No.46 暴走する本能
時は少し遡り、地上で創が大暴れしていた頃。
ルイスの能力で地下に転送された第0班の面々及びミナトは、破竹の勢いで最深部を目指して進撃を続けていた。
世界有数の企業が見せたくない場所というだけあって警備も厳重であり、人間の兵士のみならずなんとロボット兵まで出てきて行く手を遮ってくるものの、出てきたそばから蹴散らされ、進攻を止めることができないでいた。
「あはは! みんな強いね! よーし、わたしも頑張るぞー!」
「待てミナト、一人で先に行くな! 足並みを揃えて……!」
無邪気な笑顔を振りまきながらミナトがどんどん先へと駆けていく。慌ててその後を沙羅が追いかけるが、かまわずミナトは通路の奥へと姿を消してしまった。
「ふむ……」
「寂蓮さんどうかした?」
「ミナトちゃん先行っちゃったよ? 追いかけなくていいの?」
口元に手を当てて何かを思案する寂蓮に、謎の力でロボット兵を爆散させながら双子が言う。
「いえ、ミナトちゃんですが、何を焦っているのだろうと思いまして」
「焦ってる?」
「わたしの気のせいかもしれませんが……どちらにせよ、急いで追いかけましょうか」
寂蓮と双子も先行した沙羅とミナトを追って走り出す。後には破壊されスクラップと化したロボット兵と気絶した人間の兵士たちが残された。
全部で五つの区画からなる広大な施設をミナトは駆ける。その顔からは笑顔が消え、代わりに汗と苦悶の表情が滲んでいた。
「うう……!」
胸のあたりをぎゅっと掴む。心臓がかつてない速さで脈動しているのがわかる。
「お願い、もう少し……もう少しだけ……!」
自身にもうほとんど時間が残されていないことをミナトは理解していた。S細胞を移植されたすべての者が辿る結末――すなわち、理性なき怪物への完全な変異までのタイムリミットが。
これまでの被験者たちは人間だろうとそれ以外の動物だろうと最終的にはみな蠢く肉塊へと姿を変えた。
全身が急速に別の生物へと変異するのだ。その苦痛は筆舌に尽くしがたく、まともな精神をした者が耐えられるワケがない。例外はただ一人。脳すら捕食されて人としての死を迎えつつも、常軌を逸した執念によって自我を保ったとある探偵のみ。
不完全ながら奇跡とも呼べる確率でS細胞との適合を果たした人工胚から生まれた被験体3710番、ミナトも例外ではなかった。天才と名高いエミリー・ウィンターズ博士が開発した抑制剤を用いて細胞の変異速度を抑えることで、かろうじて人の姿を保っていたのだ。
しかし何度も繰り返した通り、S細胞とは人の手に負えるものではない。ましてや通常より強力な神崎創の特殊な細胞であればなおのこと。時間が経つにつれて抑制剤をもってしても変異を抑えることは困難になり、ミナトに残された時間はあと一年もないと目されていた。
加えてオリジナルである神崎創と接触したことによりミナトの肉体を構成する細胞は帰巣本能――元の身体に帰ろうとして急激に活性化し、抑制剤と意思の力で変異を抑えるのもいよいよ限界に達していた。
気が狂いそうになるのを必死に抑えつつミナトは最深部、第五区画へと足を踏み入れた。この時上層階ではようやく混乱から立ち直った管制室のスタッフたちが緊急時のセキュリティシステムを作動させ、際限なく湧いて出るロボット兵や致死性のトラップ、鋼鉄製の強固な隔壁によって第0班の面々が足止めをくらっていたのだが、そのことはシステムの作動前にいち早くたどり着いたミナトには知るよしもなかった。
「はあ、はあ……この階のどこかにいるはず……!」
足を止めることなく走り回ること数分。目的の人物が見つかる。五十代半ばあたりに見えるその男は両手に研究資料を持てるだけ持って、今まさに逃げ出そうとしているところだった。
「いた……! あなたがここの所長さんだね! 悪いけど捕まってもらうよ!」
「おまえは――被験体3710番!? あの侵入者たちは貴様の手引きか!」
研究室に踏み込んできたミナトを見てそう叫んだ男こそ施設の最高責任者、ある意味で元凶ともいえる男だった。
男はミナトに背を向け慌てて逃走を試みる。だが百メートルを五秒程度で走破するミナトから逃げられるはずもなく、あっという間に追いつかれて床に押さえつけられた。
「ぐうっ!」
「逃がさないよ、観念してね」
