第57話 魔物襲来
ユキチたちが石畳の街路を歩いていると、さっきまで穏やかだった空模様が、じわじわとかげる。昼下がりのはずなのに、まるで夕暮れが急に押し寄せてきたかのように光が弱まる。
「……雨が降るのかな」
「一旦宿に戻るか、それとも酒場で時間をつぶすか」
ギルが言うと、ルイスが肩をすくめる。
「酒場に行ったら、結局また騒ぎになるんじゃないかな。ここは素直に宿屋にもどろう」
そんな話をしていると、空が急に暗くなる。雲が渦を巻くように広がり、昼だというのに、街の灯火が必要だ。その時だった、石畳の向こうから、一人の人影がこちらに駆けてくる。衣擦れの音とともに、見覚えのある白衣――大神殿の神官だった。
「よかった……! みなさま、ここにいらしたのですね!」
息を切らしながら、神官は頭を下げる。
「今すぐ神殿に来ていただけますか?」
「どうしたんだ?」
ギルが前に出て問いかける。神官は息を整えながら険しい表情で答えた。
「アリシア様の安全を見守る“使い魔”と、急に連絡が取れなくなったのです。世界樹の加護下でこのようなことが起きることはあり得ません。なにかたいへんな異常が起きている可能性が高いのです」
「なんだって……」
ユキチが誰に言うともなく、つぶやく。
「詳しいことは神殿で。とにかく急いでください!」
一行は足を速めて大神殿へと向かう。街の人々も異変を感じたのか、皆、家路を急ぎ、広場や露店はあっという間に閑散としていった。大神殿の坂道を駆け上がる途中、ユキチがふと顔を上げる。天を貫くように伸びる世界樹の巨幹――だが、その上部はもう黒雲に呑まれて見えなくなっていた。
「アリシア、無事でいてくれよ……」
ユキチの声は、まるで胸騒ぎを押し殺すように震えていた。暗雲は今はただ、上空を渦巻いているだけだが、妙な重圧を感じる。
「あの雲……もしかして――」
ルイスのつぶやきに、誰も答えなかった。だが、誰もが同じ予感を抱く。そしてその感覚は正しかったとすぐに思い知らされる。――街の外から警鐘がけたたましく鳴り響いた。
「ヌ・グランド・オルド・ドゥ・モンストル・アリーヴ!」
「オム、プレパレ・ル・コンバ! ファム・ゼ・アンファン、レフュジエ・ヴ・ダンス・ル・トンブル!」
怒号と悲鳴が入り混じり、街全体が一気に混乱に包まれる。武装した兵士たちが道を駆け抜け、母親が子を抱えて大神殿へ走る姿が目に飛び込む。
「これは……どう考えても魔族だよな」
ユキチの低い声に、ギルが頷く。
「あぁ。違いない。この雲、考えたくないが、魔王の影の塊じゃないか?」
ルイスが振り返り、ユキチに視線を送った。
「アリシアが危ない。ユキチ、ギル、世界樹を登ってアリシアの様子を見に行ってくれるか? あたしはそういう軽業は得意じゃないからな。ここで街を守るよ」
そう言うと、ルイスはためらわず広場に展開し始めた兵たちの中へ加わる。その迅速な判断に、二人は取り残されそうになる。
「おれもこっちに残ろう」
ギルが低く言う。
「以前この木を登った時は3日かかった。どんなに頑張っても2日はかかってしまうだろう。流石にそれでは間に合わん。ユキチ、アリシアのことは任せたぞ」
「……わかった」
ユキチはうなずく。
「無理はするなよ」
「おまえもな」
短い言葉に、互いの信頼が詰まっていた。そして三人はそれぞれの役割に散った。ユキチはアリシアを守るため、世界樹の頂上へ。ギルとルイスは街を防衛する前線へ。街の上空では、黒々とした雲が不気味にうごめいていた。
「おーい……通してくれー」
広場では、鎧を着込んだエルフの戦士たちが整列し、指揮官らしき男が次々と指示を飛ばしていた。
「ランフォルセ・ラ・デフォンス・ドゥ・ラ・ポルト・エスト! ラ・トループ・マジック、ドレスェ・ユヌ・バリエール・ル・ロン・ドゥ・ラ・フォレ!」
その声に負けじとルイスが近づき、声をかける。
「助太刀しよう!」
振り返った指揮官は、鋭い目つきでルイスを睨んだ。
「ファム、エヴァキュエ!」
「あ、そうか。エルフ語しか通じないのか……」
ルイスが小声でつぶやく。
「チュ・ヌ・コンプラン・パ? イシ、セ・ダンジュルー!」
指揮官が手を振り払うように叫ぶ。ルイスは何を言っているのかはわからなかったが、追い払おうとしているのは明白だった。ギルが後ろから追いついて、改めて流暢なエルフ語で応援を申し出る。
「ヴァイ・テデイル!」
「エイドレル? ヌ・ナヴォン・パ・ブズワン・ドゥ・レード・デトランジェ。 ラルブル・モンド、ヌ・ル・デフォンドロン・ドゥ・ノ・プロープル・マン。 レ・デトランジェ・ヌ・フォン・ク・ジェネ、レステ・ア・レカル」
指揮官は鼻で笑うが、その言葉が終わるや否や――ギルは無言で広場の中央にある銅像に歩み寄った。歴史的な英雄の銅像は、分厚い青銅でできている。
「エクスキュゼ・モワ・アンナンスタン」
軽く拳を握り、次の瞬間――
バギィィィンッ!!
