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幻想魔譚~Fantastical Evil Tale~  作者: 味噌カツZ
(I)Bloody Twilight
1/11

第一話 憧憬抱く日常/異変との邂逅

 季節は秋。肌寒い風が枯れた黄色と赤の葉を舞い散らしつつも、未だに背中を焼くような日差しが残っている。これはそんな寂しげな冬の先触れと、眩しい夏の残滓が同居する中途半端な時期に起きた話だ。斜陽が街の全てを紅に染めた、ある日の夕刻のこと。とある路地裏は地獄絵図と化していた。

  「―――また、ですか」

 若干の呆れを含んだ気だるげな少女の声が、小汚い建物群の狭間にある薄暗い空間に木霊する。目の前にある光景を見た瞬間、彼女はその整った顔をしかめてため息を一つ。少女はこの街に来てから毎日のように同じ目に遭っていたのだ。故に、彼女がうんざりするのは当然であった。

 そこには数多の人らしきモノの残骸が辺りに散らばり、赤い液体と肉片、臓物がぶちまけられている。虚空に伸ばされた無念の腕、逃げようとしたらしいエル字に曲がった左足に、千切られた腸、はたまた無造作に転がる胴体。そして、何より目を引かれるのは恐怖や痛みに歪み、漆黒の杭で串刺しにされた数々の顔、顔、顔。よく見渡せば、無事な身体のパーツよりも晒し首の方が多いことが分かるだろう。

 「どうして……一体、どうしてこんな事に」

 そんなスプラッター映画さながらの場面に佇む少女は、後ろで束ねた美しい金髪を風に靡かせた。そして凄惨な景色を前にしてもなお、口元に白い手を当てて冷静に考え込んでいた。その姿はまるで何気ない日常のワンシーンにいるかの如く。

 少女は丈の長い紅の衣 (ケープ)を纏い、その下に黒い服を着込んでいた。赤と黒―――それは、スタンダールの小説を連想させる鮮やかな色合い。彼女はそんな背徳的な連想とは裏腹に、綺麗で繊細な容姿をしていた。故にその端正な顔を不快そうに歪めたところで、そこから美しさが損なわれることはない。血の池地獄に咲いた一輪の花。それは視る者を、不思議と虜にする奇妙で倒錯的な光景であろう。一般人ならば血みどろな現場よりも、先にそちらの方へ目が向くかもしれない。

 しかし、それに惑わされない者たちがそこに現れた。響き渡る数名の足音。白き衣に黒い十字架を描いた騎士たちは、足並みを揃えて鋼鉄の靴を鳴らす。彼らは西洋発祥の宗教組織、『聖天十字教会』の構成員。異端殲滅や退魔が任務である公認悪魔祓いの精鋭、『十字架の騎士団クロスオーダー・ナイツ』だった。

 「ッ!標的補足、これより戦闘を開始する。罪深き者には主の意に従い、我らが手で死と痛みの天誅を!総員―――抜剣ッ!」

 「「然り(アーメン)!」」

 先頭に立つ指揮官の男が放った号令への返事と共に、一斉に剣が鞘より解き放たれる。騎士たちが構えるはただの剣ではない。聖水に三日三晩浸した刃に、特殊な術式―――彼らの教典に記されたある一節―――を刻み込んだ武装、『聖十字刀剣クロスオーダー・アネラス』だ。

 そのベースとなっている剣は、その名の通りアネラスという物である。それは中世末期のイタリアにて使われた幅広剣の一種で、全長は約八十センチ、重量一・八キロの片手で扱える代物。それが使われた時代はレイピアをはじめとした細身の剣が全盛期であった。故にアネラスは対レイピア用の剣として造られ、頑丈さを売りにした武器として利用されたのだ。

 「全く―――どうして何時も、何時もこうなるのですか」

 吸血鬼と呼ばれた者は再度ため息を吐きつつ、冷えきった緑色の瞳で彼らを見つめる。彼女は長き金色のポニーテールをはためかせ、じっと出方を窺っていた。

 「突撃ッ!」

 対する騎士団の指揮官は怒りに両の眼を爛々と滾らせ、剣を握りしめて怒号を発した。それに合わせて、皆は八相の―――野球のバットを持つような―――構えにて駆け出し、たった一人の標的に躍りかかる。

 「………ここに来てから面倒事ばかり。いい加減、嫌気が差してきました」

 色白の少女はただ静かに、されど多少の焦りを匂わせて迎撃に移った。僅かな苛つきの原因は、連日の執拗な襲撃で撃たれた『聖銀弾』のせいだろう。それ自体は摘出したようだったが、弾丸に込められた魔を祓う力が彼女の治癒力を阻害しているからだった。

 しかし、彼ら一人一人がどの様な末路を辿ったかまで詳しく記す必要はあるまい。何故なら、彼女は純血の吸血鬼なのだから。

 吸血鬼、それは悪魔や天使と並んで人類種より上位に位置する者たちのことだ。彼ら『ヴァンパイア』と呼ばれた怪物たちは、古来より世界各地で猛威を奮っていた。その痕跡は古代ギリシアやバビロニアでも確認され、果てにはアラビア、マレーシアにもそういった伝説が存在している。ラミアやモルモリュケ、ラマシュテュ、グール、ペナンガラン等と呼ばれた怪物がそうである。

 だが、ここで語る『吸血鬼』のルーツはそれらではない。真なる吸血鬼はヨーロッパに古くから根付く者たちであり、特に東欧と呼ばれた地域がその起源なのだ。彼らは皆、古代ルーマニアの伝承にある『ぶよぶよした血や肉の塊』のような吸血生命体―――外宇宙からの来訪者―――によって変異させられた元人間である。悪魔が星の代弁者たる神々の変異体や堕落した天の使いならば、彼らは星を蝕む吸血寄生体パラサイティング・ブラッドサッカーを宿す悪性人類キャンサー・キャリアーとも言える。

 彼らは代を重ねる毎にこの星の生物の範疇を超えた力を磨き、生まれながらの吸血生命体として進化していった。その中でも古代より続いて他の吸血鬼より強力な力を獲得し、中世ヨーロッパにてその名を轟かせた特定一族のことを―――人間社会の『貴族(ブルー・ブラッド)』になぞらえて、『旧き貴族ダークブルー・ブラッド』と呼ぶ。そして、現代においても存続している―――同族間の過酷な生存競争と、天敵たる人類との戦闘を生き抜いてきた―――血筋は、たった三つのみ。そう、たったそれだけなのだ。

