Prologue. Clank In
act01. Miss Casting
彼女の存在は筋書きに存在しなかった。
当初は総勢で十人。それが今回の舞踏会に招かれる客人の数だったのだが。月波郁刃というイレギュラーな存在により、今回で第十回目となる記念すべき舞踏会は異例まみれのまま、幕を開けざるを得なくなった。
幸いなことに、他の参加者から寄せられる苦情や異見の声は程なく沈静化された。その所以となったはやはり、彼女の能力にあった……いや。能力を“持たざる”ことにあったのだろう。
剣能者練舞踏会――通称“剣舞”の性質上、無能力者の剣術が如何に優れたものであったとしても、決して優剣者にはなり得ないのが常である。
剣闘会であれば話はまた別なのだろうが、これは剣能者による競い合いが大前提なのだ。そこへどれだけ卓越した剣術を振る舞える達人が参加しようともそれは、丸腰で戦地へ赴くのも同義。
剣能と剣術とでは剣を用いる点に於いて以外は、全く以って異質なもの。仮に彼女がそれを承知で参加の意を表明したのであれば、恐らくは他の参加者は苦言を呑んだことを後悔する羽目に遭うだろう。
主催側としてそれは避けたい事柄である。剣能の名家とも呼ばれる彼等の機嫌を損ねてしまっては、この由緒正しき舞踏会の歴史に今後、泥を塗りかねない恐れが生じるからだ。
しかし、すでに賽は投げ放たれてしまった。後は傍観者を決め込み、この剣舞の行く末を見守る他に術はない。あるとするのならそれは――彼女が早々に脱落してくれることを祈るのみである。
act02, Queen & Bishop
もう少しばかり華やかなモノだと思っていたけど、実際は呆気のないモノだと痛感する。所詮は武芸、と罵って然るべき無骨さね。
開会式の会場が豪勢なホテルのワンフロアを貸し切って行われると聴いて、男どもの下劣な視線を独占してしまう罪作りな胸を躍らせて損したわよ、まったく。
「少々ご機嫌の程が芳しく居られないご様子ですが、如何なさいましたか?」
「如何? それを本気で尋ねてるのでしたら貴方は使用人失格よ、リフェ」
彼女からしてみれば当然の気遣いで掛けてきたのでしょうけれど、生憎のタイミングだった、とそれだけのこと。
この私――エミレイ・クレッシェンド・オクターヴィ様の器量が浅はかな訳ではないわよ。
「失礼致しましたエミレイお嬢様」
ふん。右手を上下に扇いで彼女を退散させる。
「これはこれは誰かと思えば――オクターヴィのところのワンパクお嬢様じゃないですか」
空気の読めないメイドの次はコイツがお出ましとは、今日はつくづく運に見放されてるみたいね。
「人違いをしているのではないでしょうか? 我がオクターヴィ家にワンパク、なんて称される謂れの在る淑女は存命ではありませんわよ?」
「おや、その勝気さは変わらないようで何よりです。少し見に間に粛々とした性になって居られたら、それこそ天変地異の前触れと言うもの。このレイノルド、剣爵の証でもある十字の劔の紋章を撫で下ろしました」
アクセンス家の愚息風情が言って、白い背広の胸元に刺繍される十字を象っている双剣をまじまじと見せつけてくる。
その様はこの私から見たらほとほと滑稽。親の威光に眩んだ連中が定めた爵位をさも、自分の功績であるかのように嘯いてきているに過ぎないのだから。
“僕ちんのお父さんは剣界にすごいコネを持ってるんだぞ”。そんな風に聴こえて仕方が無い。
「そう、それは良かったわ。お父様がご存命の間にたっぷりと、その勘違いの海原を漂ってるがいいわ。その内に訪れる荒波の中にあってはその愚言、吐こうにも押し寄せる波に憚れることでしょうから」
「ご心配、痛み入るよ。今日の僕は気分が優れに優れるのでね。君風情の戯言、高みにある鼓膜を震わすに至らずに掻き消されているのだよ」
キッチリ聴こえてるじゃないの。
「おっと、忘れる所だったよ。君はこういう情報には疎そうだから教えとくが――」
「あの日本人の話なら既に耳にしていますわよ。淑女として、凡ゆる情報を取得しておくのは当然の嗜みですので、ね」
今し方リフェから伝え聞いたのは、この自慢の胸の内にしまっておく。多くを語るのは愚か者の多言、と言うもの。