轟音とともに銅像の胴体が砕け散り、破片が四方に飛び散った。広場が一瞬、静まり返る。
「……レード、エス・ネセセール?」
ギルが涼しい顔で、再び問いかける。指揮官は一瞬絶句したが、やがて苦虫を噛み潰したように言った。
「……トレス・ビエル。ラ・デフォンス・デュ・ノール・エ・フェーブル。アレ・シャセ・レ・モンストル・キ・スィ・ラスサンブル!」
この回答に満足そうにうなずくギル。
「良し、行くぞ。おれたちの受け持ちはあっちだ」
ギルがルイスに北への道を指さす。
「どうしたんだ?」
走りながらルイスが問う。
「いや、よそ者を信用できるかどうかって顔してたから、ちょっと力を見せてやっただけさ」
「そういうことか」
ルイスはにやりと笑った。
「まぁ、下手に足並み揃えるより、分業した方が効率的だな。とっととノルマ片付けて、他の奴らの持ち分まで奪ってやるとするか!」
その時、北の森から耳障りな叫び声が響いた。黒い影が木々の間を埋め尽くし、地面を踏み砕きながらこちらへ迫ってくる。街の外れに近づくにつれ、地面を伝う振動はどんどん大きくなった。まるで大地そのものが怒りに震えているように。
「……これは、またずいぶんと数が多そうだな」
ギルが腕まくりをして拳を握る。
「ゴブリンの集団とかでないことを祈ろう」
ルイスは愛用の大剣を抜き、肩に担ぐ。――だが、森を割って現れたのは小型の魔物ではなかく、角を持つ巨体――。
「ミノタウロス……!」
黒い毛に覆われた体躯は三メートルを超え、右手には木ごと引き抜いたような丸太を棍棒のように構えている。しかも一体や二体ではない。群れを成して、地響きを立てながらこちらに迫ってきていた。
「コイツはコイツで……厄介そうな相手だな」
ルイスが苦笑混じりに呟く。
「あぁ。だがデカブツの方が的がでかくて戦いやすいぜ」
ギルは拳を軽く打ち鳴らし、前へ出た。
「ふふ。違いない」
二人は一瞬だけ笑い合うと――次の瞬間、爆発するような踏み込みで前線へと突っ込んだ。ルイスの大剣が唸りを上げ、丸太を振り下ろそうとしたミノタウロスの腕ごとへし折る。ギルの拳は巨躯の胸板を打ち抜き、衝撃で後方の仲間まで巻き込んで薙ぎ倒す。
「ははっ! 手加減しなくていいのは、気が楽でいい」
「おう! 修行の成果、存分に試せるってもんだ」
次々と迫る巨体を迎え撃ちながら、二人は血と汗にまみれた戦場で、むしろ楽しげに叫んだ。街の人々にとっては恐怖の象徴であるミノタウロスの大群――だがギルとルイスにとっては、むしろ力を開放する最高の的だった。そしてそれを見て、恐れをなすエルフの兵隊たち。
「イシ、セ・ボン。ヴ、アレ・デフォンドル・アン・ノートル・アンドロワ」
ギルはそう言うと、また、ミノタウロスの群れに飛びこみ、肉片づくりに没頭する。