 一つ目は最も有名な吸血鬼、『ドラキュラ』の系譜に属するツェペキュリア家。二つ目は吸血鬼としてはマイナーな殺人鬼『青髭』系譜のブレゥ家。そして、最も古き『カーミラ』という女傑の系譜たるミラカミラ家だ。それぞれの一族の祖となった人物は、古の時代に現れた来訪者によって直接吸血生命体に作り替えられた人々である。そうした血統の頂点に立つ始祖のことを、一族の子孫は『大いなる祖』として崇拝しているのだ。そしてそれより生まれ、進化していった者たちは今まさに、その長き繁栄を謳歌せんと暗闇より現れているのである。

 故に彼ら聖職者が如何に怪物や魔術師と戦うのに慣れていたとしても、古代発祥の吸血鬼一族直系の子孫には敵うまい。いや、敵う筈もないのだ。少なくともこの少女―――中世の東欧を震撼させた女傑の孫―――を倒すのには、彼らは余りにも戦力不足であったのだ。奮闘も虚しく、ただ悪戯に屍の山を築くだけ。だからこう記したのだ、騎士達の末路について詳細に語る意味など無いと。

 「私には果たすべき使命があるので、その邪魔をする者には―――そろそろご退場願います」

 赤い衣の裾を風にはためかせて、少女は鈴のような声で冷徹にそう言い切る。可憐なる吸血鬼の足元で、長く伸びた影が獲物に対して邪悪な笑みを浮かべて―――次の瞬間、暗黒の鎖がそこから射出されて騎士たちの身体を貫いていた。

 そう、手負いの獣を追い詰めたと過信する事なかれ。追い詰めたと思っていたら、逆に罠へと誘導されていたのかもしれないのだから。窮鼠猫を噛む―――それだけでは済まぬ痛手を負わされることもあるだろう。故に、怪物と戦う者はくれぐれも気を付けよ。窮地の怪物と、狩人気取りの間抜けな人間。その身に危機が迫っているのは、果たしてどちらであろうか。

 「どうかこれ以上……邪魔はしないで、ください」

 苦しげな息と共に吐き出された、か細い少女の言葉。白い肌はより青ざめて、その頬を玉のような汗が一滴落ちる。明らかに衰弱していた彼女は、無数の鎖の内から一つ手繰り寄せた。そして突き刺さった鎖を肉塊から引き抜き、その先端の棘を口元に運んで滴る紅い雫を啜る。

 「ぁ―――」

 一瞬だけ浮かび上がる恍惚な顔、快楽と欲望が満たされたことによる幸福感。舌を刺激するは、甘美にして至福の赤き液体。だが、それも直ぐに消える。少女を襲う吐き気と嫌悪感、そして口に残った不快な鉄の味。思わず口をその白く細い指の檻で塞ぎ、貴重な栄養源を無駄にしないようにと不快感に耐えていた。

「ッ―――先を、急がなくては」

 それをこらえ切った彼女は、唇を黒い一切れの布で拭う。病的に蒼白だった少女の顔に赤みが差し、幾分か健康的に見えるようになっていた。そうして乙女は惨殺されていた死体の山へ、こと切れた聖職者たちを加えて歩き出す。未だに陽炎の如く揺れて覚束ない足取りで、彼女はどこかへと消えていった。




 かの惨劇から三日後のことだ。その日と同じような深紅の夕陽が、街一帯を血の海に沈めていた。そんな赤い光を背に受けて、黒い学生服の少年―――真影隼人(まかげはやと)は独り寂しげな廊下を歩く。ここは住宅街たる『唐暮町(からくれちょう)』にある『唐暮高校』の二階廊下。そして、彼はこの街―――正確には唐暮町を含む『赤月市(あかつきし)』全域―――を縄張りとして管理する『魔術師』の一族、『真影家』の次期後継者であった。

 隼人が放課後、憂鬱そうにしているのには訳があった。それは最近巷を騒がしている一連の惨殺事件、通称『血濡れた路地裏事件』について、情報収集のために町中を調査しつつ深夜から明け方までパトロールをする必要があるからである。それは連日続き、今日で一週間連続の朝帰りであった。最早睡眠時間は僅か二、三時間というのが隼人の日常と化していたのだ。

 高校性にしては極めて過酷な生活スケジュールを送っている彼だが、苦情を言いたくとも言えなかった。真影家は魔術師であり、この町の『裏』を仕切る管理者でもある。何故なら一定の地域に根付いた魔術師一族には、その町の平和を守る役目があるからだ。それは『国際魔術師連盟』による魔術師一般への規律を定めた、『ヴェネツィア条約』による制約。故に一族の者たち―――両親に加えて彼より年下の妹―――も彼と同じ境遇なのである。だから隼人は、ブラック企業並みの勤務実態について文句は言えなかった。

 だが、そんな彼も今は束の間の休息を得ていた。本日の放課後は図書委員の職務があるため、勝手に学校を抜け出すわけには行かなかったからだ。彼は今、古新聞を一階にある古紙回収ボックスへ運ぶという最後の仕事を終え、図書室に戻る途中だった。それでも、ささやかな安らぎは瞬く間に終わりを迎えようとしていた。

 「―――俺はどうして、魔術師(家業)なんてやってんだろうな」

 オレンジ色の光の中で、ふと隼人はそう思った。そして思った事が、ぽろりと口から漏れる。尤も実際に口から出た愚痴は、親の仕事を継承させられそうな学生が発した文句にしか聞こえない形に偽装されていたが。開けられた窓からは、校庭で部活に励む生徒たちの声が聞こえてくる。もし自分が『真影』でなかったら、もし真影が魔術師の一族でなかったのなら、そんな思考が頭を過る。何かしらの部活動をしていたのだろうか、放課後に友達と遊んだり、馬鹿みたいに騒いだりしたのだろうか。隼人の目に可能性の未来ばかりが浮かんでは消える。そんな無意味な繰り返しが投影されていた。

 「いや、今はそんな事考えてる場合じゃない……か」

 彼は結局そう結論付ける。今は非常事態であり、自身の願望や我儘に付き合っている暇はないのだから、と。魔術師の一族に生まれた者はその一生を魔術の鍛練や研究、そして裏社会の秘密保持に注がねばならない。その為に幼少の頃より修行が行われるため、子供らしく振る舞えるのは一日の中でも僅かな時間のみ。それ以外は魔術師としての振舞いが要求されるのだ。

 親への甘えは、幼少期の卒業と共に捨て去らねばならなかった。今でも若者らしく出来るのは学校にいる間だけだが、彼はそんな生活に嫌気が差したわけではない。ただ不意に、そんな『当たり前』に対する憧れが過っただけなのだ。けれど、昨今の情勢と本人の真面目な性分がそれを許さなかった。