「これは意外。しかし、剣界の寛大さにもそろそろ釘を刺す頃合いに思えてならないよ。聴けばその日本人、無能力者らしいじゃないか」
「無能力者?」
「おや、そこまではお知りになられないと? 僕も歳を重ねたものだ。淑女の嗜みが何であるかを先程、貴女が語った気がするものの、あれは僕の聞き間違いだったようだね」
私としたことが……つい、思いもよらない事実を告げられて復唱してしまうなんて。
「……淑女として、剣爵様のご考察を聞きたく思いましたので」
「もう少しばかり素直になってはどうかな。そうすれば君を娶ることも考えるのだが」
「あらあら、ご冗談を」
こっちから願い下げよ。こんな奴の所へ嫁ぐだなんて、政略の程がどんなに色濃いものであったとしてもごめんよ。
act03, Golden Age
若い衆は律儀な輩が多い。世間的に見れば評価されるべき事柄ではある。あるのだが――オレとしては異を唱えさせてもらいたい。
「ったく最近の若い奴はなんつーか、小物臭くてダメだ。オレたちの時代は違ったよな?」
「悪しき時代だ。今のこの姿こそ、真に在るべき若者たちの姿だよ」
忘れてた。こいつも生真面目な、何の面白味にも欠ける輩だった。
しかしまあ、悪しき時代とはこれ如何に、だ。
「言うがよう。今の界長さんみたいな化け物、この中から出てくるとは思えないだろうが」
「ゴールディアの巨漢とも在ろうお方が、今日はヤケに後進の心配をするじゃないか。ええ、歳か?」
「うっさいわ。オレはただ、こんなもやしっ子どもにオレたちが築いてきた剣界の黄金時代を廃れさせられるのは御免だ、て言いたいだけだ」
だからこそ、今回の剣舞にてそれを確認する。
もしも不甲斐ないと判断したらその場で粉骨砕身、剣能者としての将来を奪ってやることも辞さない所存だ。それがオレたち先人の務めだ。
「オレが値踏みしてやる、て顔だな」
「当たり前だ」
「嫌な先輩だな。あの子たちに同情するよ」
「あのな、オレだってお前さんの師匠にどれだけコテンパンに負かされたか、よもや忘れた訳でもないだろうな?」
「あの時は思いっきり笑わさせて貰ったよ。特にあの自慢の大刀をへし折られた所なんて、今でも思い出すだけで……ぷっ」
この性悪女めが。性格まで師匠に似て来やがったな、まったく。
「それはそうとよ。あの飛び入りの話、お前さんはどう考える?」
「どうも何も、あんたが敬愛する界長さん直々の推薦だろう? 一波乱ある、て私は踏んでるけどね」
「聞きゃよ、無能力者なんだろう? そんな奴が幾ら見事な剣術を携えようと、こっちの域では息せんだろう?」
「ダジャレのつもり?」
「何がだ?」
「いや、なんでも……ぷっ」
やはりこのフィルマという女、訳の分からなん奴だ。
act04, No Side
突然の通達を受けたのは三日前のことだ。
妻と久しぶりの休日を満喫していた時のこと――アレは唐突に寝室の扉を蹴破って現れた。
「お仕事ですよー!」
室内は妻の悲鳴、それから招かざる客人の阿呆な叫び声で騒然と。
昼間から床に就いていたのはこちらの落ち度だが、何せ偶の――真に偶の休みだったんだ。少しくらいは夫婦らしいことをしていても罰は当たらないだろうと、そう思う。
しかし、このリディアナという少女にそんな理屈は効果がない。何故なら相手は、真の狂人なのだから。
「頼むからノック――いやその前に、家の呼び鈴を鳴らすくらいの配慮をとってくれても良いだろう」
「緊急事態ですからぁ」
他人の休日をぶち壊してまで伝えに来た事柄なのだ。急事でもなかったらそれこそ、悪魔の所業に違いない。
「あ、あなた……」
「キャシーすまない、少しだけ出てくるよ。続きは戻ってからしよう」
「え、ええ」
妻が身を包むシーツの中から下着を手探りで掘り当て、それを履いてからベッドを降りる。幾ら狂人と言えど、相手は未成年の女の子だ。ダビデ像が如く綺麗な代物でもない陰部を晒すのは、流石に気が引ける。
「それでは、張り切って参りましょうかー!」
「居間でいいか?」
確かインスタントのコーヒーくらいはあっただろう。
「そんな暇はございませんよぉ?」
「は?」
「レッツゴージパングッ、ですからねぇ」
レッツゴー、ジパング?
