焼け落ちた:第一話
はいはい。
マイルド版焼け落ちた、始まるよー。
元のモノとの違いを楽しんで――みたいな、そんな楽しみ方をできるのは、次の話からになります(キリっ
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四月八日(月)・始業式:はれ《いえ》
お父さんに日記帳を買ってもらいました。赤い革が素敵な、文庫サイズの日記帳です。
今日から中学生、これから、毎日日記をつけようと思います
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それからは、しばらくページが抜け落ちてしまっていた。
つい先程、ページを綴じる紐が劣化に敗れたか、斑の白は、辺り一面に広がっている。そのうちの何枚かを、炎がなめた。
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五月二八日(火)・宿泊学習:あめのちはれ《青少年海の家》
臨海学校二日目、最終日、海での自由時間も少ないながらにあって、すごく楽しみにしてました。でも、このまま雨が降ってると無くなっちゃうんだって。
晴れてほしいなあ。
ただいま。
朝日記を書いてから、すぐに雨はやんでくれた。海の水はまだ少し冷たかったけど、とっても楽しかったよ!
本州だとまだ冷たすぎるよね……、うみ
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ひらり、また一枚、手から紙が落ちた。そこで気付いたのだが、どうやらこの日記帳は、紐で綴じるタイプではないらしい。背表紙の部分に、糊で紙を貼るタイプの日記帳――。その糊を、虫が食ったのだ。
一匹、火の光に誘われるように這い出し、落ちた。
火は、虫を食べた。
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六月三〇日(日)・プール開き:はれ《いえ》
今日は、市民プールのプール開きだったので、れいちゃんとゆうと三人で行ってきました。
まだ流れるプールで流れてる感覚が残っててちょっと気持ち悪い(笑)
でも、楽しかったので、また行きたいと思います。
れいちゃん、ゆうとはもう行く約束をしました!
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また一枚、火に焼べる。白の色は解け、赤に溺れた。
次もまた、複数枚飛んでいるようだ。
ページを繰り、しばらく斜め読みをしていると、日付がまた四月になった。ここから二年生――
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四月七日(月)・始業式:あめ《いえ》
今日は雨だったので、一日中ユーウツでした。 ユーウツっていうのは、先生が言っていたのを聞いて覚えました。意味はわからないけど、雨はユーウツなんだって。
クラスは二年三組でした
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赤が混じった。血と火の赤だ。朱と緋が混じる、後悔の色。
指が切れていた。四月七日のページが赤く濡れている。
七日までのページを毟るように破りとった。火に投げ込む。
ここからだ――
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四月十日(木)・春季休暇課題テスト:はれ《いえ》
好きだと告白された。
でも、私はツジくんが好きなので、断っちゃいました。
クボくんは悲しそうな顔をしたけれど、でも、諦めてくれたようです
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ページが一枚、音をたてた。
紙を握り潰す音だ。そのまま手を開くと、一枚、紙が落ちた。
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四月一一日(金)・とくになし:あめ《図書館》
可愛い子ぶりっこだと言われた。
無視された。
机に死ねと書かれた。
クボが可哀相だと思わないのとののしられた。
同じクラスになったばかりのイマナカさんに髪の毛をつかまれた。
わたしはクボくんが好きなの、そう言って叩かれた。
私の意見は、自由は、可哀相はどこ?