 こうしている間にも、何かしらの事態が進行しているかもしれない。そう考えて、意味のない思考の連鎖を彼は強引に断ち切った。幸か不幸か、少年が図書室に戻って報告を済ませば、今日は何時もより早くパトロールに出ることが出来るのだ。その分、帰宅する時間も早まるだろう。故に彼は止めていた歩みを再開し、やや早足にて図書委員以外誰もいない図書室の扉を開ける。人気も無く静かな廊下と室内に、スライド式ドアがレールの上を走る音が響いた。

 「こっちは終わったぜ」

 彼はカウンターの番をしていた、もう一人の当番である短めの茶髪が特徴的な少女に声を掛けた。彼女の名は葉月香織、隼人とはクラスメイト兼図書委員の同僚に当たる。そんな彼女は手元の小説から目を離し、隼人の呼びかけに応じた。

 「お疲れ様。あとは日誌にコメントを書くだけだよ」

 「じゃ、さっさと書いて帰るか」

 人懐っこい笑顔を浮かべた彼女は何時も通りの明るい声で彼を労って、図書室に備え付けられたシャープペンシルを手渡す。隼人はそれを使ってカウンターに広げられた日誌に、手早く報告を書きだしていく。

 「―――終わった」

 隼人は日誌を閉じ、カウンターの下にある引き出しにそれを閉まった。そして背後の図書準備室にドアを開けて入り、彼は自らのリュックサックを背負う。葉月は荷物を既に回収し、図書室の外で待機していた。

 「悪い、待たせた」

 「そうでもないよ。今日はいつもより早いぐらい、かな?」

 「それなら良いか」

 そう言って少年は手にしていた鍵で図書室を施錠し、二人で歩き始める。それを同じフロアにある職員室に返すために。静かな廊下に響くのは二人分の足音だけであり、道中で他の学生を見る事は無かった。

 「最近、物騒だよね」

 「ん?」

 静寂を破る不安げな声が、ぼうっと歩いていた隼人の意識を現実へと引きもどしていた。窓の外を眺めていた彼は、それによって後方に追従していた少女の方に向き直る。

 「ほら、この街で起きてる連続殺人の―――えーと………ごめん、なんて事件だっけ?」

 「『血濡れた路地裏事件』だろ?確か『紅大橋(べにおおばし)』の方で起きたのが始まりで、つい此間にはこっちでも被害が出たんだってな」

 紅大橋とは唐暮町の隣街の名であり、駅と合体した百貨店やショッピングモールなどが密集するやや都会的な区域である。そこのとある路地裏で一週間前に起きた惨殺事件が起点となって、次々と他の地区の路地裏でも同様の事件が発生した。それが『血濡れた路地裏事件』と呼ばれる連続猟奇大量殺人事件。そして三日前には、遂にこの町でも起きたのだった。

 「そうそう、あれってまだ犯人捕まってないんだよね?」

 「ああ。被害者は老若男女問わず、犯行時刻は夕方から明け方までと幅広く。そして一度に殺す数に規則性は無し。ただ共通しているのは、どれも薄暗い路地裏で、切れ味抜群の大きな刃物で肉体が無惨に切り刻まれていたり、貫かれたりした痕跡があるってことらしいな。まるで現代の『切り裂きジャック』だってさ」

 「………ホント、えげつないよね。この辺も治安が悪くなったなぁ」

 淡々と状況を子細に語る彼に対し、その場面を想像して吐き気がしてしまった彼女。その表情は暗く、不安と恐怖が滲み出ていた。それは、一般人として当然の反応であろう。特段そういった感情を表に出さずにいた少年は、それもそうかと一人納得していた。

 魔術師として生まれたが為に、隼人にとってそのような事件はありふれたモノだった。誰かが死んで、誰かを殺す。兄弟姉妹と競い合い、叡智と地位と存在意義を奪い合う。そうしたサイクルの中で、己が魔術の研鑽を成し遂げていく。それが魔術師としての日常であったからだ。だから赤の他人が無惨な死に方をしたぐらいでは、隼人の心が揺さぶられる事は無い。

 また、彼ら地域密着型魔術師の仕事の一つには、魔術や神秘を表社会に露見させないという隠蔽工作も含まれている。そのため、普通の事件として警察が処理した案件の中には彼らが解決した『神秘』絡みのモノが過去に幾つも存在していた。そして、この街に住む一般人が身近で隠しきれないほどの規模の被害に今まで遭わなかったのは、そうやって彼ら『真影家』が裏で発生を未然に防いでいたからだ。それが平穏の証。人知れず影で血を流す者がいたからこそ築かれた、薄氷の秩序であったのだ。

 「そういえばやけに詳しいね。もしかして、警察官が身内に?」

 「いや。正確には知り合いに刑事が居てね、ちょこっと教えて貰ったからさ。といっても現場写真までは見てないから、具体的な状況は知らないけどな」

 彼は真実に虚偽を交えつつ軽やかに話す。人は嘘に真実が混じっていると、信用しやすくなるという。この場合、『知り合いに刑事がいる』のは事実だが、『刑事に教えて貰った』という点と『現場を知らない』というのが嘘となる。彼は警察が着くよりも早くから、遠くのビルの屋上で『遠隔視認魔術』を用いて現場を観察していたのだった。

 「ま、知った所で俺たちに出来ることはないさ。気楽にいつもと同じ暮らしを送って、解決を祈るしかないだろうよ」

 だから『君』が気にすることじゃない、そう付け加えられてその話は打ち切られた。だが、訪れたのはまたも気まずい空気だった。そこで今度は隼人の方から、相手に話題を提供する羽目になっていた。そうした少年の努力の甲斐もあって、他愛もない話は何とか続くこととなる。血生臭い事件から話題は移り、日常の事―――例えば学校や授業に関してや普段の生活について、彼らは話し合っていた。

 気が付けば彼らは下駄箱で靴を履き替え、校舎を後にした所だった。普段なら彼は東門から、そして彼女は正門から出ることになるため、ここで別れる筈なのだが―――今日はそうではなかった。

 「あれ、真影君っていつもこっちだっけ?」

 「今日は例の紅大橋の方に用事があってさ。こっちから出たほうが駅に近いだろ?」

 「そうなんだ、じゃあ途中まで一緒だね。最近危ないから、家の近くまでエスコートして貰おっかな」

 からかうように彼女は笑う。それに対し、隼人もまたニヤリと笑いながらおどけて見せた。

 「結構。それではお嬢様、不詳真影隼人が途中まで護衛させていただきます」

 そう言って隼人はお辞儀をする。それは右足を引いて左手は水平方向に突き出し、右手は体に添えて腰を曲げつつ首を垂れるという所作。これはボウ・アンド・スクレープというヨーロッパの貴族社会における、伝統的な男性の作法だった。

