にじゅうご。
「毎回寿々は怪我するねぇ」
「すいません」
ほっぺたに消毒してもらいながら、静さんに烏のことを話した。
「綺麗に治るから運が良い。跡に残ったらどうするんだい」
「特にどうもしないですよ」
「馬鹿、嫁に行けなくなるよ」
呆れた顔であたしを見る静さん。
「嫁って……あたしにはまだ早いですよ」
結婚出来る歳にはなってるけど、今のあたしにそれを考える余裕はなかった。
「何悠長なこと言ってんだ。アンタの年齢じゃ遅いくらいさ。健太もねぇ、そろそろ良い人がいる年頃なんだが上手くいかないもんだ」
健ちゃんの名前が出てぴくっと眉が動いた。
そりゃあ健ちゃんだっていつか結婚するだろうけど、ちょっと嫌だ。
「あれ?」
窓を叩く音にあたしは外を見上げた。
「雨だ……晴れてるのに」
太陽も出てるのに、空から落ちて来る雫。
「こりゃあ狐の嫁入りだね」
「狐の嫁入り?」
「知らんのかい? こういう晴れた日に雨が降ると狐が結婚式をするって言い伝えさ」
聞いたことあるかも。空を見ながらあたしは思った。
「通り雨だから直にやむだろう。寿々、買い物行ってきとくれ」
「わかりました」
「毎回こんなパターンってどうなの、あたし……」
買い物の帰りに倒れた幸宗と同い年くらいの女の子を見つけて駆け寄る。最近そんなことあっても驚いたりしなくなったのは、悲しいけど慣れなんだと思う。
でも今日はいつもとちょっと倒れてる人が違った。
「耳と尻尾……」
ふわふわのふさふさ。動物の毛が生えたそれに触ってみると、ぴくぴく動いた。
狐が化けてるって気付いたのはさっきの雨のお陰かな。っていうか、いつの間にそんなファンタジーなことになってんだここは。
「……でも放っておくわけにもいかないしなぁ」
流石のあたしでも買い物の荷物持って担げないよ。
「寿々さん?」
「先生、ちょうど良いところに!」
「え?」
「よく拾い物をしますが、人を拾ったのは寿々さんと健太と合わせて三人目になりますね」
狐の女の子をおぶって先生は微笑む。狐はむにゃむにゃ寝言を言いながら先生の背中にくっついた。
「すいません、居候が居候増やして」
「大丈夫ですよ。部屋は有りますから」
いや、そういうことじゃなくて……。
「寿々、いい加減その拾い癖直しな」
そう、まさにそういうことなんだけど。
「あたしそんなに拾い物してませんよ!」
静さんに言い返すとその声に驚いたのか、狐の子が目を覚ました。
「ここ、どこ?」
「可愛い……じゃなかった、具合はどう?」
くりくりしてて円らな瞳が印象的。まだ眠たそうに目をこする幼さも加わってあたしの心をくすぐる。
「……だれ?」
「あたし寿々。貴方が道に倒れてたから連れてきたの」
「ここ寿々の家?」
狐耳がせわしなくあちこちに動く。情報収集でもしてるのかな。
「まぁそうだけど、あたしは居候。先生の了解を得て住まわせてもらってる」
「先生?」
「起きましたね」
そういえばずっとおぶったままだった。先生が背中を見て微笑む。
「この人が先生」
「……っ!」
息を飲んで、狐の子は先生の背中を離れて急に猛スピードで走り出した。
「……何で脱走?」
「早速嫌われてしまいましたか」
いやいやそんなはずはないでしょう。
「あたしちょっと探してきます」
理由を聞かなきゃ解決も出来ない。骨が折れると思った捜索は予想以上に早く終わった。
偶然にもあたしの部屋に隠れてて、押し入れから尻尾が見える。
「こら。人の顔見て逃げるなんて駄目でしょ」
「ごめんなさい……」
尻尾をつかむと小さく声を上げて丸まった。あたしはひとまず注意をすると謝罪が返ってきた。
「先生が恐かったの?」
「違う!」
