第68話 最後の刻印
「いやー、やっとここまで来たー! って感じだね!」
アリシアは最後の刻印を受けるため、礼拝堂に足を運ぶ。
「聖地巡礼を一カ月で終えるなんて、異例のスピードだよ。おれは三年かかったからね」
ギルが苦笑する。アリシアも笑う。
「アリシア様、その、申し訳ないのですが――」
談笑するアリシアに、おずおずとソーニャが声をかける。ためらいがちに話すソーニャに、アリシアは首をかしげる。
「ここの大神殿の刻印は――その……胸に刻印しますので、――専用の服に着替えていただけますでしょうか」
「えっ」
アリシアは一瞬固まったが、次の瞬間にはぱぁっと顔を輝かせた。
「そんな配慮してくれるなんて! スバラシイ! アイレーンではほとんど裸で超寒かったの。マジあり得ないよね」
世界樹の神殿での苦い記憶が頭をよぎる。 心底ホッとした様子で胸をなで下ろす。
「……さ、こちらに」
アリシアのコメントに微妙な反応をしつつも、ソーニャが女性更衣室に案内する。 ――が、しばらくして更衣室の奥から、耳をつんざくようなアリシアの叫び声が響いた。
「ちょっとまってぇぇ! ウソでしょ! これ、ひょっとすると裸と同じくらい恥ずかしくない!?」
「だ、大丈夫です。お似合いですよ」
ソーニャの棒読みの声が返ってくる。
「ぜっったいそう思ってないでしょ! もう! 他人事だと思ってぇ!」
アリシアの抗議が壁越しに響き、外で待つ一同は思わず顔を見合わせる。
「なんだ、どうしたんだ?」
「……まぁ、アリシアのことだからな」
ギルの疑問にユキチが肩をすくめる。更衣室の中では、アリシアが鏡に映る自分の姿を見て真っ赤になっていた。それは、儀式用に仕立てられた特別な法衣。下半身こそ普通のスカートなのだが、上半身になると、当然のように(?)背中は丸見え。前面も布の面積が極端に少なく、首から垂れるやや太目のひもが胸の先端をかろうじて覆っている程度。その最後の良心ともいえるひもも、頼りなく動くたびにひらひらと揺れる。
「こ、こんなの神聖な儀式の服じゃなくて、夜の踊り子の衣装じゃない!」
胸を押さえてしゃがみこみ、半泣きで抗議するアリシアに、ソーニャはため息をついた。
「……それが、正式な礼装なのです」
「絶対ウソでしょぉぉ!」
外の空気は張り詰めているのに、更衣室だけは完全に喜劇の舞台になっていた。そんな会話を聞いて、外で待っていたユキチたちがクスクスと笑う。
「おいおい、あいつ、どんな格好させられてんだよ」
「おれの時は普通に終わったけどな。アリシア―ここにはおれたちしかいないから、気にするなー」
ギルは苦笑いを浮かべた。
「――あんたたちまで勝手なことを! 覚えてなさいよ!」
更衣室のドアがバーン! と開く。そこから姿を現したのは――なんとも扇情的な衣装に身を包んだアリシアだった。
「……それ、ほとんどひもだな」
ユキチが腹を抱えて笑う。
「な、何よっ!」
自分も思っていることを素直に指摘されて、顔を真っ赤にしたアリシアは、耳まで赤く染め上げながらふんと顔を背けて吹っ切れる。
「もう! いいわよ。これが習わしっていうなら従うまでよ! さっさとやっちゃいましょ!」
そう言い切ると、ぶつぶつと付け加える。
「あたしが偉くなったら、これをデザインしたやつに厳罰を下してやるわ……」
――ではこれより、刻印の儀式を始めます。厳かな声で宣言する大司教。場の空気は張り詰めていたが、アリシアの顔はいまだに真っ赤だった。だがもう何も気にしないといった体で、そのまま足音高く礼拝堂の中央へ進み、ひざまずいた。
後ろから見守っているユキチ達には、その背中に刻まれたアイレーンの刻印がはっきりと見える。――実は、ギル以外の面々にとって、アリシアが刻印を受ける場面を見るのは初めてだった。(ギルも、その時は意識がなかったのだが)
