第52話 アイレーン
空から舞い降りたのは
天使か、聖女か──
──聖女行伝 第5章「聖女降臨」より
「じゃ、ニシムラ、ちょっと行ってくるよ。本当に、色々ありがとう」
荷造りを終え、ニシムラと握手を交わす。
「くれぐれも気を付けるんじゃぞ」
ニシムラはそう言うと、ユキチの背中を叩いた。
「お兄ちゃんも無理しないでね」
アリシアが心配そうにガラムに声をかける。
「あぁ、無理はしない。だからお前も、慌てずにしっかりと巡礼を終わらせて来い。ルイスも、妹を頼んだぞ」
ガラムは白い歯を見せる。
「ああ、まかせとけ」
ルイスはガラムが差し出した拳に、拳を合わせる。一同が乗り込む車両は、工房スタッフが持てる知識を総動員してエリュシオンの車技術を搭載した、超車(改)。見た目はそんなに変わらないが、燃費と安全性が格段に向上したらしい。アリシアたちはまるで小学生が遠足に行くような感覚で、車内から手を振る。だが、行き先はゼンブレア大陸――エルフが支配する世界。エリュシオンから普通に旅したら、おそらく数カ月は軽くかかるであろう工程を一瞬で移動しようとしている。そして、禁呪に等しい魔法を実現するユキチの首輪を、おそらくサイトーが手に入れた場所。
ユキチは緊張で汗ばむ手を地図に乗せた。
「ギル、ゼンブレア大陸って結構広いんだけど、この辺でいいか?」
「ああ。そのあたりだ」
念のため確認すると、緊張する指で行き先を指定する。目の前にユキチにしか見えない文字列が表示される。「ここに行きますか?」ユキチは、大きく深呼吸をした後、意を決して「はい」をクリックする。――瞬間、ユキチ達の視界が揺らいだ。研究所の風景がすっと消え、気がつけば――あたり一面、深い森の中。
「……すごい。本当に瞬間移動した」
アリシアが目を輝かせる。頭上には天を突くほどの巨大な木々。そのはざまから、澄んだ鳥の鳴き声が響いてくる。だが感動も束の間、容赦のない湿気と熱気が全員を襲った。
「これは……蒸し暑いな」
ギルが首元を開き、手でぱたぱたと仰ぐ。ルイスは暑い国の出身だということもあってか、ケロリとしている。熱がる皆にタオルを渡している。
「夏服に着替えてから移動すればよかったわ……」
アリシアも額の汗を拭いながらぼやいた。一方のユキチは車のシートに倒れこんで、肩で息をしていた。
「……はぁ、はぁ……クソ……魔力が……がっつり持っていかれやがった」
瞬間移動と引き換えに、魔核に集中させた魔素が、魔力としてごっそり奪われる感覚があった。魔法を初めて使ったということもあり、その反動は思った以上に重く、ユキチにのしかかってくる。
「ユキチ!」
アリシアがユキチの状態に気が付く。
「……水が、欲しい……」
アリシアから水筒を受け取ると、一気に飲み干す。パパラパン師匠のもとで魔素を集中させる訓練をしていなければ、間違いなく干からびていたに違いない。修行の成果がまさかこんなにすぐ実感できるとは……。
「……ったく、便利なんだけど、代償もでかいぜ」
呼吸が落ち着いたユキチは、早速悪態をつく。
「でも、これで巡礼のスピードも一気にアップだね!」
アリシアがけろりと笑う。
「まぁな。旅の情緒もへったくれもなくなっちまったが」
ユキチは力なくため息をつきながら、もう一度白地図を広げた。ゼンブレア大陸の中心あたりで白い点が光っている。――これも新機能ってやつか。便利じゃん。
「なぁギル、次の目的地はどっちだろう。この地図だと、詳しいところがわからなくて……」
ユキチがギルに地図を見せる。ギルは車を背負えるように小さくたたんでいた。ユキチの問いかけに立ち上がると、周りをぐるっと見渡す。
「うーん、……木々が高すぎてわからん」
「キュイ!」その時、ルメールが空から降りてきた。いつの間にか空を飛んで周りを見てきたらしい。
「え?……あっちに建物が見えるって?」
何となくルメールの言葉を理解したアリシア。「キュイ!」その通り! と言わんばかりにルメールが頷く。
「ルメールを信じて、行ってみるか」
ギルが先陣を切って足場の悪い森を進む。鳥の鳴き声が相変わらず響いていて、それがかえって不安をあおる――しばらくすると、木々の隙間から、確かに人工的な建物の影がちらりと覗いていた。塔のような形――いや、森に溶け込むように造られたエルフの建築だろうか。