ジパングって――
「日本かっ?!」
「イエェスッ、オフコォスッ!」
キャシーすまない。
続きはまたしばらくお預けになりそうだ……。
act05, Irregular Setting
先の剣闘会で優秀を飾った日本人女性が居ると聞き知ってはいたが、それが二十歳も届かぬ女学生だったとは驚きだ。
剣闘会は剣能を用いらない、純粋な剣術のみでの競い合いではある。しかし、だからこそ驚嘆した。
「彼奴は――セントハーンのご子孫は出場を辞退していたのか?」
それならば運否天賦の所業次第ではあり得ることだと、まだ納得はいく。
「いやいや、あのセントハーン家ですよ? 出場を自ら拒むなど、考えられませんよ」
やはり、か。
それならば益々に興味深さも底を突き抜ける。
「剣舞の方だが、出場の枠に空きは残っているか?」
「いんやぁご予約でいっぱいですよぉ。それこそ次の次の次の次の――」
「もういい」
若くして優秀だと聞き、もとい。私の目から見ても優秀だと感じたからこそ、こうして側近として任に就かせたは良いのだが。
折に見せてくるこの、無駄にひょうきんな態度と物言いだけがコイツの悪点だ。何とかならないものだろうか。
「あんまし怒ると老体に響きますよ? 界長も若くないんですしぃ、そろそろご自分のお体の心配をした方が宜しいんではないですかぁ」
「無用な配慮だ。私の体は自分がよく知っている……それと、これは異例ではあるのだが。その日本人、此度の剣舞に招待しろ」
「はいぃ?!」
これは完全な私事での命令だ。
だがこれまでの二十年、剣界が滞ることなく邁進し続ける為にこの身を捧げてきたのだ。これくらいの我儘、許されても良いだろう。
それに――
「おいリディアナ」
「今の、流石に冗談ですよね?」
「今回の剣舞を以って剣界は激変――いや、大いなる進化を遂げるぞ」
常に飄々としたコイツの間の抜けた顔を拝むことも出来たのだ。これは冥土へ良い手土産が出来たというもの。
act06, Sister
それじゃ。
そう言ってあのバカが私の元を去ってから、早くも数ヶ月。昨日の晩に速達便で送られてきた小包を開封して、私は空いた口が塞がらなかった。
「勝手に出て行ったと思ったら、何やってんだか」
丁寧に梱包された中身は『第五十回剣闘会優勝』と台座に刻まれた銀色のトロフィーだった。どんな大会だかは知らないけど、二本の剣が交差してるのを見るに恐らく、剣を用いた何かしらだろうが。
何よりも分からないのは、何故にあのバカがこんな物を送り付けて来たか、だ。
嫌がらせかはたまた、何かの当て付けなのか。どちらにしろあのバカのすること等、私のような健常者には毛頭理解できる訳もない。
「はあ……まあ、元気そうなら何よりね」
リビングの戸棚に飾ってあげたトロフィーを見ながらあのバカの浮かべる、屈託のない笑顔を思い出している時、インターホンの聞き慣れた音が私を現在に引き戻した。
「はーい」
つい癖で来客用のモニター確認をせずに扉を開けると、そこには金髪のオールバックにサングラス、駄目押しに黒スーツを着込んだ外国人が立っていた。
「ア、アイムノットスピークイングリッシュ」
「いえ。日本語で大丈夫です」
意外にも流暢な日本語が飛び出してきた。何だか吹き替えの映画を見ているような気分。
「それは助かりますけど……いったい何用で?」
「月並郁刃さんにお話がありまして」
あのバカの客か。本当、あいつはどこで何をやらかしてるんだ?
まさかあのトロフィー、ヤバい物じゃないでしょうね……。
「えーっと、ここには郁刃はいませんけど」
「ええっ、居られないのですか?!」
「ええ」
何をそんなに狼狽えてらっしゃるのか。
でも、サングラス取ると可愛い目をしてるのね。
「くそ、リディアナの奴……」
「あの、あの娘が何かしでかしたんでしょうか?」
「リディアナと知り合いで?」
「いえ、そっちじゃなくて。郁刃の方です」
「ああ。月並郁刃は特に何も問題は起こしていませんのでご安心下さい。それではこれで――」
一旦はホッとしたけど。
なら、どうして郁刃を探してるの?