「どんなことが起きるんだ?」
ユキチが小声でつぶやき、ルイスやソーニャもごくりと喉を鳴らす。そっと見守ろう。ギルはそんな視線をユキチに送る。お祈りが進むにつれ、堂内の空気が一層重く、厳粛に変わっていく。やがて、大司教が神妙な面持ちで刻印用の木片を手に取った。木片を高く掲げ、そして、
――ぺた。
アリシアの胸の中心、ちょうど心臓の上あたりに木片が押し当てられる。
「っ……!」
アリシアの体がびくりと震える。押し当てられた場所だけでなく、これまで刻まれたすべての刻印が同時に熱を帯び、炎のように脈打つ。
「な、なにこれ……今までの中でずっと熱い!」
アリシアはお祈りの姿勢を取ったまま、苦悶の表情を浮かべる。
「熱い熱い熱い熱い熱いっ! てんだろうがーー!」
アリシアは胸を押さえ、思わず身をよじった。彼女に刻まれたすべての刻印が一斉に光を放ち、眩い輝きが礼拝堂全体を染め上げる。
――どくん。
空気の震えとともに、彼女の心臓が跳ねる音がはっきりと響いた気がした。次の瞬間、いつもの“声”が、頭の奥深くで囁いた。
——Elenas minari——
(出たな、アルドラ! あたしはここまで来たわよ! さぁ、どうするのかしら?)
——Elenas minari, bene omnia sigilla collegisti. Via ad stellas aperta est. Noli timere, sequere lumen. Fatum in fine viae stellarum patefiet.
(え、どゆこと?)
心の中で突っ込みを入れるアリシア。
(ちょっとまって、長文なのはありがたいけど、いまいちどうしたらいいかわからないんだけど)
——Noli timere. Ducatus iam pars tui est.
(あー! 古代神聖語、まどろっこしーなー。もう。もっと具体的にはっきり言って欲しいんだけど!)
——Elenas minari, Iter tuum faustum sit.
光と熱がふっと静まり、会話は途切れた。
「……あーもう、なんなのよ。最後の刻印だってのに、今までの中で一番わけがわからないじゃない」
アリシアは思わず両手を顔に当てて、天井を見上げる。
「アルドラ、ずっと適当なこと言ってんじゃないの。それともただのあたしの幻聴か……」
「アリシア、大丈夫か?」
後ろで見ていたユキチたちが駆け寄って声をかける。
「ね、みんなにも聞こえた?」
振り返って、半ば泣き笑いの顔で彼らに問いかけるアリシア。ユキチは腕を組んだまま、じっとアリシアの目を見る。
「悪い、アリシアがしゃべってた言葉はよくわからなかったけど――」
真剣な目つきで言葉を続ける。
「後ろで見ていて、分かったことがある」
「え、なに?」
「その背中の刻印……お祈りの最中に“地図”になったぜ」
「はぁ?」
アリシアはぽかんと口を開ける。
「そして、いまもその一部が光ってる」
ユキチはアリシアの背中に来るっと回ると、再度確認する。
「そういえば、道しるべはあたしの一部って言っていたな――"導き"って、そういうこと……?」
アリシアは思わず自分の背中を見ようとするが、見れるわけもなく。
「確かにあたしの一部かもしれないけど……背中に地図を表示させるなんて、バカなんじゃないの? あたし見れないじゃない!」
ユキチは思わず吹き出した。
「本当だな。まぁ、それにもきっと、何か意味があるんじゃないか? おれには分からないけど」
ルイスも笑いながら頷く。
「まったく、とんだいじわるだな。でもね、背中の入れ墨、気合入っててなかなかカッコいいぞ」
