寝起き話
なんというか、居心地が悪かった。
端的に云えば、その、なんだ? 間違っている。何もかもが。
なんで俺は、見合いの席に着かされているのか。
「それじゃあ良いですか? 須賀崎くん!」
「俺は嵯峨崎です!」
本屋に向かおうと外に出た途端、玄関先に出た俺を車に連れ込まれた。そして、あれよあれよという内に、羽織袴を着せられ、いつの間にやら和室にセットされた。
「あの、本当に何これ!? 別人ですよ須賀崎さんは!」
「時間にはぎりぎり間に合いましたね」
「間違ってますよね!?」
俺を誘拐した女性は、涼しい顔をしている。そして、俺に確認をしてくる割には、俺の回答を一向に聞いてくれない。
俺の名前は嵯峨崎芳彦。彼女が云うには、この場に迎えるべき人物の名前は、須賀崎俊夫。
正直微妙に似ている気もするが大分違うと思う。
「ローマ字表記なら大した違いじゃないわ」
「漢字表記なら大間違いですが!? っていうか別人な時点で大問題ですが!?」
現時点でシンプルに誘拐である。
そんな中で大人しくしているのは、未だに現状を把握できていない怖さからだ。なんかシークレットサービスみたいな感じの人が車には沢山居た。めちゃ怖い。
しかし、本来俺が相手じゃないハズの人間がこれからここに来る。もの凄く気まずい。いや、気まずいとかそう云う問題じゃなくて、どう考えても事故だ。
俺の横に座っている女性は、人違いのことを俺の所為にするかもしれない。そしたら俺はなんだ、愉快犯になるのか、詐欺師になるのか……前科は嫌だ!
いや、素直に説明すれば、誘拐された俺の立場も理解して貰えるだろうか? そして家に帰して貰えるだろうか。
俺が思案していると、横の女性は何かしらの資料に目を通し始めた。
「それで須賀……志賀? 茅ヶ?」
「嵯峨ですね……わざとかな!?」
「憶えにくいのよね」
「まさかのディス!」
山偏を除けば差と我なので読みやすく書きやすく憶えやすいと思うのだが。
でなくて。
「な、なんでしょうか」
「君に事前に確認をしておきたいことがあるのですが」
「はい……」
俺の話を一切聞かない人に何を云ったら良いのか。
「まず、これからお見合いをされる女性についてですが」
「はぁ」
「ニックネームはまーちゃんでお願いします」
「ニッ!? え、初対面なのに愛称で呼べと!? 無理無理!」
「スリーサイズは上から」
「要る!? お見合い直前にその情報要る!?」
「……少しデータが古かったので、後日送付します」
「やめて!?」
女性のスリーサイズ情報だけ家に届いたら親に不審な目で見られる!
と、とたとたと、静かな足音が聞こえてきた。
俺の……いや、須賀崎さんのお見合い相手が来た。それが判った。
逃げたい。
「あ、あの、俺ちょっとトイレに」
「備えられておりません」
「嘘だろ!?」
実際に催したらどうしろというのか。
ふすまの向こう、人が歩いてきた音が止んだ。すぐそこにいる気配がある。
「失礼致します」
優しい声がして、ふすまが開く。
年の頃は同じくらいだろうか? 綺麗な着物を着込んだ女性がそこに立っていた。
「……あ、どうも」
作法も何もわからないので、雑に返答をしてしまった。
この人が、まーちゃんなのだろうか。
「お初にお目に掛かります……私、片岡彩結と申します」
あ、まーちゃんではないな!?
「お気軽に、まーちゃんと呼んで下さい」
「なんでっ!?」
思わず口にしてしまった。
すると彼女は、首を傾げてから、えーっとと言葉を探し、ポンと手を打つ。
「マドレーヌとか、好きだから?」
「え、あ、そ……え、そう? そういう?」
困惑が飛び交う。
「それで、あなたのことは、なんとお呼びすれば良いのでしょうか」
「お、わ、私は……その」
ここで言葉に詰まる。須賀崎なんとかと名乗れば良いのか、それとも彼女みたいに偽名のようなあだ名を名乗れば良いのか。
少なくとも本名はあり得ないだろう。
「えっと愛称は、嵯峨崎芳彦さん、ですから」
「なんで名前知ってるの!?」
俺が叫ぶと、片岡さんはびくりを身を震わせた。
「え? だって、嵯峨崎芳彦さんを連れてきてもらったわけですから」
「え? だ、だって……騙したな!? というかからかったな!?」
俺は誘拐犯の女性に吼えるが、彼女はそっぽを向いている。
さて、これで俺は人違いじゃないということは判ったが……いや? 人違いじゃない方が問題なのではないか? じゃあなんで俺連れ去られたんだ?
「え? えっと、その……なんで俺は連れてこられたので?」
「お見合いですよ?」
「そうなんですけど……いや、そうなんですか!?」
少なくとも誘拐から始まってよい行事ではない。
「私こう見えて、大学を卒業したら社長を継ぐんです」
「お、あ、はあ、おめでとうござい、ます?」
唐突に始まった自分語り。
「それで、一つワガママを聞いてもらったんです。両親もそれを快諾してくれました」
「はあ」
すると、片岡さんにはにこりと笑った。
「なんの戦略とも関係ない、自分の好きな相手と結婚したいと」
「それは、なにより」
頷いてから、それを指してるのが自分なのだと気付く。
「え、いや!? ちょっと!? なんで俺なんですか!? 本当に俺ですか!? 初対面ですよね!?」
人違い、勘違い、色々浮かぶ。何せ俺は、彼女をまるで知らない。
「いえ、確かに初対面ですが、私はあなたのことをよく知っております」
「なんで!?」
俺の問いに、彼女は答えた。
俺の名前、生年月日、身長体重、経歴、趣味、好物。果ては昨日の行動まで、およそ俺でさえ正確には知らない情報を。
「……ちょ、な、んで?」
「私通学の時に、あなたをよく見掛けたんです。楽しそうだな、良い人そうだなって」
「つ、通学って……それだけで?」
「ええ。かれこれ十三年前になるでしょうか」
「小学生の頃!?」
せめて大学生の頃の話かと思った! なに、じゃあ俺その辺りからずっと情報収集されてたの!?
「色々調べて眺めている内に、あぁ、この人しか居ないなと思ったんです。ただ、まだその時は、親から交際や結婚の許可はおりませんでした」
目の前の片岡さんは、すごく大人しそうで、実際物腰柔らかい人だけど……獲物を前にした蜘蛛のような、そんな恐ろしさを放っている。
ぶっちゃけ超怖い。
「ですがそんな両親も私の説得に折れて頂いたので、もはや過去のこと」
そう云いながら、彼女は俺の方へ歩みを進めてきた。
「い、いや、そ、その、と、友達、から……」
俺は言葉に詰まり、後ずさろうとするが、誘拐実行犯の女性に止められる。
「いいえ、いいえ。恋人から。恋人から夫婦へ。その様に」
現実離れしたその恐怖に、気を失ってしまった。
と、俺は布団で目覚めた。
そこでガバっと身を起こす。
周りを見るが、なにごともなく、自室であった。
「はぁ、はぁ……ゆ、夢か」
荒唐無稽なところが、よくよく考えてみれば実に夢であった。
「……こ、怖かった……でも、よくよく思い返してみれば、美人だったよな……」
俺は溜め息を吐きながら、羽織の袖で額を拭った。