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ページに、なにかに濡れた後乾いたような皴が走っている。
土曜日、日曜日と読み流し、日付がまた月曜日になる。
そこで、火の手がこちらの足元にまで迫っていることに気づき、部屋を出て、二階廊下の壁に背を預けた。
きっとその時火の粉でも飛んだのだろう。
ページが、一部焼け落ちてしまった。
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四月一四日(金)・とくになし:あめ《図書館》
土日をはさんでも、私は無視されていた。
クラスの誰も、私と
目を合わ ない
話を いてくれない
クラスに、 の居場所はなかった。
私の居場所は、ほとんど誰も寄り付かない、学校のなかにある図書館だけ。
辞書を曳くと、憂鬱の漢字と意味が載っていました。
すごく、憂鬱
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ある水準を突破した火の勢いが、急激に強くなる。爆発したかのような炎に、たまらず階段をおりた。一階。
今度は日記は無事だった。
空の鳥かごが、空虚な瞳のように火を映して橙色をしていた。違う、これは己の目に映る炎の色か。
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六月六日(金)・なし:あめ《いえ》
死んじゃえ
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殴り書きのような筆致で、一言が書き込まれている。
インコのもの、鮮やかな黄緑の羽が挟み込まれている。
手にとって見ていたそれを、火に焼べた。火は階段を舐めはじめていた。
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七月七日(月)・七夕:くもり《図書館》
おもちゃの宝石。私は盗んでない
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また数ページが飛ぶ。
既に解けて火に食われたか、それとも誰かが破り去ったのか。わかるのは、ここに数ページ分の記録があったことだけ。なんと書いてあったのかも、もう定かではなかった。
無感動に、続きを読む。
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七月八日(火)・ :雨《図書館》
おもちゃの宝石はまだ見つからないらしい。
そもそも、おもちゃの宝石がなくなったところでなんなのだろう。そんなものは必要なのでしょうか。紛失したなら、持ってきた人にも責任があるはず。
というか、私は盗んでいない
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そういえばこんなこともあったかもしれないな、と、第三者の視点で回顧。そうだそうだ、おもちゃの宝石が紛失した事件があったはずだ。先生に言ったところで、怒られるのは持ってきたイマナカさんで、そもそも、中学二年生にもなっておもちゃの宝石なんぞを大事にしているなんて、なんと子供であったのか。
この事件は、いったいどういう形で終わったのだったか、記憶に靄がかかったようでよく思い出すことができない。
ゆえに、ページをめくる。幸い、ページは飛んでいない。結末まで抜けた項は無いようだ。
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七月九日(水)・ :雨《図書館》
図書館にいれば落ち着く。
最近、そう思えるようになった。
教室にいても無視されるか、話しかけてくる人がいても、ナニカアタラシイいじめヲオモイツイタトキダケ。
教室は音に満たされています。
ホームルームも、授業中も、休み時間も、ずっと。誰もしゃべっていなくても、授業中は衣擦れの音が、椅子を引く音が、鉛筆がノートを噛む音が消しゴムが漂白する音が筆箱のチャックが開く音が誰かが首や腰の関節を鳴らす音チョークが黒板を叩く音窓の外を吹く風の日光が地面を焼く体育のクラスの号令チャイムを鳴らす事前になるノイズ生徒が教師が学校で飼ってるウサギが
うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい
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飼ってる、ではなく飼っている、だ。
どうでも良いところが気になった。
所詮は日記なのだ。誰かに見せることなど、ハナから考慮していない、独りよがりの文字の羅列。
心の温度が下がっていく。
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七月十日(木)・ :くもり《図書館》
最近、よく本を読む。だから衝動とか、依然とか、薔薇とか蝋燭とか、難しい言葉も結構覚えた。
それは、一人で図書館に座ってぼーっとしていると、私だけしか世界に存在しないような気持ちになるからです。
そんなときは叫びたいという「衝動」に負けそうになるのですが、やっぱりあと一歩のところでやめます。
教室は依然としてうるさい
最近は、他人と話すことすらもメンドウクサク感じるようになってきた。
ああ、アリスにでもなりたい。不思議の国に逃げ込むのだ。
そこはきっと、ニンゲンがウルサクナイ
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漢字カタカナひらがなが入り混じる日記に、つ、と微苦笑がこぼれる。
