ここはゲームではなく現実です
豪奢な装飾と調度品が集められた、しかし天井から床の片隅までが全て調和がとれている大ホール。
この王城の主の威厳を示すかのようなここでは、王族主催の舞踏会が行われている。
いや、行われていた。
開催の宣言から暫し経ったのち、玉座より下の壇上には王太子とその側近達、そしてピンクブロンドの髪をした愛くるしい少女が立つ。
王太子や側近達は諦めや失望、少女の顔は不安を浮かべている。
この場に似つかわしくない様子に、参加している貴族たちから訝し気な声が上がる。
やがて、王太子は一礼した後に口を開いた。
「私、ニール・ヘインズはサンドラ・オーウェル令嬢との婚約を破棄させて頂く」
ニールの宣言に周りは騒然となった。
その中で身じろぎもせずに微笑を浮かべて立つ女性。
たった今婚約破棄を宣言されたサンドラ・オーウェルだった。
「殿下、理由をお聞きしても?」
「サンドラ…、君は僕の婚約者として有り得ない振る舞いをした」
「…それだけ、ですか?」
「やはり、君はそれすらもわからなかったのか」
残念だよ、と目を伏せるニール。
「ニール様ぁ…ごめんなさい…私のせいで…」
場違いな甘い声が響く。
壇上にいた少女だった。
「マリー、大丈夫です。王子を信じて下さい」
少女の近くにいた眼鏡の男が宥める。
「……」
簡易な鎧に身を包んだ男は、悲し気に少女を見たのちに、サンドラに軽蔑の視線を投げた。
王太子には劣るが立派な衣装に身を包んだ男は、退屈そうに成り行きを見守っている。
わかってはいたけど、実際に目にするとキツイものがあるわね。
サンドラは壇上の光景を見て、内心でため息をついた。
サンドラは侯爵家の令嬢である。
普通の令嬢と違うのは、前世の記憶を持っていたこと。
前世の某所ではありふれた話だが、幼い頃に熱病で苦しんだ時、ここが前世でプレイしていたうちのひとつの、とある乙女ゲームの世界だと知ったのだった。
ストーリーはこれまたありふれたもので、学園に編入してきたヒロインが王子やその取り巻きたちと恋に落ち、愛のない婚約を無効にして結ばれるというやつだ。
サンドラが転生した悪役令嬢は、確かどのルートでも三行くらいで死んだことが語られていたはず。
だったら私は死亡フラグを折るだけよ!!
決意したサンドラはすぐに行動に移した。
ニール王太子との婚約はほぼ決まりかけていたが、必死で子供の振りをして泣いて嫌がり、父親に縋った。
残念ながらすぐに婚約を白紙にする迄には至らなかったが、父親からは王に取り消してもらうように進言すると約束してもらい、後日白紙になったと教えてもらった。
最大のフラグを潰したサンドラはその後、貴族教育の傍らで、平民になった時に役立つように裁縫や料理などの腕を磨き、また自領で前世知識を元にした商品の開発を進めた。
お陰で自領は潤い、平民になった時用の貯金も学園入学前にかなり溜まった。
仮に結末の一つである着の身着のままで家を追い出されエンドになったとしても、あちこちに金を隠しているから問題は無い。
唯一煩わしい出来事と言えば、未だに王太子と会わなければいけないことか。
父親曰く、王太子の婚約者として適切なのはサンドラくらいしかいないようで、すぐには別の候補を立てることが難しいので、王家や侯爵家の威信等を保つために表向きだけでもサンドラが婚約者としていなければならないらしい。
毎回毎回お茶とお菓子を互いにつまんでは当たり障りのない会話をするだけ。
仮の婚約者でありこのお茶会以外には接点がないというのに、子供ながらもニコニコとした如何にも『王子様』といった笑顔を浮かべられるニールには呆れを通り越して尊敬の念すら覚える。
クッッッッソ面倒くせぇぇぇぇ!!!
将来ヒロインに浮気する可能性が高いやつと仲良くするなんて苦痛じゃない!?
つーかそもそも私、精神年齢は前世だけでもとうに成人してるんだよね。
正直20歳下の男に恋愛感情持つなんてのは無理でしょ!!
