なな。
「おかえりなさいまし」
出迎えたのは静さんではなく、雄吉さんだった。あたしは自分の顔が険しくなるのがわかる。
「ただいま帰りました」
いたって普通にしてる先生が不思議でしょうがない。
「お二人ともお疲れでしょう? すぐに何か持って」
「雄吉さん。それよりも聞きたいことがあるので、座っていただけますか?」
居間の座敷に座り、先生は静かに言う。
先生の言葉に雄吉さんの顔が土色に変わった。ダラダラと汗をかき、かしこまって正座をしている。
「寿々さん、すみませんが少し席を外してください」
「あ……はい」
なんて返事したけど、あたしは二人の話に興味津津。部屋を出ても立ち聞きしていた。
あの、なんていうか本能に忠実に従ったわけですよ。
「雄吉、彼女を関わらせる気はないと言ったはずですが?」
冷たい先生の声。
彼女ってあたしのことかな……。
「いや、それはその……寿々さん本人が選んだんですぜ?」
窺うような言い方。よっぽど先生が恐いらしい。
「そうですか。ですが、それでも契約違反でしょう? 彼女の願いを断れば良かっただけのことですから」
よくわかった。口喧嘩じゃ先生には勝てない。押し負けるのが予想出来るや。
「今後一切、彼女を危険にさらさないでくださいね?」
「……失礼しやす」
悔しそうに絞りだした雄吉さんの声は、先生にどう聞こえたんだろう。そんなことを考えてると、雄吉さんが部屋から出てきた。
「あ……」
目があった瞬間、物凄く恐い顔で睨まれた。
恨まれたかもしれない。席を外すように言われても立ち聞きした。軽い裏切り行為だとちょっとヘコむ。
「寿々さん」
「はいっ?」
先生に呼ばれた。振り向けば、手招きをしてる姿。
「さて、まずはお礼を言わせてください。助けてくださってありがとうございました」
「や、あたし何もしてないですよ」
ほとんど先生がやっちゃったし。
「いいえ。彼等の注意を向けてくださいました。おかげで警備も手薄だったんでしょう」
「はあ……」
「それで、お礼を用意しました」
にこりと微笑む先生の右手には長細い包みが。
「何ですか、それ」
「静さんのお古ですがまだまだ現役ですよ」
包みを開けば、棒が出てきた。その両端には小さめの刃がついている。
えーっと、これ何ていうんだっけな。学校で習わなかったけど知ってたはず……クサナギ?
「それは薙刀といいます」
「あ、ナギナタですか」
惜しいな、ちょっと間違ってたわ。
「それなら着物でも使いやすいかと思いますよ」
「はあ……」
気にしてくれてたんだ、なんて思う。
「お気に召しませんか?」
「いえ、嬉しいです!」
「それは良かった」
微笑む先生にあたしも笑顔が出てきた。
「寿々、怪我ないかい?」
「静さん」
「さっき雄吉が勝手に家に上がりこんでな。気分悪いからちょっと出掛けてたんさ」
「もうとことん嫌ってますね」
あたしはいっこうに構わないんだけど。
「お灸を据えましたから、しばらくはおとなしいでしょう」
そう言った先生の予想はあっさりと外れてしまった。
神社でカンカンとぶつかりあう音が響く。
「早いですね。もう使いこなしていますよ」
薙刀をもらってから、子供達の稽古が終わった後に特訓してもらうようになった。
とりあえず最初は振り回して距離の感覚をつかむこと。今は慣れてきて先生の持つ木刀に当てるところ。
「ありがと、ございますっ」
先生に褒められるのは物凄く嬉しいけど、稽古の真っ最中に褒めないでほしい……顔がかなり必死だから。
「休憩しましょうか」
相変わらず先生は汗一つかいてない。あたしは手で顔を扇ぎながら薙刀を地面に置いて座った。
「貴方が来てもうすぐ一ヶ月ですね」
もうそんなになったんだ。自分じゃ毎日に必死過ぎてわかんなかった。
「元の時代へ、帰りたいと思いますか?」
「……え?」
「例えの話ですよ。私には未来に送り届ける力はありません。もしも、もしも帰れるとしたなら……帰りたいですか?」
唐突すぎる先生の質問に、返す言葉が見つからない。
