じゅう。
「また先生に仕事の依頼ですか?」
「今日は寿々さんに言いたいことがありやして」
「……何でしょう」
はっきり言ってろくなことじゃないのは明らかにわかるけど。
「あっしをあまり怒らせないほうが良いですよ?」
「どういう意味ですか?」
バイトで得た営業スマイルで雄吉さんを見返す。引きつってると思うけど。
「仕事の邪魔はするもんじゃありません、ってことですぜ」
気味の悪い笑みを浮かべ、雄吉さんは去っていった。
凄い嫌な感じ。
「なぁ」
「うわっ、健ちゃんいきなり話しかけないでよ……」
一瞬誰もいない気でいたわ。横に並んでるなんて全然気付かなかった。
「さっきの誰?」
あたしの失礼発言を気にすることなく、健ちゃんは聞いてきた。
「雄吉さんって人。先生の昔からの知り合いらしいよ」
そういえば健ちゃんが雄吉さん見るの初めてだったっけ。
「それがどうかした?」
「どっかで、見たことある気がする」
「健ちゃんが?」
「ああ……」
それから健ちゃんはずっと考え事をしながら帰り道を歩いてた。あたしの味噌を抱えて。
「おかえり。味噌は?」
「あ、はい」
静さんに風呂敷包みを渡すと、満足そうに台所へ消えた。
おつかいは無事終了、あとは……。
「健ちゃん」
さっきから名前を呼んでも気付いてくれない。
「健ちゃんってば」
もう一度強く呼んでみたけど、あたしに顔を向けることはない。
あまりに真剣な様子に、あたしは何も言えなくなってしまった。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
笑顔で出迎えてくれた先生にぺこりと頭を下げるあたし。
「彼はどうかしたんですか?」
顎に手を当てて考え込む健ちゃんを先生は不思議そうに見てた。
「帰り道で雄吉さんに会いまして……」
「何かされたんですか?」
眉根に皺を寄せて先生が聞いた。最近雄吉さんの名前が出ただけで先生はちょっと嫌そうな顔をする。
「少し話しただけです。ただ、健ちゃんが雄吉さんに見覚えがあるらしくて」
「健太が雄吉さんに……」
そう口に出して健ちゃん同様に考え込んでしまった。
「この二人は何してんだい寿々」
「……あたしに聞かないでください」
結局、静さんが夕飯だと怒鳴りつけて健ちゃんと雄吉さんの話はそこで終わった。
「寿々」
「健ちゃん?」
寝る支度を終えて布団に入ろうかと思った矢先、健ちゃんがあたしの部屋の前に現れた。
「ちょっと聞きたいことがあって……もう寝るか?」
「ううん、これからだったから平気。入れば?」
「いや、ここでいい」
健ちゃんが縁側に座るのがわかった。床が少しだけきしんだから。
月の光で障子に健ちゃんの大きな影が映った。
「雄吉って男と話してたよな、あの人に相談しなくて大丈夫なのか」
「先生にって……何を相談するのさ」
あたしは布団の破けた部分をいじりながら答えた。
「あの男、危険なことを考えてた」
声だけでも真剣なのが伝わってくる。
でもあたしが気になったのは雄吉さんのことじゃない。
「ねぇ健ちゃん」
「あ?」
「あの人じゃなくて、先生って呼ばない?」
返事はない。まぁ予想はしてたけどさ。
「だって一緒に住んでるのにいつまでもあの人、なんて言ってらんないでしょ? それに誰のこと言ってるかわかんなくなりそう」
先生はあの人、雄吉さんはあの男、で使い分けてるみたいだけど。やっぱりわかりづらいから。
「一緒に住んでるのは単に生かされてるからだ。本来なら俺は死んでる」
「いつまでそんなこと言ってんの?」
あたしだって流石に怒るよ?
「復讐なんて言ってる健ちゃんに、先生はやり直すチャンスくれたんだよ?」
「……そんなこと俺は頼んでないよ」
何よそれ。
あたしは勢いよく障子を開けて、あぐらをかいて座っている健ちゃんの頭を木刀で叩く。
「い……っ!」
後頭部を押さえて痛みに耐える姿を見下ろし、あたしは口を開いた。
「健ちゃんの馬鹿!」
叩き付けるように障子を閉め、布団の上にへたり込む。
「馬鹿……」
わかってくれたと思ってた。短い間でも先生や幸宗と稽古をする健ちゃんは、凄く楽しそうだったから。
いつの間にか部屋の外の気配が消えてた。障子にも、彼の影はない。
人の気持ちは、簡単に変わることがない。わだかまりをなくすのが難しいなんて、わかってたはずのに。
「馬鹿だなぁ、あたし……」
先生と健ちゃんの橋渡しも出来ない自分がひどく情けなくて、あたしは泣きながら眠りについた。
「まったく、食事は皆でと言ってるだろう?」
呆れたような視線が痛い。静さんは空いている先生や健ちゃんの茶碗を片付けてる。
あたしは自分の茶碗にご飯を盛った。
「何かあったのかい?」
「……別に」
ただ健ちゃんと顔を会わせたくないだけ。
「痴話喧嘩かい?」
「それ、意味わかってます?」
「相思相愛の二人がする喧嘩だろう?」
意地悪そうな笑みを見せ、静さんはあたしに言った。
「意味は合ってるけど、あたしと健ちゃんはそんなんじゃないのっ」
きつい口調に静さんは意外そうな顔をしてた。確かにあたしが怒ることはあんまりないから仕方ないんだけど。
「……あんなに馬鹿だと思わなかった」
夕べのことが頭をよぎる。
「ま、何があったかは知らんけど……気晴らしに出かけたらどうだい?」
「気晴らしって、どこにですか?」
あたしの問いに、静さんは微笑むだけだった。