教育の過程で身についた仮面の笑顔の下、サンドラはニールに会うたびに心の中で毒づいていた。
月日は流れてサンドラとニールはゲームの舞台であった学園に入学し、ゲームが始まる次期と全く同じ頃、これまたゲームと見た目も境遇も同じヒロインが編入してきた。
サンドラは自身の死亡フラグを折るために、ヒロインとは接触もいじめもせず、取り巻き達にもヒロインをいじめないようによく言ってきかせていた。
本来ならば関わりたくもなかったが、ゲーム通り令嬢の中で一番力のある立場になってしまったからには全く関わらない事は不可能だった。
その為に必要最低限には対策をして、あとは極力関わらないように彼女を避けた。
しかし、時折サンドラの耳にはサンドラがヒロインをいじめているという噂が入ってくる。
色々な伝手から聞いたヒロインの様子は、まさしくゲームと全く同じ道筋を進んでいる。
これはヒロインも転生者の可能性が高い。
付け加えると、逆ハーレムルートを狙っている自己中ビッチタイプだ。
ヒロインはニール以外の攻略対象(テンプレの冷酷系眼鏡、熱血系騎士、チャラ男系貴族)の婚約者(眼鏡とチャラ男のだ)に忠告されているときはしおらしくしているが、彼女たちがいなくなるとニヤリと嫌な笑みを浮かべるのだ。
そもそも、少なくとも現実ではサンドラ本人はやっていないいじめまでやったという噂が流れる時点で可笑しい。
日々の生活の傍らで死亡フラグだけじゃなく、ざまぁエンド対策もしないといけないとは面倒くさい。
でも、今のタイミングならばゲームイベントが起こる時期にアリバイを作っておけば、ヒロインが王太子もろとも自滅するからそこまででもないか。
そうして迎えた学園の卒業式の後、王族主催で行われたこの舞踏会。
ヒロインを傍らに、ニール王太子は見事にゲームの再現をしてくれた。
あ~あ、やってくれたわ馬鹿王子と金魚の糞どもが。
ビッチヒロインもあれ完全に「ざまぁ」とか思ってるよね。
つーか、表向きだけの婚約で既に白紙になっているのに、それすら調べようとしないなんてあいつら本当馬ッ鹿じゃない?
はぁ…ここまで長かったわぁ。
早く「代わりにヒロインを新たな婚約者にする」とかなんとか言ってくれないかなぁ。
家に戻ったら新しい商品開発しよう。
もし平民落ちしたら、どっか別の国に行って自分の店でも出すか!
そんなことを考えながら、サンドラにだけにしか見えない様に嘲りの笑みを浮かべたヒロインを尻目に、サンドラは次の言葉を待つ。
ニールは何とも言い難い目でサンドラをじっと見ていたが、目を伏せ、口を開いた。
「そして、要請により我が王国に仇なす者たちとして、国王陛下より委託された権限を以てサンドラ・オーウェル令嬢とマリー・リース令嬢を貴族籍から抹消し、本日より一時的に拘留することを宣言する」
「…えっ!?」
「…はぁ!?」
全く想像もしなかった王太子の言葉に、サンドラとマリーは驚愕した。
途端、今までマリーを宥めていた筈の眼鏡の男が、彼女を地面に押し付けた。
訳も分からず突然伏せられたマリーは当然暴れるが、騎士の男から多数の拘束具をつけられ、猿轡もされてしまい王太子に視線を向けるしかなかった。
一方、サンドラは我を忘れて王太子に向き合った。
「殿下!!!一体それはどういう事ですの!!??」
「どういう事も何も、今言った通りだサンドラ・オーウェル」
「何故私が王国に仇なすものだというのですか!?」
「…やはり、君はそれすらもわからなかったのか」
先程と全く同じ言葉だが、何十倍もの怒りと失望が込められた声色に、流石のサンドラも身を竦ませる。
「サンドラ嬢、そもそも君と私との婚約がなぜ結ばれたのかを理解しているのか?」
「そ、それは…、政略で…」
「そうだ政略だ。貴族たちの派閥等を考え、結婚後の均衡が一番適していたのがオーウェル家だった」
ゲームではなぜ婚約したのかが不明だったが、婚約を白紙にするように父親に縋り付いた時、そのようなことを子供に言い聞かせるように教えられたのだった。
と、今までサンドラと向かい合っていた王太子は、国王陛下に振り向く。
「陛下、私から彼女に経緯を説明しても?」
「…構わぬ」
たった一言、しかし辺りに広がった威厳と威圧感は相当のものだった。
未だに暴れていたマリーもビクリと竦んでしまうほど。
王子はそんなマリーには目もくれずに再びサンドラに向かい合う。
「当時オーウェル侯爵は君があまりにも嫌がったために、早いうちに婚約者を決めるのは流石に荷が重いのかと悩んでいた。しかし、王家からの要請をそれだけで拒むわけにはいかず、どうすべきかと陛下と相談されたそうだ」
「!!ま、まさか…」
「そう、陛下と侯爵は婚約を保留にし、君には婚約は白紙になったと告げてその後の様子を見ると決められた」
王子は侯爵の方にチラリと目を向け、すぐに戻す。
その時、傍らにいたチャラ男貴族が王子に紙束を手渡した。
