第65話 マシュロ山
「着いたー!」
アリシアは車から降りると、両手を広げて伸びをする。近くの草原で前泊したこともあり、まだ太陽は登り始めたばかり。マシュロ山のふもとの街では朝食を終えた人たちが、活動をし始めている。
「ねぇ、ユキチ、朝ご飯食べさせてくれる場所、あるかな?」
「宿にも泊まってない奴に飯食わしてくれるとこなんてないだろ。おれたちみたいのがご飯にありつけるとしたら、せいぜい昼食からじゃないか」
ユキチは、身もふたもない台詞を吐く。そして目の前にそびえるマシュロ山を見上げる。その名前から、雪で真っ白に覆われた、ふわふわのマシュマロみたいな山を勝手に想像していたが、だが実際に見上げると、岩くれだらけの険しい山だった。
「……思ったより甘くなさそうだな」
「名前は甘そうなのにね」
アリシアも同じような感想だったようだ。
「さすがの車でも、この道は登れないわね」
その急勾配に怖気づいたルイスもつぶやく。すると、その後ろから不敵に笑うギル。
「ふふふ……車が山を登れない? 誰がそんなことを言ったかな?」
「え、まさか……」
「行くぞ、ラムネ! 登山モードだ!」
「なにそれ?」
アリシアとユキチ、そしてルイスが同時に声をあげる。ギルの合図と共に、車体の車輪部分がガコンと音を立てて格納され、代わりにゴトゴトと六本の金属の足が生えてきた。まるで巨大な昆虫のような異形のシルエットに、アリシアは目を丸くする。
「ひゃ、ひゃああ!? きもちわるっ!」
「おいおい、ゴキブリかよ……」
ユキチも顔をしかめる。
「はははは! この時のためにイリュシオンの最新技術を駆使して、車の駆動系を改造しておいたのだ!」
両手を挙げて胸を張るギル。
「ラムネの負荷はそのまま最低限に! 車輪ではなく六本足で急な坂道もガッチリ登れる! これぞ魔素工学の勝利!」
「……おまえさ、その研究成果、持ち出し禁止じゃなかったっけ?」
ユキチがジト目を向ける。
「バレなければ問題ない!」
ニカっと笑うギルに、ルイスが呆れた声をあげた。
「いやいや……あとで問題になっても知らないからね」
ガタガタ、車体が震えてラムネが不安を伝える。
「ま、まあまあ。とりあえず登れるんなら、今はそれでいいんじゃないかしら?」
アリシアは半ば諦め気味に笑いながら、変形した車に乗り込む。「やれやれ」とユキチ達もそれに続いた。こうして一行は、六脚で山をよじ登る異形の車に揺られながら、マシュロ山の入り口へと進んでいくのだった。
「なんじゃあ、ありゃあ!」
ふもとの街で畑仕事をしていた老人が、目をひんむいて叫んだ。
「カ、カニの化け物が山を登っておるぞ!」
「馬もつけてないのに馬車がガシャガシャ……虫みたいな足を生やして……!」
「神聖なマシュロ山を、クモの化け物が荒らしておるー!」
街の人々は大騒ぎになり、鍬や桶を手に持って車に立ちふさがる。
「すみませーん! これ、化け物じゃなくて、ただの乗り物でーす! 聖地巡礼中で、急いでるので通りますよー!」
アリシアが窓から身を乗り出し、両手を振って挨拶。街の人々はぽかんと口を開けて見送るしかなかった。――そして、異形の六脚車は山道を悠然と進んでいく。
「すごいなこれ……おれ、普通に荷物担いで登山するもんだと思ってたけど、こんな楽に登れるとは思わなかったぜ」
「本当に。ラムネ、無理してない? 世界樹の時はあたし一人だったけど、今回はこんなに人も荷物も多くて、大変そう……」
アリシアが心配そうに聞く。ぷる! 車内の床の下からラムネの声が聞こえた気がする。
「マシュロ山は標高二千五百メートル。なぁに、世界樹より低いから余裕さ!」
ラムネに代わって気楽に答えるギルに、ユキチが眉をひそめて外を見る。
