はち。
「ちょっ、幸宗。少しは女を労ってよ……」
「もう疲れたのか? やっぱ年の差だな」
「アンタ斬るよ?」
稽古の後、いつものように文句を言いながら幸宗と追い掛けっこしてたら。
「寿々、あれ客じゃないか?」
幸宗の指差すの先には一人のお侍さんが先生の家の前に立っていた。
「そうかも……」
何で入らないのかと思ったものの、大切なお客さんかもしれないから、あたしはその人に近寄った。
「何かご用ですか?」
藁で作られた傘のような帽子を頭に深くかぶっているため、顔があんまり見えないけど、若そう。
「……ここは貴方の家か?」
「あたしは居候です。ここは先生の家」
「先生……ということは、貴方は弟子か」
長屋を見上げながら淡々としゃべるお侍さん。
「一応稽古してもらってますけど」
こんな質問だと、流石にあたしでも相手が変な人だとわかる。
「では最後に一つ。先生の名は」
「藤沢元」
そう答えた瞬間、あたしの肩に痛みが走った。それと同時に藁帽子が風で飛び上がる。
「寿々!」
「痛……っ」
怖々肩に触れれば鮮血が掌を濡らした。先生から貰った着物に血が染まるのが嫌でもわかる。もらったばっかりなのに…!
幸宗はあたしを気遣ってくれる。でも血相を変えてお侍さんを睨んでいた。
「弟子がこんなもんなのか」
しゃがみ込んだあたしの上から腹立たしい言葉が降ってくる。
「無防備な人間を傷つけんじゃねぇ!」
怒りに身を任せる幸宗を抑え、あたしは侍を見上げる。帽子の無い侍は、むかつくけど案外綺麗な顔立ちをしていた。
「アンタ、何がしたいの」
「復讐。家族を殺された怨みだ」
「殺されたって、誰に……?」
「アンタの師匠さ」
冷たい瞳があたしと幸宗を映す。
「先生はそんなことしない!」
傷の痛みも忘れて、あたしは叫んだ。
「するさ。仕事は忠実にこなす人間だからな」
「だから先生は人殺しなんかしないってば……!」
あたしは肩を押さえてよろよろと立ち上がる。
「幸宗、刀貸して」
「何する気……」
「いいから!」
久しぶりにキレたわ。幸宗に怒鳴っちゃったけど、怒りはまったく止まる気配なし。
幸宗は泣きそうになりながら持っている刀を差し出した。
「その傷で勝つ気か?」
「うるさい、黙って斬られてよ」
せせら笑う侍に睨みつけるあたし。
「寿々……」
不安そうな幸宗。
あたしと侍の間に、風が吹いた。
「何事ですか?」
「せ……っ」
「先生!」
先生の突然の登場にあたしと幸宗は目を見開いた。
「藤沢元……」
侍は先生を見た瞬間、素早くあたしから離れて先生に刀を振り下ろした。
あたしはそれを止めるために体を動かそうとしたものの、血が出すぎたのかふらついてへたり込む。
「初対面の人間に斬りかかるのは、失礼だと思いませんか?」
鞘で相手の刀を止めた。侍自身もこれには驚いたみたいで、素早く飛び退いて距離を空ける。
「初対面? この顔を見ても思い出さないのか! お前が殺した伊尾慶喜を!」
叫ぶ侍に対して先生は眉をひそめた。身に覚えがないのだ。
「思い出せないのか」
侍は再び刀を握り直す。先生も刀を鞘から抜いた。
「身に覚えがありません。殺したのは、本当に私ですか?」
射るような強い視線で侍を見る先生。
「聞いた。金髪の侍が両親を殺したって」
「……世の中に金髪はたくさんいますよ。江戸にも外の国でも」
先生は確信が持てるような証拠がないって言いたいみたい。
確かに江戸でもちらほら金髪を見る気がする。でも先生のが一番綺麗だとあたしは思う。
「うるさいうるさい! 叩っ斬ってやる……!」
「少し落ち着きなさい」
穏やかだった先生の目が獣に変わった。侍の刀を弾き飛ばして、彼の喉元に自分の刀を当てる。互いに少しでも動けば刀は侍の喉を貫くだろう。
「っ、殺せ」
額から一筋の汗を流し、侍は唸るように言った。
「何故です?」
「俺は負けたんだ! 殺せ。それが武士道だ」
「……アホか」
あたしは思わず口に出してしまった。
あー、ホント何で自分で規則とか大事にするんだろ。
「お前……武士道を馬鹿にする気か!」
「勘違いしないで。馬鹿にしてるのはアンタの武士道」
「何だと?」
「死ねばかっこつくとか思ってるでしょ。実際違うと思う。醜い」
何で加害者を助けようとしてるんだ、あたし。あれだ、血が出続けてるから頭が冷えたのかも。
「とにかく、死にたいなら自分でしなさいよ。負けたから先生に殺させるなんて間違ってる」
説教じみた台詞。あたしこんなこと言う人間じゃなかったと思うんだけどなぁ……。
「す、寿々」
勢いで立ち上がったあたしの着物の袖を幸宗が引っ張った。
「何?」
「顔真っ青だぞ……?」
アンタも顔色悪いよ、って言いたかったのに口が思うように動かない。
「……血ぃ足りないみたい」
あたしはそこで意識を手放した。