず、魔力の逆流とそれに伴う火球の暴発を起こしたのだろう―――彼はそう結論付けた。

 「Grurururu……」

 「いや、だったら一か八か―――もう一度やってみるか」

 下卑た嗤いを浮かべながらよたよたと近付いてくる女グールを前に、隼人は右腕を庇いつつ立ち上がる。彼は火属性魔術の式を構築し、魔法陣として具現化する所までは成功していた―――それはつまり、己の魔力を何らかの属性に変換する段階までは上手く行っていたのだ。失敗したのはその後の段階、つまり火属性魔力を体内で増幅するというステップ。それ故、属性変換した魔力をそのまま直に垂れ流せばいいのではないかと彼は考えたのだった。

 「途中まではさっきの要領でいい―――落ち着いていけば、どうにかなる」

 隼人は左手を突き出し、先程と同じ橙色の魔法陣を空間に描いていく。だが、今度はそこに刻まれている文字が圧倒的に少なかった。体内で増幅してから球体状に魔力を収束させるという工程を省いたのだから、それは当然の帰結である。

 「問題は、ここからだ!」

 彼の左手に光が集う。オレンジ色の粒子が掌だけでなくその周囲の空間からも集められ、魔法陣の中央に輝く五芒星に吸い込まれていく。細やかな操作が体内でできないのなら、大気中の魔力を直接大雑把に操作して合算すればいい―――それは彼が土壇場で思い付いた創意工夫の証だった。

 「Guuu―――Aaaaaaaaa!」

 「―――制炎(ファイア)

 絶叫と共に唾を巻き散らし、喰屍鬼が駆け寄って来る。両腕を大きく広げ、遂には大きく跳び上がって隼人に襲い掛かる。されど彼は左手を僅かに挙げて照準を合わせ、ただ一節詠唱を進めたのみ。

 「Aaaaaaaaaaaaa!!

 そして、グールが隼人目掛けて両手の爪を振り下ろしたその瞬間。隼人は左拳を思い切り握り締め、最後の一節―――その術式の名を叫ぶ。

 「『衝波(ブラスト)』ォッ!!」

 刹那の閃光、その後に魔法陣より噴き出すオレンジ色の炎。それに包まれたことで吹き飛ばされていくグールの身体。まるでロケットが燃焼する高圧ガスを噴出するかのように、魔法陣は眩い火炎を吐いていた。

 「Gugiyaaaaaaaaaaaaaaaaaa!?」

 痛ましい悲鳴と共に焼かれ、そのまま大地に落ちた喰屍鬼。だが、隼人は炎の放射を止めない。火を消さんと一心不乱にコンクリートの上を転がる敵目掛けて、左手をぴたりと合わせて火炎放射を続けていた。否―――それどころかより左腕に力を入れ直していた。

 「まだ、これでも、足りねぇのなら―――!」

 炎の勢いが徐々に強まり、噴き出す速度がどんどん早まっていく。放射される火柱の太さも増していき、その輝きもまるで製鉄所の溶鉱炉の鉄のように眩しくなる。やがて彼は焼け爛れてだらりと下がっていた右腕を持ち上げて、それを稼働中の魔法陣へと追加する術式と共に叩き付ける。

 「『火吹き蜥蜴の癇癪レイジング・サラマンダー』ァァァァァァァァァァァッ!!」

 そうして放たれた咆哮と共に火炎の色がオレンジから黄色へと染まっていき、やがて白へと変わる。のたうち回る死体擬きを焼くその炎は、最早太陽が如き光と熱となりて対象のシルエットを包み隠していた。グールが発しているであろう断末魔の叫びすらも飲み込んだ白炎は、その直線上にある何もかも焼き尽くさんと走り抜けていった。

 「ぐ――――ぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

 大地を抉る炎の波。それを一時的に魔力が空になるまで吐き出し続ける。如何に高い再生能力を持つ吸血鬼と言えども、一つの肉片すら残さず焼き尽せば―――首を刎ねずとも、心臓を穿たずとも死せるだろう。それ故に彼は初歩的な火属性魔術に対し、若くして第一級魔術師(Aランク・メイガス)と判定された要因の一つたる膨大な魔力の全てを賭けたのだ。

 やがて白い炎は細くなっていき、そして消え失せる。少年の目前から凡そ五十メートル先まで地面アスファルトは一直線に融解し、抉られたかのような一本のラインが刻まれていた。辺りには白い蒸気と陽炎が立ち込め、まるで真夏の炎天下が如き熱気が漂っていた。だが、それもすぐに冷めていく。そよぐ夜の秋風が熱を払い、破壊と殺戮の痕跡が残っているだけの何時もの道路へと戻していったからだ。

