第84話 教皇
「ようこそ。聖女様」
出会い頭に、教皇は恭しく頭を下げた。金糸で縁取られた純白の法衣が、まるで風に舞うようにひらめく。その姿は荘厳で神々しい――のだが、アリシアはむずがゆい思いでいっぱいだった。
「ど、どうも……」
どうもアリシアの不名誉(?)な肩書は、とうとう教皇にまで届いてしまったらしい。
「初めまして、教皇様。ってか、聖女だなんて、やめてください。あたしはアリシアって言います」
軽く会釈をするアリシアに、教皇は柔らかく微笑んだ。
「はい。存じ上げていますよ、シスター・アリシア。――あの“聖なる果実”を食べて無事だった、奇跡の少女」
「……は?」
あまりに唐突な話に、アリシアの思考が一瞬止まる。
「いやいやいや。果実を食べて無事だったって……。まさか、ヒルタウンで食べた、あのキラキラした果物のこと? まさか、あれって、食べたら危険なものだったの?」
教皇の不穏な言い回しに、えも言えぬ不安を覚えるアリシア。
「――あぁ、そこを説明してなかったね」
会話に割って入ったのはハセガワだった。彼は腕を組んで、どこか気まずそうに頭をかく。
「アリシアがヒルタウンで食べた果実はな、教会がソーマプロジェクトの知識を総動員して作った実験の成果物なんだ。改良に改良を重ねたうえで、食べると“神の祝福”が得られるようになったんだけど……」
そこで一拍置き、ハセガワは眉をひそめた。
「その祝福の力が強すぎるのか、普通の人間が食べると――廃人になっちゃうんだよ」
「……は、廃人……?」
アリシアが青ざめた声を漏らす。
「そう。ぼーっとしたまま、意思疎通ができなくなって、外界の刺激に何も反応しなくなるの。教会の一部じゃ、その噂が“神の試練”だなんて尾ひれをつけられて広まってしまってね」
「神の試練……ねぇ……ありがた迷惑な試練だわ」
アリシアは苦笑する。ハセガワが肩をすくめると、ギルが感心したように腕を組んだ。
「で、その無茶な果実の試練を無事に乗り越えたのが、アリシアだったってわけか。……ヒルタウンの神官たちは事情を知らず、“貴重な果実を盗み食いした”って追放処分にしたんだな。――それにしても、アリシア、廃人にならなくてよかったな」
ギルが呆れたように笑いながら言う。
「ったく、あんま変なもん盗み食いするなよ」
ユキチも後に続いて、アリシアに苦笑いを向ける。
「いや、あれは……その、酒の勢いというか……若気の至りというか……」
アリシアは言葉を濁しながら、両手をわたわたと振った。その姿があまりにもわかりやすくて、教皇もハセガワも思わず吹き出してしまう。
「ふふ……そうでしたか。ですが、結果的には――神の導きだったのかもしれません」
教皇は口元を整え、表情を引き締める。
「今のあなたの身には、確かに“神の祝福”が宿っているはずです。感じたことはありませんか? 神の奇跡を」
急に詰め寄られて、アリシアは背をのけぞらせる。
「え、えっと……神の奇跡、ねぇ……」
確かに、アルドラが見せてくれた板には、そんな感じのことが書かれていたが、改めて何か実感があるかというと……。みんなの視線が、アリシアに注がれている。
「そういえば――あの果物を食べてから、二日酔いをしなくなったわ」
「……」
一同、微妙な沈黙。
「それに、ごはんもおいしくなったような」
「……」
「あと! 火おこしも上手になったわ!」
「……」
三度目の沈黙。教皇の額に、静かに影が落ちた。
「……いや、もっとこう……神秘的なことは、なかったろうか?」
教皇の声が小さくなる。
「えっ、あるわよ!」
アリシアがぱっと顔を上げる。
「刻印を押すと、アルドラの声が聞こえるようになったの! それならどうかしら?」
「アルドラ……?」
教皇の顔が一瞬輝く。
「まさか……ディウヌ様の別名か何かですか?」
その目に一縷の希望が宿ったのも束の間、ハセガワがさっと手を上げた。
「あー、いや、アルドラは私たちの仲間です」
教皇の顔が見る見るうちに曇っていく。
「つまり……神の声ではない……?」
「うん。たぶん」
アリシアは申し訳なさそうに頷く。教皇は額に手を当てて、深いため息をついた。
「なんか……ごめんなさいね。いいことが言えなくて」
アリシアは頭をかきながら苦笑する。
「でも、二日酔いにならないのはほんと助かってるのよ。胃もたれもないし。朝からパンがおいしくてしょうがないの」
「……そうですか。それは……よかったです……」
教皇は微妙な笑みを浮かべ、視線を落とした。“奇跡”というには、あまりに庶民的な効果だった。
「ともあれ、神の試練を克服した者として、サミットに参加していただく資格としては十分です」
教皇は自分を勇気づけるように、強引に話を進める。
「それに、聖地巡礼で魔族とも戦ってきたんだぜ」
ユキチが口をはさむ。
「はい。それも聞き及んでおります」
教皇はうなずく。
「大っぴらには言えませんが――頼りにしていますよ。みなさん。それでは――向かいましょうか。サミットの会場へ。――そして魔族の脅威に、共に立ち向かいましょう」
入った時とは別の荘厳な扉が静かに開き、教皇は会議室へと歩き出す。アリシアたちもそれに従う。アリシアがふとつぶやいた。
「ねぇ、ユキチ。今さら気づいたんだけどさ」
「ん?」
「あのキラキラの果物を食べられたんだったら――あたし、最初から聖地巡礼なんて、しなくてよかったんじゃないかしら」
「ははっ、確かにそうかもな」
ユキチは笑う。
「でも、聖地巡礼に放り出されたからこそ、おれとも出会えたんだろ? 結果オーライじゃん。おれもアリシアと旅ができて楽しかったぜ」
「そうね。ユキチと出会えただけでも、追放された価値があるわね。あ、――ユキチだけじゃなくて、みんなともね。でも、"楽しかった"なんて過去形で言わないでよ」
アリシアがふくれっ面をする。
「巡礼が終わっても、一緒に旅しようよ! 今度は――ユキチの探し物を探しにさ」
ユキチは少しだけ目を見開き、それからゆっくりと笑った。
「……そうだな」
「じゃあ、まずはサミットでお偉いさんとの話を、とっとと終わらせますか!」
「おう!」
パンッ。ふたりの手が高らかに打ち合わされる。




