第70話 観測所
「アルドラ!共通語で普通に喋れたの?」
アリシアがスカートを押さえながら、ぴょんぴょん跳ねて尋ねる。
「すみません。刻印経由だと制限がかかってしまって、古代神聖語でしか会話できなかったのです」
アルドラは事情を説明する。その声はやさしいが、どこか人ならぬ雰囲気た。
「それにしても、ここにみなさまをお迎えできて、大変うれしいです。どうぞこちらにお越しください」
部屋の一角のドアが、無音のままスッと横に滑って開いた。
「すごい技術ね」
アリシアが目を丸くする。ドアの向こうの通路も鉄で覆われ、白い光の帯が壁と天井を走っていた。サンクティオ大神殿の地下研究所のような素材だ。
「これは、魔道具か? サンクティオ以外にもこのような場所があるとは、なかなか興味深い」
ギルが壁の照明を指でなぞりながら観察を始める。
「でも、人の姿がなくて、なんだかさみしいわ」
アリシアが小声でつぶやいた。最初の小部屋から、この通路に至るまで、確かに誰一人すれ違っていない。すると、突き当りのドアが光を放ち、自動で開いた。
「またドアが……勝手に?」
ルイスが半歩身構える。ドアを抜けた先の広間。そこは、まるで別世界だった。壁一面に巨大な額縁のようなものがいくつも並び、それぞれの中に色々な風景の絵がはめ込まれている。
「わぁ……きれい」
アリシアが無意識に息を呑む。だが、よく見ると、それらはただの絵ではなかった。木々が風に揺れ、雲が流れ、海がきらめく。映し出された景色は生きているように動いていた。そして時間が経つと、絵はパラパラと別の景色に切り替わっていく。雪山、砂漠、海辺の街、森の奥の祭壇……。
「え、なにこれ?」
アリシアが画面に近づいてよく観察する。それは確かに平らなのだが、動いていた。
「これは……まさか、実際の世界の景色か?」
ギルもアリシアに続いて映像に駆け寄り、食い入るように見つめる。
「そうみたいだな。ほら、今右上に移っている建物。あれグラスノヴァのロシアナ大神殿じゃないか?」
ユキチの指さす先を見ると、確かにまだ復興途中のロシアナ大神殿が映っていた。しかもご丁寧に復興作業している人たちも小さく映って動いている。
「……本当だ。――でも、何のために?」
ルイスの質問は、つまりこれを見ている人は何をしているのかということだった。もしもそれが悪意があった場合、これほどの技術力を持つものを止められるのだろうか。一同は背筋が冷えるのを感じた。
すると、また天井からアルドラの声が響いてくる。
「――気に入っていただけたようで何よりです。――ようこそ、観測室へ」
「アルドラ!どこにいるの?そろそろ姿を見せてよ」
アリシアがぐるりと部屋を見回して呼びかける。
「そうですね。この状態だと話しづらいですよね。少々お待ちを」
そうコメントがあった矢先、ブン――低い振動音が響き、空気が揺らいだかと思うと、目の前には少年が立っていた。
「みなさん、はじめまして。アルドラです。久しぶりのアバターだけど、うまく機能しているかな?」
少年は、子供とは言えない落ち着いた口調で挨拶をすると、自分を手足を動かして確認している。
「こちらこそ、ずっと会いたかったよ。アルドラ。私はアリシア」
アリシアが右手を差し出して握手する。
「そして、ユキチと、ギルと、ルイスと、ラムネと、ルメール」
名前を呼ばれた仲間たちは、それぞれ軽く会釈をした。ルメールだけが羽ばたいてピュイと鳴く。
「遠路はるばるいらっしゃいました」
アルドラが、案内するように広間の中央に右手をかざすと、いつの間にかそこに長い円卓が現れていた。白銀色のテーブルには淡い光の粒が漂い、椅子もスベスベの素材だった。
「どうぞ、おかけください」
アリシアはワクワクした様子で椅子に近づき、ふわりと腰かける。
「なんだかおとぎ話みたい――ねぇ、アルドラ。ここっていったい何なの?」
アルドラは静かに微笑んだ。
「ここは"観測室"。エクシリアをずっと観察するための部屋ですよ」
アルドラがそう言うと、アルドラが机に近づくと机の上に音もなくポットとコップが現れる。
「お口に合うといいんですが」
アルドラは軽く微笑むと、慣れた手つきでテーブルの上の器具を操作し始めた。筒から蒸気が立ち、黒い液体が注がれる。
「ここに前いた人たちは、みんなこれが好きだったんですけど」
ほどなくして、アリシアたちの前に置かれたのは、湯気を立てている謎の黒い飲み物。
「これは?」
アリシアが恐る恐る尋ねる。
「コーヒーっていいます。香りを楽しんで、飲むと頭がさっぱりするらしいです」
「らしいですって……君は?」
ユキチが眉をひそめる。
「あ、私は味覚がないので、よくわかりません」
アルドラはあっさりと告げた。アリシアがユキチをチラッと見る。(大丈夫。毒はない)ユキチは頷く。
「へぇ。初めて見る飲み物ね。確かにいい香り」
アリシアは目を細め、においを楽しむと、そっと一口含む――が、次の瞬間、顔をしかめる。
「う……苦い……」
「あ、ごめんなさい!飲みなれないうちは砂糖を入れるといいって言ってました」
アルドラがそう言って、小さな白い結晶の入った容器を差し出す。アリシアはスプーンで何杯か砂糖を掬い、ダバダバとカップに溶かし込んでから、再び一口。
「……あ。これなら、イケるかも」
がっつり甘さが加わり、普通に飲める。
「よかった」
アルドラが安堵の笑みを浮かべる。
「私にはちょっと熱すぎるかな。冷めてから飲むよ」
ルイスはカップを手に取ったものの、においだけをかいで脇に置いてしまう。
「なんだ猫舌か」
ユキチがクスリと笑う。
「な、なんだよ。いいじゃないかドラゴニュートが熱いの苦手でも」
ルイスがむくれると、場に笑いが広がった。ギルは一口含んでから、ふっと息を吐く。
「……これは確かに、不思議な飲み物だな。舌に残る苦みが、逆に癖になりそうだ」
ラムネはといえば、砂糖も入れずにコーヒーを一気飲みしている。体液が一部黒く濁っていしまっているが、本人は気にしていないようだ。
「――それにしても、エクシリアから人が来たのは、八百年ぶりです」
アルドラが唐突に口を開いた。
「は、八百年?」
アリシアが手にしたカップをこぼしそうになる。
「はい。もうダメかと思いましたが、こうしてお会いすることができて、本当に良かったです」
アルドラは、淡々と告げる。
「ねぇ、アルドラ。わたしたち、もう何が何だかわからないんだけど。その八百年っていうのもだけど、さっきしれっと出てきた“エクシリア”って言葉もそう。できれば、何が起きてるのか、色々おしえてくれないかしら?」
「もちろんです。皆さんにも関係する話でありますので」
アルドラはゆっくりと頷き、ほほ笑む。その視線にの先にはアリシアとユキチがいた。




