No.32 かくて炎は現れた
今年もよろしくお願いしまーす!
その言葉はごく自然に口から出てきた。アウトサイダーが言った通り、まるで最初から知っていたかのように心に浮かんできたのだ。
召喚の呼びかけに呼応して造の前に虚空から【門】が現れ、そこから二人の人影が現れた。
「ああー……」
「うー……」
「……あれ?」
出てきたのは男女合わせて二人のゾンビ……なのだが、二人ともどこからどう見てもまだ小学生くらいの幼子だった。
二人は生気のない目で辺りをきょろきょろと見回し、造を見つけるとふらふらと近づいてきた。
「ああー……あう」
「えーっと……、きみたちが、その、ぼくの契約者?」
「あう」
こくりと頷く二人に造は顔には出さずに内心で頭を抱えた。
(ど、どうしよう……この二人で梓さんをどうにかできる気がしない……!)
「ひょっとして、その二人がわたしの相手なの? 造くん、本気でやってる?」
梓まで呆れたような顔をしており、ますます造は頭を抱える。
するとそんな心情を察したのか二人のゾンビは心なし不満そうな顔で梓に向き直った。
「ううー……ガアッ!!」
「!!」
直前までのゆったりとした動作から打って変わって、まるで脱兎の如く駆け出した二人はあっという間に梓の目の前まで接近した。
(速い! 想像していたよりもずっと! 油断していたとはいえ、いきなり接近を許してしまったわ……!)
梓は両手から蜘蛛糸を出して二人を捕らえようとするも、二人は左右に分かれてそれをかわし、そのまま梓に飛びかかる。
最初に噛みつこうとしてきた男の子のゾンビは後退してかわしたが、続く女の子のゾンビに爪で左腕を切りつけられた。
予想を遙かに超えた俊敏さに加え、連携までして襲い来る二人に梓はそれまであった油断を完全に捨て去った。冷静に二人の挙動を見据え、先に噛みつこうと飛びかかってきた女の子ゾンビを糸で拘束し、続いて男の子ゾンビが振り回す鋭い爪の攻撃を蜘蛛の脚で巧みに捌き、隙をみて取り押さえてしまう。
「ぐうう……うがああ!」
(見た目からは想像もできないほどすごい力ね……気を抜いたら抜け出されてしまいそう。なるほど、これなら合格点をあげてもいいかもしれないわね)
暴れる男の子ゾンビを押さえつけながら梓は内心で笑みを浮かべる。油断していたとはいえ、本気でないとはいえ、仮にもグレート・オールド・ワンである自分とある程度戦えているなら十分だ、と。
(さて、そうなると現時点でどこまでやれるのか確かめておきたいわね)
「これで終わりかしら? 正直驚いたけれど、これじゃあまだまだね。他には何かないの?」
実際のところ、少しでも力を抜けばすぐにでも脱出されてしまいそうなのだが、そんなことはおくびにも出さず優雅に微笑む梓。それを向けられた造は大慌てで思考を巡らせる。
(どうしよう……! あの子たちが思ったよりずっと強かったのはよかったけれど、簡単に無力化されちゃったよ……! なんとなくだけど今はあの子たち以外に呼べないのが「わかる」し、どうすれば――ッ!?)
その時、背後から凄まじい気配を感じ、振り返った造は驚愕で言葉を失った。
造の後ろで戦いを見守っていた紅里。その姿が煌々と燃える炎に包まれていた。
絶句する造を尻目に、紅里は梓に向けて手をかざす。
「!!」
とっさに飛び退いた梓の足下で炎が上がった。炎はすぐに消えたがその熱量は相当なもので、距離があるにもかかわらず造は感じる熱に身じろぎする。
「ちっ、外しましたか」
忌々しげにそう吐き捨てる紅里は言葉遣いも雰囲気も普段のものとはかけ離れており、その様子に造は戸惑いを隠せず、つい言葉が口をついて出た。
「あ、紅里……?」
すると紅里は申し訳なさそうに目を伏せて頭を下げた。
「失礼しました。『悪』を目にすると感情が高ぶってしまって、ついうっかり」
それを聞いた梓が不機嫌そうに口を尖らせて抗議する。
「ちょっと、いきなり出てきて人のことを悪者呼ばわりするなんてひどいじゃない」
「黙りなさい。善良な若者を襲い、学園の七不思議などと語られるあなたのどこが悪でないというのですか」
「別に呼ばれたくてそう呼ばれてるわけじゃないもの。夜の学園内を嗅ぎ回られるのが都合が悪かったから怖がらせたりして排除していたらいつの間にかそう呼ばれるようになっていただけよ」
「経緯がどうあれ悪は悪です。悪は滅するのみ。覚悟してください」
そう言って手に炎を宿す紅里。それを見た梓から表情が抜け落ちた。
同時にその口に微かな亀裂が走る。
「アナタが何者かは知らないけれど……蜘蛛の神と呼ばれるわたしをあまり甘く見ないでもらえるかしら?」
「わたしだって『旧支配者』と呼ばれたこともある存在です。それに、相手がなんであれわたしはわたしの正義を貫くのみです」
両者はにらみ合いを続けたまま、その場の圧だけが加速度的に高まっていく。
完全に蚊帳の外に置かれた造はなんとか二人の間に入ろうと機会を窺っていたが、それを実行することはなかった。先に二人の間に割って入った者がいたからだ。
「消し炭になりなさい!」
紅里が放った火球が凄まじい熱量をもって梓に迫り、対する梓は身構えてそれを待ち受ける。梓の口元から走る亀裂は耳にまで達し、加えて華奢な少女の身体の内側からはバリバリと不安を煽るような音が鳴り始める。
火球が着弾する直前、そして梓から得体の知れない何かが生まれるその直前、現れたのは金髪の少女。
「――はい、そこまで」
何もない空間に突如現れた少女がそう言うと同時に、彼女の目前に迫った火球が「消失した」。
「なっ――!」
人一人など容易く燃やし尽くせる火球があっけなく消され、しかもその方法がまるでわからなかったことに動揺の声を漏らす紅里。
「あら……アナタもいたのね」
一方の梓は突然現れた少女にも消えた火球にも動じることはなく、むしろ少女とは知り合いのようで、身体から力を抜いて完全に普段の雰囲気を取り戻した。
「やあ梓。口元、隠したほうがいいと思うよ?」
「おっと……いけないわ。ここまで本気になるつもりはなかったのに、わたしったらダメね」
ひとしきり梓と笑い合った少女はすたすたと歩いて造の前にやってくると、にっこり、というよりにんまりと笑って言った。
「やあ造くん。お疲れ様。今日は頑張ったねえ、ぼくがいい子いい子してあげよっか?」
「あ、あの、あなたは……?」
造が聞き返すと少女はぱちんと指を鳴らす。すると、造の両隣にゾンビの二人が現れた。二人は突然のことに驚いた様子だったが、側に立つ造に気がつくと嬉しそうに身を寄せた。
「ぼくはルイス。詳しいことは後日話すとして、今日はみんな疲れたでしょ? というわけで、解散!」
そう言った少女が返事を待たずに指を鳴らす。視界が暗転し、気付くと造は寮の入り口にいた。
「さあ、明日も学校があるんだから、早く寝ましょう? 紅里ちゃんはわたしが運ぶから、造くんはその二人をお願いね」
何事もなかったかのように元に戻った梓が中へと姿を消し、後には造と二人のゾンビが残された。
「……ええー」
状況についていけない造はしばらく空を見上げて現実逃避していたが、両側から早く行こう? とばかりに袖をくいくいと引っ張られると、ため息をついて中へと戻っていった。