前編
クリスマスに投稿しようとしましたが間に合わなかったものです。
まだ完成していないという……
よろしければお読み下さい。
厚い雲が隙間なく空を覆いちらほらと雪が降り出している。
ホワイトクリスマスだ──
冬の静謐な空気と匂いが心地よい。
白い空を見上げ毛糸の手袋を嵌めた両手を重ねてほうっと白い息を吐く。
こないだ買った白い耳当ても私の頭に良くフィットしている。
私の足取りは無意識に早くなった。
すれ違う街を行き交う人たちも心なしかこの細雪を楽しんでいるようだ。
交差点を渡り商店街の裏通り7軒目。
そこに赤い屋根の木造の小さなパン屋さんがひっそりと建っている。
そろそろ約束の時間だ。
私は客が入ると吊るされている鐘が鳴るタイプのガラス戸を開け中へと入る。
店に入ってすぐの窓際に切れ長の澄んだ瞳をした可愛い後輩が何かに腰を下ろして声を掛けてきた。
「あっ、いらっしゃ〜〜せんぱー」
ひょこっ、と片手を挙げて伸ばした髪を一房真っ赤に染めた後輩が挨拶する。
当然校則違反だ。
こんなとこに椅子あったっけ、何に腰掛けてんだろ、と彼女の腰の先に視線をやるとウチのバンドのベーシストが店の床に伸びていた。
こいつなりに真面目ぶって挨拶しているがなんかとんでもないことをやらかしてやがる。いつも通りの光景だけど。
「何やってんのよ……あんたたち……」
ドラムのアヤカとベースのリョウジ。
こいつら2人はよくケンカする。
大概はアヤカが勝つこのケンカは毎度お馴染みのイベントである。
しかしクリスマスイブの今日にまでケンカすんなよ。
いつものことながら呆れて思わず深い息をつく。
雪のおかげであがっていた気分が台無しだ。
「……う〜〜ん……なんでこうなったんだっけ?ねえ?リョウジ?」
リョウジからは呻き声だけが返ってくる。
まあいい、ウチのバンド「クラスプ」の作詞担当のこいつからはどうせ厨二全開の答えしか返ってこない。
「とりあえず営業妨害だから今すぐ降りてリョウジ起こしなさいよ……ていうか女子なんだから男子に乗っかんないの!怒られるわよケイコさんに」
「う〜い……あいてっ!」
後輩に注意を促した時にはもうすでに拳骨がその頭に突き刺さっていた。
このパン屋さん「ブラウンベーカリー」のオーナー兼店長のケイコさんだ。
「何やってんだい!このバカ娘がっ!客が逃げちまうだろ!」
白髪を短く纏めたお婆さんが小さなアヤカの頭にさらにヘッドロックを極める。
ケイコさんは結構パワフルなのだ。
「いてててて!やめて!やめて!そんなに客こないって!この店!あ、ごめん!ごめんってばあちゃん!」
「もっと絞られたいのかい?このバカ娘!」
しばらく絞られた後、解放された涙目の後輩は店の隅にうずくまって頭を押さえる。いい薬だ。
耳当てを外しバッグにしまいながら私はケイコさんに挨拶する。
「こんにちは、ケイコさん。あ、レンは寒いから来られないって言ってました」
今日はこのお店「ブラウンベーカリー」に集まってここの商店街で私たちの路上ライブを執り行う予定だった。
キーボードのレンは気まぐれでクズなので今日は来ない。
ケイコさんは呆れたように頭を振りながら厨房から持ってきた新しいパンを店先に並べていく。
「ロッカーが聞いてあきれる……やれやれ、まともなのはアンタだけだね、クミ」
「その評価は光栄ですけどユウトもまとも枠に入れてやってよ……朝からケーキ焼いてるんでしょ?」
そう、ここでバイトをしているのはリーダーで我がバンドのボーカリストユウト。
ここは彼が高1の時から始めたバイトだがケイコさん曰く筋が良いらしくその腕はかなり買われている。
「そこさね。朝から50個のクリスマスケーキを焼くってんだよ?そんな技術を持っていながら来年の春から上京してプロのミュージシャン目指そうってんだ。この店をくれてやる、ってアタシの誘いを蹴ってさ。奴こそクレイジーの極みさね」
この店は普段はパンしか売っていないがイブ限定で予約分を含めたクリスマスケーキを限定で50個だけ売り出す。
