第53話 アウラリエ大神殿
街中を歩くと、エルフたちのひそひそ声が耳に入ってくる。
「ユマン……エ・モンストル?」
「ヴェウル・ク・チュ・パルテル・ヴィトレル…… 」
アリシアには言葉の意味は分からなかったが、その冷たい視線は、背中に突き刺さるようだった。
「なんだか感じ悪いな」
ユキチがぼそっとつぶやく。
「アイレーンのエルフたちは特に閉鎖的だからな。しょうがない」
ギルが肩をすくめる。
「世界樹を守るという使命を数百年、頑なに守ってきた人たちだ。極端な文明の発展を良しとしないから、外の世界の刺激は歓迎しないのさ」
「でも、あたしたちただの巡礼者よ? そんなに警戒することないじゃない」
アリシアが小声で返す。
「姿だけ見れば、オレなんてどう見ても怪しい部類だろうさ」
ユキチは鼻で笑った。
「そういう意味ではわたしもだな」
ルイスも居心地悪さを感じているようだが、こういうことに慣れているのだろう。意に介していない。
「まぁ、彼らにとっては“変化”そのものが恐怖なんだろう」
ギルは淡々と言う。
「確かに、こんな閉鎖的な環境でずっと暮らしてきたなら、異物は全部毒に見えてもおかしくはないな」
それはつまり、悪意として牙をむく可能性もあるということだ。ユキチはエルフたちの反応に納得しながら、周囲を警戒するように見回した。
「……でもさ、"世界樹を守る"なんて、ちょっとかっこいいわね」
アリシアは相変わらず能天気に、羨ましげに呟いた。
「そうかね。その代償に自由が奪われるというのなら、おれはごめんだね」
ユキチが肩をすくめる。そんなやり取りの最中、遠くにそびえる巨大な樹木が目に入る。街のどこからでも見える、世界樹の神々しい姿。これは確かに、なにかを犠牲にしてでも守りたくなる人が出てくるのも頷ける。
「それにしてもこのにおい……」
アリシアが鼻をひくひくさせる。
「ねぇ、あの屋台で焼いてるの何かしら? キノコ?」
香ばしい匂いとともに、鉄板の上でじゅうじゅう音を立てる茶色い食材。
「ああ、森で採れる大きなキノコだな。エルフたちは薬草や茸に詳しいから、食材も多彩なんだ」
ギルが説明する。
「エルフのご飯は健康的ってよく聞くけど……本当にそうなのかしらね。絵本でしか知らない世界だわ」
アリシアは目を輝かせる。
「おい、あっちではバッタを揚げてるぞ」
ユキチが指さす。
「ユキチ、あれはイナゴだ。貴重なたんぱく質だぞ」
ルイスが真面目に補足する。
「ふーん。植物を食べるだけじゃないんだ」
ユキチはイナゴが順々に油で揚げられている調理をじっと見つめる。
「イナゴの佃煮は甘辛くてうまいんだぞ。食べてみるか?」
ギルがにやりと笑う。
「えぇー……昆虫はちょっと……」
アリシアが一歩引く。
「あたしも……」
ルイスも珍しく好き嫌いを言う。
「まぁ、栄養はあるんだろうけどな。見た目が完全に虫なんだよ、虫」
ユキチがため息をついた。だがその横で、エルフの子どもたちが串に刺さったイナゴを嬉しそうにかじっている。郷に入ったら、郷に従え……か。
大聖堂は、なんと世界樹の麓にある巨大なウロの中に建てられていた。樹皮の奥に広がる空間は、自然と建築が溶け合った荘厳な造りで、まるで森そのものが祈りの場となっているようだった。
「ようこそおいでなさいました。巡礼者のみなさま」
奥に立つ神官が一行を迎える。その声は澄んでいて、ホールの中でよく響く。
「おお! 言葉が……通じる」
アリシアとユキチが安心して胸をなでおろす。
「初めまして。あたしは巡礼者アリシア。グラスノヴァから参りました。後ろに控えているのはあたしの従者たちです」
アリシアは胸に手を当てて一礼。それに合わせて、ギルを筆頭に他の面々も深く頭を下げた。
「長い旅路、今日はさぞお疲れでしょう。宿を用意しますので、ゆっくりお休みください──え? 疲れてない?」
「元気です!」ねぎらいの言葉を制止するアリシアを見て、神官が首をかしげる。と、ギルが神官に近づいて事情を説明する。
「実は──」聖女と呼ばれたアリシアのこと、魔族に追われていること、猶予があまりないこと。端的に語られた言葉に、神官の眉がぴくりと動いた。
「聖女……? 魔族……?」その声は、にわかには信じがたいという響きを帯びている。だがギルの目を見て、冗談ではないと理解する。
「……本来ならば大司教様の了承を得てから試練を執り行うところですが、時間がないということであれば──」
アリシアの顔をまっすぐに見つめ、神官は問いかける。
「このまま試練を受けられますかな?――ここ、アウラリエ大神殿の試練は単純明快。世界樹の頂上までお上りください。そこに大司教様がおりますので、大司教様より刻印を授かってください」
大神殿を一旦出て、神官と一緒に世界樹の登り口まで歩く。一同は上を仰ぐ。枝葉に隠れてその先は見えないが、そびえ立つ世界樹は半端な山よりもなお高い。
「え、この木を登るの? 上まで?」
アリシアが素っ頓狂な声を上げる。
「はい。でも、ご安心ください。途中に我らの使い魔である鳥を配置しておきます。何かあれば、この鳥に話しかけてくだされば、すぐに救助に向かいましょう」
