じゅうなな。
「買い物くらいあたし一人でも行けるってば」
「荷物持ってやれって静さんに言われたんだよ」
野菜と調味料とお茶の葉だけならあたしだけでも大丈夫だと思うんだよね。
家を出てすぐに、前を歩いてた健ちゃんが足を止めた。
「痛いなぁ、何で急に止まるの!」
静さんのメモ書き見てて全然気付かなかったあたしは鼻を健ちゃんの背中にぶつけた。
もろに当たってかなり痛いんですけど!
「悠里……」
「へ?」
「兄様!」
健ちゃんの視線の先にいたのは淡いピンクの着物姿の女の子。見た感じちょっと年下だけど落ち着きっぷりは向こうの方が確実に上。
「何でお前がここに」
小走りであたし達、というか健ちゃんのところに来た女の子は目をキラキラさせて声を弾ませた。
「会いに来たんです! 仇討ちに行くと家を出てもう半年になるのに何の音沙汰もないじゃないですか!」
唇を尖らせてムッとする姿も可愛いし様になってる。
目鼻立ちがはっきりしてて、こういうのが美少女なんだって実感しちゃった。
「それは色々あって」
「駄目ですっ、言い訳は聞きませんよ」
「あのー」
お取り込み中のところ邪魔しちゃってすみません。
「お二人は兄妹?」
「兄様この方は?」
「先生の家に住むもう一人の居候」
どんな紹介の仕方だこら。
「寿々です。初めまして」
とりあえず礼儀正しい挨拶をしてみると向こうもぺこりと頭を下げた。
「わたくし悠里と申します。兄がお世話になっているようで」
「い、いえ」
お嬢様な態度に若干引け目を感じるあたし。
健ちゃんってもしかして良いとこの坊ちゃん?
「ときに寿々さん。兄とはどういうご関係ですか?」
「……居候仲間ですけど」
「そうですか。安心しました」
にっこり笑って妹さんは話を続けた。
「兄様には許婚がいるんですものね。まさか他の女性と恋に落ちるなんてことがあれば我が家の命運に関わることです」
「許婚?」
それって婚約者ってことだよね……。
「そんな話聞いてないぞ」
「言ってないもの。兄様が出ていった後に母様が連れてきたの」
家族だけがわかることだ。他人のあたしが関わる話じゃないと思った。
「ごめんなさい。買い物頼まれてるんで先に失礼します」
「だから俺も一緒に」
「いいから!」
怒鳴ったあたしに健ちゃんは驚いた顔をする。
気まずくてまともに目を合わすことも出来ない。
「……ごめん、妹さんと先に帰ってて」
「おい寿々!」
この場に居たくなくて、買い物に急ぐふりしてあたしは逃げた。
「重たい……」
野菜オマケしてくれるって言われたから調子に乗ってもらいすぎたわ。腕がちぎれそう。
「やっぱり、手伝ってもらえば良かったかな」
こういうとき健ちゃんは仏頂面で重い方の荷物を持ってくれる。でも駄目だ、今は一緒にいれる気分じゃない。
妹がいることなんて知らなかった。仇討ちのためだけに江戸まで来たことを初めて聞いた。結局、あたしは健ちゃんのこと何も知らないんだ。
「トレーニングついでだし」
もうちょっと頑張りますか。
あたしは台所に向かう途中で先生の声を聞いた。
「健太の妹さんですか」
「はい。兄がお世話になっております」
「ご丁寧にどうも」
足を止めて部屋の中を盗み見ると、先生の向かい側に健ちゃん達兄妹が座ってて、少し離れたところに静さんがいた。
「早速で申し訳ないのですが、兄を家に連れて帰りたいのです」
「悠里、勝手なことを言うな」
「勝手はどちらです。大方わたくし達家族のことなんて忘れていたのでしょう?」
妹さんには弱いみたいで、健ちゃんは何も言い返さない。
「兄は跡取りです。いずれ戻る必要があります」
確かにお父さんのいない家族で大黒柱になれるのはお兄ちゃんだ。
頭ではわかってても、あたしの心は晴れようとしない。
「藤沢様、兄への礼金は家から送ります」
「必要ありませんよ。質素な暮らしをさせてこちらが申し訳ないくらいですし」
朗らかに先生が話してると、突然健ちゃんが立ち上がった。
「兄様?」
「家に帰るかどうかは、俺が決めることだ」
珍しくドタドタと荒っぽい足音で健ちゃんは部屋から出てった。
呆然とするあたしを見つけた静さんが背中を押す。
「行ってやんな」
「でも」
「お願いします」
先生にもそう言われて、あたしは健ちゃんを追いかけた。
「健ちゃん」
縁側に腰掛けて外を見つめる姿が悲しそうだった。
そろそろと近寄って名前を呼ぶけど、情けないくらい小さな声で。
「ここは居心地が良すぎた」
「それって……」
「いずれ母上にもきちんと報告しに行く必要があったんだ」
吹っ切れたようなすっきりした表情。
やめてよ、そんな顔しないで。
「妹さんと帰るの?」
健ちゃんは黙ったままだ。
「そうだよね。健ちゃんには家族や許婚がいるもんね」
口が言うことを聞かない。勝手に出てくる言葉が、あたしの本心に壁を作った。
「帰りたいなら帰ればいいよ。……あたしは止めないから」
そう、止めたりなんかしない。邪魔になるようなことしたくない。
「それで良かったんかい?」
「静さんが立ち聞きなんて、珍しいな」
今はあんまり誰かと話すこともしたくない。
「アンタ本当は」
「これで良いんです。健ちゃんは期待されてる人なんだから」
住む世界が違うって、このことなんだ。
静さんの言葉を聞かずにあたしは続ける。
「あたしちょっと出掛けてきます」
「お前らって仲良いのか悪いのかわかんねぇな」
毎回毎回年下に相談事持ち込むあたしってどうなんだろう。
家の手伝いをしてた幸宗にあたしは全部話した。
「帰らないでほしいなら引き止めればいいだろ?」
「出来るわけないじゃんそんなの」
井戸水を汲む幸宗は桶に水を入れていく。
あたしは地面にしゃがんで膝に顔を埋めた。
「あたしに健ちゃんの人生決める権利ないもん」
「お節介な割に妙なとこでうじうじしてんのな」
うるさいよ、皆して人のことお節介呼ばわりしちゃってさ。
「でも俺のとこに来たってことは後悔してるんだろ?」
否定出来なかった。もっと素直な性格だったら、泣きながら止めたかもしれない。
あたしは深くため息を吐いて視線をずらした。
「あ、妹さんだ」
キョロキョロしながら吸い込まれるように路地裏へ消える悠里さん。
「いかにもお嬢様だな。絡まれやすいぞ、あーいうのは」
確かにそっち方面はあんまり行かない方が良いかも。
「あたしちょっと行ってくる」
「先に誰か呼んできた方が……って寿々!」
幸宗の忠告を背中で聞きながら、あたしは小走りで路地裏を通った。
「待って悠里さん」
「どうしたんです? そんなに慌てて」
振り返った妹さんはきょとんとしてた。
「こっちはあんまり治安良くないから戻った方が良いよ」
「そうなんですか……?」
話を聞けば、江戸の町を一人散策中だったらしい。健ちゃんが相手しないから暇つぶしにふらふらしてたんだ。
「とりあえず戻ろ。長くいるべきじゃない」
華奢な手首をつかんであたしは元来た道を戻ろうとした。
「そうそう」
「俺達みたいなのがいるからよぉ」
見るからにガラの悪い奴等数人。
今日は絶対厄日だ。