No.18 ショゴスオリジン
天津原総合病院。国内随一の規模を誇る診療施設であり、その規模に見合うだけの腕を持った医師が多数在籍する世界的に見ても有数の病院である。その一室にて、創は検査を受けていた。
「本当にすごい細胞ね。こんなに調べがいのある検体は始めてだわ」
顕微鏡から顔を上げた女性の名は天津原黎子。完璧に整った目鼻立ちに深い知性をたたえたグレーの瞳。豊かな胸に引き締まったウエスト。大人の女性の魅力が詰まった肢体を白衣に包み、腰まで届くほどの長い銀髪を後ろで束ねた、知的なクール美女という言葉がこれ以上ないほど似合う彼女は、この病院の院長でもある。
「それはどうも。で、何かわかったことは?」
その対面に座る創は仏頂面のまま質問を投げかけ、出されたコーヒーを啜った。
未確認生命体と呼ばれる、人類に対して脅威と見なされた存在たち。その第一号である彼は今日、己の特異な身体についてより深く知るためにこの病院を訪れたのだ。ちなみに彼の従者であり自身も異形の者であるシルヴィアは先んじて検査を受けており、終了後創にここに入院する学生三名と人狼の司の世話をするように命じられ、喜び勇んで病室へ消えていった。
この天津原総合病院には、未確認生命体関連の事件に対する被害者の収容や解剖を担う機関という、裏の顔があった。そしてその院長である黎子もまた、未確認生命体対策班、通称第0班のNo.2にして【神医】の異名をとる、かの錫奘寂蓮の次にあたる古参の班員、という裏の顔があった。そんな彼女は医者としての顔しか知らぬ者が見れば誰もが驚きを露わにするほどに興奮した様子であった。しかし、新入りである創以外の班員ならみな知っていることであるが、彼女はいわゆる自分の研究に対して並ならぬ執着を持つ人種――わかりやすく言えばマッドサイエンティストであった。
「そうね、貴方は未確認生命体第一号……ショゴスについてどれくらい知っているかしら?」
質問に質問で返すんじゃない、と思うも口には出さず、創は答える。
「ショゴスとは、決まった形を持たない不定形のアメーバのような生物だ。尋常じゃない可塑性と延性を持ち、何にでも変身が可能。そして――馬鹿げた再生能力も持ち合わせ、限りなく不死に近い」
最後でわずかに顔を歪めたものの、淀みなく創は答えた。なにせ自分のことだ、知っていて当然だろう――という創の思いは、くすりと笑った黎子によって裏切られた。
「残念、不正解ね。と言っても、完全に間違いではないけれど」
「……どういうことだ? 俺はショゴスじゃないのか?」
かつてある人物からそう聞かされていた創は困惑とともにそう聞き返す。
「いいえ、貴方は紛れもなくショゴスよ。普通の、ではないけれど。例の洋館であなた、シルヴィアと交戦したわよね? 何かヘンに思ったことはないかしら」
どことなく試すようなその質問に、創は俯いて考えを巡らせた。
自身と同族であるはずのシルヴィア。しかし、彼女の攻撃は自身に何一つ通用せず、逆に自身の攻撃は彼女の再生能力を上回るダメージを刻んでいた。さらに、その再生能力にしろ見たところ自分の方が圧倒的に上のように思えた。自身は紛れもなくショゴスである。しかし普通の個体ではない。その言葉を信じるならば、そこから導き出される答えは――。
「上位種がいて、それが、俺だとでも?」
「正解よ。それと、上位種じゃなくて最上位種よ。おそらくは、だけど」
愕然とする創を見て、黎子は教師が生徒に諭すような口調で先を続けた。
「――ショゴスオリジン。それが、貴方が変異してしまった個体の名よ。検査の結果、シルヴィアも特殊な個体であることが判明し、我々第0班は彼女の種族名を『スーペリアショゴスロード』と命名したわ。どちらも通常の個体とは一線を画すほど強力な個体よ」
「ショゴス、オリジン……」
