プロローグ
幼稚園に通っていた頃、まるで姉妹同然のように仲良くしていた女の子がいた。
睫毛が長い二重目蓋、大きく円らな瞳、子供特有のほんのり赤い柔らかな頰、すっと通った鼻筋に、程よく厚みのある唇、色白のほっそりとした身体。ニコリと微笑めば誰もが笑みを溢すような可愛らしさ。女の子なら誰もが羨むものを全て兼ね備えていた子だった。
そんな子に、親の背を追う子鴨のごとく、離れまいと後ろにくっついて来るほど慕われていれば、お姉さん風を吹かせたくなるのも当然のこと。
一人っ子だった私は、その子を妹代わりにして、せっせと世話を焼くのが日課になっていた。
可愛くて可愛くて仕方ない。
その子を見ていると、なんでもやってあげなきゃという気分にさせられたのだから、可愛いというのは正真正銘最強の武器だと思う。
ただ、天使もかくやの可愛らしさを持っているものだから、好きな子に構いたい構われたいお年頃の男の子にはよく苛められていた。
そんなある日、私が他の子と絵本を読んだりお絵描きをしていると、その子が泣きながら走り寄ってきた。
「圭ちゃぁん」
「どうしたの?」
「……っ……あのね」
大事な妹分が泣いているとあっては、呑気に遊んでいる場合じゃない。
ポケットに入れていたハンカチを出すと、最早慣れたもので、ギュッと目を閉じられた眦から押し出された涙を余すことなく拭き取っていく。
私が「もういいよ」と言うと、閉じられていた目が再び開き、途端に脇下から腕を差し入れられ、ぎゅうぎゅうと子供ながらに強い力で抱きしめられた。
「健太君達が、圭ちゃんと遊ぶの、おかしいって言うの」
「ほんとに? 大丈夫、大丈夫。だって、お友達同士遊ぶの、おかしくないよ?」
「……じゃあ、これからも毎日遊んでくれる? ずうっと一緒にいてくれる?」
「うん! いいよ!」
「約束?」
「うん、約束!」
必死に『指切りげんまん』もせがまれ、歌の意味は分からなかったけれど、言われるがままにそれもやっておいた。
要は約束を破らなければいい。簡単だ。そう思っていた。
でも、ある日突然──あの頃の私にとっては本当に突然だった。父親の仕事の都合で引っ越しをすることが決まったのだ。
まだ引っ越しをした後も同じ幼稚園に通えれば良かったのだろうけど、いかんせん引っ越し先が悪い。通園可能範囲内どころか、同じ市、同じ県、もっと言ってしまえば国内ですらなかった。
父親の単身赴任という案も一時は出ていたみたいだけれど、家族を溺愛している父親がその案に首を縦に振るわけがない。母親も生活能力が皆無な父親のことを放っておけるはずがなく、あれよあれよという間に家族全員での引っ越しが決まってしまった。
そして、幼い私はその話を彼女にすることがどうしてもできなかった。
もし過去に戻れて言い訳をさせてもらえるなら、あの約束の時には嘘をつくつもりなんか全くなかった。
だからこそ、指切りも子供らしい他愛もない約束も簡単にできた。
決してわざと言わなかったわけでも、隠していたわけでもなく、言えなかったのだ。
とはいえ、たとえ幼くとも、約束がどれだけ大事なものであるかは両親との約束事を通して知っている。それを仕方がないとはいえ、自分の都合だけで約束を破ることになるのは絶対にイヤだった。だから、ギリギリまで言わないでいるっていう、今考えるとなかなかズルい考えに走ってしまった。
その頃の私は、秘密にして黙っていられる相手側の辛さをまだ知らなかった。
結果、その話を引っ越す間際に先生からの話で聞いたその子は泣いた。それはもう激しく、持病の喘息発作が出るくらい泣いた。
正直、この時間近で見たその子の辛そうに丸まった背中が、今の私の仕事に繋がっていると言っても過言ではない。
どんなに私達が嫌がろうとも、それこそ持病が出るほど嫌がっても、引っ越しは大人の事情。簡単に無くなるものでないことは、幼い私達でもさすがにもう分かっている。
その日から幼稚園最後の日まで、元々べったりくっついていたその子はそれに拍車がかかり、一か所を除いてどこに行くにもついて回るようになった。
「圭ちゃん! 圭ちゃん! ……どこぉ!?」
「ここだよ」
その子がまだ来ていない時にトイレに行ったりしていると、園内中を泣き叫びながら探し回る姿が先生達に目撃され、私が探されるという何とも不思議な光景が。
私を見つけるや否や、何も言わずただギュッと抱きしめられ、その日一日は絶対に離されなかった。
そして、とうとう迎えた幼稚園最後の日。
「圭ちゃん、これあげる」
泣き腫らした目のその子から手渡されたのは、四つ葉のクローバーがラミネートされた栞だった。
「いいの?」
「うん。……私だと思って大事にしてね?」
「うん! 私、クローバーの花言葉知ってるよ? 幸運だよね?」
「……うん。そうだよ。頑張って見つけたの」
「ありがとう!」
その子と前に一度、四つ葉のクローバーを持っていると幸せになれるからと、園庭で一緒に探したことがあった。その時はとうとう見つからなくて、迎えにきたお母さんと先に帰ることになってしまったけれど。
だから、四つ葉を見つけるのがどんなに大変かは分かっていたから、すごくすごく嬉しかった。大変な思いをしてでも見つけてプレゼントしてくれたんだって。
お返しできるようなものを何も持っていなかったから、ありったけの大好きっていう気持ちをこめて、最後にギュッと抱き合ってさよならした。
結局、その引っ越し先の外国には小学校を卒業するまでいて、中学校からは日本に戻ってきたけれど、地元とは離れた県に引っ越したせいか、その子とは会えていない。
薄情にも、大人になった今では名前も思い出せないほどだけど、この四つ葉のクローバーの栞だけは今でも手元に残っていた。
なんとなくだけれど、この栞を持っていればその子と再会できそうな気がしているから、このクローバーは本当の意味で幸運の象徴となるのかもしれない。
もう少しで着陸するというアナウンスに、私は途中まで読み進めていた医学書にその栞を挟めた。
丸々二年ぶりの日本に、なんだかいろいろと考えさせられるものがあり、近づく陸を窓からぼーっと眺める。
しばらくして着陸の際の揺れが訪れ、イギリス・日本間のおよそ半日の旅は終わりを告げた。




