Episode03. Die By Day
act01, Hells Mate
改竄班と呼ばれる協会の一組織。そこが私の属する集団であり、居場所のひとつ。
正式名は“オールフェーキング”。組織全体が何人で構成されているのかは分からない。というより、メンバーでもある私たちにすら開示されていない。
理由は簡単。法に触れるどころか、非人道的な行いこそが主要な任務だから。記憶操作、情報操作、必要なら殺人だってこなす。
だからこそ組織自体が慎重になっている。
「メアリー、今日は残業しなくても良さそうだよー」
殆ど同期で、公私ともに一緒に行動することの多い親友とも呼べるベレッカは、今日も今日とて笑えない冗談を放ってくる。
「吐くならさ、もっとマシな嘘を吐いてくれる?」
「いやいやー。さっきリディアナちゃんから上がってきた報告書にね、出動の必要はないって書いてあったんだよ。それも、メアリー宛のメッセージ付きで」
私宛のメッセージ……しかもあのリディアナから。
どうせ嫌みのひとつかふたつ程度が書きなぐってあるだけでしょう。わざわざ目を通し不愉快な気分になる必要はないし、即シュレッダー行き決定ね。
「ふたつも事件があったってのに出番なし、か……それはそれで妙な感じね」
「うーん、ただね。報告書を読む限りじゃ、今日は処理班が大変そうかなー」
「どんだけ盛大にやらかしてんのよ」
やり口が上手いんだか下手なんだか分からないわね。
「例のあの日本人、異法使いを斬り刻んだって書いてあるよー」
惨殺思考のシリアルキラー肌か、はたまた激情に感けた行いか。どっちにしろ、噂に違わないヤバい人物だってことは確か、か。
処理班が可哀想になって来た……。
「リリちゃんが可哀想だよねー」
「その前にさ。私から言わせてもらえば、リリーナがどうして自分から処理班を希望したのかが分からないけどね」
「そうだねー。血みるだけで卒倒しちゃうもんね」
「ここまで上手くやっていけてるのが不思議よ、まったく」
言ったものの、あの子がどうして処理班なんかを希望したのかは凡その検討はつく。
あのリリーナが就ける部署なんて、万年人員不足の処理班くらいだろうし。その自己分析の的確さは買うけど、それで厄介者になったらそれこそ、この協会から居場所がなくなるじゃない。
「やっぱり心配なのー?」
「はあ?」
「顔に描いてあるよー。“リリちゃんが心配だ”、てね。メアリーはすぐに顔に出易いんだもん。アタシには分かるよー」
ふふふ、じゃないわよ。
そりゃ心配くらいはするよ。何せあの“地獄の第十三修練場”出身の同期なんだし。
嗚呼、思い出すだけで背中の火傷が痛み出す。
「嫌なこと思い出させた罰として、晩飯はベレッカ持ちね」
「えぇー?! メアリーちゃんの方が先月の残業代は高かったじゃーん」
「問答無用っ」
「うえぇん……」
ま、あの地獄をくぐり抜けたリリーナなら大丈夫よね。きっと。
act02, Before After
大問題――いや、そんな騒ぎでは収まらない。これは剣界始まって以来の有事に違いないことだろう。
僕は通話終了の画面が開いたままのスマホを片手に、月波郁刃の宿泊する部屋の前で備えていたもう一人に声を掛けてから、エレベーターの方へと早足で向かった。
下を向く矢印のボタンを押した直後、もう一度スマホを操作する。
「クレアか?」
『何かあったんですか、スバン様』
「リディアナはまだそこにいるか?」
『今はシャワーを浴びると言って出て行きましたが――』
「ジャック氏とオーウェン氏が何者かに殺されたと、たった今、報告が入った」
『え? そんな報告は受けてませんが……』
「協会とは別口の――いや、僕の個人的な付き合いのある人間からの報告だ。信憑性は疑うまでもないさ、画像付きのメールもあったからな」
『そんな……犯人の目星は?』
「今から現場に向かう。処理班の要請、改竄班へは備えていろと伝えておいてくれ」
『了解しました。何か分かったら都度――』
「分かってる。それからあと、リディアナに言っておいて欲しいことがある」
『何でしょう?』
「月波郁刃の護衛、もとい。お守り役の追加を頼む、と」
