第54話 世界樹の試練
「流石、世界樹というだけあって、でかさが半端ないわね。樹皮の裂け目でも普通に人が入れる大きさだし」
アリシアは、ラムネを着た状態で木を登っていた。ゴーレム化の応用だ。岩をまとうのではなく、ラムネがアリシアに貼りつき、やさしく包み込む。
裂け目は縦にまっすぐ走っていて、天然の梯子のように足場が続いている。ところどころ苔がついていて滑りやすいが、ラムネがそこにぴったり吸着してくれるため、足を滑らせて落下する心配はなさそうだ。
「ラムネ、本当に助かるわ。あなたは最高のクライミングパートナーね!」
アリシアが笑いかけると、ラムネはぷるぷると震えて返事をした。木の中を吹き抜ける風はひんやりして心地よく、遠くで鳥の鳴き声が反響している。下を見下ろすと、アイレーンの街並みどころか、周囲の森や山々までがすでに小さく見えるほどの高さになっていた。
「今、どのくらいの高さかしら。結構登ったはずだけど……って、まだまだ先は長そうね」
見上げたアリシアの視界には、さらに天へと伸びる果てしない幹がそびえ立っていた。
「負けてたまるか! 行くわよラムネ!」
アリシアは気合を入れなおして、また登り始める。アリシアは幼少のころから木登りが得意だった。枝を探し、幹に体を預け、身軽にするすると登っていく――そんな動作は彼女にとって呼吸のようなものだ。それに加え、今はその動きにラムネが補助を加えていた。彼女が腕を伸ばすより先に、スライムの腕が裂け目の奥の出っ張りをがっしりと掴む。脚に巻き付いた部分はぴたりと張力を生み出し、しっかりとしたホールド感を与える。その結果、アリシアは通常の倍以上、いや、それ以上の速さで、世界樹を登っていくのだった。
世界樹にペグを打ち込めむことが禁止されているため、普通なら命綱をどのようにかけるかが悩みどころになってくるのだが、ラムネがいればそんな心配はいらない。
「ふふっ……何このスピード。超楽しい!」
アリシアが笑うと、ラムネは誇らしげにぷるぷると震えた。そして二人は、地上からすでに数百メートルの高さを越え、さらに上層へと挑んでいくのだった。
「すごい……。地平線が見えるよ、ラムネ」
アリシアは胸の奥がぞわりとする感覚を覚えながら、遠くを見る。遥か彼方に広がるのは緑の海原。雲の切れ間から差す光が、まるで地図の上に影を落としたみたいに森を染めている。
「ユキチたちも、連れてきたかったな……」
思わずこぼれた言葉に、胸の奥が締め付けられる。でもすぐに、笑って顔を上げた。
「巡礼が終わったら、今度は試練と関係なしに、みんなで来ようね」
ぷる! ラムネも大賛成。アリシアは意識を切り替えると、またもくもくと登り始める。しばらくは枝もなく、単調で体力を消耗しやすい区間が続くようだ。ただただ真っ直ぐに続く樹皮の壁。世界樹の試練は、始まったばかりだ。
――一方その頃、ユキチたちは大神官に紹介されたエルフの宿屋に到着していた。
「ビヤンヴネル!」
木造の建物の扉を開けると、宿屋のおかみさんが大きな声で迎えてくれる。店内は木の香りに満ち、暖炉の火が心地よく揺れていた。
「……エルフ語はわからないけど、ようこそって言われてるよな。なぁギル、エルフ語でなんて返事したらいい?」
ユキチがギルの袖をつつく。
「『スュイ・アエル・ヴォトレル・ソワニエル』って言ってみな。こっちの言葉で『よろしくお願いします』って意味だ」
「なが! えっと、……スュイ・アエル・ヴォトレル・……ソワニエル!」
ユキチとルイスがそろって頭を下げる。
「おぉ、よくできたじゃないか」
ギルが笑う。おかみさんもうれしそうに、「オラ、オラ」と言って部屋に案内する。