オウム返しのように繰り返す創を眺め、自身もコーヒーを口に含み、唇を湿らせてから黎子はなおも続ける。
「ショゴスという種族が持つ特異な細胞……『S細胞』と名付けたこの細胞。基本的に、これの変異・増殖速度が速いものほどより上位の個体であるという認識を持ってもらいたいのだけれど、その点で言えばシルヴィアはかなり上位の存在よ。通常の個体と比べてだいたい十倍の変異速度と言えばわかりやすいかしら。そして創くん、貴方の場合はそのシルヴィアと比較してほぼ倍よ。脳や心臓のような弱点もなし。物理的な方法で貴方に傷をつけることはほぼ不可能と考えてもいいわね」
そこまで一気に話し終えると黎子は一度言葉を切り、カップに残るコーヒーを飲み干した。そして「時に、あなた」と口を開く。その顔からは先程まであった興味の色は消え、微かに伺うような慎重さが滲んでいた。
「貴方がそうなってしまった原因についてだけれど……差し支えなければ教えてもらっても構わないかしら?」
その問いを受け、創は目を閉じる。脳裏に蘇るのは当時の記憶。それは、大事なものをすべて失った、拭いきれない後悔の記憶であった。
創は目を開け、天井を仰いだ。そして、静かに語り出す。視界に移る白い壁。その先に過去を見ながら。
「確か、『原ショゴス培養槽』だったか……黒いゼリーのような物体で満たされたプールみたいな見た目だったな。そこに突き落とされたんだよ、俺は。それで気づけばこの有様だ」
原ショゴス。その単語を聞いた黎子の眉が僅かに動いたが、上を見上げながら語る創が気づくことはなかった。
「……相手は、わからないの?」
「わからない。落ちる直前、確かに相手の顔は見たはずなんだが、そいつの顔だけが靄に覆われたみたいに思い出せないんだよ」
ただ、と前置きしてから、創は続けた。背格好からして、そいつは女性のようだった、と。
「…………そう、わかったわ。ありがとう」
礼を言い、席を立つ黎子。創と連れ立って部屋の入り口へ向けて歩き出す。同時に先程まで彼女が覗いていた顕微鏡からずるりと、手のひらサイズの黒いスライムが這い出し、滑るような動きで創に合流した。
「確か、『分離した細胞は視界から外れると制御を離れて、本体と合流しようとする』だったかしら。帰巣本能とでもいうのかしらね? それに、ついさっきまで肉眼じゃ確認できないくらいだったのにもうこんな大きさに成長するだなんて、驚嘆すべき増殖速度だわ」
心底感心したように言う黎子。対して創は「本能か」と呟くと、吐き捨てるように言葉を紡いだ。
「その本能が俺の邪魔をするんだ。どんな方法を用いて自分を殺そうとしても、俺の意思とは無関係にこの身体はあっという間に再生しちまう。切っても潰しても燃やしても、粉々に砕いても液状になるまで溶かしてもだ。老化もしない。コービットのやつは死ねて幸せだよ――――不老不死なんてロクなもんじゃない」
創が退出した後の部屋で、黎子は一人資料をまとめていた。他のメンバーがいずれも戦闘方面にばかり特化していることもあり、こういった事務作業も彼女の担当なのだ。
ふと、彼女は手元の資料に目を落とす。そこには、燃えさかる建物をバックに天を仰ぎ吼える、巨大な黒い怪物の姿があった。
「……人間から不死身の怪物へ、か。あのコもずいぶんと酷な運命を背負ってるわね。なんにせよ、これから忙しくなりそうだわ」
誰に向けたわけでもないその呟きは、室内を満たす静けさの中に溶けて消えていった。
短めですが今回はこれでお許しください。キリがいいので。
それと創とシルヴィアの種族ですが、もちろんオリジナルです。とりあえず普通のやつより強いんだぞ、ということがわかってもらえばいいかな、と思ってこうなりました。だって筆者の拙い表現力じゃ他に方法が思い浮かばなかったんだもん。
オリジナル要素多めのこの物語、筆者の気力が続く限りは続きますので、これからもよろしくお願いします。