 「ふふっ、何それ」

 「執事の真似事」

 葉月は彼のシークレットサービスや執事を気取った仕草がツボにはまったらしく、吹き出していた。その一連の動作を彼が自然とこなしていたからだ。そう、彼には二、三歳ぐらい年下の妹―――真影優理がいた。彼女が小さい頃は、彼がふざけてそういった言い回しをして楽しませたりからかったりしていたのだ。それ故、彼はそうした言動や行動が板についているのであった。

 二人が共に正門を出てから二十分が経った頃、ちょうど丁字路に差し掛かっていた。会話も盛り上がってはいたが、何事にも終わりは訪れるものだ―――等しく、平等に。

 「じゃあ、俺はこれで。またな」

 「うん、また明日」

 彼は右の道へ、彼女は左の道へ、それぞれ向かった。右の道の方はちょうど、紅の夕陽が眩しく照らしていた。隼人は少し顔をしかめつつ、その道を行く。住宅地特有の静かさが彼の足音を寂しげに迎え入れていた。それと共に時折響く鴉の歌声が、不吉な音色で彼の背を嘲笑っていた。



 薄暗くも青き空と、所々を紅に染める落陽の名残が目立つ黄昏時。沈み掛けた太陽と、上がり行く赤みのある月が向かい合う頃合い。逢魔時―――かつてはそうとも呼ばれた時間帯、その天空という名のスクリーンは全体的に紫に近い色合いを見せていた。

 昔の人々は昼と夜の境界にこそ、魔物や大いなる災禍が闊歩すると恐れてきた。目の前から迫る影は誰の物か。背後より来る気配や足音は人間なのか。(たれ)(かれ)―――そう互いに問うては、妖魔の類いや災いとの逢瀬を避けようとしたのがこの時刻。故に逢魔時と言い、それが転じて黄昏とも呼ぶのだ。

 ここは紅大橋、その中でもより都会的な街並みが広がる駅前。ボタンを外した黒色の学生服を風に靡かせた隼人は、一際目立つ大きなビルの屋上に佇んでいた。ここからならば、この街全体を見渡すことが出来るからだ。

 「―――視覚、拡張」

 彼は遠隔視認魔術を簡単な詠唱にて起動し、自らに見える景色を細部に渡って確認する。その過程で、幾つかの路地裏―――どれも現場となった場所―――が目についていた。

 「やっぱり何も残ってないか。ま、数日も経てばそりゃそうか」

 彼が確認していたのは現場に残留している魔力や、魔術行使の痕跡である。例の事件の犯人を魔術師と仮定していたからだ。とは言え、今の所他の魔術師がこの地域にやって来たという情報はなく、現場からもその痕跡を確認できなかった。加えて、残留魔力は二日もすればほとんど確認出来なくなるぐらいに薄れてしまうため、彼がやっていることは焼け石に水でしかない。だからこそ、行き詰まった捜査を原点に立ち返えらせる事によって、何とか真相解明の糸口を掴もうとしているのだった。

 「じゃ、次は―――」

 隼人は右手の方に視線を向け、南の方角から西にシフトしていった。薄暗い路地裏の辺りをしらみ潰しに拡大していくも、やはり手掛かりは掴めそうにはなかった。

 「―――こっちも駄目か。ここに来たのは失敗だったか?唐暮に残った方が当たりだったかもな」

 一通り眺め、彼はため息を吐く。最初の事件から既に一週間が経過し、犠牲者は最早三十人に昇っていた。世俗の国家権力には真影家が、『国際魔術師連盟』や『神秘探求学会』を通して報道規制や情報統制を要請しているため、公式発表の犠牲者はそれよりは少なくなっている。尤も、それで隠し通すのにも限界はあった。故に彼らは焦っているのだ。

 「チッ………どうすりゃ犯人が見つかるんだ?」

 焦りと苛立ちは彼の論理的思考や冷静さを奪い、有効な策を練ることが徐々に困難となっていく。彼の脳内を支配し出したのは、全く正体の掴めない連続猟奇殺人犯に対する恐怖だった。鮮烈に現れてはその証拠の一切を残さずに消える謎の殺人鬼。まるで幻影を相手にしている気分であった。

 「やはり場所を………ッ!?」

 突如、隼人の脳裏に何かが響く。電流の如く神経を駆け抜けた悪寒。一瞬だけ『何か』の気配を、彼は認識した。

 「何だ?今のは」

 嗅ぎ付けた餌を前に、飢えた獣は落ち着いていられるだろうか。答えは否である。正に彼は渇望していた―――このような何らかの事態の進行を。故に、当然のように彼はそれに喰らい付く。そうなればもう離しはしない、地獄の底まで追いかける猟犬の出来上がりであった。

 「―――三感再拡張。全方位探査、開始」

 魔術を行使し、人体に備わる五つの感覚器官―――聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触角―――の内、特に強化していた視覚、聴覚、嗅覚を更に研ぎ澄ます。先程感知した謎の気配を追うために目まぐるしく街を駆ける視界、蜘蛛の巣のように張り巡らされた聴覚、あらゆる不審な臭いを嗅ぎ付けようとする嗅覚。それらが異質なモノを、異常な空間を探し求める。これぞ『千里眼の魔術』、動かずとも状況を把握出来る情報戦の要であった。

 「ッ!?」

 再度彼の脳内に走る感覚。先程感じた電流のような一瞬の刺激が、今度は心臓の鼓動が如く断続的に響き渡っていた。

 「くッ―――何か捉えた、か。しかし、何かヤバそうだな」

 様々な情報が濁流のように迫り、頭痛と眼の痛みが隼人と襲う。そんな中、彼の鋭敏になった五感が捉えたのは新たな事件現場であった。

 暗い路地裏の一面に広がる血の海。捻れ転がる人の胴体、落ちた頭、白目を剥いた顔。血の臭いで噎せかえる程の異臭。そして―――その付近に倒れ、苦しみ喘ぐ金髪の女性。

 「生存者か?兎に角、急いだ方が良さそうだ」

 彼は助走を付け、そのビルの屋上を囲む鉄の柵を飛び越える。向かうは北西の方角。ちょうどそれは、唐暮町に近い方向だった。

 少年は暫しの間重力と勢いに身を委ね、放物線を描いて宙を舞った。そして隣の少し低いビルの屋上に右足が着き、身体が沈みつつある所で左足も徐々に接地させる。

 「術式・身体強化・脚力―――偏重」

 そして完全に地に足が着いた時、隼人は身体能力を強化する魔術を発動。思いきり右足でコンクリートの大地を蹴って、斜め前方に跳び上がる。それも、まるで脚部にバネでも仕込んでいるかのように。勢いを失う度に隼人は何かしらの建物を踏み台にし、再度宙を跳ぶ。