アリシアは両手を腰に当て、盛大にため息をついた。
「……はぁ。最後の刻印までこれか。ほんと、神様ってお茶目すぎるわ」
「たしかにな。まぁ、でもまずはその背中の地図、もっとよく見せてくれない?」
ユキチが言う。
「いいわよ」
アリシアは肩をすくめてくるりと背を向けた。ユキチ達だけでなく、大司教もソーニャもアリシアの背後に集まり、興味津々で背中の刻印を覗き込む。不思議な文様に縁取られた地図は、確かにこの世界の物だった。
「ここが……ゼンブレア大陸っぽいな」
特徴的な大陸の形を指さしながら、ギルがつぶやく。
「なるほど。この光っているとことに行きなさいってことなのかな。――って、ちょっと待って。光ってるの、陸地じゃなくて――」
ソーニャが指を伸ばした。
「ほんとだ。海の上だな」
ユキチが背伸びしながら確認する。
「えー? どういうこと?」
背中が見れないアリシアが悶々としている。
「おい、この辺が今の場所でいいんだよな?」
ルイスがギルに問いかける。
「そうだ。いま俺たちがいるのはこの辺だ」
ギルが指でちょんと地図を示す。
「ちょ、ちょっと! 背中つつくのやめなさいよ! くすぐったいんですけど!」
話に加われないアリシアが一人もだえる。
「……むぅ。痛い思いをして地図が刻まれた本人が見れないなんて、とんだ欠陥設計だわ」
アリシアは頬をふくらませた。ユキチはにやりと笑って肩をすくめる。
「まぁ、そういう役割分担なんだろ。アリシアは地図の役、オレたちは案内係ってとこだな」
「……地図の役って、そんなのありえないんですけど」
「それにしても、海の上ですか、ここからは随分と遠いですが、何があるのでしょうね」
大司教も興味深げに地図を見る。
「アルドラが言うには、道しるべはあたしとともにあって、道はもう開かれてるらしいのよね」
アリシアは思い出すように言葉を繰り返す。
「ってことは、やっぱりその光ってる場所に行けばいいのかな?」
無造作にユキチがアリシアの背中の光っている部分に触れる。その瞬間――ピコン、と耳慣れた音とともに、目の前に“いつものメッセージ”が浮かび上がった。
――ここに移動しますか?――
「……うん? なぁ、みんな、このメッセージ見れる?」
ユキチがあたりを見渡す。 ギルもルイスも、そしてソーニャも首を振った。「見えないな」「何のことだ?」
「あぁ、そんな感じね……」
ユキチはため息をつく。
「ちょっと、一人で納得しないでよ! 何か出てるの?」
アリシアがわめきながら振り返る。
「なんかさ、おれがこの光るポイントに触れると、おれの地図の時みたいに、“ここに行きますか?”ってメッセージが出てくるんだ」
ユキチが説明する。
「え、それじゃあ“はい”って押せばいいんじゃないかな?」
アリシアの目が輝きだす。
「多分そうだけど……おまえ、その格好で行くのでいいの?」
ユキチが心配そうにアリシアの胸を見る。
「……やだ」
アリシアは自分がとんでもない衣装だったことを思い出し、再び耳まで真っ赤にして、胸を隠す。
「だよな」
ユキチは笑いながら頷く。
「とりあえず着替えて、色々準備しようぜ。この先に何があるかもわからないしな」
そう言うと、ユキチは迷わず“いいえ”を押した。メッセージがすっと消える。
「……まったく、心臓に悪いわね」
アリシアが立ち上がって服を整える。
「でも、あたしの背中に道しるべがあるなら、いつでも行けるわね」
「まぁな、ただ、行き先は海の真ん中だしな。準備は周到にしとくに越したことはない」
ギルが笑い、ルイスも腕を組んで頷いた。
――次の目的地は、アリシアの背中の刻印が示す海の上。何が待ち受けているのかもわからない。だがその“光の道しるべ”が、新たな冒険の始まりを告げているのは間違いなかった。




