さんじゅうさん。
「やるだけのことはやりました」
冷静すぎる医者の声が、あたしの脳味噌をやんわり刺激する。
青白い顔で布団に横たわるあたしの大好きな人は死んだように眠っていた。
「助かる……?」
無意識のうちにあたしは医者にすがって言った。困惑した表情の医者にあたしは言葉を続ける。
「ねぇ、助けてよ。医者でしょ?」
「寿々、やめな」
静さんがあたしの肩に触れようと手を伸ばす。それにも気付こうとせずにあたしは再度口を開いた。
「健ちゃんを助けて……!」
「寿々!」
強く肩をつかまれて小さく息を飲んだあたし。
「静さ……」
「少し寝たらどうだい。昨日は寝てなかっただろう」
確かに、昨日は一睡もしてない。でも今だって眠れる状況じゃないのだ。あたしは断ろうとしたが静さんの命令で自室に戻った。
「……健ちゃん」
ぽつり、と名前を呼べば涙腺がゆるむ。
お互いの気持ちがわかったのに、こんなことになるなんて思わなかった。
「寿々」
あたし一人しかいないはずの自室から声がした。
「カミ、サマ?」
「あぁ」
姿を現さないカミサマは重苦しい声であたしに言い出した。
「アイツが怪我したのは俺のミスだ」
「……え?」
意味がわからなかった。聞き返すあたしをカミサマは何も言わず同じ言葉を告げた。
「伊尾健太が怪我したのは俺のミスだ」
「どういう、こと?」
だんだん言葉の意味がはっきりしてきて。
「ねぇ、カミサマのミスって何? それがなかったら、健ちゃんは怪我せずに済んだの?」
姿が見えないのがもどかしくて苛立たしくて、あたしは自分の部屋を歩き回った。
「それは半分当たりで半分違う」
「じゃあ何?」
遠回しな口ぶりにあたしは更に苛ついた。
「お前が止めてなかったら……お前がいなかったら、ヤツは烏を殺して自殺してた」
「は……?」
健ちゃんの運命を変えたのは、あたしってこと?
「まさか烏がああなるとは、俺にもわからなかった。すまない」
素直すぎる謝罪に、怒りの矛先を見失ったあたしは自分の太股を叩いた。
「健ちゃんは、死ぬの?」
「本人次第。俺にはそれしか言えない。」
「助けてよ、あたしに貸しがあるんでしょ?」
声が震える。もう頼れる人がいないんだよ……。
「無理だ。もう貸しは返した。桜姫と龍の発展を願ったはずだ」
確かに、あたしは貸しをそれにした。
「実際、あの二人が城の建て直しをするようになっただろ?」
健ちゃんのことで頭がいっぱい過ぎて、桜ちゃん達のその後のことを何も知らなかったんだ。
「烏は捕まった。運命は変わっていく」
「ねぇ、何であたしを呼んだの?」
「頼まれた。ある人間に」
その後、何を言って叫んでもカミサマは返事をくれなかった。
「健ちゃん」
皆が眠る真夜中に、あたしは健ちゃんの様子を見にきた。
昼間と変化がなくてまた泣きそうになったけど、眠ったままでもいいから健ちゃんにあたしの決意を聞いてほしかった。
「あたしは穴から落ちてきたんだ」
夜の静けさに小さくヒビを入れた。
「違う世界の人間だけど、ここは居心地よくて……前の世界よりあたしの大切な場所になってた」
あぁ、また涙出てきた。鼻の奥がつんとして、唇がわなわな震える。
「先生と静さんとか幸宗とか……健ちゃんがいてくれたから、あたしは幸せだった」
嘘偽りなく言える。
「あたしだって、健ちゃんが好きだよ……」
もっとちゃんとした形で言いたかったのに。両想いだねって、笑いたかったのに。
うつ向いて涙を堪える瞬間、布の擦れる音がした。
「言わなかったか? 泣くとブサイクに見えるって」
「健、ちゃん……?」
「何だよ」
まだ顔色はよくなかったけど、不敵に笑う姿にあたしはまた泣いてしまった。
「これで良かったのか?」
少し離れた縁側で、中年男は尋ねた。
「ええ」
侍は目を閉じて、二人の幸せを喜び噛み締めているようだ。
「先生も随分粋なこと考えてくれるよ、まったく……」
「貴方……カミサマがいなければ、私の考えも実行には移せませんでした」
信頼しきった表情で侍は言う。
「ま、貸しは結局使う暇なく現実になったからさ。俺はただ貸しを返しただけってことになる」
ポリポリと頬をかきながら照れ隠しで答えた。
「貸しを理由にして、純粋に彼女の幸せを願ったんじゃないですか?」
「……敵わねぇなぁ、先生には」
諦めたような乾いた笑い。
「カマかけただけですよ」
「なぁ、先生もしかして俺よりも未来が見えてる?」
「さぁ? どうでしょうね」
侍はただ笑っていた。