第90話 魔都ナハル=ダイン
しばらく行くと、なだらかな丘の向こうになにか大きな建物が見える。
「あそこに大きな建物があるわね。魔王城かしら?」
ギルが目を凝らすと、城の正面に横断幕が垂れ下がっているのを見つけた。若返ったせいか、視力まで戻ったようだ。
横断幕には大きな文字――『魔王様 就任・結婚おめでとう』。ギルがその文字を読み上げると、一瞬の沈黙の後――ルイスの顔色が変わる。
「ぐっ! 魔王の――結婚式!」
ルイスの拳が固まる。怒りが胸を震わせる。
「よし、作戦は決まった! アリシアのビームであの城を破壊! 中にいるやつも全員一網打尽! 以上!」
ルイスは何かが吹っ切れたように、とんでもない作戦を立案する。いきり立つルイスの前にアリシアが割り込んで、両手を振る。
「ルイス落ち着こう。あたしたちの目的は魔族の殲滅じゃなくて、鎮静化でしょ? まずは話し合いからよ!」
ユキチも素早く横に立ち、ルイスの背中を勇気づけるように叩く。
「そうだぜ、結婚式もガラムの本意じゃないんだから。これから助けに行くんだろ? あいつを」
ルイスは深く息を吸うが、震える声で続けた。
「わかっている……わかっているんだが……ちょっと時間をくれ――」
アリシアはそんなルイスを見て、とんとんと頭をやさしくさする。
そうこうしているうちに遠くに見えていた建物にだいぶ近づいてきた。建物のふもとには整然とした街並み。街の煙突から上がる煙。
「ふもとに街もあるみたいだし、あれ、本当に魔王城かもな」
ユキチが一番目立つ建物を見ながらつぶやく。
「だとしたら、ルメールに感謝ね。こんな広い平原で、あてもなくさまよっちゃうところだったわ」
アリシアが頭の上のルメールをそっと撫でる。だが、その横でさっきまでの威勢はどこへやら、ルイスがだんだん弱気な声を漏らす。
「なぁ……なんか変装しなくて大丈夫かな? 魔族の街に入るんだろ?」
「うーん。ヴェルドットやリュートは俺たちと似たような格好してたから、多分大丈夫じゃないかな?」
ユキチはのんきに答える。
「やば。いっちょ前に街に門があるぞ」
ギルが声をあげた。石造りのアーチに旗がはためき、数人の衛兵が見張りに立っている。
「変装以前に、取り調べられたら面倒くさいな。どうする?」
「どうする?って、みんな何を言ってるのよ」
アリシアが腰に手を当てて笑う。
「あたしたちは話し合いに来たんだから、正々堂々行けばいいのよ。"はじめに言葉あり"ってね。ダメなら実力行使をするだけよ」
「……それでいい……のか? ま、アリシアらしいっちゃらしいな」
ユキチが首をかしげながらも頷く。
「そういうことなら分かったよ。このまま門をくぐるぞ」
車は何事もないように門に向かって直進。だが、当然のように門をくぐる直前――
「止まれ!」
衛兵たちに呼び止められる。鋭い視線が見慣れない車を上から下まで舐めるように見て、車内を覗くと、衛兵が声を上げた。
「貴様ら――人間か?」
その瞬間、全員の表情がピキリと固まる。次の瞬間。
「いや、俺はゴブリンでーす」
ユキチが堂々と手を挙げる。
「わたし、ドラゴニュートでーす」
ルイスが胸を張る。
「ぷるぷる!」
ラムネも勢いよく震える。
「……あたしはシスターでーす!」
アリシアが笑顔で便乗。一同、もはやなるようになれと開き直って自己紹介大会。衛兵たちは顔を見合わせ、完全に困惑していた。
「えーい、うるさい。今は大事な時期なのだ! 貴様らのようなうさんくさい――ん?」
衛兵の言葉が途中で止まった。背後から、鎧の装飾が一段立派な隊長格の男が歩み寄る。何やら隊長から耳打ちを受け、衛兵の眉がぐいと上がった。
「そんな……本当ですか? 信じられない……」
二人でぼそぼそとやり取りしたあと、衛兵が再びこちらを向く。その目がアリシアに止まった。
「おい、そこの女。名前を聞かせてもらおう」
突然の指名に、アリシアはきょとんとした表情。
「え? あたし? ……あたしの名前はアリシア。友人の結婚式に出席しに来ただけよ」
当然ながら招待状など持っていない。だが、アリシアはしれっと言い切った。その瞬間、衛兵たちがざわめく。隊長が衛兵と目を合わせ、こくりと頷いた。
「わかった。おまえたちには――リュート様から通行許可が出ている。通って良し!」
「え、リュートから?」
全員の声が揃った。思わず大声を出してしまったせいで、周囲の視線が集まる。衛兵は怪訝な顔でこちらを見た。
「おまえら……リュート様を呼び捨てとか、何者なんだ?」
気まずい沈黙。アリシアが無理やり笑ってごまかす。
「ま、まぁ、昔ちょっとねぇ~?」
衛兵たちはそれ以上追及せず、門が開くた。
「……ともあれ、ようこそ。我らが首都ナハル=ダインへ」
目の前に広がったのは、想像を覆すような光景だった。整然とした通り、賑やかに行き交う人々。魔族の街というより、普通の人が住む都市だ。
「すごい! これが魔族の街――!」
アリシアの瞳がきらきらと輝く。
「思ったより普通だな」
ユキチがぼそっとつぶやく。
「ふふ、そりゃそうよ。人間と同じように暮らしてるんだもの」
アリシアは笑いながら街を見渡す。彼らの旅は、思いがけず穏やかな形で魔族領への第一歩を踏み出したのだった。
「でも、さすがに寒いから、屋台は出てないわね……」
食べ歩きができずに肩を落とすアリシアに、ユキチが苦笑する。
「まぁ、今のおれたちに飯を食わせてくれる店があるとも思えないから、今はあきらめようぜ」
通りを歩けば、行き交う魔族たちの視線が集まる。敵意、好奇心、警戒。どの視線にも共通しているのは、"異物を見る目"だった。
「ねぇ、なんかめっちゃ見られてるんですけど」
アリシアが小声で言う。
「視線だけならまだいいさ。無言で通してくれるだけありがたい。おまえら――変なケンカを買うなよ」
ギルが淡々と返す。そんなやり取りをしているうちに、街の中心にそびえる巨大な建造物が目の前に現れた。金の装飾が施された城門、そして空を裂くような尖塔。
「ここが――」
アリシアが口を開くと、城門から声が聞こえる。
「ようこそ、魔王城へ」
魔王城の入り口に立っていたのは、紅い瞳に金の長髪をなびかせた青年だった。整った顔立ちに冷ややかな微笑み。アリシアは思わず息を呑んでつぶやいた――。
「……きれい」
青年はアリシアのコメントを気にする様子もなく、ゆっくりと歩み寄り、一礼する。
「リュート様の命令により、あなた方をお迎えに参りました」
「リュートの命令……?」
アリシアが眉をひそめる。紅眼の青年は微笑を崩さず、城門の前に手をかざした。重厚な扉が音もなく開き、暖かな光が中からあふれ出す。
「どうぞ、中へ」
罠かもしれない。だが、そうだとしても、魔王の元にたどり着くには、これが最短ルートに違いない。アリシアたちは息を軽く吸うと、気を引き締めて、一行は魔王城に足を踏み入れた。




