第93話 玉座の間
「それにしても、私たちの結婚式のために、遠いところはるばるお越しいただき、ありがとうございます」
リュートは大仰に一礼した。だが、その仕草だけで空気が張りつめる。ユキチはごくりとつばを飲む。今のユキチには、魔素の流れが読める。だから分かる。リュートの体内の魔素濃度が異常に高い。
――こいつは、とんだバケモノだ。
「案内役がとんだ粗相をしたようで、失礼しました。よろしければ、ここからは私が王の間へご案内しましょう」
リュートはバーキッシュを一瞥し、アリシアたちへと視線を移す。以前のようにアリシアへの殺意は感じない。しかし、穏やかな笑みの裏に潜む狂気はピリピリと伝わってくる。
「ずいぶん親切じゃねぇか。おれたちを殺さなくていいのかよ」
ユキチはアリシアをかばうように一歩前へ出る。リュートは楽しげに笑った。
「あぁ、そうでしたね。でももう大丈夫ですよ。私の目的はすでに達成しましたから」
その余裕の笑み。――聖女殺害も、ガラムを魔王に仕立てるための材料のひとつに過ぎなかったのだろう。
「まあ、どうしても私と戦いたいというなら、いつでも相手をしますよ。特にゴブリンさん。あなたの左手は、大変“美味”でした。もしよければ、他の部位も味わわせていただけませんか?」
リュートが舌なめずりをしながらユキチを見た。ユキチは背筋をぞっと冷たいものが這う。
「はっ。お断りだ。おまえには左手すらもったいないくらいだよ」
ユキチは切られた左手の傷跡を押さえ、震える声で吐き捨てる。リュートは、その言葉に肩をすくめた。
「それは残念」
言葉とは裏腹に少しも残念そうではなさそうな口ぶり。
「さ、ここですよ。マイマスターがお待ちです」
リュートの声に導かれ、アリシアたちは巨大な扉の前に立った。金と黒の装飾が施された荘厳な扉。その存在感だけで息をのむ。
扉が静かに開く。中は、まるで王の披露宴会場のような広間だった。天井には魔石が輝き、床には金ピカの絨毯。最奥には、巨大な玉座。そこに仮面をつけた男がゆったりと腰かけていた。そしてその隣には、アルカナ宮殿で見た白い竜。――あともう一人、ローブ姿の小柄な老人。
「!!――あなたは……」
その老人をみて、アリシアの表情が凍りつく。見覚えのある冷たい瞳。
「おやおや、久しぶりだね、アリシアちゃん。ずいぶん大きくなったね」
穏やかな声の老人。しかしアリシアの記憶には、その人物はいない。けれど――あの夢の中で見た。サンクティオ大神殿の試練の夢で、ナイフを持って迫ってくる黒い影。その影の目だ。
「まさか、シド……おじちゃん……? なぜ、ここに……?」
あれは夢の中の話ではないのか? アリシアも何が何だかわからない。
「ほう。わしを覚えているのか。最後に見た時はまだ赤子だったと思うがな」
老人――シドが静かに目を細めた。
「ガラム!」
アリシアとシドの空気を無視するようにルイスが前に出る。だが、仮面の男はゆっくりと首を傾げる。
「ガラム? 誰だ、それは。私は――“ガイラム”だ」
その瞬間、空気が震えた。ガイラムの身体から放たれた膨大な魔力が、大広間の空間を圧迫する。重い。呼吸が苦しい。魔力のないルイスも何かを感じ、頬を汗が伝う。だが、ルイスは負けない。
「そっちがそのつもりなら――その性根、叩きなおしてやる! 結婚式ももちろん、中止だ!」
ルイスが腕まくりをし、闘志を燃やす。竜の血が熱く滾り、床を踏み鳴らした。
「――その発言は聞き逃せませんね」
リュートが“結婚式中止”という言葉に反応し、ゆっくりとガラム――いや、今はガイラムか? の隣に立つ。リュートは右手で愛おしそうにガラムの頬をなでると、横目でルイスを見て、笑みを浮かべる。
「あなたたちなら、祝ってくれると思ったのですが……」
「ふざけるな! 人の彼氏をもてあそびやがって! そもそもお前、男だろ!? 結婚してどうするつもりなんだ!」
ルイスの怒声が広間に響く。
「どうする、ですか? あぁ、もしかして――」
リュートが唇を舐めた。
「あなたは私たちの“夜の営み”に興味があるということですか? それなら素直にそう言ってくれればいいのに。折角だから、今夜はあなたを肴に楽しみましょうか。――ドラゴニュートの肉は叩きがいがありそうだ」
「な、なにをふざけたことを!」
不気味にほほ笑むリュートにルイスの尾が逆立つ。怒りで今にも飛びかかりそうになるルイスを、ユキチが押さえつけた。
「落ち着け、ルイス。今ここで突っ込んだら、あいつの思うつぼだ」
「でも――!」
ルイスの拳が震える。一方その横で、アリシアは勝手に妄想を暴走させていた。
「よ、夜の営み……お兄ちゃんと……」
アリシアの顔がどんどん赤くなる。
「アリシアも落ち着け!」
ユキチが思わずツッコむ。そしてすぐに真顔に戻り、ガラムへ向き直る。
「ルイスの言い方はちょっとアレだが――俺たちはおまえらの暴走を止めに来たんだ。ガラム、もうこんなことはやめよう」
ユキチの言葉を聞いて、シドが愉快そうに笑った。見た目はただの老人。魔力もそれほど感じない。それなのに、リュートに似た恐怖を感じる。
「ほほほ。話し合いでは解決しませんよ。なぁ――魔王様?」
シドの声に反応するように、ガラムが声を発する。重く響く声。
「……そうだ。すべては、この俺が――終わらせる」
仮面の男――ガラムが立ち上がる。
「ガラム……?」
ユキチは息をのむ。アルカナ宮殿で見た時も感じたが、今日はそれにまして、どこか様子がおかしい。まるで、誰かに――操られているような?
「貴様、ガラムに何をした!?」
ユキチの叫びに、シドはゆっくりと微笑んだ。
「何を? 何をだと? そう問われれば――何もかも、じゃよ。ここまで来るのは長かったのう」
老人とは思えぬ空気が漂う。そしてそのとき――
『シーキュー、シーキュー! ユキチ、気をつけて! その人は――』
ユキチの腕輪から、アルドラの声が響いた。だが、その言葉は途中で遮られる。
「おやおや……久しく見ぬうちに、ずいぶんと人間臭くなったもんじゃな、アルドラ」
シドがユキチ達の魔法の腕輪の会話に平然と割り込んでくる。
「――なっ! アルドラのことを知っているのか?」
ユキチ達の顔に動揺が走った。