近所では人気の商品でこんな路地裏の隠れた店にも関わらず予約開始の11月初旬には予約分は完売となる。
そのケーキ作りは毎年ケイコさんとユウトでやっていたのだが私たちが最終学年高3となる今年は殆どの作業をユウトがやっているらしい。
私は毎年このケーキが楽しみである。
ケイコさんの懸念に私は笑顔で応える。
あいつの腕を買ってくれていることは素直に嬉しい。
「私たち、ロッカーですから」
「……ぶううううう‼︎いいな!いいなあ!私も東京行きたいな!あーあ、学校やめてセンパイたちについてこーかなあ!」
回復したらしいアヤカが駄々を捏ねる子どものように床に座り込み恨みがましそうな目で私を見つめる。
ボーカルのユウトとリードギターの私が抜けるこのバンドの残り活動期間は実質あと数ヶ月しかない。
この話になると奔放なアヤカもかなり神経質になる。
私は仕方なくいつものようにアヤカを宥める。
「悪いこと言わないから高校は出ときなさい。待ってるから。ね?」
ズビィ〜と鼻をかみながら彼女はそっぽを向く。
はあ……これじゃ本当に高校中退して付いてきかねないなあ。
「ユウト!クミが来たよ!レンはクズだから来ないとさ!手は止めなくていいよ!」
「おう、そうかわかった」
ケイコさんが厨房に向かって声をかけると聞き慣れたいつもの声が返ってきた。
……その声を聞くとどうして私の胸が高鳴るのか、最近ようやく分かってきた。
「あと30分ってとこだね。奥に入っときな」
ケイコさんが厨房を覗き込み進行状況を確認すると私たちにそう言った。
◇
ケイコさんのお言葉に甘え店の奥の居住スペースに場所を移す。
たむろしてたらお店に迷惑だ。
部屋は空調は効いていてコタツもすでに温まっている。
アヤカは早速コタツに滑り込む。
「はあ〜……やっぱり冬はコタツですね〜〜」
「寒いか?アヤカよ……お前には心の目が足りない……そのセンスで白き疾風の風情を感じるのだ……そんなことでは次世代を任せられない」
リョウジが口を開く。
ウチの作詞担当は厨二病なので何を言っているのかわからない。
そんな性格がアヤカとよく衝突する原因なのだが。
「うっさい厨二。またぶちころがすぞ」
「アヤカ!めっ!」
またケンカになりそうだからアヤカを叱るとしょげかえる。
せっかくのホワイトクリスマスに血は見たくない。
ちょっときつめに叱りすぎてかわいそうだったので肩を叩いてアフターフォローしてやるとすぐに笑顔を見せてくれた。
まったく本当に可愛い後輩だ。
私とユウトは同じ学校の同じクラスでアヤカは一学年後輩だ。
リョウジはよくわからないけど来年は隣県に引っ越すと言ってる。
残りのクズレンも高3。
私は東京の某大学の推薦が決まっておりユウトは東京行きを明言している。
つまり来年はアヤカは1人取り残されるわけだ。
活発な彼女が神経質になるのも分からないでもない。
コタツやストーブの近くの椅子にそれぞれ陣取り我らがリーダーユウトを待つ。
ヤツのパン作りとケーキ作りの技術は年々向上していく。
それこそこの道一本で食べていけるほどに。
「……だからさぁ、ビートを変えてみるんですよ。今度の新曲で。もっと速く。今までにない曲を創ってみたいんですよね」
「確かに。最後に攻めた曲を創ってみたいわね」
待っている間は今度の新曲についての打ち合わせだ。
アヤカは楽しそうに話すが次の次くらいのライブが最後の活動になるだろう。その表情からは寂しさを隠しきれていない。
「ふむ。我も冥界の波動を表現したいと思っていたところだ……魔王との最終決戦に備えてな……」
リョウジは何を言ってるのかわからない。
しばらくそんなとりとめのないことを話していると襖を開ける音が聞こえてきた。
ようやく作業を終えたらしい。
「おう、待たせたな。俺を放って新曲の相談か?」
パンを焼くときに付けるバンダナを外しながら笑うその男は杉山悠人。
中肉中背で至って普通の容姿のそいつは特に目立った外見の特徴はない。