 こうした一連の動作はそれなりに目立つ行為だったが、彼は自身を起点として『認識阻害用簡易結界スモール・ステルス・フィールド』を展開して移動していた。それは音や姿をある程度隠蔽出来る透明なバリアであり、それ故街を歩く一般人たちは彼の存在に気付けなかったのだ。

 「間に合ってくれよ……!」

 焦りと歓喜で、少年魔術師の心に火が灯る。踏み込む力も空中での速度も、自然と高まっていた。そうやって跳ぶこと十分と少し。彼の強化された視界に、先の現場が映りこむ。

 夕暮れ時で薄汚れた街灯が時折明滅する路地。そこには灰色の壁にもたれる外国人らしき少女がいた。その息は荒く、眼を瞑って項垂れている。彼女は明らかに弱っていた。現場付近に到着した隼人は、姿隠しの結界を解いてよりスピードを速めていく。

 「ッ!おい、大丈夫か?」

 近くに着地した彼はその人物に駆け寄り、顔色を覗くためにその目の前にしゃがみこむ。金髪に緑色の瞳という白人の少女に対し、隼人は日本語が通じるのかどうか迷いつつもそう声を掛けていた。人の気配を認識したのか、彼女は頭を上げる。その虚ろなエメラルドのような色の瞳が彼の存在を認識したことで、微かに精気を取り戻したようだった。

 「ッ―――あなた………は」 

 「意識はあるみたいだな。一体何があったんだ?」

 「………て」

 赤と黒の二色が目立つ服装の少女は、朦朧とした意識の中で何か―――警告を伝えようと声を出す。しかし失われた体力はあまりにも多く、それが聞き取れる音量で発せられはしなかった。そして彼もまた、それを注意深く聞いてはいなかった。

 「―――何だ、この悪臭は」

 何故なら、彼の意識が弱った少女から周囲へと移っていたからだ。辺りに漂うは、むせる程嗅覚を占領する―――血の匂い。生唾を飲み込んで覚悟を決めた少年は、美しい生存者を一瞥した。

 「ちょっと待っててくれ。向こうを見てくる」

 「だめ…………にげ、て…」

 見た目から少年と同い年ぐらいだろうと推測できる、ポニーテールの西洋人風の少女に流血は無かった。外傷はなさそうだと判断した隼人は、それを理由に緊急性はないとする。そのため、彼女が再度言葉を絞り出した頃には既に異臭の発生源らしき場所―――すぐ先の曲がり角を覗いていた。そして、そこに広がる光景はまさに―――。

 「これは……一体」

 ―――地獄だった。またも彼方此方に人体のパーツが散乱していた。思わず噎せるほどに充満している悪臭は、大量の血によるものだった。そして、地面に突き刺さっていたのはそれが滴る黒い杭。そこには頭部の数々が掲げられていた。バラバラ死体にされた数は五人。それに加えて、胴体の真ん中を下から貫かれて串刺しに処されている死体が一つ。つまり計六人が、此度の犠牲者だった。

 「直に見るのは初めてだが、やはりこれは尋常じゃない。何がこの街で起きてるんだ?」

 そう、これは元より普通ではない。殺人事件はまだ日常の出来事の範疇と言えよう、例えそれが連続猟奇殺人だろうと。ただそれだけでは魔術師は動かない。だが、彼ら―――この街の魔術師たる真影家―――が介入したということは、即ち非日常の領域と言える。彼の父は恐らく何かしらの手掛かりを掴んでいたのだろう。それが魔術絡みか、もしくはそれに準じた裏社会の存在が起こしたモノか解明していたかは不明だが。そうでなければ、魔術師が殺人事件の捜査を行う筈がないのだ。

 事態の深刻さを改めて痛感した彼は一度現場から引き返し、少女の元に戻る。すると彼女は壁に右手を着いて支えとし、震える足で何とか立ち上がろうとしていた。取り敢えず目の前の少女を避難させるべきかと思った隼人は、一度深呼吸をしてから柔らかな声色で話しかける。

 「無理するな。警察と救急車は呼んでおくから、落ち着くまで座ってた方がいいんじゃないか?」

 「は………早く、逃げて…ください……私の、ことは、ほうっておいて……ください」

 「そんな状態で逆にほっとけるかよ。ここが危ないって言うなら移動すればいい。ほら、肩貸すから掴まりな」

 隼人が息も絶え絶えな少女に近付いた―――その時だった。彼の目に、彼女の後方から三つの影がやって来るのが映る。

 「やれやれ。部隊殲滅の報を受けて来たは良いが、随分と手間を掛けてくれたものだな」

 「ええ。まさか極東に飛ばされてまで、こんな化け物の相手をする羽目になるとは思いませんでしたよ」

 「全くだぜ。そういうのは向こうだけにしてくれよ。これじゃあ何のためにわざと左遷されたんだが、分からねぇよなぁ?」

 中央に立つは長身の男性、その左には眼鏡を掛けた細身の男性、そして右側には猫背気味の大柄な茶髪の男性。彼らもまた、黒き十字架が描かれた白いコートを纏う―――十字架の騎士団の一員だった。二人はしかめっ面を、もう一人は下卑た笑いを浮かべ、暗闇から朱色の光に身を投じていた。

 「その制服………聖天十字教会か」

 「ああ、そうだ。この街の魔術師、真影家の者よ」

 警戒心を露にして、少女を背に立つ光太郎。対するは、リーダーと思わしき尊大な態度の聖職者。

 「そこをどきたまえ、その女は吸血鬼だ。それらの始末は我々聖職者の仕事だと、その歳ならば既に学んでいるだろう?」

 「そちらの言い分が正しいかどうか、それは此方が判断することだ。例えそうだとしても、紅大橋(ここ)真影(俺達)の管轄。外様の宗教家が我が物顔で歩いていい場所じゃあない。領域内の教会が設置されていないエリアでは、魔術師に優先権が与えられているってことは―――あんたらも分かってんだろ?」

 その隼人の指摘に男は静かに目を閉じて、わざとらしく口元に笑みを浮かべる。

 「ああ……セイレム協定、だったか」

 セイレム―――それは二つの組織にとって北米にある因縁の地だった。その土地の魔術師と十字架の騎士団、そしてその上部組織たる国際魔術師連盟と聖天十字教会にて、近代最後の対立としての『魔女狩り』が発生した地域だからだ。そこで起きた『魔女狩り』は最終的に表社会にまで影響し、無関係の人々までもが異端者として処刑されてしまうという、極めて凄惨なる事件を引き起こしてしまったのだ。