「じゃあ何?」
唸ってはいるのに答えようとはしない。
「黙ってちゃわかんないよ」
「恩人、だったからびっくりした」
「恩人?」
聞き返すと狐の子はぶんぶんと首を縦に振った。肩につくくらいの黒髪が揺れる。
「昔、罠に掛かったところを助けてくれたの。だから恩返ししたくて、でも途中でお腹減って」
空腹の音が鳴った。恥ずかしそうにお腹を押さえる姿も可愛らしい。
あたしにはないもの全部持ってる感じ。
「ひとまずご飯食べようか。話はその後」
押し入れから出して頭を撫でると尻尾をぱたぱた振ってた。嬉しいみたい。
「名前は?」
「サク」
「じゃあサク、先生にちゃんと謝るんだよ」
「うん」
居間に行くと先生も静さんも健ちゃんも座ってあたし達を待っててくれた。
「機嫌は直していただけましたか?」
「あ、あの……ごめんなさい」
「逃げ出してすいませんってことみたいです」
そのまま前転出来ちゃう勢いで頭を下げるサク。
「大丈夫ですよ。怒っていませんから」
「……本当?」
「えぇ」
「良かった!」
初めて見た満面の笑みに先生や静さんの表情も和らいだ。
唯一不思議そうな健ちゃんにあたしは尋ねる。
「健ちゃんどうしたの」
「いや。アイツ狐だよな」
尻尾も狐耳もフル可動で反応してる。ほっぺたを淡い桜色に染めて拙く話す姿は人間そのものだった。
「昔助けてくれた先生に恩返ししたいんだって」
「へぇ、律義な狐だな」
「サクだよ」
さっき聞いた名前を得意げに言ったら今度はあたしに視線が向いた。
「寿々」
「何?」
「色々知り合いが多いとは思ってたが、狐の知り合いまで作ったんだな」
「……それ褒めてる?」
「一応は」
その日から先生の家にまた一人居候が増えました。
「寿々、昼ご飯にしようか」
「はーい」
今日は静さんが全部やってくれるらしくてあたしはサクとお手玉をして遊んでた。
呼ばれて立ち上がるとサクがあたしの着物を引っ張る。
「サクは?」
真ん丸の瞳にあたしが映った。
「おいで、一緒に食べよ」
「早く座りな。サクはこっちの方が良いだろ」
静さんが持ってきたのはお皿に一枚乗った油揚げ。
「揚げ!」
尻尾をぱたぱたして油揚げに飛び付いた。
「おやおや、先生の言う通りだね」
「えぇ、美味しそうに食べてますねぇ」
良い食べっぷりに先生と静さんの頬が緩む。
「美味しい?」
「うん!」
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい」
「おかえり健ちゃん」
ちょうど健ちゃんも帰ってきて、皆でお昼を食べることが出来た。
「ちょっと良いか?」
食べ終えて一息ついてる間にサクは昼寝しちゃって暇になった。そんなあたしに健ちゃんは神妙な顔をして話し掛けてきた。
ひとまず健ちゃんの部屋に移動して話を聞く。
「どうかしたの?」
「サクのことだ。寺子屋でも化けた狐が江戸にいるって噂になってる」
「……家に帰せって言いたいの?」
「その方がサクにも良いんじゃないか? 親だって心配するだろ、もう二週間ここにいるんだぞ」
「そうだけど」
確かに親が心配するのはわかる。でもあたしはサクに愛着がわき始めてた。
「一番まずいと思うのは、サクを欲しがる輩がいることだ」
「サクを?」
「完璧に化ける狐は珍しいが見分けがつかない。でもサクは不完全にしか変化出来ないから外に出れば簡単に狐だと知られる」
「捕まって酷い目にあうかもしれないってこと?」
それは絶対に嫌。
「先生には後で俺から伝える。お前も覚悟はしておけよ」
サクのこれからのために、お別れをしなきゃいけない。
冷静な健ちゃんの言葉にあたしは着物をくしゃくしゃに握り締めた。