第69話 刻印の地図
「よし、じゃ、行きますか」
「おー!」
アリシアの掛け声に合わせて、一行は出発の準備を終える。少し離れたところで、ソーニャが名残惜しそうにギルの背中を見つめていた。
「ギルはソーニャともっとお話ししなくてよかったの? 久しぶりに会ったんでしょ?」
ゴシップ好きなアリシアとルイスが両側から追及する。ギルは困ったように笑いながら首を振った。
「いや、あれで十分さ。教会の会合で時々顔を合わせるしな」
その声色は淡々としているのに、普段見せない表情で照れているのを見逃さないアリシア。
「なにそれ〜。あんた、そんな風にかっこつけてたら、いつの間にか他の男にとられちゃうぞ~」
ぐりぐりとギルのほっぺを指で押す。
「ちょ、そういうのやめろよ」
耳まで赤くなるギルを見て、ユキチがにやりと口の端を上げる。
「なるほどなぁ。そう言うことだったのか」
「うるさい!」
ギルが抗議するが、からかう声は止まらない。そういえば――とアリシアは思い出す。ギルは身体強化魔法の反動で年齢以上におじさんに見えるが、実際はまだ二十代。ソーニャと同年代なら、そんなことがあってもおかしくない。
「じゃあ、大司教様、いろいろとありがとうございました」
アリシアは気を取り直して、厳かな雰囲気の大司教に向き直る。手の中の指輪をひらひらさせながら、少し戸惑い気味に口を開いた。
「この指輪、本当にいただいちゃっていいんですか?」
「もちろんです」
大司教はゆったりと頷く。
「聖女様に使っていただくことが、その指輪の使命だったのです」
重々しい言葉にアリシアは「ひゃー」と内心肩をすくめる。このモードになると、教会関係者はみんな大仰な言い回しばかり。
「じゃ、大事に使わせてもらいますね。あと、ソーニャも、今度はギル抜きで女子トークしようねー!」
アリシアは大司教の後ろで護衛に立つソーニャに、ひらひらと手を振った。ソーニャも少し驚いた顔をしながら、口元に笑みを浮かべて小さく手を振り返す。
「じゃ、いってきまーす!」
アリシアは窓から顔を出し、名残惜しそうに手を振る。
「いや、行ってきますじゃなくて、背中見せろよ」
隣のユキチがぼそりとつぶやき、アリシアのスカートを容赦なくめくり上げた。
「ちょっと! やめてよ、エッチ!」
「エッチって……おまえ子供かよ」
呆れるユキチに、アリシアは真っ赤になってスカートを押さえる。
「そういうのいいからさ、早く背中見せてよ。あとお前さ、なんかこう……上と下が分かれてる服ないのか? この服、背中見づらいんだけど」
「上下に分かれてる服なんて、パジャマしか持ってないわよ! いいこと? シスターはワンピースの修道服って決まってるの!」
「しるかよ」
胸を張って偉そうに説教するアリシアに、ユキチはため息をつきながらも手を伸ばす。
「いいから脱げ。ほら」
「ちょ、ちょっと待って! わかった。自分で脱ぐから! そっちに引っ張ると破けちゃうじゃない!」
車内は一瞬で大騒ぎになった。アリシアが修道服を半脱ぎになりながらも抵抗し、ユキチが袖を引っ張る。ルイスは呆れ顔でそれを見守り、ギルは運転席で大笑いしていた。ちらりとバックミラーに映るアリシアの姿を見そうになり、慌てて目をそらすギル。
「……見なかったことにしよう」
そう小さくつぶやき、空を見上げる。
外では、大司教とナターシャが遠ざかる車を心配そうに見守っていた。
「……あれで本当に聖女様なのだろうか」
「……ふふ、どうなのでしょうね。わたしには計りかねます」
ナターシャの言葉に、大司教は苦笑しつつも頷いた。
一方、アリシアは観念したように一旦車を降りると、車の影で他の人から見られないように修道服を脱いだ。
「……はぁ、もう、なんでこんな目に」
顔を真っ赤にしながらも、前を隠しながら服を抱えて車内に戻ってくる。
「おまたせー……って、もう見送りいいですよー! ばいばーい!」
車の窓から、まだこちらを見守っていた大司教とナターシャに手を振る。二人は心配そうに顔を見合わせつつも、仕方ないといった表情で見送りの姿勢を解いた。
「よし、背中の地図の光は消えてない」
ユキチがアリシアの背中を見てつぶやく。
「でも、なんか場所変わってない?」
ルイスが首をかしげる。確かに、礼拝堂で見た時は海のど真ん中にあった光の点が、今はカルドリア大陸のすぐ近くで輝いている。
「ひょっとして、この点……動いてるのか?」
ギルが眉をひそめる。
「移動する目的地か……行き先が伝説の浮遊大陸とかだったら面白いわね!」
アリシアは目を輝かせつつ、興味津々で背を見ようとする。
「それ、いいな――行けば分かるさ」
小さく呟くと、ユキチは改めて光る点に指を伸ばした。
――ここに行きますか?――
おなじみのダイアログが浮かぶ。
「……よし。行くぞ」
ユキチは今度は迷いなく「はい」を押した。ユキチがいつも地図で瞬間移動するのと同じように、車の周囲の景色がぐにゃりと歪む。視界が白く弾けた次の瞬間——。
そこは、無機質な鉄の小部屋だった。四方の壁は鈍い灰色で、どこからともなく微かな機械音が響いている。
「……ここは?」
ルイスが眉をひそめる。
「分からない。でもなんだか、からだがふわふわするね。なんか楽しい」
アリシアが車から飛び降りると、慌てて修道服を着る。なんだか、スカートの裾がいつもよりも長めにひらひら舞っているように感じる。
「アリシア、体調は大丈夫か?」
ユキチが続いて車から降りる。
「全然へーき!」
アリシアは満面の笑みで答えると、軽くジャンプして天井近くまで浮かび上がる。頭の上に乗っていたルメールがアリシアから離れてふわーっと漂っていた。
「良かった。おれの首輪とは違う感じなのかな……」
ユキチが小さくつぶやく。
「って、なんだこれ? すごい高くジャンプできる?」
ユキチが軽く跳ねてみると、予想以上に高く跳び上がり、「いってぇっ」と頭を天井にぶつけて降りてきた。
「すごい……あたしもこんなに跳べるなんて!」
ルイスまでも、子どもみたいに笑ってジャンプして宙に舞う。すると、その無機質な部屋の中に、どこからともなく声が響いた。力強く、しかしどこか幼さの残る声だ。
「——ようこそ。ソーマプロジェクトの観測所へ」