 その結果、両陣営間で結ばれたのが『セイレム協定』だ。これは聖天十字教会の信徒と魔術師の間に作られた地位協定であり、各々の管理領域における身分保証や権限についての規則を定めた物である。以後、アメリカ以外の地域でも徐々に適用されるようになり、表立った管轄についての対立は減少していた筈だった。

 「だが、それがどうした?現に我々の前に居るのが吸血鬼の女であることや、この街で怪事件が起きていることに変わりはないだろう。こいつが十中八九その元凶であることに疑う余地は無く、どちらが処理しようと結果は同じだ。違うか?」

 「よく言うぜ。そもそも、此方は領域内で活動したいという申請は受けてないし、当然無断での活動にも許可していない。更には吸血鬼が侵入したという連絡もない。それに彼女が『魔女狩り』の犠牲者ではないと―――」

 ここまで冷静に述べていた隼人は、急に笑みを浮かべる。それは明らかに冷笑や嘲笑の類いであり、敵意を剥き出しにした侮蔑的な振る舞いであった。

 「―――ああ、いや失敬。そりゃあ報告なんて出来るわけないか。真偽は兎も角、標的を取り逃がしてあまつさえ管轄外の土地に入られてしまいました………なんて、上層部や疎ましい魔術師に知られる屈辱、味わいたくないもんな?」

 「ふざけた事を抜かしてんじゃねぇぞ!ガキの癖に、黙って聞いてりゃいい気になりやがってッ!」

 その少年の態度に対し、姿勢の悪い聖職者は激昂した。腰の剣に手を伸ばして、今にも引き抜かんと前に出ようとする。尤も、それは叶わず隣にいた眼鏡の男に宥められていたが。

 「まあまあ、落ち着きなさい。短気なのは悪い癖ですよ、ゲール」

 「じゃ、どうすんだよギャバン」

 眼鏡の聖職者―――ギャバンは口の悪いゲールからの問いに、手を顎に当てて考えこむ素振りをする。

 「確かに、彼の言い分は的を射ていますね―――なら、こうしましょう。『それ』を処分した後に、然るべき手続きを行うというのは如何です?手数料も多めに払いますよ」

 一瞬訪れた沈黙。それはその提案に対し、隼人が無言でもって肯定の意を表した故のものか―――否、それは断じて否である。一瞬の静けさは、嵐の予兆に過ぎない。

 「どうやら本当に何も学ばなかったみたいだな、宗教ってやつは。どれだけ、どれだけ虐殺と冤罪(歴史)重ねれば(繰り返せば)気が済むんだ!そうやって汚職に塗れるから、碌でもないのさ―――あんたらはさ」

 先の静寂は正しく拒絶の意を帯びていた。彼の手は震え、今にも怒りの炎が噴き上がる寸前だ。彼の目の前に立つ者が信じる宗教は、歴史上最も多くの人を殺した教えであると陰で言われていた。聖天十字教―――特にその実働機関たる十字架の騎士団―――が神の理と秩序の名の下に、本物の魔術師や吸血鬼を冤罪の一般人も数多く巻き込む形で処刑してきたせいであった。

 「だからさ、さっさと立ち去れよ聖職者共(狂信者共)。さもなきゃ魔術師として―――真影の者として、あんたらを『正当』にぶっ飛ばす」

 「交渉は決裂ですか。仕方ありませんね―――ゲール、貴方の出番ですよ」

 凄みを聞かせて啖呵を切った隼人だが、彼らにとってその反応は想定済みだったようだ。ギャバンは涼しげな顔のまま、手を鳴らして同僚を嗾けていた。

 「ハッ!まどろっこしい真似なんざしないで、最初(ハナ)からそうすりゃいいんだよ」

 右手で引き抜いた『聖十字刀剣クロスオーダー・アネラス』の切っ先を隼人に向けたゲール。その顔には些かの嘲りが見受けられていた。それもその筈、彼らは左遷されたとは言え精鋭の括りに入る。それはつまり、魔術師や異形の怪物との戦いには慣れているという事を指示していた。戦うための刃、異端を裁くための断頭台、神の教えと御言葉という秩序を維持する盾。それが彼ら―――『聖天十字教会』が有する最高戦力、『十字架の騎士団』である。そんな彼が、幾ら魔術師と言えども平和に慣れ切った日本の少年に負けると思うだろうか。答えは否である。故の嘲笑、故の余裕なのだ。

 「お仕置きの時間だぜ、精々痛い目に合って後悔しなッ!」

 彼は剣を左側に引いて、横一文字に斬りかかる―――と見せかけて左手で懐から拳銃を取り出し、三度引き金を引く。白く塗装されたそれは、リボルバー・タイプの魔動具だった。銃弾は聖水に浸された銀によって作られた『騎士団』特注の代物。魔を祓う効果があるそれは、魔術による即興の防壁をいとも容易く貫通するだろう。

 それ故に―――隼人はバックステップで距離を放しつつ、無詠唱にて飛び行く弾丸付近の空間を爆破。その衝撃波でそれらの軌道を逸らすという、極めて強引な手法で回避することにした。魔術を使った障壁で防げないならば、魔術による物理現象で対処すれば良いという発想だった。

 こうして先手を取られつつも冷静に対処した隼人。彼はそこから反撃の一手を打つ。懐から短剣を取り出しつつ、攻撃用術式―――所謂黒魔術の行使に掛かっていた。

 「三つの焔が闇夜を照らす。三連制炎術式コード・ファイア・トリプル改変(オルタレーション)―――踊れ、『鬼火の円舞曲ワルツ・オブ・ウィルオウィスプ』ッ!」

 彼が言葉を紡いで詠唱すると同時に、橙色の魔法陣が三つ浮かび上がる。それらは互いを追うかのように右回転を始め、火の玉を次々と吐き出し始めていた。それはまさに魔術によるガトリング砲の再現。本来、それは火球を三発放つだけの極めて簡易な魔術式であった。だが、『改変(オルタレーション)』の一言が示しているように、それは彼の手が加えられた独自の術式(コード)となっている。その単語には砲身たる魔法陣(コード・サークル)の『回転』と、停止されるまで延々と撃ち続けよという『持続』の命令―――その二つが込められているのだ。

 ここで一つ、魔術とは如何なる物なのかについて講じておきたい。魔術は体内の魔力を起爆剤として大気中の魔力を何らかの物質や現象、エネルギーに変換し、術者の描くイメージを具現化させるモノと定義されている。魔力が変異する属性は『炎』、『風』、『水』、『土』、『雷』、『光』、『闇』の七つ。その際使われる魔法陣には、その術式(コード)―――どういう現象を引き起こすかという命令文―――がラテン語やルーン文字といった古の言葉で記されている。

