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「タダで手に入れる俺は賢い」といつも自慢する夫(違法視聴の常習犯)のことを女友達に相談したら「倫理観ゆるいヤツは浮気してるって」と言われたのですが本当でしょうか……?

作者: 遠野九重
掲載日:2026/03/21

 俺は賢い。

 周囲はみんなバカばかり。


 ――私の夫はそういう人だった







「これ、先週公開されたやつ」


 金曜の夜。

 リビングのソファに座った拓海(たくみ)がタブレットを見せてきた。

 画面を覗いて、固まる。


 今まさに映画館でやっている作品だ。

 私――佐野(さの)真帆(まほ)が「一緒に観に行こう」と言った映画。


「……それ、どこで観てるの」

「海外のサイト。もう全編上がってた」


 悪びれた様子はない。


「それ、違法でしょ。映画泥棒だよ」

「観るだけならグレーゾーン。

 ダウンロードしてるわけじゃないし、サブスクも最近値上げばっかだし。

 こっちのほうが賢いだろ」


 でも、マンガはダウンロードしてるよね。

 拓海のタブレットには何百冊ぶんのマンガが入っている。

 全部、海賊版サイトから落としたやつだ。

 一円も払ってない。


「こういうのを『賢い楽しみ方』って言うの」


 拓海の口癖だった。

 聞くたびに、胃のあたりがきゅっと縮む。


「わざわざ金出すのはリテラシーが低い情弱バカだから」


 拓海は自信たっぷりに言い切るとタブレットに目を戻した。


 そうなのかな。


 納得できない。

 でも、うまく言い返せなかった。



 ***



 拓海はケチだ。


 本人は「合理的」と言う。

 実際にはただのケチだ。


 月曜。

 私は仕事帰りに700円の文庫本を買って帰った。


「また本? 返品してこい。

 図書館で借りればタダだろ」


 水曜。

 女友達の美月とカフェでランチ。

 1200円のパスタセット。


「1200円? 

 コンビニなら500円で済むだろ。

 月イチで行くとして、1年でどれくらいかかるか分かってんのか?」


 出た、年間換算。


 拓海は私がお金を使うたびにスマートフォンの電卓を叩く。

 年間でこれだけかかるんだから我慢しろ。

 それが口癖。


 美容院にも文句を言う。


「カットだけにしろ。

 カラーとトリートメントで1万越えるとかムダだろ」


 友達の結婚式のご祝儀にも言う。


「3万? 1万でいいでしょ」


 いいわけないだろ。


 でも言えなかった。

 

