第85話 サミット
会場には、既に各国の代表者が席に着いていた。重厚な円卓の上には、国旗と名札がずらりと並び、中央には巨大な魔導水晶が静かに光を放っている。
「なんか……すごい場違いな空気なんだけど」
アリシアは背筋をピンと伸ばしながらも、こっそりユキチの袖をつまむ。
「おい、やめろ。まっすぐ立ってろ」
「だって、あたし浮いてる気がするんだもん……」
アリシアは不安な目をユキチに向ける。教皇の脇に立つアリシアに、注目が集まっていた。
「――あの少女が聖女か」「神の試練を乗り越えたというのは本当なのか――」「隣にいるのはゴブリン!? 魔物じゃないか」ささやき声があちこちで交わされ、視線が突き刺さる。
「さすが聖女様、人気者だな」
冷やかすようにユキチが笑う。
「やめてよ、そんなの全然うれしくないってば」
頬を膨らませて目を逸らすアリシア。
「それでは――これより、第32回 国際平和サミットを始める!」
議長の声が響き、各国代表がざわめきを止める。――重苦しい沈黙。空気がぴりりと張りつめる。しかし始まってみれば、会議の内容は予想以上に退屈だった。
「主導権は我が国が取る!」
「魔族鎮圧に兵を出すのは結構だが、軍資金はご協力いただけるのでしょうな?」
「ふざけるな! 先の戦で我が国に援軍をよこさなかったのをお忘れか!」
怒号とため息が交錯し、あちこちで書記官が慌ててメモを取る。批判を皮肉で返し、終始いがみ合うだけ。ユキチは途中から完全に興味を失った。差し入れの飲み水を飲みながらながらぼそっと呟く。
「まぁ、国と国がみんなで手を取り合って仲良くなりましょうなんて、そんな簡単にできたら苦労しないわな」
アリシアも小さくうなずく。
「こんなの神様が見たら泣くわよ。きっと」
「なぁ、教皇さん、これ、話まとまらないぞ。どうすんだ?」
ユキチの質問を、教皇はまるで意に返さないように穏やかな笑みを浮かべた。
「えぇ、その通り。簡単にできることではありません。ですが、ここに集う方々は皆、国を背負っている代表。引けないところもあるのでしょう」
「つまり、面子ってやつか」
「はい。しかし、まずは全ての声を聞かねばならないのです。もう少ししたら、流れが変わります。それまでお待ちください」
「なんとも悠長なこって……」
ユキチは頭をかきながら、半分あきれたように笑う。議場の中央では、再び罵声が飛び交っている。
――ズン。
そのときだった。地面の底から響くような重低音が鳴り、宮殿全体が激しく揺れた。天井の魔導灯が割れ、煌めく破片が雨のように降り注ぐ。
「な、なにごとだ!?」
「地震か!? いや、違う、これは――!」
轟音とともに、会議室の天井が崩れる。瓦礫と煙が一気に広がる。だが幸いにも崩れたのは円卓の中央部分――代表たちは席にいたため、辛くも無傷だった。
「みなさま、お下がりください!」「代表を守れ!」衛兵たちが素早く前に出て、警戒態勢を取る。アリシアたちも反射的にそれにならった。
「おい、煙の奥、なにかいるぞ――」
灰色の煙が渦を巻き、中央に巨大なシルエットが浮かび上がる。そして、そこから――低く、しかしよく通る声が響く。
「――これはこれは。各国の英雄が一堂に会しているとは。実に壮観だな」
会場が凍りつく。
「何者だッ!」「名を名乗れ!」衛兵たちが槍を構え、煙の中へ殺気を向ける。
「はじめまして。私の名前は――ガイラム」
煙が晴れていく。そこに立っていたのは、純白の巨大な竜にまたがる男。白い仮面に覆われた顔。背には闇のように黒いいマントが揺れている。
「……<魔王>。そう言った方がいいかな」
その言葉を聞いた瞬間、空気が変わった。恐怖と怒気とが混ざり、各国の代表たちが一斉にざわめく。「ま、魔王だと!?」「ここは聖都だぞ!?」「警備はどうなっている!!」
ユキチは顔をしかめ、頭を押さえる。
「おいおい、どういうことだ……あれは――」
「ルメールのお父さん……?」
アリシアが言葉を続ける。
「えっ」
思わずユキチが二度見する。
ギルがすっと横に寄り、小声で囁く。
(ユキチ、あいつ……)
(ああ、ガラムだよな。なんだよ魔王ガイラムって……)
ふたりでコソコソ話し合う。一方のルメールは我関せず。父親かもしれない白竜を一瞥すると、興味なさそうに目を閉じ、おとなしくアリシアに抱っこされている。
白い竜も同じだった。同じ色の子竜がいても、まるで見えていないように、ただゆっくりとそこに座っている。空気だけが、竜の吐息とともにわずかに揺れている。
ガイラムが言葉を続ける。
「光栄に思うがいい。おまえらに命令を与える。――自害しろ」
ガイラムの言葉が放たれた瞬間、温度が一段下がったように感じられた。誰も動けない。そこにいる全員の視線だけが一斉にガイラムへ向けられる。
「すぐにとは言わん。おれが式を挙げるまでの一か月、猶予をやろう。指示に従えないものは――皆殺しだ」
淡々と、しかし抗いようのない確信をもって言うその声に、何人かの代表は椅子を引き、立ち上がりかけて止まる。誰もが言葉を失い、会議室に漂うのは魔力のざらついた音だけ。
「式だと?」
ユキチが一歩前に出た。足音が石床にこだまする。――そもそも、その宣言意味ないだろ。……いや、あるのか。きっとガラムが苦労して考えた時間稼ぎなのだ。ガラムの苦労をおしはかって、演劇ごっこに乗っかるユキチ。その場の緊張を、ほんの少しでも和らげようとする皮肉な間合い。
「あぁ、そうだ。私の魔族の王としての戴冠式。そして我が花嫁リュートとの結婚式だ」
その言葉に、場の空気がまた一段と変わる。ざわめきが走り、数人が顔を見合わせた。
「え、結婚?今結婚って言った? リュートが? 魔王と? リュートって男じゃなかったっけ? 魔族って男同士でも結婚できるの?」
アリシアの目がぱっと輝いた。場違いなほど純粋な好奇心が、空気をひやりとさせる。ギルが眉をひそめて小声でつぶやいた。
「おまえ、今気にするのはそこじゃないと思うぜ……」
あきれるユキチの声を、ガイラムの笑い声がかき消す。
「はははは、今日は虫けらの貴様らへのあいさつ代わりだ。我が寛容さ。ありがたく受け入れろ。行くぞ、シロ」
その声に、白竜が反応するように頭を上げ、ゆっくりと翼を広げる。鱗がこすれ合い、風が渦を巻き、机の上の紙がぱらぱらと舞い上がった。魔力の風圧が、空気の層を震わせる。
「逃がすかよ!」
ユキチが叫ぶ。その声にギルも反応し、同時に地を蹴る。椅子が倒れ、床石が割れる音。二人の影が一直線にガイラムに向かう。
「――ふ」
ガイラムが片手をあげた。炎が音もなく立ち上がり、彼の周囲を壁のように包み込む。ユキチの刃先が届く寸前で止まり、炎の圧に押し返される。
「ちっ……!」
ユキチが舌打ちする。炎はさらに勢いを増し、赤い渦となって天井を照らし出す。部屋中に影が踊った。次の瞬間、その姿は空気ごと掻き消えた。しかし、ユキチは確かに聞いていた。炎が出る前に、ガイラムが小声で発した言葉。
「助けてくれ――」