「白紙を告げた後の君の行動は侯爵がすべて把握していてね。何処か安心したようだと記されている。その後は…君はまるで生業に出来る腕になるくらい裁縫や料理に力を入れていたようだ。……領地では誰も思いつかなかった視点からの新商品をいくつも開発しているな」
手渡された紙を見ながら王子は尚も続ける。
サンドラからは見えなかったが、父親の侯爵はその間も無表情であったが、何処か傍観しているようだった。
「これらは逐一陛下に報告されたが、分析した結果、サンドラの心は既に成熟していて、子供特有の判断で婚約の撤回を願ったわけではないとの結論が出た。ならばその理由と目的は何なのか。貴族だというのに庶民が行う仕事の腕を磨いていて、あちこちに換金できる貴金属を隠していることで、サンドラは貴族の籍を捨てて庶民として生活していきたいと願っているとすぐに推測できた。だが、その割にはいつまでも侯爵に離籍を宣言せず、貴族のための学園に所属し続けていた為、貴族として生きていきたいとも考えられる」
サンドラは話が進むに連れ、血の気が引いていくのを感じた。
まさか、自分の行動が殆ど把握されているとは思いもよらなかった。
流石に転生者で破滅フラグを回避するためにやっていましたとはバレてはいないようだが、それにしたって状況が悪すぎる。
「ずっとわからなかったが、この女が入学してきてから状況が変わった」
ここでようやく、王太子はマリーを一瞥した。
といっても文字通りの一瞥で、彼女が求めていた視線とは正反対だったが。
「こいつの目的は実にわかりやすかった。見目が麗しく、身分が高く財産が豊富な貴族の妻となる事を求めていることがね。幾ら庶民として生活してきたとはいえ、こいつの行動は目も当てられないほど品がなかった」
ニールの言葉にマリーの顔が真っ赤になる。
しかしこの期に及んで尚、彼女は自分が王太子からこいつ呼ばわりされる程の行動をしたとは考えていなかった。
そんなマリーには構わずに、ニールは更に続ける。
「こいつが入学した数日後、話し掛けられたか声を掛けられそうな者達とその婚約者達には、忠告と情報を提供するように通達した。そのうちこいつが付きまとうのが私含めたここにいる4人だと分かったため、ローラン達とその婚約者達にはこいつの傍で引き続き情報を得られるように協力を要請した。彼らからしたら苦痛だっただろうに、よくやってくれたよ」
壇上の宰相子息ローラン達とその婚約者達は貴族の礼を取る。
一方のマリーは、ショックで血の気が失せ、目の前が段々と暗くなっていた。
今までずっと自分を愛してくれていると思っていたのが全て演技で、それどころか全員から嫌われていたという現実を受け止めきれていなかった。
「サンドラ、君はこの女の事も確実に把握していたはずなのに、何故か周りの人間に言い含めるだけで、自分から彼女へ忠告することはなかったね。こういった輩に忠告するのも君の仕事だというのに」
「そんな!!私は殿下の婚約者ではなく、」
「首席という立場での仕事のことだ。それに表向きだが君は私の婚約者ということは言われていただろう?」
「そ、それは…」
「君はこいつの事だけに動かな過ぎた。だからこそ、君の目的に見当がついた」
ニールは改めてサンドラに向き合うと、一息ついて発言する。
「君は私を廃嫡させて、次の王位継承者となる者の妻になるのが目的だったのだろう?」
昔から陰謀を企んでいたというあまりのひどい誤解にサンドラは目を見開くが、ニールは止まらない。
「そうなれば君の行動の全てに説明がつく。技術を身に着けて財産を貯めていたのは、私を廃嫡出来ずに逆に君が廃嫡された時の為に備えていたからだろう?」
堪らずサンドラは声を上げた。
「ち、違います!!!私は…、私は…っ!!」
「そこから先は別室で聞かせてもらうよ。取り調べという形だが」
会ったこともない私を見下す程嫌っていた理由も、君が自領で行っていた技術の知識を何処で得たのかも全てね。
そう言ってサンドラの発言を打ち切ったニーズが合図を出すと、彼女の傍らを兵士が囲む。
崩れ落ちた彼女を支えるように、しかし逃げることは出来ないように。
抵抗はしないと思われたのか、マリーみたいに厳重に拘束はされなかった。
サンドラの前に、何処か虚ろな目で何事かをブツブツと呟くマリーが連行されていく。
「私はヒロインなのに…」「これはきっと夢なんだ…そうよ目が覚めたらニールが私にプロポーズしてくれるのよ…」というお決まりの呟きは、誰も聞き取ることはなかった。
「どうして…!!私はただ生き残りたかっただけなのに……!!」
退場の時に嘆くサンドラを見据えていたニールは、去り行く彼女に聞こえるようにポツリと零した。
「サンドラ、最初から君が私に相談してくれたら、穏便に君の望みを叶えてあげられるように協力したのに」
──―実に残念だよ
ニールの哀れむ様な声色は、サンドラの脳裏に焼き付いて離れなかった。