「随分とかかったじゃない」
「リーダーおっそーーい」
「我待ちくたびれたり」
一斉に文句を言うと彼は椅子の一つに腰を下ろしながら笑って応える。
「いやいや、今年で最後かと思うと腕が乗っちまってな。今度のは出来がいいぜぇ」
そう言って感慨深そうに自分の掌を見つめていた。
「いつも思うんだけどほんとパン職人とケーキ作りの才能あるわよね、アンタ」
朝から50個のクリスマスケーキを作る技術は半端じゃない。
今年はケイコさんは補助に徹しほぼユウト1人で仕上げたらしい。
「最初はうまくいかなかったさ。3年かけて婆さんから教わった技術だからな。もし音楽で失敗してもこっちの道で食ってけるだろ?」
ユウトは高1の時から母方の祖母の従姉妹の姪であるケイコさんのパン屋でバイトを始めた。
ケイコさんのことは婆さんと呼ぶ。
なんだかんだ言ってパン焼きは楽しそうだ。
「やっぱりあんたロックしてないわ」
そう言えば前に言ってた。
ロックで食っていけなくてもパンで食っていける技術を今身につけてんだ、って。
失敗した先のことを考えているなんてロッカーの風上にも置けない。
いや私の勝手なロックミュージシャンのイメージだけど。
そんな私の言い草にユウトは苦笑いを浮かべる。
「セーフティーネットを張ってた方が思い切ったことできるだろうが。大都会東京に挑もうってんだ、準備しとかねえとな」
ますますロックしてない。
こいつの周到さに感心と呆れが入り混じる。
「強気なのか弱気なのかよくわからない意気込みね」
普段のこいつの言動からは東京への期待以上に恐怖心も感じ取れる。
本当に器の小さいヤツー
「ねぇねぇ、そろそろライブやろーよ」
「約束の時、来たれり」
アヤカが飛び跳ね、リョウジもベースを掴み上げる。
確かにそろそろ予定時刻だ。
「あとはやっとくから行ってきな」
ケイコさんは襖を開けて私たちの出発を促してくれる。
「ありがとう、婆さん。それにしてもレンはやっぱりクズだな」
ユウトの言葉に私たちは一斉に首を縦に振った。
「レンはアホでクズね」
「レンはゴミでアホでソーロー」
「レン……闇の波動に呑まれて消えるべし」
ここにいないレンに罵声を浴びせながら私たちは予定の場所へと急ぐ。
◇
「クリスマスイブ当日寒い中、今日は集まってくれてアリガトゥゥゥゥーーー‼︎」
あらかじめ許可を取っていた商店街の一角に陣取り機材の取り付けも終わるとユウトのマイクパフォーマンスが始まる。
以前から予告していたのでこの寂れた商店街にしてはお客の入りも上々である。
「我がクラスプのメンバーを紹介するぜ!冷厳なる我らが女王!リードギターのクミィ〜〜!」
メンバー紹介が始まる。
私はギターを軽く鳴らして会釈する。
私の挨拶のぎこちなさを勝手に「クール」だと解釈してくれるお客さんが大半だがなんのことはない。バンドをやってる癖に実はこういう人前が苦手なだけなのだ。
3年やっても慣れなかった。
私の拙い挨拶に拍手と歓声が上がる。
「小さい身体に無限のパワー!ドラムのアヤカァァー‼︎」
「へいへーい♫うーい♫」
アヤカはドラムを大きく叩いてリズム感のある挨拶をする。
1番人気のこの子の挨拶では一層大きい歓声が沸き起こる。
この子は顔も良い。営業スマイルも完璧だ。
本当にこういうところは羨ましい。
「内に秘めた闘志!闇の王子!ベースのリョウジィ〜〜!」
「……白い雪に闇の波動を……」
リョウジはやっぱり何を言ってるのかわからないけどこういうキャラは一定の層の支持がある。
恐ろしいのはこいつはキャラを創っていないというところだ。いわゆるホンモノだ。
知ってか知らずか主に黄色い歓声が上がった。
「さてもう一人紹介したいとこだったがアホでクズのレンは今日は寒いからサボりだ!ゴメンな!みんな!」
レンは身勝手王子キャラとして一部の層に支持はある。
意外にも欠席の報せに残念そうな声が起こる。