ただ、あたしの頭の中に江戸と現代、両方の思い出がぐるぐる渦巻いた。
「……すみません、ちょっとした好奇心です。忘れて構いません」
先生は少し困った表情をしてた。
「だから、泣かないでください」
言われるまで自分が泣いてるのに気付かなかった。
「すいませ、何であたし……」
着物の袖でぐしゃぐしゃの顔を隠す。泣き顔なんて人に見せることない、というかあたしは滅多に泣かないのに、今は涙が止まらない。
「今日の稽古はここまでにしましょう」
ゆっくり立ち上がって先生は言う。
「だ、大丈夫ですよ、あたしまだ……!」
「無理はいけません」
指で涙を拭われ、あたしは黙った。
おとなしくなったあたしの頭を先生が撫でてくれる。
「先に帰りますから、夕飯までには帰ってきてくださいね」
そう言い残して先生は去っていった。
もう涙は止まった。瞼が熱くて重たくて、水で冷やさなきゃと思うけど身体は動かない。
「あたし、帰りたいのかな」
まぁ実際、いきなりここに落とされたんだし帰りたいかもしれない、だけど。
「だけど?」
「うーん……え?」
あたしはまた、とんでもないヤツに会ってしまった。
妙に聞き覚えのある声。足下はビーチサンダルに貧弱な素足。徐々に視線を上に持っていくと……。
「よっ」
見るだけでも腹立たしいその中年男の顔をグーで殴った。
「何で殴るの!?」
左頬を両手で押さえ、半泣き状態の中年男もとい自称カミサマ。
「当たり前だろ、このアホ!」
「酷っ! 泣くよ? 泣いちゃうよ?」
「勝手に泣いてろ。あたしは帰る」
まったく……カミサマなんて、ろくなヤツじゃない。
「居候の家に帰るか? 元の時代に帰るのか?」
カミサマの言葉に足が止まる。ゆっくり振り返れば意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「帰りたい」
真っ直ぐカミサマを見据えるあたし。
驚きの表情を露にする目の前のヤツ。
「そう言ったら元の時代に帰してくれるの?」
茶化すようにあたしは笑ってやった。
「なんだよ、驚かせるなって……」
わざとらしく胸を撫で下ろすカミサマ。今までの不満を全部ぶつけてやる。
「で、どうなの?」
「はっきり言って帰すことは可能だ」
「ホント?」
「俺を誰だと思ってんだ」
「アホ」
そう言ったらカミサマはしゃがんでいじけ始めた。面倒なことこの上ない。
「お願いだから話進めて」
「本当に帰るのか?」
あたしはうつ向いて自分の足下を見つめた。
「どうする?」
「ここは居心地が良い。生活するのも必死だから、生きてる実感湧くし」
先生達にも会えた。これはホントに、ホントに幸せなことだと思う。
「ウォッホン」
「……何」
無意味な咳払いに冷めた目で見てしまうあたしはたぶん普通だと思う。
「いや、注目集めようかと」
「いや、ここにいるのあたしとアンタだけじゃん」
沈黙が流れる。
「突っ込みのキツイ寿々に朗報があるけど」
「何?」
「元の時代に戻るとき、穴に落とす直前に戻すことも可能」
「……それっていつでも?」
「そう」
いつでも帰れるならちょっと安心した。
「じゃあ、まだここにいる」
もう少しここで頑張ってみたい。それに、あたしの中でいるべきだって誰かが言ってる気がした。
「じゃあもうしばらく頑張れ」
「うん……っていうかさ、カミサマ何でここに来たの?」
「あー、普通に飛んできたけど」
「そういうこと聞いてるんじゃなくて、何故に一ヶ月も後になってあたしの前に現れたのかってこと。しかも飛んできたって普通じゃないから」
「……本気でお前が悩んだとき、俺は現れる」
頭をわしゃわしゃと撫でられる。
「だから好きなことしとけ。後悔すんな」
「……うん」
失礼だけど初めてカミサマがまともに見えた。
「ただし、死んだら終わりだ。元の時代に戻ることも出来ねぇ」
「……いいよ。あたし絶対死なないから」
「良い度胸だ」
ニヤリと不敵に笑い、カミサマは強い光とともに消えた。
「さてと」
帰るか、先生の家に。足取りの軽いあたしは走って家に向かった。