その時ミナトの心臓がドクン、とひときわ大きく跳ね、ミナトは思わず手を離して胸を押さえてしまった。
「うっ……!」
「観念するのは――貴様のほうだ!」
その隙を突き、男は白衣のポケットから注射器を取り出すとミナトに突き立てた。
「痛っ! この――!?」
男を捕まえようと手を伸ばすが――視界に映ったのは、ぼこぼこと泡立ちながら体積を増していく黒いゼリーのような塊だった。
「あ……ああ…………!」
「我々の言うことを聞かない実験体をそのままにしておくと思ったのか? ウィンターズ博士が開発した抑制剤をもとに我々が独自に開発した『活性剤』だ。万が一にもウィンターズ博士や他の者に制御されるようなら、いっそ暴走させてしまえとな!」
全身が変異していくのを絶望の表情で眺めるミナトに男は冷酷に告げると、一目散に地上に通じるエレベーターに向かって駆けだした。
「出来損ないの欠陥品め! 貴様が引き込んだのだ、貴様が責任をもって始末しろ! ではな!」
遠のく意識の中、ミナトは涙を流して仲間たちへの謝罪を口にする。
「わたしのせいで……みんな……おとーさん、ごめんなさい………」
その言葉を最後に、ミナトの意識は暗闇へと落ちていった。それから間もなくして、階層全体に濁った叫び声が響き渡った。
「あアあアアあーーーッ!」
『非常事態だ! 全員そこから逃げろ!』
足止めをくいつつもなぜか途中で隔壁やトラップが解除されたことでさほど苦労せずに下層へと向かっていた第0班の面々に、突然無線の連絡が入った。
「マリーか! 今まで何をしていたんだ!?」
第0班No.6、ローゼマリー・ヴェステンフルス。他の誰よりも先行して潜入していた彼女だったが、ヘリでの連絡を最後に今までなんの連絡もなかった。それが突然焦りを滲ませた声音で連絡してきたので、沙羅は驚きつつ聞き返した。
『こっちはちょっと手を焼いててな、もう少しで管制室らしきところに入れるところだったんだが……それどころじゃなくなった。おまえらが連れてきたあの嬢ちゃん――ミナトが暴走した。とんでもない速度でそっちへ向かってる』
「なっ……ミナトが!?」
監視カメラを通じて一部始終を見ていたローゼマリーから簡潔に説明を受けたメンバーたち。いつも冷静な沙羅が怒りを滲ませつつ言った。
「そうか。悪いがマリー、そのままここの研究員たちを地上へ逃がしてやってくれ。ここに残っていれば間違いなく死ぬだろう。彼らの研究は許されるものではないが……だからこそ、彼らには生きて罪を償ってもらわなければ」
『おまえらはどうするんだ?』
問われた沙羅はメンバーの顔を見回し、全員が頷くのを見て答えた。
「わたしたちは、ミナトを足止めする。聞く限りでは誰かが時間を稼がねば逃げる時間もないだろう」
『了解だ。くれぐれも死ぬんじゃないぞ』
「ああ。上で会おう」
通信を切ってから沙羅は大きく息を吐き、言った。
「そういうわけで、わたしたちはミナトのもとへ行く。問題があれば言ってくれ」
「なにもありませんよ。さあ、行きましょう」
「ぼくたちもないよ。だよね、シェリー?」
「そうねエリー。ミナトちゃんを止めて、悪い人を捕まえましょう!」
そして全員で下層へと降りていく。与えられた任務のため、そして、怪物と化した哀れな少女に人殺しの罪を負わせないために。
「……」
地上では、兵士たちを残らず無力化した創が静かに空を見上げていた。
「……なあ、ルイス」
『わかってるよ。きみが転がした兵士たちは回収しておくから、遠慮せずみんなのところに行ってくるといいよ』
「ああ……それともうひとつ」
『うーん……まあ、いいよ。責任者とはいえしょせんは研究者、どうせ大本に繋がるようなたいした情報はもってないだろうからね。ワガママ、聞いてあげるよ』
「悪いな。じゃあ、行ってくる」
ローゼマリーが発した無線は緊急用。つまり、第0班の全員に向けたものであり――そこには当然創も含まれていた。
ショゴスへと変じてから初めて感じる大きな感情、一言で言うなら――激怒した創はルイスの返答を聞くと、荒ぶる感情のままに拳をコンクリートで舗装された地面へと叩きつけた。
彼の身体は激しい感情に呼応するように異常な速度で変異を起こし、創に新たな力をもたらすことになる。それを本人が知るのは、もう少し後のことである。