に。
古びた木造の天井が見える。床は所々ほつれた畳。あたしはその上に敷かれた布団に横になっていた。
物凄く体が重い。寝たまま手のひらを開け閉めして生きてる実感を持つ。
「生きてますよ」
声の元に顔を向けると金色の長い髪を後ろに束ねた男の人。
目元は涼しげで動く様もかなりスマート。絶対この人モテるタイプだ。
「だれ?」
駄目だ、落下中に叫び過ぎて声がちょっと枯れてる。弱々しい自分が情けなくて泣けてくるよ。
「初めまして。藤沢元と申します」
私の声は辛うじて届いたらしい。柔らかな笑顔でそう返された。
深い青色の着物をゆったり着こなす藤沢さんは間近で見るとなかなか綺麗な顔立ちをしてる。
「気分はどうですか? 井戸水でよければ持ってきますよ」
「……井戸水?」
あたしは無理矢理上半身を起こす。少し痛むものの、それほど辛くはなかった。
「ここって、もしかしなくても江戸時代ですか?」
信じたくないけどカミサマが言ってたことだ。ホントにアイツがカミサマなら、返ってくる言葉は決まってる。
「そうです。やはり貴方は穴から落ちてきたようですね」
藤沢さんは微かに顔を歪めた。
「穴から、ですか?」
「落ちてきたでしょう?」
あたしは首を縦に振る。安っぽいジェットコースターよりずっと怖かった。
「それは次元の穴と言います。二日に一度は江戸のどこかで開くものなのですが……」
「?」
「今まで人が落ちてきたのは聞いたことがありません」
特例ってヤツか、あの自称カミサマ野郎。
「もしもし?」
「あ、すいません」
目の前の人に怒ってもしょうがない。第一藤沢さんは無関係だもんね。
「いえ……水、飲みますか?」
「すみません、いただきます」
喉の奥がからからでちょっと痛かった。
「ではもう少し寝ていてください。井戸まで距離がありますから」
ふわりとまた笑顔を見せて藤沢さんは腰を上げた。
「あ、遠いんなら別に……」
「怪我人は労らなければいけませんからね」
悪戯っぽい笑みに変わり、彼は部屋を出ていった。
それを見た後でため息を吐き、あたしの体は布団に倒れこんだ。
「ホントに来ちゃったんだ……」
両腕で顔を覆う。悲しいとかむかつくとかそんな感情じゃない、これからの自分の行方が、不安で不安でたまらないんだ。
「起きれるかい?」
藤沢さんとは違うしわがれた声。その方向に目を向ければ、小学生並に小さいお婆さんがいた。
「先生が水汲みに行ってる間にこれでもお食べ」
お盆に乗ってたのはお粥。作りたてのようで湯気が立ち込めて、美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。
「美味しそう……」
「そりゃあ出来立てだからね。ほら、さっさと食べな」
「いただきます」
息で冷ましてから一口。じんわりと旨味が口に広がる。
「美味しい! すごい、レトルトと全然違う」
「レトルト?」
「あ……」
江戸時代にレトルト食品なんて無いんだった。
じとりと睨むお婆さんに若干びくびくしながらお粥を口に運ぶ。だって美味しいんだもん、止められない。
「アンタ、先生の言う通り本当に違う時代の人間みたいやね」
「……すいません」
食べるのを止めて頭を下げた。
「別に謝らんでいいさ。ここらは流れ者の集まりだからね」
「あの……お婆さん、名前は?」
「名前聞くなら先に名乗りな」
再度睨まれたあたし。
「か、葛西寿々です……」
「アタシは静。ここの隣に住んでるから、何かあったら呼びなさいよ」
「ありがとうございます」
頼りになりそうなお婆さんに会えてホッとしたのもつかの間。
「ところで、先生にはきちんと自己紹介したのかい?」
「……あ」
そういえば全くしてない。
静さんのこめかみがピクリと動く。藤沢さんが戻ってくるまで、あたしは怪我人にも関わらず正座で静さんに説教された。
「まったく、聞いてんのかい?」
「はい……」
お願いします藤沢さん、早く帰ってきてください。足が限界突破しました。痺れて感覚なくなってます……。
「ただいま帰りました。ずいぶん楽しそうですね」
やんわりとした口調で藤沢さんが帰宅。どれほどこの瞬間を待望んでたことか……!
「これのどこが楽しそうに見えるんですかぁ」
説教もなんとか終わったものの、足の痺れに耐えかねてあたしは布団の上に蹲っていた。
ホントに痛いんだって。静さんはやっぱり江戸の人だよ……平気な顔でお茶用意しに行ったもん。
「ふふ……すみません」
笑いながらあたしの横に座る藤沢さん。
「あの、申し遅れました。あたし葛西寿々といいます」
「寿々さんですか、良い名です。静さんとは何か話しましたか?」
「お粥作ってくださって……何で藤沢さんに名前名乗らないのかって怒られてました」
「そうですか」
しばらく二人ともしゃべらなかった。雀の鳴き声や子供達の騒ぐ声が心地好くて、あたしはぼんやり外の景色を眺める。
「これからどうするつもりですか?」
「……わかりません」
その質問は聞かれると辛い。正直自分のすべきことがわからないから。
一方的に落とされて簡単に馴染めるほど、あたしは順応力が秀でてるわけじゃないんだよ。
「それなら、ここで暮らしてはどうでしょう」
「え?」
突然の言葉にあたしはただ目を丸くした。
「静さんも言ったそうですが、ここは皆さんそれぞれが理由ありで暮らしています」
表情を変えることなく、藤沢さんは話を続ける。
「幸いこの家に住むのは私一人ですし、部屋は空いています。どうしますか?」
「藤沢さんは、良いんですか?」
さすがに仕方なしに嫌々勧められるわけにはいかない。ただでさえこうやって迷惑をかけてるんだし。
「勿論です」
藤沢さんは強く頷いてくれた。
「……お願いします」
ここを出てもすることはない。それなら助けてもらった恩人に恩返ししたかった。
「お茶が入ったよ」
そのすぐ後に静さんが入ってきた。藤沢さんはあたしがここに住むことを静さんに伝える。
「よろしくお願いします」
あたしは小さく頭を下げた。
「アンタ、料理は出来るかい?」
「……少し」
得意ではないが作れるには作れる。
「ふん、鍛えがいがありそうだ」
そんな意地悪そうな顔しないでほしい……ホント不安になるから。
「先生、夕飯は何が良いかね?」
「お任せします。静さんの料理は美味しいですから」
藤沢さんの言葉に静さんは満足気に笑った。
「藤沢さんは先生なんですか?」
「いえ、ここらに住む子供達に剣術を教えているだけです」
「稽古のせいか、子供らが先生と呼び始めてね。今じゃ藤沢元の名前より先生と呼ばれる方が多いのさ」
横で静さんが説明を付け足してくれる。
お侍さんなんだ。せっかくだからあたしも先生って呼ぶことにしよう。
「それにしても……この子を嫁にするなんて言わないだろうねぇ?」
「まさか。私より一回りくらい若い方に気持ちは向きませんよ」
今、とんでもない台詞を聞いた気がする。
「先生って、何歳ですか?」
「今年で三十になります」
「嘘……」
「嘘ついてどうするんだい」
「詐欺ですよ絶対……三十路になんか見えませんて」
先生は困ったように微笑む。
金色の髪と端正な顔立ちで大分若く見えていた。意外過ぎてあたしは何も言えなかった。