Episode01. Deferment At Queen Side
act01, Preparation Day, Morning
浮かれ過ぎた訳ではないの。この忌々しい頭痛の根底に根ずくのは、不愉快さを起因とした悪酔い。もとい、深酒が原因よ。
「あのスネかじり坊ちゃんには本当に――アイタタ」
「お嬢様、お水のご用意が出来ました」
「ありがとうリフェ。そこに置いといてちょうだい」
「かしこまりました」
このオクターヴィ家の広大な屋敷は私にとっても大きな自慢で、誇らしい物に違いはないけれど。こうして食堂へ降りてくるのも一苦労とあってはこの広さも、無駄に感じてならないものね。
でもまあ、そんなことはこの可憐な口が裂けたとしても漏らすことは叶わないのだけれどね。
「エミレイ。昨日は参加者のパーティだったというのに、ずいぶんと早いんだな」
「おはよう、お父様。どこぞのお坊っちゃまの所為で、昨日は早々に退散したのよ」
その後に近場で飲み直したのは秘密だけれど。
「ははは――またアクセンス家のご子息とやり合ったのか。昔から変わらんな」
「やめてよ。あんなのと昔馴染みだなんて、この私の唯一の汚点なんですから」
「そう滅多な言葉で称えるものではないぞ。お父さんとお母さんだって最初は猫と鼠の……なんだったかな、お前が小さい頃によく見ていたテレビの――」
「トミーとジェシファーですわ、お父様」
「そうそう、それだ。あれに酷似した間柄だったのだぞ?」
「それじゃ、お父様はお母様をお食べになろうと目論んでいたのですか?」
「はっはっは――エミレイ、女性が朝から下世話な冗談などを口にするものではないぞ」
お父様には常に尊敬と敬意を払ってはいるけれど。折々に見え隠れするこういった中年思考にはどうも、苦笑すらも身を潜めてしまうわ。
お母様がここ最近、口臭も年相応になってきたと漏らしていたのを覚えてる。お父様だって人間ですもの。歳くらいは老いるのが常。でも。
俗世間が称えるところの中年男性にお父様が堕ちてしまった事実というのは、どうにも認め難きことに感じてならない。
「どうしたのかしら。何やら楽しそうな声がして来たと思ったら、親娘揃って朝の談笑? お母さんも混ぜてちょうだい」
「おおエミリー。エミレイの奴がな、朝から下世話な冗談を吐いてきたのだ。愉快だぞ」
「あら、それは良くないことじゃない。エミレイ、淑女としては褒められた行いではありませんよ。以降は慎みなさい。いい?」
「……はーい」
「返事を間伸びさせるのも――」
「分かりましたわ、お母様」
下世話なのはお父様の中年思考よ、まったく。
act02, Working Servant
食堂の扉から漏れるご主人様の豪快な笑声を小耳に、食事を運び入れる任を受けているジェシカへ目配せを送る。
「い、今ですか?」
ワゴンを掴みながら狼狽えるジェシカ。どうやらこちらの意図を汲み取れていない様子。オクターヴィ家の使用人としては好ましくない醜態だ。
先月の終わり頃から数えて早くも二週を回ろうかというのに、進歩の兆候すら伺えない。いつまでも新人の肩書に腰を据えられては、教育係りを受け持った私の裁量にも関わる有事である。
「ジェシカ、肩の力を抜きながら大きく深呼吸して」
「は、はい――」
――スー、ハァ。
律儀にか、それとも無意識にか。手振りまで付けて深呼吸を終えた彼女のスカイブルーの瞳が私に次なる言葉を望んでくる。
「落ち着いた?」
「は、はいっ」
「……まだみたいね」
手の掛かる子供は可愛げを覚えるもの。エミレイお嬢様の幼少期もそうだった。しかし。
それは子供であって、同じ使用人が相手とあれば別のお話しになる。
「もう一度だけ深呼吸しなさい。それと、次に息を吐き出したら私のことは貴女のお姉さんだと思って。いい?」
「は、はい……」
――スー、ハァ。
「ご主人様たちの声が聞こえるかしら?」
「うん、聞こえるよ――お姉ちゃん」
「そう。ならもう、そのお食事を運び入れるタイミングは分かるわよね?」
「うん!」
田舎出とは聞いていたのだけど。この娘の純朴さというか馬鹿正直さには、吐息のひとつやふたつでは到底に賄えない言い様のない感情が浮いてくる。
決して性が根腐れを起こしてしまっている訳ではないけれど、それ故に手に負えない始末なのも確か。これからの接し方について考えると頭の奥、脳髄までが悲鳴を上げたがってくるような気がして来くる。
「今、ですね」
「ええ。行って」
本来ならば完全に話題が途切れてからではないのだけど、今回は良しとしよう。どうやらこの沈黙、しばらく続くと思えるから。
そして次に口を開くのは恐らく、お嬢様でしょう。
『ああもうっ――何やってるのっ?!」
『ご、ごめんなさいぃっ』
食堂内の惨状を頭の片隅に喚起させながら、私は扉を潜り抜けた。
act03, Out Direction
――ヘックシュッ!
