第58話 リリア=バーミリオン
アイレーンの街が混乱する一方、そのはるか上空にある世界樹頂上の聖堂では、紅眼金髪ロングの美女が下着姿のアリシアに、礼儀正しくスカートを広げて会釈する。
「私の名前はリリア。由緒正しきバーミリオン家の長女ですわ」
「バーミリオン家? ごめん。知らない」
アリシアは首をかしげる。
「知らなくてもいいんだよ、君は貧相な胸をさらけ出したまま死ぬんだから」
リリアはゆらりと立ち上がり、背後に黒い炎のような魔力をまとった。
「貧相って、失礼ね! 成長期はこれからよ! それより、ちょっと待って。あんたも、魔族よね? ちょくちょく狙われるんだけど、勘弁してほしいわ。あたしを殺しても何もならないよ」
アリシアは両手を広げておどけしつつも、挑発的な笑みを浮かべる。
「いや、だって君は聖女だろ?」
「リュートってやつにも言ったけど、あたしは聖女じゃないよ」
「……君はリュートに会ったのかい?」
リュートの名前を聞いて、リリアの目が細められる。
「会ったわよ。――速攻で殺されそうになったわ」
「……は?」
リリアは驚愕し、そして笑みを浮かべる。
「すごいね、きみ。リュートと会って生きてるなんて。どうやったんだい?」
「必死に逃げただけよ」
アリシアは肩をすくめてみせる。
「あいつから逃げる? 人間にそんなことできるとは思えないけどな。……あぁ、なるほど」
リリアは自分で答えにたどりついたように指を鳴らした。
「やっぱり君、何か持ってるんだろう? 聖女の力か、それに準ずる何かを。だからリュートに目をつけられても、こうして逃げ延びてる」
アリシアは黙ったまま。強がっているが、背中には冷や汗。
「面白いね。じゃあ、試してみようか? 本当に聖女じゃないのかどうか」
リリアの身体に魔力が集まる。
「あんたはそのリュートの手下なの?」
アリシアは身構えつつも、会話を続ける。
「私? 私があいつの配下だなんて、勘弁して。由緒正しきバーミリオン家の末裔ですもの。支配することはあっても、されることはないわ。今は日々、魔王になることを目指して修行中よ!」
リリアは胸を張り、堂々と宣言する。
「いいわね! あたし、応援しちゃう。リリアはあのリュートってやつより全然話しやすいもの」
アリシアは思わず素直な感想を口にする。
「……あなた、何を勘違いしているのか知らないけど、わたしは人間の敵よ?」
「それ! 気になってたんだけど、なんで魔族は人間を襲うの?」
「どうしてかって? そんなの歴史を見れば明らかじゃない」
リリアは肩をすくめる。
「人間こそ、なぜ魔族を殺すの?」
「え? それは、殺されるのが嫌だからよ」
「魔族も同じよ。名君と言われた先代魔王様を殺された恨みは深いわよ」
「そんなことを言われても……何百年前の話よ。あたし産まれてないからわからないわよ」
「人間にとっては昔でもね、あたしたちにとっては少し前なのよ」
リリアの瞳には、憎しみとも悲しみともつかぬ色が宿っていた。
「分かったわ! 人間も魔族も殺されたくないから殺し合ってる。そして大元の理由はお互いもうよくわからない。そういうことね」
「……ざっくりまとめるとそういうことね。人間が滅べばすべて解決する問題だとは思うけど」
リリアが笑う。だがその笑みは冷たい。
「その前に、話し合いでわだかまりを解決できないかしら?」
だが、アリシアの心は折れない。
「無理だね。そんな話、聞いたことない」
リリアは即答。アリシアはしばし黙りこむ。けれど目は逸らさず、リリアをまっすぐに見据えていた。
「だったら……あたしが最初にやってみせるわ。魔族とも、人間とも、話して笑ってご飯を食べられる世界に」
リリアの表情が一瞬だけ揺らぐ。だが次の瞬間、彼女の足元で黒いオーラが渦巻く。
「……口で言うのは簡単よ。だけど、それがどれほど無謀なことか、思い知らせてあげる!」
「あら、バーミリオン家の人間はやる前からあきらめちゃうんだ。情けない」
アリシアがにやりと笑う。
「貴様……! 私だけでなく我が家名を穢すとは、……許さんぞ!」
リリアの魔力がさらに膨れあがる。
「穢してるのはあたしじゃなくて、あなただけどね」
挑発するアリシア。
「きさまーっ! 殺す!」
「はいはい。議論じゃ勝てないから暴力をふるう。それが魔族のやり方って訳ね。やりたかったら、やったらー?」
リリアは歯ぎしりをしながら一歩前へ出る。
「ぐぬぬぬぬ……この、……パンイチで教会を歩き回る露出狂のクセに!」