 「っ……魔術師失格、だな。一体燃やし切るのにこれじゃあ、燃費が悪すぎる」

 再び右手を力無くだらりと下げた後、隼人は片膝を着く。右手の赤い生体外装は罅割れており、その中身たる傷だらけの皮膚が露出していた。額や頬を玉のような汗が流れ、吐き出す息も荒い。今の隼人は過剰に魔力を放出し過ぎたたことで、所謂自動車におけるガス欠のような状態にあった。

 大半の魔術師にとって全身に張り巡らされた血管を、魔力を循環させる魔導路(ライン)として設定することは一般的だ。彼も当然の如く自身の血管を魔導路(ライン)とし、魔術行使時に魂の深奥にて渦巻く魔導核(コア)へと通じるようにしてあった。だが隼人の血管は吸血鬼化したことにより、肉体をそのように改竄した吸血寄生体の巣窟となっていた。

 それは最早汚泥で詰まったパイプも同然。そのような状態のまま何時もの感覚で水を使うには、蛇口を全開にして強引に放出しなければならない。しかし、もしもその水源に限りがあったのならば―――斯様な手法では忽ち枯渇してしまうだろう。隼人の身に起きていることは、それと同様のものなのであった。

 「だが、これで一先ず片付いた。一旦、根城に戻るとするか」

 乱れた呼吸のまま、彼は立ち上がる。相変わらず隼人の右腕は酷い有様であり、とても動かせるような状態ではなかった。だが、それでももう回復してきたらしい。彼は指を二、三度繰り返し動かした後、壁に突き刺さっているクレイモア目掛けて歩き始めた。

 「―――へぇ、やるじゃん」

 「ッ!?」

 しかし、突如聞えてきた少女の声と共に飛来する何かの影。隼人はそれを受けて後方に跳ぶ。一瞬前まで彼が居た場所に、黒一色の棒状の―――槍らしき物が突き刺さっていた。それは間違いなく、吸血鬼が己の影から生み出した武器に他ならなかった。

 隼人が誰何の言葉を叫べば、その声の主は天より降りてくる。その正体は、紺色のブレザーに緑と黒のチェック柄のスカートという組み合わせの制服を着た女子高生だった。何処からどう見ても一般人だったが、常人ではないと言える事といえば―――五メートルはあるビルの屋上より飛び降りて、平然と着地したことだった。

 「鬱陶しい邪魔者がいるとか、裏切り者がいるとかって聞いてたけど、まさか同一人物とは思わなかったわ。やっば、アタシってマジで運良いわ。ここで倒せば一石二鳥じゃん」

 「その制服―――あんた、朱魅坂高校の奴か」

 「あったり。そういうそっちは、多分違う学校でしょ?」

 やけに明るい茶髪の少女の問いに、隼人はそうだと返す。吸血鬼らしき女子高生は予想が当たったことに自画自賛のつぶやきを漏らしたが、その表情はすぐに変わる。そこには苛立ちがはっきりと表れていた。

 「で、アンタ吸血鬼でしょ?なんで同族を殺ったわけ?さっきのあれ、アタシのパシリなんだけど」

 「なら、先の一団はあんたが怪物に変えた連中……ということか?」

 「そういう指示だから―――って、アンタもそうだったんじゃないの?」

 不機嫌であることを隠さずに睨んでいた少女だが、隼人からの逆質問に首を傾げて怪訝そうに眉を顰めた。それは理解の遅さへの怒りというより、訳が分からないという具合であった。

 「アンタはそれが嫌で、あの人に逆らってんじゃないの?」

 「生憎だが、俺を嚙んだ人とあんたを嚙んだ奴は違う。あんたはただ体の良い駒として吸血鬼にされただけだろう。だが、俺はそうじゃない。人から搾取し、その社会構造に寄生し、ただ甘い蜜を啜る事しか出来ない鬼畜外道の輩を―――吸血鬼を殺すために、地獄行きの電車をキャンセルしてもらったのさ」

 隼人は拳を握り締め、そう口にした。右の口角を吊り上げて嗤うは、己の愚かさと浅ましさ。そのような大義でも掲げなければ、筋違いな復讐に酔い痴れた己に生きる資格はない―――そう思っていたからだ。

 「なにそれ、意味わかんない。吸血鬼って血を吸う鬼って書くじゃん?アタシが誰の血をどれだけ吸おうと、それはアタシが気持ちよく生きる為に必要な行為ってわけ。自然の……ええっとセツリ、だっけ。そうそう、ジャクニクキョウショクとか、そういう感じの。当たり前の権利ってやつ」