「なんだかなぁ。でも、このペースなら昼過ぎには山頂に着きそうだな……ほんっとに情緒のない旅だぜ」
ユキチがぼやく。ガシャガシャと脚が地面を掴むたび、木々がものすごい勢いで後ろへ流れていく。
「それにしてもすごいな。こんなに動いてるのに、全然揺れないぞ」
「そうだろう! ギルムネのゴーレム操縦席で培ったバランス管理のノウハウに、イリュシオンの最先端の魔素工学と車両技術を詰め込んだんだ。もう少し時間があれば、空を飛ぶことだってできたんだがな」
ルイスの一言に、ギルは腕を組み、自慢げに語る。
「陸上はすごい速いし、海の上も走れるし、山まで登れれば……空飛べなくてもこの車、十分すごいよ」
アリシアも感動し、目を輝かせる。
「ま、確かにラムネに頑張ってもらっている点が多いのは確かだよ。アリシア、今まで通りラムネにはこまめに魔力を分けてやってくれよ」
「まかせておいて! ぜんぜんよゆー!」
アリシアは元気よく返事をすると、運転席の近くの床を「ガコン」と開けた。中では、せわしなくモーターを回すラムネ。ぷるぷると震えながら、何本ものケーブルを体内に取り込み、まるでエンジンのように動いている。
「ラムネ、がんばって!」
アリシアが応援の言葉と共に魔力を注ぎ込む。「ぷる!」ラムネは嬉しそうにふるえて、車はさらに加速する。そして――ガシャガシャと六本脚の異形車両は、ものの数時間で標高二五〇〇メートルのマシュロ山を一気に登り切った。
「……なんか」
山頂に到着した瞬間、ユキチが肩をすくめる。
「本当にあっという間だったな。いい景色なのに、何の感動もない」
本来なら、汗を流して息を切らし、景色を見て感動するはずの登山。おそらく今までの巡礼者はそのような体験を通じて、この山の神秘性を体感したに違いない。しかしユキチたちは、ただ座っていただけで到着してしまった。
「いいじゃない! 楽なんだから!」
アリシアはケロッとしている。こうして――便利すぎる文明の利器により、マシュロ山登山はあまりにあっけなく完了してしまったのだった。
アリシアたちの目の前には、白亜の建物がそびえ立っていた。荘厳な塔が天を突き、鐘楼が雲に伸びる。天空の神殿と呼ばれるのも頷ける。
「ここが……エーリス大神殿……!」
アリシアは感嘆の声を上げるが、その瞬間――。
「それ以上近づくな!」
周囲から鋭い声が響き、六脚の車の前に銀の槍が突きつけられる。数十人の衛兵が列を組み、一瞬で車を取り囲んだ。
「な、なになに!?」
突然の展開にアリシアは慌てふためく。
「敵襲か!?」
ユキチとルイスは同時に武器に手をかけ、身構える。
「落ち着け!」
ギルが片手を上げて制した。
「多分……この車の見た目がまずかったんだ。教会が警戒するのも無理はない」
そう言うと、ギルは悠然と車を降り、衛兵たちの前に立った。
「武器を下ろしてくれ。おれたちは巡礼者だ」
そう言うと、懐から冒険者証を取り出す。その声に、槍を構えていた衛兵たちがざわめく。
「……ギ、ギル?」
声を上げたのは、隊列の先頭に立っていた女性だった。銀の鎧に身を包み、鋭い眼光を宿したその姿は、一般兵ではなく、隊長格のオーラを放っている。
「ん? おお……ソーニャじゃないか! 久しぶりだな!」
ギルの顔にふっと笑みが浮かぶ。
「ずいぶん立派になって……。おまえ、もう隊長か!」
「……本当に、ギルなのね」
隊長――ソーニャの声は震えていた。偶然の知り合いとの再会に、ギルも心なしか嬉しそうだった。そんな甘酸っぱい雰囲気を察し、ニヤニヤし始めるアリシアとルイス。
「ねぇねぇ、この人、ギルのなんなのよ?」
下卑た笑いを浮かべながら肘でギルをつつくのだった。