「おお、さすがルメール。空からの偵察、頼もしいぜ」
ユキチが感心してアリシアの頭の上にいるルメールをなでる。「キュウ!」ルメールが照れたように鳴く。
「じゃ、早速行きましょうか。あたし、おなかすいたし!」
「おまえはいつも食い気から動くな……」
ユキチが笑う。それにしても本当に数分でアイレーンについてしまった。その事実を実感して少し寂しそうにつぶやく。
「ほんとうに……情緒もへったくれもねぇな」
とはいえ、この森もまた、趣があって楽しいと言えば楽しい。木々に囲まれた街の中央には、空へと突き抜けるように巨大な木が生えていた。その根は大地を貫き、枝葉は雲の上に茂っている。世界樹――その名は伊達じゃない。
「すごい……あれが世界樹?……ほんとにおっきいわね……」
アリシアがあんぐりと口をあける。
「あの周りには立ち入り禁止区域がいくつかあるから、気をつけろよ。不用意に立ち入ると、エルフは問答無用で攻撃してくるからな」
ギルが警告したその時、アリシアが青ざめた。
「ねぇギル……あたしたち、もしかして、その立ち入り禁止エリアに飛んできちゃったんじゃないかな……?」
視線の先、張られたロープの向こう側で、複数のエルフが弓を構えていた。
「げっ!」
ギルが顔をしかめる。
(ユキチ! 面倒になる前に、ロープの向こうへ瞬間移動できないか?)
(そんな細かい調整できるかよ! それに……まだ魔力が戻ってねぇ……)
額に汗を浮かべ、バテ気味のユキチが呻く。
「……仕方ありませんね。わたしが説得しましょう」
ギルは両手をあげて、一歩前に出る。そして大声で呼びかける。
「みなさん! どうか落ち着いてください! わたしたちは聖地巡礼中の修行僧です!」
その言葉が終わるより早く、エルフが放った矢がヒュッと飛んでくる。矢はギルの顔のすぐ横をかすめた。
「わたしたちは怪しい者ではありません! 怖くないですよ!」
笑顔を崩さず、矢を避けながらも必死に説得を続けるギル。その姿にアリシアが小声でつぶやいた。
「……いや、どう見ても怪しいでしょ、これ」
「キ・ヴォス・エテゼル?」
不思議な響きの言葉と共に鋭い声が飛ぶ。矢が再び頭上をかすめ、ルイスの足元に刺さる。
「しまった……そうだ、ここはエルフ語じゃないと通じなかったな」
ギルが小声でつぶやく。そして再び両手を高く掲げ、腹の底から声を張った。
「ヌ・スュイ・パ・スュスペ! ジュ・スュイ・ペレグラン!」
「なんて言ったの?」
ユキチが眉をひそめてアリシアに尋ねる。
「……わかんない。あたしもエルフ語はさっぱりよ」
「そうなの? そんなんで巡礼できるもんなのか?」
「大神殿に行けば、神官たちはあたしたちの言葉がつかえるはずなんだけど……」
アリシアが心配そうに世界樹の方向を見上げる。
「どうもそこまで行けるか怪しいな」
ユキチが、必死に会話をするギルの背中を見ながらつぶやく。状況は好転していなさそうだ。弓を構えるエルフの手に力が入る。そんな中、ギルの必死の説得が効いたのか、一人の若いエルフが仲間の間から一歩踏み出した。彼は慎重にこちらを見据え、短く問いかける。
「……ヴレモン・ペレグラン?――アロール、モントレ・ル・シーニュ」
「ビヤン・スュール。ルガルデ・ススィ」
ギルはゆっくりと手袋を脱いだ。両手の甲には巡礼者の証である刻印が刻まれていた。そして、巡礼者専用のギルドカードを懐から出して見せる。若者のエルフはそれを受け取ると、まじまじと確認して、他のエルフと話し合う。
「ダコール。ジュ・ヴ・ギデ・ジュスカ・ラ・カテドラル」
「……よかった。理解してもらえたようです」
ギルが振り向いて安堵の息を吐く。
「大神殿まで案内してくれることになりました。まずは大神殿に行きましょう」
「えぇ~。せっかくだし、エルフのレストラン、先に行きたかったのに……」
アリシアが唇を尖らせる。
「しょうがないよ、アリシア。言葉も通じないし、まずは教会におれたちの安全を保障してもらおうぜ」
ユキチがアリシアをなだめる。こうして一行は、エルフたちの視線に囲まれたままアイレーンの街中を歩く。




