Mother said that
あぁ、もう着いてしまったか…
まだ先程の初めてのダンスに酔っているようだ。
薄い雲の向こうには滑走路のランプが鈍くだるそうに光っている。彼らはきっと、僕らに「おかえりなさい」と言っているのだろう。そう思い込むことで救われる人はこの世の中にいるのかもしれないと思う。
着陸。
人間が翼を持って産まれてこない理由が何かわかるような気がする。機体を整備士に託して地上に降りると空ではそれ以上なのに重力を感じる。
隊長が降りたようだ。梟が獲物に襲いかかるような静かさを持っていた。
隊長も整備士に機体を託したのだろう。前をさっきまでひらひらと舞っていた彼女の機体がのそのそと通り過ぎた。その機体の翼には無数の(空にいる時は豆絞りにしか見えなかったが)星がマークされていた。きっと撃墜数を記録しているのだろう。
「ケガとか身体の方は大丈夫?初フライトお疲れ様。」
隊長は、パイロットにしては珍しい長い髪を払ってペットボトルのキャップを閉めながら言った。
「お陰様で。」答える。
「君はとても冷静だね。だけど、やっぱり先はそんな長くないんだろうなぁ」隊長は、微笑みを浮かべながら向こうの方に歩いていく。「隊長それはどういうことでしょうか?」僕はたまらず聞いてしまった。あまり、会話というものは得意な方ではないのにこのような行動をとったことは驚きだ。
「地上で隊長は、止めてよ。うーん、呼ぶんだったらレイカさんにして頂戴。」振り向いて言う。「そのままの意味。貴方、1年はもたないと思う。何で、後ろに敵を付けたまま援護に向かったの?」
痛いところを突かれた。と思ってしまった。何故ならあの時の行動は今になって自分自身で不可解だと、思い始めていたからだ。
「ねぇ、なんで?」
答えられない。沈黙が続く。
「じゃあ、報告あるから司令室に行くね。君はもう休んでていいよ。後で君の部屋行くから、そこまでに回答用意しなさいよ。」彼女は行ってしまった。その後ろ髪は空気と一体となって揺れていた。
後で。と言われても何時間後になるのかもわからないから、何をしようか悩んだ。その結果まず更衣室でシャワーを浴びる事にした。シャワーヘッドから出てくる水は飛ぶ行為を知らないのだろうなと、ぼんやりと思う。その考えの矛盾に気付き一人で笑ってしまった。シャワーを浴びたら、部屋へ行った。ベッドに寝転んで、隊長の後ろ髪の動きを頭の中で繰り返し再生していた。その内、いつの間にか眠ってしまった。
ドアをノックする音が聞こえる。夢を見ていたような気がする。内容は覚えていないが。先程見た海に刺さる黒い槍が、頭から離れていないようだ。気だるげな声をわざと出して、「はぁい」とノックに応えた。
「こんばんは、答えは出た?」彼女の右手はドアを開け、左手は背中でビールの缶を隠していた。何を隠そうとしてるのか、思わず微笑んでしまう。
彼女は部屋に入ってくる。「ここ座っていい?」僕は頷く。何を隠そう、この時僕は彼女のスラリと伸びたビール缶を机に置く左手、斜めに揃った前髪の下の凛とした目に完全に見とれてしまっていた。年頃なのだから仕方が無いと思いつつ、軽く自己嫌悪しつつ、また、見入ってしまう自分がいた。一瞬思考が止まる。
「どうしたの?ぼーっとしちゃって?」「いえ、大丈夫です。はい。」
「私、何歳に見える?」いきなりの質問に戸惑いつつ「3歳。」ぎこちなく指を三本立て、気を利かせてジョークを言ってみた。
「違う、26よ。」
気の利いたジョークに素で返されてしまったので、少し残念だ。
「今日、堕ちていった人のこと覚えてる?」
「どうでしょう?正直そんなに覚えてないんだと思います。でも、一人一人の海に残してった黒い槍は覚えてますよ。」
彼女はニッコリ笑って言う
「ふーん、君はそうゆう風に形容するんだね。なかなかに詩的なんじゃない?私はあれの事を、人が生きていたっていう印だと思うの。落ちていった彼らは別に主張しているわけでもないんだろうけど、自然と出来たものであって、そこにあるだけじゃない?」脚を組みながら言う。火照った頬とその白い脚は同じ人間のものなのかと違和感を覚える。
「レイカさんも充分詩的ですね。素敵だと思います。」
「上手ね。お姉さん気分が良くなったわ。」
素直に照れてしまう僕。気持ち悪い。
「ねぇ、舵を握った時なにか感じた?例えば自分の生死についてとか?」