 そして詠唱(スペル・アリア)とは、術者が具現したい現象のイメージ作りを手助けするものである。決まった詠唱の文句というものは一部の例外以外に殆どなく、専ら術者の気分と調子(アドリブ)によって日常的に変わる言葉の羅列に過ぎない。

 つまり魔術師による詠唱には、単に気分を高めて自身が成し遂げる行為や現象を想像、ないしは連想させやすくさせる効果しかないのだ。そしてそれは、簡単な魔術や高位の魔術師には詠唱が不要であるとも示している。ただし、術式に複数の工程を必要とする場合やそもそもが複雑な術式の魔術、ないしは儀式的行為を要求する古代の魔術にはそれが要求されていることもある。

 「チッ!」

 次々と迫る火球の雨霰に対し、舌打ちをした猫背の聖職者は空中に跳び上がって逃れることで対処した。それらはそのまま、彼の背後に居た二人を襲うが―――。

 「主よ、どうか我らを罪火より守りたまえ」

 一冊の本を手にしたギャバンが祈りの句を述べる。忽ち目の前に長方形の障壁が現れ、火の玉が次々とそれに突き刺さって炸裂していく。だが、その爆炎が青白いカーテンの向こう側に届く事は無かった。

 「詠唱の短縮―――いや、魔導書の類いか?」

 「おっと、余所見は禁物だぜ?」

 隼人が次の手を思案していた所に、ゲールが降下しつつ斬撃を浴びせに掛かる。彼はそれを半歩下がっての後方転回にて紙一重で躱して、反撃のために左手を翳す。そこから瞬時に魔法陣が展開されて水晶が如き刃が放たれた。それは水属性に分類される、簡単な氷結系魔術であった。それを聖職者は返す刀で下から上へとアネラスを振り抜き、叩き折る。

 「そらそらそらッ!」

 そうして再度、ゲールは魔術師に一太刀浴びせんと射撃を混ぜつつ肉薄する。

 「はぁッ!」

 放たれた弾丸全てを回避した隼人。彼はその縦の一線を短剣で内側から弾き、相手の腹部に雷属性の魔力を込めた蹴りを見舞っていた。

 「ぐぉふッ!?」

 「術式停止(ストップ)再構築(リスタート)座標指定(ポイント)―――コイツにぶちかませッ!」

 その詠唱によって、後方の二人に向けられていた『鬼火の円舞曲ワルツ・オブ・ウィルオウィスプ』の魔法陣が一度消えて再び現れる―――術者である隼人の目の前に。間髪入れずにそれは回転を再開し、態勢を崩した射線上のゲールを火だるまにしていた。そのまま火炎弾の勢いに押され、アスファルトを焦がしながら彼は転がる。

 「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁッ!?」

 「アイツをこうもあっさりと下すとは。ギャバン、手当てをしておけ。後は―――」

 「貴方がやる……と。分かりましたよ」

 足元で藻掻くゲールを冷たく一瞥した金髪の男―――イザークは、その背中より金色の刀身を持つ『聖十字大剣クロスオーダー・クレイモア』を抜いて一歩前へ出た。残る二人で魔術師を追い詰めないのは、この戦場が狭い路地という点にある。同士討ちを警戒しての判断という訳だ。

 「真影隼人―――噂通りだな。流石は極東でも指折りの若手魔術師。『第一級魔術師 (Aランク・メイガス)』の評は伊達ではないようだな」

 イザークは低い声で少年魔術師に話しかける。その顔には、幾分かの余裕を示すかのように挑発的な笑みが浮かんでいた。だが、それとは対照的に両手で確とそれを握り締め、中段に構える姿に隙は一部たりとも無かった。この男は違う、さっきのチンピラ野郎やそこの眼鏡とは圧倒的に格が―――そう理解した隼人の短剣を持つ手に、自然と力が入る。その頬を伝うは一滴の汗、飲み込んだ生唾の音がやけに周囲に響いていた。

 「どうした、来ないのか?我々を『ぶっ飛ばす』のだろう?」

 「安い餌には掛からないぜ。こういう時、()いた奴から死んでいくってな」

 睨み合う両者。暮を迎えた紺色の空の下、静けさという音が鳴り響いていた。

 「そうか。なら、急いた私から出向くとしよう」

 一歩ずつ白い外套の男が踏み込む。ゆったりとだが、確実に隼人へと距離を詰めるイザーク。乾いた足音が薄暗い空間に反響し、選択の時間が減少している事を魔術師に突き付けていた。

 「ッ!」

 間合いの短い短剣で刃渡りの長い両手剣の相手をするのは、至難の業である。故に隼人は敵が近付く前に対処せねばならなかった。そういった理由から痺れを切らした少年は、左掌を翳して無詠唱で魔術式を起動した。緑色の魔法陣が現れ、そこから風の刃が標的に迫る―――が、大剣の一振りでそれは掻き消されていた。間髪入れずに隼人はバスケットボール大の火球を生み出し、これを射出。そしてその効果を見届けずに彼は直ちに錬金術の行使に掛かった。屈んで右手の短剣を黒い大地に突き刺し、言葉を紡ぐ。

 「土を糧に黄金は生まれ、その輝きはやがて不変となる―――錬成(クリエイト)

 そうした後に短剣だった光輝くモノ引き抜くと―――それは手ごろな剣へと変化していた。錬金術によってアスファルトを鋼へと変換して刀身を拡大し、柄や唾などのもろもろもそこから錬成して結合。こうして、飾りの少ない短剣から実用的な剣が出来上がったのだ。

 一直線に飛んできた炎の塊を切り裂き、両手剣の間合いに入るイザーク。そのまま彼は右斜め上から左斜め下へと剣を振り抜く。対する隼人は下から上へと剣を動かし、相手の刃を摺り上げる――――刀身の側面を同じく側面で擦るようにぶつけて逸らす――――ことでそれを捌いた。少年はそのまま一刀両断と言わんばかりに振り下ろすが、その一撃は聖職者が半歩身を引いた事によって不発に終わってしまう。そのままバックステップで距離を放したイザークは、魔術師のように左手を相手に向けていた。

 「愚かなりし者よ、主の怒りと嘆きをその身で受けよ―――『終末裁定ディエス・イレ・トニトルス』」

 そこから迸るは、純白に輝く聖なる雷。神の裁きを代行するそれは、聖秘術と呼ばれるモノの一つ。魔術が地球の意思から生まれた神々―――悪魔によってもたらされた自然の理ならば、それは旧来の秩序を否定して神となった人間が成した奇跡を再現したモノである。魔力を用いる点では魔術と同様だが、扱う術式全てに光属性が付与されるという差異がある。