 反論しても「これだから女は」「感情じゃなく論理で考えろ」で話を打ち切るから。


 だんだん、何かを買うこと自体がこわくなった。

 スーパーで安いお菓子をカゴに入れるとき、拓海の顔がちらつく。


 私が仕事で稼いだお金なのに。


 月末になると拓海はこう言う。


「先月は映画3本とマンガ50冊ぶん、タダで済ませた。

 正規で買ったら3万は飛んでたよ」


 得意げに。


 あなたが「節約した」3万円は、映画を作った人やマンガを描いた人が受け取るはずだったお金じゃないの。


 そんな言葉はいつも胸にしまっている。


 私が止めたところで、得意げに語ってくるだけだから。


「金を払うやつは養分にされてんの。

 俺はこうやって他人を養分にしてる連中を養分にしてるわけ。

 賢いってこういうこと」



 ***



 拓海のいる家は息苦しい。


 私にとっては書店のパートだけが、息をつける時間だった。

 好きな本に囲まれて、お客さんと話ができる。


「これよかったですよ」

「読みたかったんです」

「探してた本なんです、ありがとうございます」


 その小さなやりとりで、すこし元気になれた。


 常連さんの中に、宮沢(みやざわ)柊一(しゅういち)さんという人がいた。

 映像制作の会社をやっているらしい。


 背が高くて、目元がやわらかい。

 シンプルだけどきちんとした服を着ている。


 月に何度か来て、映像関係の専門書やアート系の本を買っていく。


 ある日、レジで柊一さんが何気なく言った。


「ここで僕が払ってるお金が、書いている人の生活を支えてるんですよね」


 さらっと出てきた言葉なのに。

 ううん、だからこそ――


 胸の奥が痛かった。


 拓海が「養分にされている」といったそれは、柊一さんにとって「生活を支える」行為だった。



 ***



「ちょっと聞いてよ」


 日曜日。

 女友達の古賀(こが)美月(みつき)とファミレスで向かい合っていた。


「うちの旦那、いま公開されてる映画を違法で見てて……」


 家でのことを、つい口に出してしまった。


 映画のことだけじゃない。

 マンガを海賊版サイトで何百冊もダウンロードしていること。

 本人はそれを「賢い」と言い張っていること。


 私はストレスが溜まっていたらしく、気付くと何もかもぶちまけていた。

 

 美月はアイスコーヒーのストローを離して、真顔になった。



「それ、普通にやばいからね」


「……やっぱり?」


「マンガの違法ダウンロードは著作権法で完全にアウト。

 2021年に法改正されて、知りながらダウンロードしたら2年以下の懲役か200万以下の罰金だよ」


「詳しすぎじゃない? wikipediaでも読んでるみたい」


「私、出版社だからこの辺はうるさいの。

 だいたいさ、映画もマンガも、人が時間かけて作ったものだよ。

 それを『タダで手に入れる俺は賢い』って、意味わかんないんだけど。

 賢いとか賢くないとか、そういう話じゃないでしょ」 


「拓海は、悪いことしてるつもりはないんだと思う。

 本気で『みんなやってる』って——」


「みんなやってないよ。少なくとも私の周りにはいない」


 

 美月はきっぱり言った。

 それから、すこし声を落とした。



「真帆、よく聞いて。

 倫理観の緩いヤツは、他にもいろいろやってるの。

 気を付けた方がいいよ」


「いろいろって、たとえば……?」


「浮気、不倫、二股」


「いやいや、大げさだって」



 私は美月の言葉を笑って否定した。


 本気にしなかった。



 ——ちゃんと聞いておけばよかった。



 ***



 3ヶ月後の夜。


 家計管理アプリを開いた。


 このアプリは拓海が入れたものだ。

 私の出費を「見える化しよう」と言って。

 つまり、私の金の使い方を監視するためのアプリ。


 ただ、拓海自身のクレジットカードも連動している。


 普段は見ない。

 どうせ大した支出はないから。


 でもその日は、数字がおかしかった。


 画面をスクロールした。


 レストラン 1万2000円。

 レストラン 9800円。

 アクセサリーショップ 4万7000円。

 ラブホテル 2万3000円。



 全部、先月。

 全部、私は知らない。


 1200円のパスタに「コンビニなら500円」と言った人が、4万7000円のアクセサリーを買っている。


 それに、ラブホテル?


 手が冷たくなった。

 頭の中で、美月の声がした。


『倫理観の緩いヤツは、他にもいろいろやってるの』


 


 その週の夜中。

 トイレに起きたら、充電中の拓海のスマホに通知が光っていた。


「明日の夜、楽しみにしてるね♡ 奥さんにバレないようにね♡」


 知らない名前と、ハートマーク。



 ***



 翌週、弁護士に相談した。


 名前は大河原先生。


 40代半ば。

 落ち着いた物腰の女性で、頼れる雰囲気がした。


 カードの明細のスクリーンショット。

 スマホの通知画面を撮影したもの。

 全部持っていった。


「不貞の証拠として十分です。

 慰謝料の請求も視野に入れ、離婚調停から進めましょう」


 大河原先生は淡々としていた。

 そのドライさが、今はありがたかった。


「不倫相手にも慰謝料を請求できます。

 相手がご主人の既婚を知っていた場合ですが」


「知ってたそうです」


「では、そちらも進めましょう」


 先生はもうひとつ教えてくれた。


「海賊版サイトからのダウンロードの件ですが、著作権法違反は原則として親告罪です。

 権利者が告訴しなければ起訴はされません。

 ただ、サイト運営者については非親告罪で摘発される場合もあります」


「通報はできますか」


「サイトの情報を、出版社の著作権窓口や警察のサイバー犯罪相談窓口に提供することは可能ですよ」


 美月に連絡しよう。

 出版社の人間なら、通報のやり方も知ってるはずだ。



 ***



 離婚を切り出した。



「……は? なんで?」

「不倫してるでしょ」

「してない」

「カードの明細、見たよ」


 拓海の顔が凍った。


「あのアプリ。あなたが入れたんだよ。私の出費を管理するためにって」


 自分で入れた「見える化」アプリで、不倫も「見える化」。

 ねえ。

 あなた、ホントに「賢い」の?


