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「お待たせしました」
部屋に戻ると、咲夜さんが私が机の上に置いていたクローバーの栞を手に取って眺めていた。
「ありがとうございます」
「垣内さんが台所にいらっしゃって、はちみつレモンを作ってもらいました」
「そうですか」
コトリと音を立て、咲夜さんの座る前にカップを置いた。
しかし、咲夜さんはそれに口をつけようとせず、栞に目を向けたままだ。
「それ、幼稚園の頃、仲が良かった子にもらったんです。引っ越す前に。もう名前も思い出せなくなっちゃいましたけど」
「……覚えて、ない?」
大きな目をパチパチと瞬きさせ、次第に曇っていく表情。
え!? なんでそんな叱られた子供みたいにシュンってなってるの?
私!? 私のせいなの!?
「えっとぉ、その、か、顔は覚えてるんですよ? ただ、名前が思い出せないだけで」
なんでこんな言い訳を咲夜さんにしているのかすら分からなくなってきたけど、とりあえず何かしら持ち直すようなことを言ってみる。
「圭さんは忘れてしまえるほどその子のことがどうでも良かったってことですか?」
「そんなことありませんよ! ……ただ、二十年以上も前のことだと、ほとんど覚えていないんです。それ以外でも朧気で、小さい子が遊んでるのを見て、あんなこともあったなぁって思いだすくらいで」
「ふぅん。そうですか。……じゃあ、今度は何十年経っても忘れられないくらいたくさん思い出作りましょうね」
「え? あ、はぁ」
先程までの表情とは一転、笑顔で咲夜さんが言うものだから、つい頷いてしまう。
まぁ、あんまり重病とかの思い出は勘弁してほしいところがあるけど、こんなに嬉しそうにしてるんだからわざわざ水を差すような真似をするものなんだしなぁ。
……あ、もしかして、例の友達としてってことで言ってる?
うーん。でも、もう頷いちゃったし。たまに食事に行くくらいだったらいいっか。
「圭さんに許可ももらいましたし、なんだか眠くなってきました。もう部屋に戻りますね」
「あっ、ちょっと待ってください」
確か、ロンドンで買った厚手のショールがあったはずだ。
あっちだとまだ少し冬みたいに寒くて、つい買っちゃったんだよね。どこにしまったっけ?
手荷物は最小限に収めていたので、残りはトランクケースの中か実家に送っている。
ショールは実家に荷物を送った後で買ったものだから、トランクケースの中にあるはずなんだけど……あった!
「これ、羽織って行ってください。廊下も冷えますよ」
「……ありがとうございます」
羽織の上からショールを羽織らせてあげると、咲夜さんは花が咲いたように笑みを浮かべた。
花も恥じらうとは本来若い女の人の美しさを表す言葉らしいけど、咲夜さんは男の人なのに本当にその表現が似合ってるんだよなぁ。
立ち上がった咲夜さんに合わせて私も立ち上がり、部屋の障子を開けた。ひんやりした空気が暖房で暖められた部屋に入ってくる。先程私がショールを探している間に飲み干していたはちみつレモンのおかげか、今度は咲夜さんも咳き込むことはなかった。民間療法というか、昔からの知恵というのは馬鹿にできないなぁとこういう時に思う。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい、圭さん。いい夢を」
「咲夜さんも」
ニコリとお互い微笑み合い、咲夜さんは隣の部屋の障子を開け……隣?
「え?」
「僕の部屋、ここなんです」
「うそ。昼間案内していただいた時は気づかなかった」
「不思議ですね。忘れちゃってたのでは?」
スッと閉められる障子。その向こうに消えた咲夜さん。
“忘れちゃってたのでは?”
その言葉が、あの栞をくれた女の子への私の発言に対する意趣返しなんじゃないかと思ってしまったのは、布団に入り、眠りにつく間際だった。




