よん。
ため息が二分に三回のハイペースで出てくる。
「気になる……」
命の恩人でもある先生に意味不明な仕事なんかで死なれたら嫌だし。第一先生のこと好きだし。
「あ、そっか」
雄吉さんが仕事を持ってくるなら、あの人を家にあげなきゃいいんじゃん。
「あたし頭良いー」
「自画自賛ですかい?」
後ろから声がした。聞き覚えはあるものの、この家の住人の声じゃない。
「誰?」
あたしらしくない、か細い声に自分で嫌気がさす。ここに来てからあたしは弱虫になったかもしれない。
「あっしですよ」
「……雄吉さん」
すでに侵入済みですか。不法侵入で訴えますよ?
ピリピリしてるあたしを知ってか知らずか、雄吉さんは恭しく頭を下げた。
「何かご用ですか? 先生ならもう寝ますよ」
あたしは自然と棘のある声になる。
「いやいや、あっしに用があるのは貴方ですよ。寿々さん」
「……あたし?」
このときの自分は、かなり間抜け面だったと思う。
「どーぞ」
ホントは物凄く嫌なんだけど、あたしは雄吉さんを部屋に通した。先生にも静さんにも会わせるわけにはいかない。
「話って何ですか?」
「いえね、先生にちょいと頼み事をしているんですが良い返事がもらえなくてね。どうでしょう、寿々さんから何か言ってもらえませんかねぇ?」
「お断りします」
考える気にもならない。あたしはすぐにそう言った。
「何故です?」
雄吉さんの片眉がピクリと動く。
「先生はあたしの命の恩人です。危険な仕事に関わってほしくありません」
「ずいぶん優しいですなぁ」
あー、何か苛つくわその言い方。
「しかし……その優しさが時に不幸を生むんですぜ?」
その一言にあたしの顔は更に歪む。
「ああ、失礼を言ってすいません」
言葉では謝罪を表すものの、顔は馬鹿にしたような表情だった。
「しかしそれは先生も同じですぜ。あの人は優しすぎる。必ずあっしの頼みを聞いてくれる」
「……その絶対の自信は何なんですか」
「今まで頼んだ仕事は全てやってくださいやした。貴方よりあっしの方が、先生を知ってるんでございやすよ」
ニヤリと意地の悪い笑みを見せられて返す言葉が見つからなかった。確かに目の前の人はあたしの何十倍も長い時間を過ごしてる。あたしはつい、負けた気分になってしまった。
「寿々さん」
名前を呼ばれて顔を上げる。
「剣術の経験あります?」
「……少しは」
「なら練習してくだせぇ。それがきっと、先生の手助けになる」
何で彼に指図されるんだろう。不服ながらも、あたしは小さく頷いた。
「何で急に稽古やるって言い出したんだ」
「幸宗」
稽古の休憩中、あたしの横に音をたてて座った彼。雄吉さんの言葉で始めた稽古から一週間経ち、あたしは少しずつ以前の感覚を取り戻していった。
「別に? ただなんとなく」
雄吉さんに勧められたなんて言えるはずもなく、曖昧に返すことしか出来なかった。
「あたしが稽古やるの不満?」
「別にっ!」
幸宗はあたしの顔を見ずに勢いよく立ち上がった。
「強いヤツと戦えるなら、俺は何も言わない」
「……そう」
幸宗のこういうとこは好き。戦いに迷いがない、ただひたすら真っ直ぐに強さを求めてる。何度も剣を交えてあたしはそう感じた。
「ねぇ、先生も怪しんでる?」
「さぁ。たまに稽古中に違うこと考えてるっぽいけど」
「そっか」
「何かあるのか?」
「何もないよ。ほら、稽古しよ?」
先生は勿論幸宗にも言えない。これはあたしと雄吉さんの秘密だ。
「今日はここまでにしましょうか」
「ありがとうございましたっ!」
先生の一声で子供達はそれぞれの帰路につく。あたしは先生が子供達を見送る姿を眺めて待つのがいつもの流れだった。
「さて寿々さん」
「帰りますか?」
「いいえ」
先生は静かに首を横に振る。
「少しだけ私と手合わせ願えませんか?」
「え?」
突然の言葉にあたしは戸惑った。手合わせは戦うということ。あたしが剣術の経験者とはいっても、力の差はわかりきってる。
「大丈夫ですよ。いつもの稽古と同じですから」
なんて、柔らかい笑顔を見せられれば、断ることも出来なくて。
「どこからでもどうぞ」
結局、剣を交えることになってしまった。
「……行きます」
あたしは木刀を構える。手は汗でじっとりと湿っていた。
「すみません、少々本気になってしまいましたね」
ほんの三分程度で手合わせは終わった。勿論あたしの負け。
息を必死に整えるあたしに対して先生は汗一つかかず、涼しげな顔をしていた。
「何か隠していませんか?」
「何かって……」
「仕事が、気になるんでしょう?」
「なります」
当たり前じゃないですかそんなの。
「その話は忘れなさい。詮索は無用ですよ」
そう言って先生は家に着くまで何も話してはくれなかった。
そしてその翌日に、先生は忽然と私達の前から姿を消してしまった。