 数多の神話にて大神が振るう天空の力―――雷電。それを人から生まれた『神』の理で御するということは自然を人類が制したということに他ならない証であり、一種の冒涜でもあった。尤も、彼ら十字架の信徒からすればそれは自らの主の偉大さを喧伝する行為でしかない。

 そして、それを剣の刃で受け止めて見せた隼人。自身の魔力を流し込んだ刃にて、雷撃を絡め取って何とかそれを防いでいた。

 「―――『転化』。朱と交わりて、尚も黒く染め上げん」

 彼がそう呟くと、白色の電流が徐々に紫色へと転じていく。これは真影の一族に伝わりし固有魔術が一つ。敵が放った魔力を自身の制御下に置き、自らの力へと変える『転化魔術』だ。似たような魔術式は他にも存在しているが、彼らのそれは紛れもなく一から組み上げられたオリジナルのモノであった。故に、その変換速度は他の追従を許さない。

 「そっくりそのまま返すぜ!」

 隼人が紫電を纏う剣を右から左へ水平に振るえば、それは斬撃波となりて放たれる。聖なる力が闇の力に飲まれ、中和されて通常の雷属性の魔力に変えられたのだ。イザークはその紫のアーチに対し、後方に跳び上がって避けるという選択を取る。人体の代わりに漆黒の地が焼け焦げ、一文字の跡が残されることとなる。そこから着地した聖職者目掛けて追撃を掛ける隼人。彼は白煙を突っ切って、更なる一手に出ようとしていた。

 「魔力塗布(コーティング)―――燃え盛れ、我が血潮ッ!」

 短い詠唱と共に彼の右手から紅の光が溢れ出し、グリップを伝って刃に満ちる。それは煌々と輝き揺れる炎となっていった。そして空を裂いて走るは橙色の軌跡、炸裂する火花。隼人による縦一文字の強襲を受け止めていたのは、イザークの両手剣だ。半歩左に避けた長身の男は、頭部の右側でその一撃を自身のクレイモアにて防いだのだ。拮抗する力と力、擦れ合う刃とその腹。縦に振り下ろした隼人と、それを押し上げようとするイザーク。この状況で有利なのは、間違いなく全体重を掛けることが出来る前者であった。

 「させませんよッ!」

 だが、その膠着していた状態に銀髪のギャバンが介入した。イザークの後方から、彼は支援のための攻撃用聖秘術を発動。鍔迫り合いに近い状態にある彼らの頭上に出来た光球から、無数の矢が降り注ぎだす。

 「―――チィッ!」

 前方に乗せていた重心を戻し、すぐさま退避した隼人。長身の聖職者もそれによってバックステップを始め、眼鏡の同業者の近くまで下がっていた。無人の地表に突き刺さる蒼い棘、それが穿たれたことで飛び散る砂利―――局面は振り出しに戻っていた。

 「二対一………やはり不利だな」

 タイマンで苦戦している時点で撤退推奨だけどな、そう心の中で苦虫を潰した魔術師。表情には決して出さないが、閉所での戦闘による気苦労と戦いそのものによる緊張感、それらによって彼は疲弊していた。そんな中での数的不利は、戦況を左右する致命的な要素として響こうとしている。

 「おや、彼を忘れて貰っては困りますね」

 「さっきは良くも燃やしてくれたなァ、クソガキが」

 そう言って、ギャバンの後ろから姿を見せたゲール。白かったコートは所々焼け焦げ、ボロボロになっていた。だが、暫しの一騎打ちの間に彼の傷は七割方回復していた。

 「戦いは数、か。昔の人は上手いこと言ったもんだぜ」

 救援を呼ぼうにも、その隙が無さそうだとぼやく少年。孤軍奮闘も止む無しと覚悟を決めた―――その時だ。

 「なんだッ!?」

 ゲールがそう声を上げると、他の二人も似たような驚きと警戒の表情を見せる。突如戦場に舞い降りてきた黒い塊が、見事に三人の聖職者たちだけを覆いだしたからだ。その正体は蝙蝠の大群。何処からともなく、唐突にそれらは出現したのだ。客観的な位置からその瞬間を目撃した隼人もまた、召喚魔術の類かと口元に手を当てて考え出していた。

 「今の内に逃げましょう」

 「あんたは、さっきの」

 そんな隼人に対し、背後から声を掛けてきた者がいた。風に揺れる赤いケープ、そこから覗くは黒いシャツと細身のパンツ、そして束ねられてもなお長い金髪。それは正に、先程までぐったりとしていた筈の少女であった。

 「あなたがこの街の魔術師ならば、お伝えしなければならない事があります。足止めが出来ている内に着いてきてください」

じっと黒髪の少年を見つめる、エメラルドのような瞳をした乙女。その提案に対し、隼人は即答していた。

 「分かった。俺も聞きたいことがあるしな」

 「話が早くて助かります。では、行きましょう。あれは私の眷族―――あなたがた風に言えば使い魔みたいなものですが、少々体調が悪くて長時間の使役は厳しいので」

 彼の迅速な返答に満足した彼女は、その手を取ってすぐにでも移動しようとする。いきなり金髪の美少女に手を握られた隼人は、どぎまぎする羽目になっていた。そうして思ったのが、外国人はスキンシップが多いというのは本当なのかという場違いな感想であった。

 「ッ―――行かせるかよ!」

 蝙蝠の鳥籠を強引に出て近付こうとする猫背の男。隼人はその足元目掛けて、手に持っていた即席の炎剣を投擲する。

 「悪いが、今日はもう店じまいだッ!」

 しまったと彼らが思った時にはもう遅い。燃え盛る刃が地面に刺さったその刹那、閃光が辺りを支配した。剣に込められた火属性の魔力を光属性に変えて炸裂させ、一種のフラッシュ・グレネードとしたからだった。それに対し、三人は咄嗟に腕で顔を保護し強烈な光から両目を守る。

 「―――逃げられたか」

 白い闇が終わると、そこは何の変哲もない―――幾つかの死体が転がり、死臭に満ちていることを除けばだが―――路地裏の景色に戻っていた。三人を妨害していた蝙蝠も吸血鬼と思わしき少女も、真影隼人も―――皆消え失せている。残された剣はただの短剣に戻り、街灯の仄かな明かりを映していた。

 「となれば先手を打ちますか?教会に連絡して追手を派遣させ、行先を特定しましょう」

 「ハッ!このまま追いかけようぜ。借りは返さなきゃならないしな」

 クレイモアを杖の様に地面についたイザークは、両隣で騒ぐ同僚を右手で制す。彼がリーダー的立場にあることのおかげか問題児な彼らはすぐさま口を噤んだ。

 「いや、それよりも良い提案があるんだが―――」

 何故なら寡黙な彼には珍しく、何時もの険しい顔に笑みが現れていたからだ。


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