第88話 決戦前夜
「話はまとまったかな?」
ドタバタ劇をじっと眺めていたハセガワが、ようやく口を開いた。その声には、優しさと好奇心が半分ずつ混ざっている。
「ああ、待たせてしまったな。もう大丈夫だ」
ユキチが落ち着いた様子で答える。隣のルイスはまだ顔を真っ赤にしており、視線を合わせようとしない。さっきまでの激情が夢だったかのように、沈黙が訪れる。
「よし。じゃあ、これからの話をしよう」
ハセガワは手を組み、机の上に身を乗り出した。
「まず、魔族大陸への行き方だが、何か心当たりはあるかな?」
一瞬で空気が引き締まる。アリシアも、ルイスも、ギルも顔を見合わせるが、答えは出ない。
「正直ないな」
とギル。
「そもそもどこにあるかもよくわかってない。おれの地図にもそんな大陸、載ってないんだ」
ユキチも白地図を|開きながら首をかしげる《ただの空白》。ユキチはため息をつきながら首を振った。
「こんなんじゃどうしようもないな。情報がなきゃ、地図のスキルも使えねぇ」
他のメンバーも同様に首を横に振る。旅慣れた一行にしては珍しく、誰も打開策を出せなかった。
「そうか……しょうがない。おれが少し手助けをしてあげよう」
そう言って、ハセガワがユキチに近づく。
「ただし、これは特例だからね。おれは基本、傍観者でいたいんだ」
「特例、ね。――おれたちはあくまでも観測対象なんだな」
「まあ、そういうことだ」
ハセガワは嫌味をいうユキチに軽く笑ってみせると、
「ユキチ、その地図を貸してくれ。――エグゼクト」
当然のように管理者魔法を唱える。詠唱の言葉と同時に、ハセガワの目の前に黒い画面が開く。ハセガワは黒いウィンドウに指を滑らせ、何かを打ち込みながら時折笑みを浮かべる。折角の機会なので、ユキチが画面を横からのぞく。
ハセガワは伊達に3000年も生きていない。管理者としての技量は、ユキチより一枚も二枚も上のようだ。知らないコマンドが並び、ユキチは一生懸命それを覚えようと画面を見つめる。
「よし。これでオッケー。魔族がいるジェネス大陸を、地図に表示できるようにしたぞ」
ハセガワはウィンドウを閉じながら続ける。時間にすると数分。ユキチにとっては数時間にも感じる密度の情報量。気が付くとユキチは額に汗をかいていた。
「ついでに一か所だけ、ワープポイントを追加しておいた。これで、いつものように魔族大陸に行けるってわけだ」
「すごい。そんな簡単に……」
アリシアが呆れたように目を丸くする。
「ただし気をつけろよ。向こうがどうなっているかは、おれにもわからん。行ってみてのお楽しみってわけさ」
ハセガワの言葉に、みんなの表情が引き締まる。
「ありがとう、ハセガワ。準備ができたら行ってくるよ」
ユキチが右手を差し出す。
「おう、気をつけてな。おれはここでみんなの活躍を見守らせてもらうよ」
ハセガワがその手を握り返す。そしてユキチの手元の地図には、下の枠全体に見慣れぬ大地が広がっていた。べったりと、まるで地図の限界を押し広げるように描かれた新しい大陸。その名は――ジェネス。
「……なんか随分横長ね」
アリシアが地図を覗きながらコメントする。
「これは地図の表現の限界だよ。アリシアも月から見たろ? この大地は球体だから、長方形の地図に落とし込もうとすると、一番上と一番下の部分はすごい広がっちゃうんだ」
ユキチが地図の特性を解説する。
「そういうこと。つまり、地図で見るほどは大きくないというわけだ」
ギルが分かりやすくまとめる。
「そうなの。それなら、ガラムを探すのも簡単かもしれないわね。――ところで、魔族領っておいしいものあるのかしら。今から楽しみ」
「おまえは食い物のことしか頭ないのかよ」
ユキチが呆れたように言うが、口元は少し緩んでいた。
「それよりガラムの話だと、すごい寒いらしいぞ。あったかい格好しとかねぇと、速攻で凍るぞ」
「そんなの、ユキチの管理者魔法で何とかならないの?」
アリシアが、さも当たり前のように首をかしげる。
「無理言うなよ。おれのMPを知ってるだろ?」
ユキチは情けなさそうにため息をつく。
「えぇ、じゃあさ――」
アリシアはぱっと手を打つ。
「ユキチが作った魔法を、あたしが実行すればいいんじゃない? あたし、MPたくさんあるから代わりに撃てるかもよ」
ユキチは目を瞬かせた。
「……そうか。なんで気づかなかったんだろ――みんな、ちょっと時間をくれないか」
その声に、アリシアは少し驚いた顔をし、それからふっと微笑む。
「もちろんよ。何をするつもりなの?」
「ただの思い付きなんだけど、アリシアのバカみたいに大量のMPがあれば――色んなことができるかもしれない」
その真剣な眼差しに、ギルがうなずく。
「もちろんだ。あのリュートが出てくることを考えると、準備は万端にしておくに越したことはないからな」
ルイスも腕を組んで笑った。
「そうね。次はリュートに後れを取るわけにはいかないし」
「じゃぁ、おれたちはその間に旅の準備を進めておくよ」
ギルが立ち上がりながら言う。
「ところで、飯はどうする? 一緒に行く余裕はあるか?」
「悪い、今は少しだけ集中したい」
ユキチは頷きながらも早速黒い画面を開いて、何かを打ち込んでいる。
「わかった。じゃ、あとで何か差し入れ買ってくるよ」
ギルが笑顔で快諾する。ユキチが軽く手を振り、ギル達は部屋を出ていく。アリシアは振り返ってユキチに一言残した。
「無理はしないでよ。決戦は明日なんだからね」
「おうよ」
軽口を叩きながらも、ユキチの目には光が宿っていた。扉が閉まると、部屋には静寂が戻る。ランタンの明かりが揺れ、壁に映る影がかすかに震える。ユキチは左手――リュートに切り落とされたその痕に触れた。傷跡はもう癒えている。それでも痛みは、心の奥にまだ残っていた。
「……次は負けない」
呟きながら、ユキチは深呼吸をひとつ。そしてまた、黒い画面に向き合う。その背後で、静かに腕を組むハセガワ。
「ふふ……面白い。サイトーさんが遺したもの、じっくり見させてもらうよ」
楽しげに口元をゆがめ、ユキチの操作を興味深そうに見つめていた。
アリシアの兄、ルイスの想い人であるガラムが魔王になった!?
その真意を質すため、アリシア一行は魔族が住むという未開の地、ジェネスへと向かう。
ルメールの父の白竜、そして因縁のライバルリュートとの決着の時。
そしてガラムを助けることはできるのか?
次章、『勇者爆誕』
お楽しみに!




