第63話 オルヴォアレル
「あー、昨日は食べすぎた……」
ユキチはベッドでごろごろと転がり、布団に顔を押し付けて呻いていた。
「ちょっと、ユキチ、大丈夫なの? これからグラスノヴァに行くんでしょ」
アリシアが腰に手を当てて覗き込む。
「だいじょう……ぶ。うぷ」
返事の最後に嫌な音が混じり、アリシアは慌てて飛び退いた。
「まったくだらしないなぁ」
「――頼む。大声を……出さないでくれ」
「アリシアはいつも元気……ね。――あんだけ食べて飲んだのに」
ギルとルイスもつらそうだ。
「本当にな。おまえの胃袋は鉄でできているんじゃないか」
ユキチもうらやましそうにつぶやく。
「ふふーん、できるシスターは胃も祈りで鍛えてるのよ!」
アリシアは胸を張って笑う。が、他の三人はそんなアリシアをうらやましそうに横目で見ながらベッドの端で呻いている。
「本当に、だらしない人たちですねー」
アリシアはラムネとルメールに話しかける。ぷる! キュイ! お酒を飲んでいないラムネとルメールはぴんぴんしており、むしろ朝からテンションが高い。
「はい! 出発するよ! 荷物もって、ほらほら!」
アリシアは寝ている三人を布団ごと引きはがす勢いで急かした。
「うぅ……おれ、今なら馬車にひかれても避けられる気がしねぇ」
「むしろ轢かれた方が楽かもしれん……」
「おまえら縁起でもないこと言うなよ」
そんなぼやきを交わしながら、ユキチたちはフラフラと宿をあとにする。外に出ると、朝の澄んだ空気が容赦なく胃に突き刺さる。そして、彼らを待っていた光景に思わず目を見張った。
「わぁ……」
「これは……」
朝の通りは声援で溢れていた。アリシアが手を振ると、子どもたちは騒ぎながら駆け寄り、酒場の常連や農夫たちも笑顔で見送る。ギルとルイスの名を呼ぶ声も交じる——先日の魔物退治で、彼らは街の英雄に。
人垣をかき分けて、族長とその息子が前に出てきた。族長は短く頭を下げ、息子は照れくさそうに目を逸らしている。
「もう、行かれるのですかな」
「はい。魔族がこれ以上好き勝手する前に、巡礼を終わらせなくてはいけませんから」
アリシアは堂々と答えた。その脇に立っていたユキチも族長に声をかける。
「族長、昨日はサイトーとこの首輪の話をしてくれて、ありがとう。もしサイトーがここにまた来ることがあったら、『ユキチがサイトーを探していた』と伝えてくれ」
それはユキチの心からの感謝と頼みだった。
「ああ、たしかに、承った」
そんなユキチの気持ちを汲んで、族長は大きくうなずく。続いて族長の息子が前に出て改めて頭を下げてきた。
「アニキ、アネゴ、ユキチさん、酒場では本当にすみませんでした」
息子の声は震えていた。昨夜の騒ぎを思い出すと顔が赤くなるが、それ以上に胸に刻まれたのは――街を守るための決意だったようだ。
「おれ、心を入れ替えて強くなります」
「うむ。強さはまず心から。精進しろよ。――次、もしもまた魔物が出たら、戦うのはおまえだからな。頑張れよ」
ギルが肩を叩くと、息子はこらえきれずに目を潤ませた。ユキチもルイスも、ギルに続いて背中を叩く。
「はい!」
息子は大きな声で返事をし、深々とお辞儀をする。
「では、気をつけてな。よい旅を」
族長がそう言うと、町の人々も拍手を送り、アリシアたちは満面の笑みで大げさに手を振りながら街並みを歩き出す。
「ありがとー! また来てくれよ!」
「英雄さまのお通りだ!」
「これ、旅のお供にもっていってくれよ!」
渡された両手いっぱいの荷物は、どうやら町の名物をぎゅうぎゅうに詰め込んだ差し入れらしい。
「こ、こんなにもらってどうするんだ……」
ギルが苦笑すると、ルイスが肩をすくめる。
「ま、アリシアが全部食べるんじゃない?」
「え、ほんとに? やったー!」
アリシアが目を輝かせた瞬間、ユキチがうらやましそうにつぶやく。
「お前は本当に……すごいな」
街中の笑顔と手を振る人々に見送られながら――いよいよアイレーンの街とも別れの時が近づく。
「じゃ、みなさん、ごきげんようー!」
アリシアが元気よく手を振る。
「ね、ギル、ごきげんようって、エルフ語でなんて言うの?」
「……オルヴォアレルだ」
「オルヴォアレル!」
真似して叫ぶアリシアに、通りのあちこちから「また来てね」の声が返ってくる。こうして一行は、荷物を積んだ車に乗り込んだ。車輪が軋む音の中、背後でまだ町の子どもたちが「天使様ー!」「また来てねー!」と叫んでいる。
「よし、ユキチ、行けるか?」
「……ああ。次の目標はグラスノヴァだな」
ユキチは懐から白地図を取り出し、真剣な表情になる。
「アリシアと旅した最初の場所だ。思い出深い場所だから場所はよく覚えているぜ」
「おいおい、おれと出会った場所って言ってくれよ」
ギルが拗ねたように口を尖らせる。
「……あんときはおまえ、操られて敵だったじゃないか。ラムネも」
「……」
シュンと肩を落とすギル。ぷるぷる。ラムネが小さく震えながら「ぼくじゃない」と必死に抗議しているようだ。
「あはは、そうだな。わるいわるい。――じゃ、行くぞ」
少し意地悪だったかと謝るユキチ。そして、あたらめて白地図を広げ、グラスノヴァの郊外のあたりを指先で触る。
――ここに行きますか?――
地図の上に質問が表示され、そのまま「はい」のボタンを押す。その瞬間、ユキチは大量魔力が吸い出されていくのを感じた。
「……ぐぅ」
この感覚は二度目でもきつい。ユキチの額には玉のような汗がにじんでいた。外の景色がゆがみ、車全体が光に包まれる。次の瞬間――ぱっと光が弾け、景色が変わる。
「……ここは……」
アリシアが声を上げる。 そこに広がっていたのは、どこまでも続く緑の草原と、遠くに見える懐かしい建物。――今としてはなつかしい、グラスノヴァの街が目の前にあった。
魔族のリリアをうまい具合に懐柔し、無事4個目の刻印を得たアリシア。
最後の刻印を受けるため、最後の地、雪のゼルギウス大陸を目指す。
そして刻印が5つ揃ったとき、衝撃の世界がアリシアたちの前に広がる。
「——ようこそ。ソーマプロジェクトの観測所へ」
次章、『ソーマプロジェクト』
お楽しみに!