今朝はくしゃみが止まらなくて敵わない。この僕を噂する連中などは星の数ほどに瞬いているのだろうけれど。それもこう、実害を被っては考え物だよ。
「有名人というのも、その積の重量には悩まされるものであるよ」
「えー、何それ?」
「いやなに。僕のファンがね、朝から次々と僕のことを話題の主賓にするものだから鼻の方が忙しなく――」
――ヘックシュッ!
「もーレイくん、さっきからくしゃみし過ぎぃ」
「ははは。参ったね、これは」
いよいよ危うくなってきた気がしなくもない。こんな時期に風邪をひいたとなれば事だ。三日後には剣舞が始まるというのに。
「ほらレイくん、んー」
昨日の晩にこの女を口説いて連れ帰ったのは正解だったようだ。こんな小風邪など、この阿呆にくれてやれば済む話なのだから。
「僕の風邪が移るかもしれないのだよ?」
「そのつもりだよ。ほら、んー」
熟を以って阿呆な女だ。愉快なほどに救い難い。
昨晩。不覚にもエミレイに情を燃やした僕の、単なるガス抜き用に拵えられた身だということも自覚せずにこの殊勝さ。自惚れもここまで来れば才能だろう。
その胸の豊満さがエミレイに良く似ていたというだけで、彼女の可憐な容姿には程遠い、雌の野良犬風情が。
「なに笑ってるのー?」
「いや、大したものでもないよ。君の好意が、酷く渇いたこの心に染みただけさ」
「もう、レイくん大好きー」
昼頃には帰し、午後一で専門医に検査をさせるか。
風邪のこともそうだが。何よりも先ず、この女で汚れた箇所の検査をして貰おう。
エミレイの伴侶として、いつでも彼女をこの身で受け入れる為にも、潔白さは最重要事項だからな。
act04, Reliance
悪酒の酔いも幾らか抜けてきた午後、私は金枠で縁取られた大仰な姿見の前に立っていた。
着替えは自分の手で行うのが自らで定めたルール。でも、髪型についてはリフェに一任している。気分で定めた外行きの服装に合わせ、彼女は的確にスタイリングしてくれる。
「お嬢様。本日は白地のワンピースに沿うよう、シンプルにひとまとめにしてみました。ご確認下さい」
フワリと巻かれた金色の後ろ髪は彼女の言うようにひとつにまとめられ、左の肩口から前へ垂らされている。これならもう一枚、何か黒系の服を羽織った方がいいかしらね。
「リフェ、ここから合わせる黒系の服、何がいいかしら?」
「それでしたらいっそ、黒のローブにしては如何でしょう?」
「うーん……それだと少し、気取りすぎじゃないかしら?」
「そんなことはございません。お嬢様は元来より例え、道端の布切れを纏ったとしても様になる端麗な容姿をしていらっしゃいます。少しばり行き過ぎた服をお召しになられたとて、それも同じことです」
「そ、そう?」
それは少しばかり褒め過ぎじゃないのかしら。そんな気もするけど、相手はあのリフェなんだ。ここは彼女の言葉を鵜呑みにするのが信頼の証も同義。
「なら、そうしようかしら」
「是非」
いい笑顔しちゃってさ。
act05, Encounter
どうして僕がこんな任を受けなくてはいけないのだ。
そう、面を向かって言えればどんなに楽か。嗚呼、愛しのキャシー。僕の不甲斐なさを許してくれ。
