第78話 エア・グライダー
ガッ――! 軽い衝撃と共に車体が宙に放り出される。車体は前のめりに倒れ、車内の重力がふっと消える。内臓が逆流するような、嫌な浮遊感が襲いかかる。
「あ、この感じ……この前も味わったぞ」
ユキチは椅子にぐるぐる巻きにされた状態で、過去の記憶をたどる。
「そうだ、世界樹の時だ。あんときもラムネが宙に飛び出したんだっけ。――ったく、ラムネ、かわいい顔してなかなかめちゃくちゃな奴だぜ……まぁ、こうなったら仲間を信じるしかないか……」
一瞬の無重力の中、そんな考えに至る。
「きゃっははははははは! 最っ高ぉぉぉ!!」
案の定アリシアはハッスルしている。
「うわぁああああああ!!!」
対照的にアリシアの隣では、ルイスが野太い叫び声をあげている。
「ルイス、大丈夫だ! 落ち着けぇ!!!」
ユキチの声はパニック状態のルイスには届かない。
「――ここだ!」
そんな後部座席のドタバタは気にせず、ギルが運転席で叫び、両手でレバーを思い切り引いた。
「ラムネ、今だ!」
その合図に応えるように、屋根に固定された翼のフレーム沿いに、ラムネの透明な膜がぶわっと広がる。表面積を増やした翼が風をつかみ、車体が"グン!"と持ち上がる。
「いいぞ!!」
ギルが豪快に叫ぶ。ラムネはエア・グライダーの姿勢に合わせて微妙に翼の形を変え、浮力に変える。
「おぉっ! ほんとに飛んでるぞ、これぇぇ!」
ユキチが歓声を上げる。
「ラムネ! そのまま、少しずつ角度を――」
ギルが的確にラムネに指示を出す。アリシアが外を見ると、アルカナの街はまだ遠くにあり、それよりも地面がみるみる迫ってくる。草原の一本一本まで見えるほど近い。さすがのアリシアも不安になる。
「ねぇちょっと! もう少しスピード緩めた方がいいんじゃない!?」
「いや、逆だ!」
ギルの声が風にかき消されそうになりながら響く。
「今スピードを落とすと、揚力が失われて墜落する! このままスピードを上げる!」
「上げるの!? いやいやいやいや、どう見ても落ちてるでしょこれぇぇ!!!」
ギルは全力でレバーを握る。
「踏ん張りどころだ! 頼むぞ、ラムネ!」
「ぷる!」
車体が軽く振動すると、翼の膜がさらに伸びていく。風の抵抗を受けてエア・グライダー全体がきしむ。いつの間にか、あの内臓が浮くような感覚も消えていた。
「あ……もうおしまい? まぁいっか」
アリシアは残念がりながら、外の景色を楽しむ。一方、その隣のルイスはというと――
「う……ぅ……」
顔面蒼白。顔も足元もびしょ濡れになっている。
「ちょ、ちょっと、ルイス!? まさか……」
「ひっく……ごめんなさい……ごめんなさい……」
今まで見たこともない表情で泣くルイス。歴戦の戦士も、落下の恐怖には勝てなかったらしい。
アリシアはそんな彼女の手をそっと握る。
「大丈夫よ。なんとかなるから。それに、もう出すもん出したんだし、これ以上失うものはないわよ」
(どんな理屈だよ……)
ユキチはルイスに同情する。その間にもエア・グライダーはラムネの翼で風に乗り、ぐんぐんと浮上を続ける。
「よし、いいぞ! 姿勢が安定した!」
ギルが安堵の声を漏らす。外を見ると、確かに地面は眼下に広がっているが、もはや迫ってはいない。
「このままゆっくり着陸態勢に入るぞ! 少し揺れるけど、それは我慢してくれ!」
ギルが慎重にレバーを戻す。落ち着いたところで、時おり“ふわっ”とした浮遊感がまた襲いかかる。
(……これ以上の我慢って、何なんだ……)
薄れゆく意識の中で、ルイスは呆然と思う。ユキチはあきらめ顔で歯を食いしばり、アリシアは楽しそうに外を見つめ、その膝の上では、ルメールが何事もないかのようにすやすやと寝息を立てていた。
そして――あんなに遠くに霞んで見えていたアルカナの街が、もう手を伸ばせば届きそうなほど近くに見える。
「見えたわ! 聖都アルカナ!!」
アリシアの瞳が輝く。
「よし、みんな、しっかりつかまれ!」
ギルの声に全員が身構える。ギルがレバーを引っ張ると、ラムネの翼が大きく膨らみ、エアグライダーは聖都の郊外の草原へ――徐々に高度を下げていく。
「着陸10秒前!」