「なんで人のカード見るんだよ!」

「あなたも見てるでしょ、私の」

「俺はいいんだよ! 賢いんだから!」


 反省はゼロ。逆ギレだけ。


「賢いならこのあとのことも分かりますよね。

 全部、弁護士を通してください」


 それだけ言って、部屋を出た。



 ***



 離婚調停が始まった。


 拓海が家を出て、私がアパートに残った。

 大河原先生が手続きを進めてくれている。


 拓海の不倫相手は24歳のフリーターだった。


 既婚と知った上での交際。

 調停が始まったと聞いた途端、SNSのアカウントを消して連絡先を変え、逃げた。


 大河原先生が追いかけた。

 実家に逃げ帰ったようだから、内容証明を送りつけてもらった。


「ほかにも不倫の案件を担当しているのですが、だいたい女性側は逃げるんですよね。

 ……捕まえるのに慣れてしまいました」


 最近、大河原先生はご近所トラブルと不倫がセットになった案件も受け持ったらしい。

 そのケースでも女性側が慰謝料の支払いを嫌がって逃亡したとか。


 みんな、自分のやったことの責任を取らずに済むと思っているのだろうか。 

 拓海と同じ。

 倫理観の緩いひとたちは、やることがぜんぶ雑だ。

 賢くなんかない。


 美月には海賊版サイトの情報を渡した。

 そのまま出版社の著作権対策部門に情報提供してくれたらしい。


「あのサイト、うちの部署でも前からマークしてたやつだった。グッジョブ」


 ありがとう、美月。全部。



 ***



 11月のある日曜日。


 美月が家に遊びに来ていた。

 手みやげにスコーンと紅茶を持ってきてくれた。


「離婚決まったらお祝いしようね」


「気が早い」


「だってもう確定じゃん」


 テーブルにスコーンを並べて、紅茶を淹れた。


 こうやって日曜の昼にお菓子を食べながらだらだらする時間。

 拓海と暮らしていた頃は「生産性がない」と言われていた。


 今は、この時間がいちばん好きだ。


 ——そのとき。


 玄関のドアが鳴った。


 ノックじゃなかった。


 ドンッ。


 ドンッ、ドンッ、ドンッ。


「真帆! 開けろ!」


 心臓が止まるかと思った。


 拓海の声だ。


「俺の家だぞ! 話があるんだよ!」


 ドアが蹴られている。振動がここまで伝わってくる。


 美月が立ち上がった。

 私の肩を両手でつかんだ。


「出ちゃダメ。警察呼んで」


 手が震えた。

 でもスマホを握った。


 110番。


「離婚調停中の夫が家のドアを蹴って、怒鳴り散らしてます。助けてください」


 住所を伝えた。

 電話口の人は落ち着いた声で「すぐに向かいます」と言ってくれた。


 ドアの向こうで、拓海がまだ叫んでいる。


「慰謝料なんか払うか! 俺は賢いんだ、浮気ぐらい許せよ!」


 スコーンがテーブルの上で冷めていく。

 さっきまで穏やかだった日曜の午後が、拓海が来た瞬間に壊れた。


 いつもこうだ。


 サイレンが近づいてきた。

 ドアの外から声がした。


「落ち着いてください。

 警察です。事情を——」


「うるせえ!! 関係ねえだろ! 触んな!」


 鈍い音がした。

 人がぶつかる音。

 怒号。


 それから、静かになった。



 ***



 拓海は警察官を殴ったらしい。


 駆けつけた警察官の顔を、思いっきり。


 公務執行妨害。

 現行犯逮捕。


 拓海が手錠を掛けられてパトカーに押し込まれていくとき、美月が呟いた。


「……ばかじゃないの」


 うん。

 本当にそう思う。


「賢い」から違法視聴、「賢い」から海賊版、「賢い」から不倫--。


 でも。

 ――「賢い」のに逮捕されちゃうんだ。




 警察の人に事情を聞かれた。


 離婚調停中であること。

 突然来たこと。

 ドアを蹴られたこと。


 全部話した。

 美月はスマホの録音をONにしており、証拠として出してくれた。