「はいはい。論点をずらして、少しでも優位に立とうって寸法ね。口喧嘩が上手ですねー。えらいえらい」
「うぬぬぬぬ……生意気な口を……!」
アリシアはとことん口で挑発する。家名を大事にする人は、言葉に縛られる。リリアの頬は怒りで赤く染まり、握った拳が震える。
アリシアは真顔に戻り、リリアに語り掛ける。
「あなたと話して分かったの。あたしは魔族と人間のくだらない戦いをやめさせたい。魔王だから人間を滅ぼすとか、勇者だから魔王を殺すとか、そういった誰かが決めたルールに縛られたくないの」
「……面白い。だがな」
リリアは低く笑う。
「いくらおまえが友好を叫ぼうが、この流れは変わらんぞ。血と怨嗟の歴史は、簡単に消えない」
「そうやって変に達観してあきらめるのがやだって言ってるの。わからないかな」
アリシアの目には強い光が宿っている。
「ふん……理想論者め」
「理想論で結構。あたしもすぐになるとは思ってないわよ。でもね……誰かが最初に始めないと、ずっと変わらないままじゃない!」
リリアの表情がわずかに揺れる。顔に迷いが走る。
「だからまずは、あたしとあなた、友達になるところから始めてみない?」
アリシアはにこっと笑って手を差し伸べる。
「はははは! 友達だと? 私が? 人間と?」
リリアは嘲笑うが、その目の奥に戸惑いがちらりと浮かんでいた。
「私は本気よ」
「……ええい。おまえと話していると頭が痛くなる。やっぱり死ね!」
リリアの右手に黒い霧が集まる。霧は生き物のようにうねり、アリシアを包み込もうと迫る。
「これは……魔王の影? あなたが操っていたの?」
アリシアが思わずつぶやく。
「あははは、そうさ。この霧は我がバーミリオン家の秘技――ファントムサーヴァント!」
リリアは誇らしげに告げる。だが次の瞬間、顔色が変わった。
「……って、今、なんて言った? 魔王の影?」
「ええ。あたしたちの教会に保管されていた古代文書にはそう記されてたわ」
「……そうか……カッコいい呼び名だな。おそらく、わが先祖が魔王だった時に使った技が記録されていたのだろうな」
リリアの声に一瞬の誇りが滲む。
「そうなのね。ちなみに――あたしにその技は効かないわ」
アリシアは右手を掲げ、ずっと光りっぱなしの刻印に意識を集中して呪文を唱えるリュートの時には中断させられたが、自分の意思で唱える呪文。刻印が光っている今なら使えるはずだ。
「ズ=ッハグ・ネ゛ェル=トクァ、ヒ゜シ・ュル=ァォ、グ、グルゥヴ=ァ=ル=ググル……」
(刻印の向こう側の人、あたしに力を――貸して)
「コォ・ナラ゛=ピシィ=ラフ、クァ=ァム・ルゥゥゥ・ズバグ、エ=シャグ=ク・チョワ=ンォ……」
呪文を唱え終わると、まばゆい閃光が広がり、黒い霧は一瞬で晴れ渡った。
「な、なんだと……! まさか、そんな……」
リリアの目が見開かれ、膝が揺れる。
「これでは……戦えぬ。私の負けだ。殺すがよい」
アリシアは静かに首を振った。
「だからあたしは、あんたと友達になりたいんだって」
「……本気なのか? 魔族と?」
「最初からそう言ってるじゃない」
リリアはしばし黙り込み、やがてぽつりとつぶやいた。
「……馬鹿げてる。だが……そんなことを言う人間がいるとは。本当に面白いやつだな。おまえ、名前は?」
リリアが腕を組み、アリシアを見据える。
「あれ? まだ名乗ってなかったっけ? アリシアよ」
「そうか、アリシア……」
リリアはふっと口角を上げた。
「今日のところは貸しにしておこう。慣れ合う気はないが、敗者は勝者に従うのが我が家の掟だ」
アリシアが目を瞬かせる間に、リリアは足元に黒い霧を作り出す。
「だが気をつけろよ。魔族はあたしみたいのは少ないからな」
「ありがとう」
アリシアは素直に礼を言う。
「じゃあな……まぁ、元気で」
リリアは背を向けて軽く手を振る。その姿は迷っているように見えた。黒い霧と共に消えていくリリアをアリシアはただ見送る。
「……リリアと友達になったってことでいいんだよね」
そう小さくつぶやいた声は、去りゆくリリアには届かなかった。いつの間にか外の風もやみ、世界樹の頂上に静寂が戻ってきた。
「へっくし!」
ずっと寒い恰好だったアリシアはくしゃみをする。リリアと戦闘になったらいつでも参戦できるように椅子の影に隠れていたラムネが、そっと近づいて服をアリシアに渡す。
「ありがと。ラムネ。魔族にも色々いるのね。リリアもラムネみたいに友達になれそうでうれしいわ」
服を着ながら満面の笑みで大司教に駆け寄る。そう。まだ、祈祷の途中だったのだ。