 「ああ、別に人間から血を吸う事の是非自体はどうだっていい。ただ俺は、そんな捕食者共から人々を守るためにあんたらを殺す。そう言っただけだからな」

 「は?アンタだって吸血鬼なんでしょ、なに偉そうな口利いてんの。アンタだって血を吸わなきゃやってけない癖に、アタシに説教すんなよ」

 少女の声が低くなり、それに伴って口調もまたより乱雑なものと変わる。そして彼女は影より暗黒で出来た十文字槍を取り出し、突き付けた。

 「自分のコト棚に上げてんじゃねぇよ、このクズ野郎」

 「……悪いが俺は、まだ血を一滴も吸ってないんでな。クズなのは寧ろあんたのほうさ」

 「ああもう、そういうのウザいんだよッ!!」

 少女の姿が一瞬消え、次の瞬間には彼の目前まで迫っていた―――彼女が高速で突撃し、隼人の頭部へと槍を突き出したからだ。彼はそれに対し、左側へと一歩踏み出して回避せんとした。

 「っ―――」

 穂の根本から左右に枝分かれした三日月状の刃、その片方が少年の右頬に横一文字の傷を描く。先の戦闘で魔力を使い過ぎたことによる疲労と、彼の動体視力で吸血女子高生の動きが捉え切れなかったことが原因だった。

 「避けんなァ!」

 怒声と共に再度槍が突き出される。その一撃は先のような加速を得ていなかったため、隼人の眼でも追える速さであった。故に彼は冷静に半歩右に踏み込み、今度こそ刃を掠らせる事無く回避した。


 『良いですか、隼人さん。後天的な吸血鬼が身体能力において、先天的な吸血鬼より劣っているということは当然理解出来ると思います。ですが、その中でも優劣があるんです。通常の魔人(ダムピール)と平常時の異形変異態(ヴァリアント)では、後者が前者に勝つのは難しいと考えてください』


 次々と繰り出される槍を左右に避けながら後退する中で、隼人はエリシアから数時間前に屋上で聞いたことを思い出す。彼女曰く隼人のようなヴァリアントと呼称される不完全な魔人は、その肉体を異形へと変異させない限り、同格の完全な魔人に勝てないのだという。

 加えて相手は槍を装備していたが、彼は現在武器を持っていなかった。日本の武術の世界には、『三倍段』という考え方がある。素手の者が刀の使い手に勝つには、相手の三倍の力量が必要というものだ。それは槍と刀であっても同様であり、素手と槍ではその時点でかなりの優劣が生じているのである。

 「チッ、早さと力だけは一人前か」

 彼の仕込み刀はそもそもこの場に無く、代わりに持って来た聖十字大剣は壁に刺さったままだった。懐に隠しておくべき短剣は、初めてイザーク達と戦った際に投擲して以降回収していない。影より漆黒の鎖を取り出す余裕もない。そして、魔術の類は魔力不足で当てにできない。

 隼人はまさに今、徒手空拳で以て槍の相手をしていた。それ故、隼人はかつて平凡な女子高生だった目の前の少女―――戦闘の経験は愚か訓練すら受けていない女子―――へ中々反撃出来ないでいた。

 「いい加減、当たれよ!!」

 「だが、見えるのならッ!」

 傷だらけの右腕が影の十文字槍の柄を弾いたその時、隼人は左拳を少女の顔面目掛けて叩き込んだ。右手と同様な甲殻で保護された左手が相手の頬の肉に深くめり込み、頭部を強引に右へと向かせていく。結果として少女は間の抜けた声を上げ、後方へと吹き飛ばされていった。それは隼人が繰り出したパンチの威力と、少女自身の攻撃時の勢いがもたらしたものだった。

 「そうだ、見えるのなら当てられる。当たるのなら、勝てる。俺にはそれだけの経験と、受け継がれてきた武の術理がある」

 少年は拳を下ろし、ひらひらと何度か振って調子を確かめる。超人クラスの身体能力があれども槍の使い手ですらない素人と、長き研鑽の歴史を誇る真影の武術を学び実践してきた隼人。彼は一族の後継者として魔術や呪術、そして剣術のみならず無手による戦い方も物にする必要があった。そこに劣るとは言え、超人の力の一端を得たとあらば―――少しは戦い様もあると言えるのだった。

 今の一撃によって、少女はアスファルトの上を勢い良く転がっていく。大体十メートルは行っただろうか、彼女はピクリとも動かなくなっていた。されど、隼人は気を緩めていない。如何に後天的であっても、吸血鬼と呼ばれる超人的な怪物はこの程度で気絶するような軟な相手ではない。その事を己の身で以て理解していたからだ。

 十四夜の月はまだ天に上ったばかり。夜闇が濃くなっているのと同様に、戦いもまた時が経つにつれて激しさを増すばかりだろう。隼人は頬を伝って唇を濡らした血の雫を左手の甲で拭い、軽く息を吐いた。それは秋にしては冷たい夜風の中、白い煙となって流れていく。戦闘で火照り、汗ばんでいた隼人には丁度良い涼しさのように感じられていた。


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