「そして!最後に我がクラスプのリーダー!スーパーボーカリスト!この俺!ユゥートォーー‼︎」
可もなく不可もなく。
観客からはそこそこの歓声と拍手が送られる。
ほんとスター性ねえなこいつ。
「じゃあ!この聖夜とここに来てくれた皆さんに捧げます!聴いて下さい!『X’mas Rhapsody』‼︎」
溜めを作り全員が楽器を構えそれぞれ打ち鳴らし始める。
小さな雪が降っていたけどちっとも気にならなかった。
「白くそまるー空を見上げてごらんよ♬」
歌が始まる。
お客さんのノリもまずまずだ。
演奏も順調。
曲は良いんだよな。ウチのバンド。
「さんざめーく♩ゆーきにー♬どうせ眠れやしなーいさー♫Crazy for heaven♬」
──全体的にやや走り気味ではあったけど私たちはその日路上で3曲を演奏した。
「アリガトォォォォ‼︎ブラウンベーカリーのパンとケーキもよろしくな!」
最後の挨拶でもユウトは職場の宣伝を忘れなかった。
律儀なヤツ。
◇
演奏から帰ってきたらブラウンベーカリーのクリスマスケーキは完売していた。
私たちもお店を手伝う予定だったけどあっという間に売れてしまったらしい。流石人気商品だ。
ケイコさんは私たちのために夕ごはんを用意してくれた。
もちろんクリスマス仕様だ。
七面鳥はこんがり焼け出来立てのマルガリータのチーズの匂いも鼻腔をくすぐる。
「鳥の焼き加減が絶妙ですねー。後でレシピ教えて貰えます?」
「構わないよ。出し惜しむ技術じゃないからね」
ケイコさんは料理が上手い。
私は少しずつケイコさんにレシピを教えてもらっている。
一人暮らしするなら……もし誰かと同居するなら美味しい料理を作れるに越したことはない。
「うめえ、うめえですねえ」
アヤカは外見に似合わずがっつくタイプだ。
やはりドラムはエネルギー消費が激しいんだろうか。
「行儀よく食え、アヤカ」
手づかみでポテトを頬張るアヤカにユウトは見兼ねて注意をする。
厨二は七面鳥に手をつけ始める。
「……さっきまで羽ばたいていた魂に……感謝!」
「厨二はいいがメシマズくなること言うなリョウジ!」
リョウジはやっぱり何を言ってるのかわからない。
単位の話や来年のライブの計画。
そして進路の話。
箸を動かしながらそんなことを話していたら流れていく時間というやつが目に見える気がして少し寂しい気持ちになる。
それは今の時点では新生活への期待よりも大きいものだった。
「……あと何回集まれるかなあ」
ユウトがふと漏らしたひと言で場の空気が重くなる。
アヤカなんか手を止めて涙目になっている。
私はユウトの肩をそっと叩く。
「ユウト、わかるけど言い方よ」
「お、おう、わりい!すまんな!そうそうお前ら用にケーキも作ってあるんだよ!ちょっと早いけど持ってくるわ」
そそくさとユウトは食卓を後にキッチンへと消える。
逃げやがったなこいつ。
アヤカの方を見ると食べるペースを落としてほちほち、とチキンを齧っている。
アルコールが呑める年齢なら泣き出してそうだ。
リョウジはピザを変わらないペースで齧る。こいつはよくわからない。
気まずくなった雰囲気にどうしようもなく会話は途切れる。
見兼ねたのかケイコさんがアヤカに向き合い握っていたジョッキをテーブルに置いた。
「全く、クソリーダーだよユウトめ。アヤカもメソメソすんじゃないよ!17だろ?もう大人さ」
「……子どもだもん」
ケイコさんの檄にも肩を落として応えるアヤカは元気が無い。
……こんなんじゃ安心して卒業できないじゃない
しんしん、と雪の音が聞こえてきそうなくらい場が下がったときだった。
「フハハハハハハ!貧民ども!俺様が!この聖夜にプレゼントを持ってきてやったぞ!ありがたく受け取るがいい‼︎」
感傷に浸っていたら間抜けな声が聞こえてきた。
声の主は分かっている。
あのクズめ──
「はあ、戸締り忘れてたかね。ったくクズが入り込んじまったよ」
ケイコさんが腰を上げた。
クズ退治はケイコさんに任せとこうか。
こっちはそれどころじゃないしね。