「なにチンタラしてんのよ。また見失ったー、とか喚き散らす羽目になんのはアンタでしょう?」
「……そう思うなら、少しはホテルで大人しく過ごそうとは思わないのか」
「スイートだかスイーツだか知らないけど、あんな所にいたら息が詰まるっつーの。テレビ点けてもなに喋ってるかわかんないし」
「スイーツは菓子のことだ。それに、日本の衛星放送くらいは入ってるだろ」
「とにかく。折角の海外だしさ、楽しみたいのよ」
それが本音か。
でもまあ、自分で服の調達に出掛けるのは助かる面もある。こちらで下手な服を用意しようものなら、瞬く間に斬り刻まれることは目に見えている。この月波郁刃という狂人ならな。
「なーんか思ったよりさ、ロンドンってロンドンロンドンしてないのね」
「なんだそのロンドンロンドンって……」
地名を続け様に連ねる物言いなど、日本語を心得た際には教え聞いていない文法だ。もしくは何かの造語なのか。
「いやさ。もっとこう、映画で見るような街並みがドーン、てさ」
「ここは郊外にも近い場所だ。君が先んじて中央区から遠ざかるから着いてきたが、まさか目的の方角すらも定めていなかったのか?」
「初めて来たんだからしょうがないじゃないっ! てか、それならそうと先に言えっ、このボンクラオールバック!」
「言うに事欠いてそれか……君は黙っていれば麗人に違わない容姿をしていると言うのに、一旦でも口を開けばそこらのゴロツキと何ら変わらんな」
身なりが良い分、その差異で余計に悲惨なことになっているがな。
「あんただってその黒スーツ、学生が背伸びして大人ぶってるようにしか見えないっての。おまけにオールバックとか、そうね。アンタはアレよ、ハングリーポッターに出てくるマルコメにソックリよ――ぷっ」
「……憧れてちゃダメか? マルコメはカッコイイじゃないかっ、悪いのは悪に堕ちた父親の方で――」
「ごめん、そこまで詳しくはないんだ」
クソッ、どこまでこの女は僕を振り回せば……。
「――ハンスさん?」
どこかで聞き知った声が呼んできた気がするが。はて、誰だったか。
それにこの通りには今、僕たち以外に人はいないハズだ。あるのは傍に停まっている馬車くらいだが――ん、馬車?
「やっぱりそうでしたわ。御機嫌よう、ハンスさん」
このご時世に馬車なんて時代錯誤も良い移動手段を主に用いる奇特な輩、もとい。古き良き時代を重んじている人間らを、僕はひとつの一家しか知り得ない。
「これは、オクターヴィ家の麗しき姫君でしたか。めかし込んだご様子で、どこかに参るおつもりで?」
「もう、ハンスさん。エミレイで良いですわ」
「そんな畏れ多い……」
父君のハーデンド氏の耳に入れば、僕も妻もタダでは済まないだろう。あのお方は娘を溺愛していると、剣界界隈ではもっぱらの噂なのだから。
「マルコメ、誰?」
「ああ、紹介するよ。彼女は今回の剣舞に参加する――」
「貴女はっ!」
「初対面の人間に指差すな、魔女っ子」
「ちょ――バカ野郎、言葉を慎めっ」
「この国の連中は初対面で失礼を働くのが常識なワケ?」
「ハンスさん、どうしてこんな女と一緒にいるの?」
「ちょっと待ってくれ、二ヶ国語でいっぺんに話し掛けてくれるな」
どうしてこの女は次々とこう、面倒ごとを連れ込んで来るんだ……。