あわてて頬を触るが、笑みの形はもう残っていなかった。懐古は、無表情を溶かすためには、少し足りないらしい。
玄関の上り框に腰を落ち着けて、日記帳をめくる。火はそれほど強くない、この日記を最後まで読む程度には悠々時間がある。
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七月一一日(金)・ :晴れ《図書館》
あいかわらず教室はうるさかった。
おもちゃの宝石なんて私は盗んでいない、というかそもそもそんなものに価値を見いだせるようなお子様ではないし、ペットのインコを殺したりなんかもしていない。
チーは、私が家に帰ったら玄関の上り框で冷たくなっていたのだ。
父は猫に食われたとか何とか言って形だけの同情をしてくれたのだけど、そういえば、父の言葉を聞いてからくらいからです、私の周囲に雑音があふれ出したのは。
死ね。消えろ。なんで学校に来ているの。どうして生きているの。楽しい? 嬉しい? なら死ねば。
最近は、何を言われてもあんまり悲しくない。かも
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上り框。
別に気にすることではない。
一年半と少し前の話なのだから。
火の手が階段を舐め始めた。
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七月一四日(月)・ :晴れ《図書館》
いい加減お前ら見てて鬱陶しいんだよ、やるならよそでやれ。
その一言を、はたして私は待ちわびていたのでしょうか。もしそうだとしたら、それはそれで、なんか私が卑怯者みたいでいやです。
私は弱くない。
それはともかく、私には今日、救いの手が差し伸べられました。救い、と表現することには非常に違和感があるのですが、恐らく間違いではないと思います。結果として、私へのいじめがほんの少しだけ軽減されたのですから。
今日は、無視と、私の席に給食が配られなかったことくらいしかありませんでした。
結果的に救ってくれたツジくんには、感謝の気持ちを表すべきかなぁ。なんか複雑な気持ち
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そうだそうだ、「ツジくん」がついに立ち上がったのだった。
きっと嬉しかったのだろう、でも自分がいじめられていることから少しひねくれてて、誰かに守られるなんてまるで自分が弱いみたいで。認めたくなかったのだろうということが文面からなんとなく察せられる。
涙は溢れない。
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七月一五日(火)・ :晴れ《図書館》
ツジくんのことは好きだった気がする。
一年生から同じクラスで、出席番号順で並んでいる今の席順だと、私の右斜め前の席に座るツジくん。
今日も、横か後ろの人に見せてもらえばいいのに、忘れたからってわざわざ私の教科書を借りたし。私のことを無視しない人が教室にいる。叫んで、殴って蹴って、暴れて拒絶したかった。
自分がひどくみじめなケモノな気がして涙が出てきたから、走って図書館に逃げ込んだ
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ああ、なんだ。
どうやら、まだ好きだったらしい。しかし揺れている。
ページを繰る。そろそろ背中が熱くなってきた。火は、階段の真ん中あたりを舐めていた。
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七月一六日(水)・ :晴れ《図書館》
おもちゃの宝石は俺が盗んだ。
ツジくんが唐突に言った。
胸ポケットから、本当に宝石を出して見せた。だから悪いのはこいつじゃない、こいつをいじめるのはやめろ、私を指差して言った。
イジメラレテなんかない!
そう叫びたい気持ちになった。でも、私はみじめに俯くしかなかった。
イマナカがムカついたからやった。ツジくんはそう言った。私は、よくわからなかった。どうしてツジくんがそんなものを持ってそんなことを言うのかが。
なぜなら、
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これ以上はページが燃えて読むことができない。いや、目を凝らせば読めるかもしれない。それを私はむしる。
ここから先は、ごっそり半年分以上のページが落ちているようだ。次の日付は五月一二日になっている。
三年生になってからの日記帳。だんだん今に近づいてくる日付。
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五月一二日(火)・ :雨《家》
イマナカとその取り巻きが同じクラスになったと悲しんだ始業式から、一か月ほど過ぎた。
もちろんイジメは続いている。でも今はもう平気。ツジくんが私を守ってくれるから。ツジくんが私を助けてくれるから。
私はやっぱりツジくんのことが好き。これは一年生から変わらない。
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そこでページをちぎり取る。
携帯が鳴った。
初期状態からまったく変えていない着信音。待ち受けすらもデフォルトのままだ。送信者の名前を確認して、電源を切る。
携帯を買ったのはつい一週間前、高校合格祝いだ。
どうせメールや電話をしてくる人間などいない。先ほどのメールだって、ただのダイレクトメールだった。
ページの下半分がちぎれてしまった日記をめくる。
どうやらまた飛んでいるらしい。三年生の一学期はたったの一枚、次は夏休みだ。