神官の方には、白い小鳥。首に小さな紐で鈴が結ばれていて、ちりんと澄んだ音を鳴らす。
「まぁ、ちょっとした山登りだと思えばいいさ」
ユキチが肩を回す。
「山より高そうなんだけど……」
アリシアがぼやく。
「試練ということは……やっぱり、一人で登るのよね」
アリシアが不安げに確認する。
「はい。ただ、あまりにも試練が厳しすぎるという意見が多く、今では一人だけ従者をつけることが許されています」
神官が淡々と答える。
「多少お金はかかりますが、当教会のベテラン随行者を雇うこともできますよ」
(エルフの割には、なんとも下世話なシステムだな)
ユキチがギルに小声でつぶやく。
(数少ない外貨を稼ぐチャンスですからね)
ギルも苦笑する。
「ありがとう。でも、あたしの従者も優秀だから問題ないわ」
アリシアが胸を張って後ろを振り返って皆を見る。
「ちなみに、登るにあたってルールはあるのかしら?」
「ルールは一つだけ。――世界樹を傷つけてはいけません。それだけです」
神官の声が低く響く。
「あと、これはアドバイスですが、途中にいくつか休憩ポイントはありますが、飲食は現地調達はできないと思っておいた方がよいでしょう。つまり、時間をかけてしまうと、飲み物がなくなって詰む方が多いです。世界樹を登るスピードと持っていく荷物の量。このバランスが大事になってきます」
「ふむ……つまり腹ごしらえは今のうちに、ってことね」
アリシアの瞳がきらりと光る。「さっき地下研究室で食べたばっかじゃねぇかよ」とユキチが呆れる。神官は続ける。
「あと、もう一つ注意点を。――世界樹の周囲は魔素が非常に薄いので、魔法は効果が著しく下がります。昔、忠告を聞かずに飛翔魔法でひとっとびしようとした巡礼者が、その途中で墜落死する痛ましい事件がありましたのでお気をつけください」
その場に、一瞬重い沈黙が落ちる。
「……ま、ズルはいけないよってことだな。アリシア、誰を従者にする?」
ルイスが腕を組んで言う。
「――なんか今まで受けた試練の中で、一番ワイルドね……。やってやろうじゃない! じゃあ……ラムネ。従者をお願いできるかしら?」
「ぷるっ!」アリシアの呼びかけに、ラムネがうれしそうに弾んだ。
てっきり自分が選ばれると思っていたユキチとギルは、同時にがっくりと肩を落とす。「おいおい、ここはおれの出番だろ……」「いやいや、頼れるのはおれだと思ったんだがな……」しばし落胆するが、二人は顔を見合わせて肩を組む。「まぁ、ラムネなら……しょうがないか」「うむ。ラムネなら悪くない選択だ」
一方で、神官は目を丸くして声を失っていた。「え、スライムが……?試練の従者……?」怪訝な顔をどうにか隠そうとするが、動揺の色は隠しきれない。
「じゃ、行ってきます」
そんな神官を気にせず、アリシアは抱きかかえていたルメールをルイスに預ける。
「アリシア、気を付けるんだよ」
なんだかお母さんみたいなルイス。アリシアをぎゅっと抱きしめる。
「おれたちは先に宿に行って、うまいもんを調べておくよ」
ユキチが片手を上げて答える。
「抜け駆けは禁止だからね!」
アリシアが釘をさす。
「気が向いたらな。ラムネ、よろしく頼んだぜ」
ユキチはしゃがんでラムネを軽く撫でる。アリシアは意を決して世界樹の登り口のゲートを抜ける。「……さ、行くわよ、ラムネ!」「ぷるるっ!」
ラムネはアリシアに絡まると、ロープのように長く伸び、アリシアの体を支える。幹に絡みつき、自然にできた突起を足場にしながら、落ちないように二人はじわじわと高度を上げていく。見上げれば、枝葉の向こうに広がる空は遠く、気が付くと、街のざわめきも小さくなっていく。
「……道は長そうね。ゆっくり、でも駆け足で行くわよ」
アリシアはなんとも矛盾したこととを、ラムネにお願いする。
――一方のユキチ達は、あっという間に小さくなったアリシアを呆然と見上げる。
「なぁ、ところでこの木、どれくらいの高さがあるんだ?」
ユキチが腕を組んで見上げる。
「はい。大体三千メートルくらいです」
神官が答える。
「数字で言われても、ぜんっぜん実感がわかねぇな」
ユキチは口を尖らせる。
「ユキチ、さっきまでいたイリュシオンのサンクティオ大神殿、結構デカかったろ?」
ギルが補足する。
「あれでざっと百五十メートルくらいの高さだ。だから、あれが縦に二十軒分、ってことだな」
「……やっぱりよくわかんねぇけど、あんまり想像したくねぇ高さだな」
ユキチが頭をかく。
「まぁでも、あいつ木登り上手だって言ってたから、あいつなら余裕なのかな」
ユキチのその台詞を聞いてギルが笑う。
「確かに、アリシアは小さいころから木に登ってそうだ。――それに、ラムネがいれば、平らな壁でもすいすい登れるし、大丈夫だろう」
「そうだな」
ルイスも頷く。
「じゃ、おれたちはエルフの街を堪能しますか!」
ギルが手を叩く。
「行こうぜ、ユキチ、ルイス!」
「キュイ!」ルイスの頭の上にいるルメールも、元気よく返事をした。
三人と一匹は、巡礼者の務めを果たす仲間のことは一旦置いておいて、楽しげに街の方へと歩いていった。