「今後、接近禁止命令の申し立ても検討されたほうがいいかもしれません」


 警察の人は女性で、私のことをすごく心配してくれていた。


 大河原先生にも連絡した。


「調停にも有利に働きます」


 そう言い切ってくれた。




 ***




 冬の終わりに、離婚が成立した。


 慰謝料はきっちり取れた。

 不倫相手の女からも、慰謝料が支払われることになった。

 逃げ切れるわけないのに。


 拓海は逮捕歴がついて、会社にも知られた。

 不倫の話も社内に広まったらしい。

 まあ「賢い」んだからなんとでもなるだろう。


 海賊版サイトは、その後閉鎖された。

 大手出版社の合同対応が通ったとかで、ニュースにもなっていた。



 ***



 春になった。


 まず、ずっと行きたかったカフェに一人で行った。

 1500円のパンケーキを頼んだ。


 誰にも文句を言われなかった。

 それだけのことで泣きそうになった。


 おかしな話だ。

 1500円のパンケーキで涙が出るなんて。


 でも、「好きなものを好きに食べていい」がこんなにうれしいなんて。




 書店のパートは続けている。


 柊一さんが監督を務めたショートフィルムが、映像コンペで賞を取った。

 業界ではけっこう大きな賞らしい。


 美月に話したら「えっ、あの賞の人がお店の常連なの?」と驚いていた。


「おめでとうございます」


「ありがとうございます。

 あの、もしよかったら……観てもらえませんか。配信サイトに上がってるので」


 URLの書かれたメモを渡された。


 家で観た。

 ゾンビが飛んだり跳ねたりする映像。

 ホラーのはずなのに、なんだか元気が貰えた。


 インターネットで感想を漁ると、実はかなり計算された作品らしい。


 よく分からないけど、すごい。


「楽しかったです。……最後にバク転してたゾンビって、もしかして」

「あ、はい。僕です。昔、いろいろとやってまして」


 バク転のできる監督。

 なんだか面白い人だな。


「もし映画になったら見に行きますね」


 ちゃんとお金を払って、映画館で。



 ***



 次の週。柊一さんが、いつもの映像書籍の棚ではなくレジに直接来た。


「あの」


「はい」


「よかったら今度、映画を観に行きませんか」


 ……え。


「最近公開されたやつで、気になってるのがあって」


 嘘だな。

 この人、映画は一人でも行くタイプだ。


 でも。


「……行きたいです」


 自分でびっくりするくらい、すんなり出てきた。


 楽しみだな。


 

 

 約束の日。


 久しぶりの映画館。


 大きなスクリーン。

 体に響く音。

 暗い館内に光が動く。


 隣に座っている人は、ちゃんとチケットを買って、ポップコーンを買って、「面白かったですね」と笑う人だった。


 エンドロールが流れているとき、柊一さんが言った。


「やっぱり映画館いいですね」


 うん。本当にそう思う。




 帰り道、美月からLINEが来ていた。


『拓海、会社辞めさせられたって。

 不倫と逮捕のダブルパンチじゃそうなるか。

 実家にも帰れないらしいよ』


 既読だけつけて、スマホをポケットにしまった。


 過去は過去。


 帰り道、柊一さんが「よかったらまた行きませんか」と言ってくれた。


 答えはもちろん決まっている。


 


最後までお読みいただき、ありがとうございます!


「倫理観ゆるい人って軽犯罪とかやりまくるよね」「拓海ざまぁ」「スカッとした!」と思っていただけましたら【☆☆☆☆☆】を押してもらうと励みになります。


ブックマークやリアクションも大歓迎、よろしくお願いいたします~!



新連載始めました! こちらもスカッとできます、ぜひどうぞ~。


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