十月一八日~二月二日
火がそろそろ階段を下りきろうかとしていた。
階段を降りたら、ほんの数メートルで玄関だ。もうすぐここも火が覆う。
でも、日記はあと数ページだ。終わりが近い。このまま最後まで読むことだって可能だ。
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十月一八日(日)・文化祭:晴れ《学校》
昨日に引き続き、今日も文化祭だ。
どうせ私はシフトなんかに入ってないので、二日間ずっと暇だったが、ツジくんはそうもいかない。働きモノの彼は、昨日は一日中仕事でクラスに拘束されていたのだ。
でも、今日は一緒に回る約束をしてくれた。
私なんかを連れまわして、楽しいのかな。
いじめられっ子なんかと仲良くしたら、ツジくんもいじめられちゃうよ。
そう言ったとき、ツジくんは笑ってこう言ったのだ。
「俺はニンキモノだから、大丈夫。それに、俺は好きでやってるんだぜ? お前と一緒にいることが、楽しくて楽しくてたまらない。家に帰ってからも楽しすぎて笑いが止まらなくてさぁ」
はにかむ。
私はもう、ツジくんがどんな人間でも依存しなくては生きていけない。たぶん好きになるっていうのはこんな感じの気持ちだと思う。
ツジくんが来たから、いったん終わり。続きは家で
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続きが書かれていたであろうページの下半分は、燃えて黒くなっていた。読めない。仕方ないので、飛ばして次のページへ。
一月二二日、受験を控え、卒業間近の行く逃げる去るの、「行く」一月。
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一月二二日(金)・ :雪《家》
例年の三倍というあまりの大雪で交通機関は軒並みストップ。
市内の中学校・小学校はほとんどが臨時休校となった。
いじめられていたし、勉強と読書くらいしかすることがなかったから、志望校の偏差値はとうにオーバーしてるし、今日一日くらいはサボっても良いんじゃないかなと思う。
勉強して、飽きたら読書して、疲れたら勉強して。
することが二つしかなかったら、そりゃ勉強もはかどるわけだ
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気付いたことがある。
どうやら、どの日付も、日記の最後の文だけは「。」がつけられていないらしい。癖だったのだろうか。
ともあれ次は二月の日付だ。
そろそろ、日付が「昔」から「最近」に近づいてくる。
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二月二日(火)・ :晴れ《家》
父が死んだ。
私が考えたのは、片親である家庭で、その片親が死んだら、そこの一人娘はいったいどうなるのかということだった。
私には親戚が一人もいない。
いや、母方の親戚ならいるかもしれないが、私が物心ついた時から、母についての記憶は皆無なのだ。
取りあえず警察に相談して、お葬式もやるらしい。喪主、ってのがなんなのかはよくわからないけど。
お父さんが死んだという事実を、うまく認識できなかった。
テレビの中の世界を、ぼんやり覗き込んでいるみたい。
死因は、校舎四階から落下した植木鉢が頭に落ちたことだった。
公立受験前の、最後の三者面談に赴いた父の上に、植木鉢が降ったのだ。
天気予報では、植木鉢が降るなんて言っていなかった。
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