「生死については感じませんでしたね。でも、相手を落とすイメージ?感触?は感じたんだと思います。丁度鶏を絞めるみたいな感じです。」この質問には正直驚いた。操縦桿を握った時確かに、少し居心地の良さの様なものを感じていたからだ。
「へぇ、その感じはよく分からないけど、私が師事していた人もそんなこと言ってたよ。彼の場合は、興奮したみたい。」僕は適当にあいずちを打ってしまった。だって、その人は今生きているかどうかなんて知らないんだから。そんな僕を察してか彼女は「ごめん」と付け足した。
「私、志願兵なの。」また、いきなり飛んだ。
「そうですか。」そうとしか答えられない。
僕らの国では女性は徴兵されないが、志願して兵士になることは可能なのだ。だから、女性パイロットも少なくはない。訓練期間中何回か女性とパートナーを組んだ事はある。どの人も優秀だったような記憶がある。たしか彼女達は最前線に移動したような気がする。今生きているのかは知らない。
「君の操舵は少し荒削りだね、強引な感じがある。」徐に彼女は言う。またまたの急な話題の変更に戸惑いつつ、姿勢を正してこれから行ってくれるであろう講義に備えた。
彼女は色々教えてくれた。1時間くらいレクチャーを受けてただろうか。「じゃあまた明日」立ち上がりながら言う。「あれ?質問の回答は?」
「あぁ、いいの。死ななきゃいいんだから。飛んだ後は自分で分析をするという事を習慣化して欲しかっただけだから。よく言うけど、死にたくなかったら、人の倍以上考えなさい。」
「死にたいとも、死にたくないとも思わなかったら?」
「それでもいいの、考えなさい。それ込みでね。生きていたらなにか出来ることはきっとあるはずだわ。だってそうでしょう?あの人が死んだ事を知らせる印が空でまた踊ることが出来ると思う?できないでしょ?」彼女は、妖艶な笑みを浮かべて続ける「ごめんね、暗い話になっちゃったね。今度街でなにかご馳走するわ。缶捨てといてくれる?おやすみ。」
彼女はビール缶と微かなシャンプーの匂いを残して、部屋を出ていった。
自分の母親とは今まで会ったことはないが、彼女には何故か俗に言う「母の暖かさ」のようなものを感じたのは不思議である。自分はそのようなものに触れたことがないからなおさらだ。「自分も歳をとったもんだな」と、しみじみ思いながら部屋を出た。特別どこに行こうとは決めていなかったけど、歩きたかった。露で少し湿った地面を歩いた。
格納庫の方を見ると電気がまだついているようだったので、行ってみると、まだ整備士が僕の五番型に付いていた。「どうかしましたか?」なるべく、優しく聞いてみる。
「あぁ、お前か。別にどういう訳でもない。ちょっと部品を替えてたんだ。」
「そういう事は報告してもらわないと...」困ったものだ。勝手に手を加えられてた。表情に出ていたのだろう、慌てて
「すまん、上からのお達しでね。新しいパーツが来たんだ。安心しろ、俺の自作パーツは使わねぇからな」誇らしそうに言われる。自作のパーツがあるのだろうか?
「これからは上からのお達しでも、一応いじる前に報告してくださいね?因みにどこのパーツですか?」気になったので聞いてみる。
「レーダー周りだな。五番型はそろそろ基本設計が古くなってきてるからな...エンジンはそこそこ良いんだが、他がダメなんだ。」確かに五番型は、現役で一番旧式である。当時、前進翼の機体ながら安定性と、高速性に優れていたためこの機体は、革新的であり、エース専用機の部類でもあったらしい。だが、ここ5年でその安定性が見直され始め一般兵が最初に乗るビギナー用の機体となったようである。
エース専用機としては今、隊長が乗っている、一番型や、二番型が就役している。パイロットの間では一番型に乗るのが憧れになっていて、撃墜数や階級などの条件を満たさなければ乗れないようになっている。
少し、整備士と話をした。
特別な話ではなく、故郷の話、エンジンの過給器の話、最近基地に現れる子供盗賊集団の話、などと、取り留めもないことを夜がふけるまで話していた。
話すことがなくなったので帰ろうと思った時、ふと思い出したので、「翼に一つ星を書いといて下さい。」と、頼んでおいた。
最近、環境の変化が著しいからだろうか、人恋しさに駆られてるんだろうなと自分を分析している。去年もこの時期、同じく人と触れ合っていたいような感情は持っていた。
整備士が言う。
「そろそろでかい山場が来るのかな?」