ギルの声が響く。彼がレバー脇の赤いボタンを思い切り押すと、エア・グライダーのお尻から、ラムネの膜がバサッと広がり、強烈な空気抵抗で車体が大きく揺れる。
一気に減速。ルメールを除く乗員全員が身体が前へ放り出されそうになるが、
身体をぐるぐるに縛っている縄が身体を椅子に押しとどめ
――るはずだった。
「ブチッ」
嫌な音がして、ルイスの紐がちぎれる。
「おぁっ!?」
次の瞬間、ルイスは哀れにも、自分の出した液体で濡れた床に投げ出される。
「ルイス!?」
アリシアが悲鳴を上げる。
「大丈夫か、ルイス!? もう少しだから、踏ん張れ!」
ギルが必死に叫ぶが、運転席から離れることはできない。他のメンバーも紐でぐるぐる巻きになっていて、身動きが取れない。
「5秒前! 4、3――」
無情にもカウントダウンは進む。
「2、1――タッチダウン!!!」
ギルの号令と同時に、ガガガガガガガガ!! と連続した衝撃が車内に伝わる。車体全体が激しく跳ね、フレームがきしむ。椅子ごと上下に揺さぶられるアリシアとユキチ。悲鳴を上げる余裕もない。
ルイスは既に意識も無いようで、もはや糸の切れた形のようにびちゃびちゃの床で跳ねまわる。「ゴン! ゴン!」と鈍い音がリズムよく響く。ちょうどユキチの足元まで転がってきたので、「……悪いな」と言いながら、これ以上跳ねないように足でそっと頭と背中を押さえつけた。
やがて、振動がだいぶ収まって、あと少しで止まりそうになった――そのとき。
――ガキッ!!
嫌な金属音。
「え……?」
アリシアの視界に、ひとつのタイヤがクルクルと回転しながら、あさっての方向に転がっていくのが見えた。
「うそでしょ……」
「くそっ、車軸の強度が足りなかったか!」
ギルが顔をしかめ、ハンドルを左右に切って体勢を立て直す。また激しい衝撃が一同を襲う。ラムネの翼がバランスを取ろうとプルプル震え、車体は横転をこらえるようにドリフト気味に地面を滑る。再び床で跳ねるルイス。
ゴゴゴ……と車体が地面を引きずるように滑り、ようやく――ピタリと停止した。
一瞬の静寂。
「……生きてるか?」
「……なんとか……」
ギルの問いにユキチが歯を食いしばったまま答える。ギルはハンドルにもたれかかり、荒い息をついた。外では、転がった車輪が遠くの丘の上でコトンと止まる。 ルイスは床で大の字になったままピクリとも動かないが、かすかに「……ごめんなさい……ごめんなさい……」と繰り返しつぶやいていた。
「いやー、楽しかった!スリル満点だったね!」
真っ先に飛び出してきたのは、もちろんアリシアだった。頬に風の跡を残したまま、満面の笑み。
「もう一回やろ!」
「やらねぇよ!」
げっそりとした顔で車から出てくるユキチ。髪はボサボサ、口元には砂。まさに満身創痍。
「……死にたい……」
最後に、ずるずると這い出してきたのはルイス。顔はあざだらけ、服も下着もびしょびしょ、おまけに背中にはユキチのくっきりした足跡がついている。その光景に、誰もツッコめなかった。ただ静かに――合掌。
「ルイス、大丈夫? タオルと着替え持ってきてあげる!」
アリシアが荷台へ駆けていく。その横では、ギルが袖をまくって車体の下に潜り込み、トラブルの原因究明をしていた。
「くそ、やっぱり車軸の強度不足が原因だな……あんなに揺れるとは。次はここに衝撃吸収機構を取り入れよう」
「ぷる」
「いや、おまえが悪いって言ってるわけじゃないからな。むしろよく頑張った」
ギルとラムネはいつの間にかアリシアの通訳なしで会話できるようになっていた。そんなふたりを眺めていたユキチは、視線をあげて聖都に移す。白い石造りの壁、奥にそびえる宮殿の尖塔。上空から見下ろした時には分からなかった、威光のようなものを感じる。
ユキチの視線を目で追って、アリシアも思わず息を呑む。
「……聖都アルカナ。ほんとに着いたんだ」
長い滑空と騒動の末に、彼らは無事(?)に聖都アルカナへ到着した。太陽はまだ傾きかけたばかり。夕飯には間に合いそうだった。
「さて、宿探すか」
ユキチが肩を回しながら言う。
「うん! あと、おいしいお店もね!」
「まずは風呂だろ……」
「それも! じゃ、まずはルイスは着替えちゃおうか!」
アリシアがにっこり笑い、ルイスの手を引く。