「それにしても、ギルはすげぇな。エルフ語も話せるなんて」
ユキチは心から感心する。
「以前、聖地巡礼でここを訪れたときに覚えたのさ。あんときは言葉が通じなくて、本当に困ったよ」
「その時はひとり旅だったのかい?」
ルイスもギルの冒険に興味津々。
「あぁ。自分の力でどこまで行けるか試してみたいって思ったんだ。若かったのさ」
ギルはどこか遠い目をする。
「で、ついた名前が――断罪旋風ってわけか」
ユキチがニヤリとする。
「やめてくれ、それも若気の至りだよ」
ギルは頭をかきながら、照れくさそうに笑った。
「じゃあ、早速街並み見に行こうぜ!」
ユキチがベッドに荷物を放り投げながら声を弾ませる。
「地図を見ると、おれは昔ここに来たことあるみたいなんだけど……全然記憶がないんだよな」
「いいぜ。エルフの街観光としゃれこもうか」
ギルが腕を組んでうなずく。
「ただ一点、注意点」
ギルが人差し指を立てて皆を見回す。
「「立ち入り禁止のところには入らない!」」
ユキチとルイスの声がハモる。
「まぁ、一番心配なアリシアがいないから、大丈夫だとは思うが……」
ギルが頷きながら苦笑する。
「じゃ、出発!」
ユキチが元気よく扉を開けると、外には木々の枝を編み込んで作られた美しい街並みが広がっていた。木の上に吊られた家々、宙に浮かぶように繋がる橋、光の粒が舞う幻想的な景色。そして目の前に世界樹がどっしりとそびえ立っていた。
「アリシア、今どのへんかな」
ユキチが眩しそうに世界樹を見上げる。
「うーん……よく見えないな」
ルイスが首をひねる。
「ルメール、分かるか?」
「キュウ」ルイスの頭の上で、ルメールが首を振った。
「ひょっとすると、ずいぶん高いとこまで行ってるのかもな」
ギルも目を凝らすがよく見えない。実際には、樹皮のヒビの中を登っていたので、影に隠れて地表からは判別できない状態だった。
「アリシア、そういえば弁当持ってったっけ? 不安になってきた」
ルイスがふとつぶやく。
「ははっ、あいつがそんなへまするかよ。特に食事に関しては信頼できる女だぜ」
ユキチが即答した。 案の定――そのころアリシアは、ラムネを椅子とテーブル代わりにしながら、絶景を眺めて少し早めの昼食を食べていた。もちろん、ラムネに魔力を流し込むことも忘れない。
「やばい。空の上で食べるご飯、最高。癖になっちゃう……」
地下研究所でもらったサンドイッチをかじり、頬を緩める。――ん? ふと、遠くに大きな黒い雲がむくむくと沸き立っているのが目に入った。
「なんか嫌な感じね。とっとと上っちゃいましょうか」
ぷる! ラムネが力強く震えて応えると、すぐさまテーブルを解除。まだサンドイッチを頬張っているアリシアを引っ張りながら、ラムネがアリシアを持ち上げる形で裂け目を一気に駆け上がっていく。
「おほー、らくちんらくちん……」
アリシアはぐんぐん流れる景色を見ながら、ラムネに身をゆだねた。はるか彼方にあったと思っていた世界樹の枝が、いつの間にか頭上に迫ってきていて思わず手を挙げる。そして彼女はふと、両手の甲に浮かぶ刻印を見つめながらつぶやいた。
「……今度はどこに刻印を押されるのかな」
残っているのは胸と背中。どちらも心臓に近く、考えるだけで胸がざわつく。熱さと痛みの記憶もよみがえり、少しだけ怖くなる。ニシムラはあの時に聞こえる声の主を「上の世界」と言っていたけれど……。あの声の人とも、いつか会話できるようになるのだろうか。
――私はあなたと共にいる。
あの言葉が、今も鮮やかによみがえる。今もどこかで自分を見ているのだろうか。
「会いに行くね」
誰に向けてでもなく、アリシアは刻印に向かってぽつりとつぶやいた。