『……了解しました』
「それじゃ」
――チーン。
ちょうど到着したエレベーターが開く。
そこにはやはりと言うべきか、癖毛の程が酷い金髪頭の少女――リディアナがいた。
「あまりクレアを困らせてやるな」
「すぐ戻りますってばぁ……それより。さっきのメールにあった画像、あれは信頼して良い情報ですよね?」
やはりリディアナにも送られていたのか。
「ああ、多分な……」
「随分と挑発的な輩の仕業でしょうが、スバン。あなたはどう見ます?」
「下に向かいながら話そう」
リディアナと隣り合う形でエレベーターに乗り込むと、すぐに一階のボタンを押す。
「異法使いの連中で間違いないだろう」
「そんな分かり切った回答、求めてませんよ」
「まあ聞け……あの二人、特にジャック氏は剣能者でありながら剣術の腕前も相当に高い。そんな人間が一端の異法使いに遅れを取るとは思えない」
「腕利きの犯行だと?」
――チーン。
扉が開いてから二人で歩き出す。
エントランスのひと気は疎らだが、そこはやはり名の知れたホテル。軽く見積もっても十数人以上はゆうに越す人数がたむろって、もしくは、革張りのソファに腰を掛けて談笑している。
未成年を連れてこの時間からバーへ行くのも気が引けるので、そのまま外へ向かって歩き進めることにする。
「それも在るが傷口、というよりは……あの切断面を見るとどうにも、な」
「身内の犯行でもあり得る、と」
「考えたくもないことだが、可能性は充分にある。が、月波郁刃は――」
「承知してますよ。あの一件以降、彼女はこのホテルから出ていませんからね」
「ああ」
自動ドアの開閉が終わると、肌寒さを覚える風にリディアナの髪が煽られる。
「僕はこれから現場のあった場所に行くが、リディアナ。君はどうする?」
「クレアの所へ戻るよぉ……こんなに長いことシャワーに時間を掛けていたら、在らぬ疑いを持たれちゃうかもしれないからねぇ」
「そうか。気を付けろよ」
「あなたもねぇ」
不吉なことを言うんじゃない、まったく。
act03, Travel Maker
随分と派手な動きを見せるものよね。正直言って、こういう派手好きな輩は私の好みじゃない。
「シオンさーん」
金魚の糞――じゃない。私の可愛い弟子のアリシアがママを求める雛鳥よろしく、囀っているようね。喧しいったらありゃしない。
「うっさいわよ、アリー。今何時だと思ってるの? いい子はお寝んねする時間でしょうに」
「じゃあ悪い子でいいですよ……定時連絡の時間です」
「あ、もうそんな時間だった?」
「やっぱり忘れてた……」
「良いのよ、私は悪い子だから。現に今、こうして起きてるでしょう?」
「知りませんよ。ちゃんと本国に連絡を入れといて下さいね?」
「はいはい」
可愛げは無くもない。けど、如何せん優等生過ぎるのが難よね、あの子は。定時連絡なんて、わざわざこっちが別にしなくてもいいことなのにね。
――ヴゥ、ヴゥ。
ほら、あっちから来たじゃない。
「はいはーい。こちらロンドン満喫中の神崎詩音でーす」
『……相変わらずの様子で安心しました。それで、そちらの様子はどうですか?』
「うーんとね……無粋、かな」
『簡潔にまとめられるのは結構ですが、まとめられ過ぎてはこちらも理解し辛い点がございます。このような報告は簡潔さよりも詳細さを求められるものですので――』
「分かったー分かったからさ、そうやって高説垂れるのやめてくれる? イライラするしー」
『失礼しました。それではどうぞ』
だからティナは苦手なのよね。
「シャドー、スティル、アフター。この三つは大した動きは見せてないけど。いざとなったらいつでも、って感じかな」
『そうですか。それで?』
「一番の問題はデッドかな。早速さっき剣能者を二人殺ったらしいし、何より。その死体の写真を関係者に送り付けたらしいよ? 派手に動き過ぎだっつーの、ねぇ?」
『了解しました。それでは引き続き動向の監視と報告をお願いしますね』
「はいはーい」
――ブツ。
しかしまあ、デッドクライシスには困ったものよね。
