No.36 凶報
神崎創、調査中に何者かの襲撃を受け、瀕死の重傷。
その一報は、第0班の各員に衝撃をもって受け止められた。
「ウソだろ……」
潜入調査中だったローゼマリーは思わず声を漏らし、慌てて彼女が『裏側』と呼ぶ世界へ逃げ込んだ。
「シェリー聞いた!? 創お兄さんが大ケガしたって!」
「もちろんよエリー。すぐに病院へ行きましょう」
幼い容姿を活かして街で聞き込みをしていた双子はそれを聞くと、身を翻して病院へと小走りで駆け出した。
「まさか創さんが……なにが起こっているのでしょうか……」
報せを受けた寂蓮は狭い部屋でそう呟き、目を閉じて天井を仰いだ。その背後の扉を強引に開け放ち、一人の男が現れた。
男は拳銃で武装しており、躊躇なく引き金を引いた。
しかし放たれた弾丸『が』寂蓮を避け、壁に穴を開けるだけの結果に終わる。
寂蓮は男の方を見もせずに、ただ男に向けて軽く手を振った。
それだけで男は吹き飛び、壁に叩きつけられる。男は小さな呻き声をあげ、それから動かなくなった。
「なんにせよ、仲間の大事とあらば放ってはおけません。今すぐ病院へ向かいましょう」
そう言って寂蓮は部屋の窓から飛び降りた――――三階建ての高さから。
そしてそれをまったく感じさせないほど軽やかに着地してから、悠々と歩き出した。壊滅した犯罪組織のアジトと組織の構成員たちを残して。
「……そう、あの男が」
とあるビルの屋上。そこで佇む天津原麗花は、いつもと変わらぬ平坦な声で応じた。
しかし、その内面は小さくない驚きとあの『怪物』にそこまでの傷を負わせた未知の相手に対する警戒心で揺れ動いていた。
(お義母さんの言う通りならアレは化け物の中の化け物。正直、わたしが今まで戦ってきたやつらなんて相手にもならない。それをそこまで追い込むなんて、その襲撃者はどれほどの――)
そこまで考えたところで麗花は思考を打ち切った。どうせ今考えたところで答えは出ないと。班内では主に後方支援に回ることが多い彼女は、冷静さにおいて班員の中では上位に位置していた。
(今ならあの怪物を――)
殺せるのではないか。ついそんな考えが頭をよぎる。
ある事情から未確認生命体を激しく憎む彼女は、同じ班員である創のことも仲間と見なしてはいなかった。事前に黎子から創の正体が極めつけの化け物であることを聞いており、自分ではどうやっても殺すことができないと判断していなければ、何度襲いかかろうとしていたかわからないくらいだ。
(みんなは――特にやよい、マリー、沙羅とは仲良くしているみたいだけれど……わたしは認めない。でも――)
気がつけば麗花は病院へと足を向けていた。その心を占めていたのは、一つの想い。
(マリーと沙羅はあいつに助けられた。巻き込まれた学生たちを救ったのも……)
話を聞いても許すことができるとは思えないが、それでも確かめなければならない。その真意を。
決意を胸に、麗花は歩みを速めた。
そして、班員の中でもっとも衝撃を受けたのは沙羅であった。
表の顔である警察官の立場を活かし、聞き込みを進めていた沙羅はその報せを受け、頭の中が真っ白になった。
班内で唯一の知り合いだったというのもそうだが、それ以上に彼の実力を誰よりも高く評価していたからだ。
なにをやっても人並み以上にこなしてしまう天才としか言いようがない才能。飄々としたどこかつかめない性格の持ち主だが、根っこはお人好し。
学生時代に築き上げた彼への評価は、彼が異形の存在となっても覆ることはなかった。
あの頃となにも変わってはいなかった。苦労したからか少しばかり擦れてはいたが、それだけだ。
「……とにかく、病院へ行かなければ――ッ!?」
突然、今まで感じたこともないような恐ろしい気配を背後に感じ、沙羅は振り返った。
そこに立っていたのは――。
場所は変わり、天津原総合病院。その一室にて。
「誰かしら来るとは思ってたが……まさかアンタが来るとは思ってなかったよ」
ベッドから上体を起こし、食事を続けながらその男――神崎創は病室の入り口に立つ人物に声をかけた。
「みんなも来るはず……わたしは偶然近くにいただけ」
右目に眼帯をつけた白髪の少女、天津原麗花は抑揚のない声でそれに応じる。
「で、用件は?」
「……襲われた時の状況を教えて」
「『本命の用件』は?」
間髪入れずに真意を見抜かれた上で聞き返され、麗花はとっさに言葉を返すことができなかった。
「……なぜ、そう思うの?」
「最初、少し間があったからな。あとおまえ、おれのこと露骨に嫌ってるだろ。詳細が知りたきゃ直接聞かんでも後で誰かから聞けば済むんだから、他に聞きたいことでもなけりゃあわざわざおれのところに来る理由はないと思ったんだよ」
図星だった。瞬時に本心を見透かされてしまった動揺をなんとか抑え、表面上はまったく変わらないまま麗花はそれに応えた。
「……人を観察するのが上手いのね」
「最近荒事ばっかりだったが、これでも探偵だからな。で、用件は?」
「その前にひとつ聞かせて。……この状況はなに?」
そう言って麗花が指差したのは、ベッドの脇にうず高く積み上げられた菓子の山だった。
付け加えるなら、彼女の指摘には創自身も含まれていた。
「今回はホントに『惜しい』ところまでいったからな。蓄えがすっかり空っぽになっちまったんで、補給してるんだよ」
こうして会話している最中にも凄まじいスピードで菓子が消費されていく。創から伸びる黒い『手』によって。
何本もの手に触れた菓子は、まるで消失マジックのように一瞬で消え失せる。創は頭を掻きながら言った。
「本当はちゃんと味わって食いたいんだけどな……今回は急がなきゃいけないから仕方なくこうしてるんだよ。エネルギー源さえあれば活動できるから、菓子は補給には最適なんだよ」
「……物を味わうなんて、人間みたいなことを言うのね」
わざわざ機嫌を損なうようなことを言うべきではないと理解しつつも、麗花は思わず棘々しい口調でそう言ってしまう。
対する創はそれを聞いて怒るでもなく、考え込むように目を閉じた。
「……なあ、おまえがそんなに未確認生命体を恨んでる理由はなんとなく察しがつくが、おれは元々人間だったんだぜ?」
「関係ない。今のあなたは未確認生命体第一号。わたしの敵。どんな理由があっても、許すつもりはないわ」
それを聞いた創は目を開け、まっすぐに麗花を見た。
「――おれはすべてを奪われた」
「……」
「誰にやられたのか思い出せないが、あの培養槽に突き落とされたことで人間としてのおれは死に、あそこにたどり着くまでにおれは親友と妹を失った」
「……そんな話で、わたしが同情すると?」
「そういう目的でこの話をしてるわけじゃない。むしろこれを聞いて動揺するようなら、おまえはあいつとは戦えない」
「……襲撃者のこと? 相手は何者なの?」
何か説明のつかない焦りに似た感覚を覚えながら麗花はそう問いかける。創はしっかりと麗花の目を見据えながら、静かに言った。
「――敵の名はミナト。正式名称は被験体3710番。おれの『S細胞』と生まれる前の人間の赤ん坊を掛け合わせて生み出された、人型の生物兵器だ」