いつぞやの事件の時だって大変な騒ぎを起こしてたしさ。もっとこう、スマートにことを運ぶってのが出来ないものなのかね。
だから異法界のトラブルメーカーとか揶揄されるんだっての。
「ねぇアリー?」
て、本当に寝てるし……どんだけいい子なのよ。
act04, Conservative
遺憾だ。誠に以って遺憾だ。
それがスティルタイムの長、ドヴォルガー氏の意見だそうだ。
「そうは言うがよ。口だけで一向に動き出そうとしない俺らに比べてさ、まだデッドクライシスの面々は行動的でいいんじゃないのかねぇ」
そう口火を切ってみせるのはアフターストーカーの若頭、ミハエル氏。相も変わらない軽い口調は健在のようである。
「事の次第を良く理解した上での発言か。もしそうであるのなら――」
次いで椅子から立ち上がって憤怒するのはスティル側の副長、リーガル氏である。感情的なところが減点対象ではあるが、この四人の中では一番に異法使いとしての誇りを持ち合わせている人物である。
「そう、目くじらを立てることでもないでしょう。この人の軽口は今に始まったことでもない。それよりも今はもっと話し合う事柄が他にあるのでは?」
冷徹にも取れる声色で自らの衆の長でもある人間を蔑んでみせたのは、アフターの女性副長、カイラ氏。クールビューティーと称せば聞こえはいいが、その実、単なる怖いもの知らずのお嬢様だったりする。
「私が声音を強めたいのはな、勝手な独断専行で我々異法界の足並みを乱れさせるのは良くないと、そう言いたいんだっ」
「だからよ。俺らがいつまで経っても足踏みしてるから、デッドの連中が切り込んでくれたってだけだろう? その後に続いて行くのがいいんじゃねぇのか、て俺は言いたい訳でよぉ」
「その方法が問題だと、そう言って――」
「問題? 利用できる物は最大限に利用する。それのどこに問題が?」
両者とも言いたいことは分かる。
異法使いとしての誇りを重視するスティル側。例えそれが仇なしている敵側の力だろうと、使えるものであれば利用すれば良いと考えるアフター側。
どちらの意見も道理が通ってはいるのだが、相反するが故に衝突しているだけの話しである。
「熱弁中に失礼しますが――」
「何だっ!」
私の役回りが一番に損をする仕組みである。
「たった今、デッドクライシスの副長様がお見えになられましたが、如何致しましょうか?」
実際にはもっと以前よりお見えになっていたのだが、何せこの言葉の矢じりが飛び交う中。単身で飛び込むには些か、心の準備が必要だった。
「通せ」
「了解致しました」
私はそれだけ告げ、混沌とした戦場を後にした。
act05, Nightmare
折角あの人が拵えてくれた純白のローブだったのに。これでは台無しだ。
血の匂いは嫌いじゃない。見るのも好き。自分の中にも同んなじ物が流れているのだと自覚できるから、好き。
でも、あの赤い色は嫌い。嫌な気分になるから。頭の中で蘇る映像は真っ黒だけど、きっとそこには嫌な光景が映し出されてるに違いない。
「美味しい……」
お迎えの人が来るまでの間、私は剣に着いた血を舐めることにした。
さっき殺したお兄さんはカッコよくて強かった。だから、この血の味は極上のものに違いない。そして、私はこの血を得ることで強くなるんだ。
あの人が教えてくれたから。
「なくなっちゃった……」
夢中になってしゃぶっていたら、いつの間にか血は無くなっていた。そろそろお迎えの人も来る頃だろうけど、まだ来ない。どうしよう。
剣を置いて指遊びをしようとした時、真っ赤な袖を見て気付いた。ローブをしゃぶればいいんだ。この真っ赤なローブを。
そうすればきっと、ローブも綺麗になる。一石二鳥だ。
――チュパ、チュパ。
「ノ、ノーア……」
「あ、こんばんは。貴方がお迎えの人?」
「さ、さあ。行こうか」
少しだけ私のことを怖がってるみたい。
変なの。ただローブを綺麗にしてるだけなのに。
「貴方もしゃぶりますか?」
「い、いや。遠慮するよ」
「そう」
遠慮深いことはいいことだと思う。
私はその後も、お迎えの人と霧の出ている街路を袖をしゃぶりながら歩いた。
でも、最後の最期までローブは赤いままだった。
「悪夢のようね……」