第49話 魂の試練
翌朝。用意された朝食は、黒パンと冷たい牛乳だけという実に簡素なものだった。
「……こんなんじゃ元気でなーい」
アリシアはパンをかじりながら、思わず口を尖らせる。ここに来てから、パンとスープしか食べてない。ユキチは横で無言でパンをかじり、ラムネとルメールは牛乳をおいしそうに飲んでいる。ギルとルイスも「まぁ教会の朝飯なんてこんなもんだろ」と苦笑していた。
食後、アリシアはニシムラに連れられて大神殿へ向かう。と言っても、地下施設のすぐ上なので、外に出ずに目的地に到着してしまう。窓からの日差しで、今が朝だということがやっと実感できた。頭の上に乗っているルメールが大きくあくびをする。
「で、あたしは何をするのかしら?」
石段を上りながらアリシアは不安げに尋ねる。祭壇の前には神官が並んでいる。
「よくいらっしゃった、聖女様」
「だから、聖女じゃないってば。巡礼しているただのシスター、アリシアです」
アリシアは相手がだれであろうが、気後れしない。思いっきり否定する。
「おや、ニシムラ殿まで神殿に来られるとは珍しい」
一番奥に立っていた大司教が目を細める。
「彼女はかなり面白い素質を持っているのでな。アリシア君の祈祷に立ち会わせていただくことは可能かな?」
ニシムラが仰々しくお辞儀をする。と言っても、これはあくまでも形式的なもので、二人の間ではもう話し合いは終わっているのだろう。そんなやり取りをアリシアは横目で見ている。
「ニシムラ殿ならもちろん、構いませんよ」
「ご配慮、感謝いたします」
神官長の許しを得ると、ニシムラは改めてお辞儀をする。
「でも、その前に……まずは試練を受けてもらわねばなりません」
「あぁ、やっぱり試練はやるのね……。お手柔らかにお願いね。で、その試練って何をするの?」
アリシアは緊張した面持ちで質問する。
「こちらの祭壇にて、横たわっていただきます。そして眠りの中で、自らの魂と向き合っていただきます」
神殿の奥に広がる祭壇は、光る魔法陣の中にある。中央に置かれた石の寝台は、まるでいけにえを捧げる台のようにも見える。アリシアはごくりと唾を飲み込み、寝台に歩み寄った。とはいえ、周りを無視すれば、大したことはなさそうだ。
「ふん、寝るのは得意よ!」
意気揚々と祭壇の寝台にごろんと横になるアリシア。神官たちが注目する中、彼女はすやすやと寝息を立て始めた。
──夢の中。
「こんにちは、アリシア」
「誰?」
「ふふふ。わたしはあなた。あなたはわたし」
目の前に現れたのは、まさしくアリシアだった。まったく同じ顔、同じ声。いたずらっぽく笑う、その仕草まで同じ。
「すごい……私がもう一人?──でも、何をすればいいのかしら」
「さぁ?」
「え、あなたも知らないの?」
「わたしはあなた。あなたはわたし。あなたが知らないことは、私も知らないわ」
「ちょっと待ってよ! これどうしたらいいの?」
アリシアは頭を抱える。大司教の言葉を思い出す。──自らの魂と向き合っていただきます。
「魂と向き合うって……会話するって意味じゃないわよね。……でも、どうしたらいいかわからないし」
困り果てたアリシアは、ぱっと顔を上げた。
「とりあえず……なんかして遊ぼうか!」
「いいわね!」
二人のアリシアは手を合わす。
「じゃんけんぽん!」
……グーとグー。
「じゃんけんぽん!」
……チョキとチョキ。
「じゃんけんぽん!」
……またしてもチョキとチョキ。
「──決着がつかないわね」
「自分同士だと遊ぶのもむつかしいわ」
二人で同時にため息をつき、そして同時に吹き出した。
「ふふっ」
「あはは!」
地面にしゃがみ込んで、指先でお絵かきを始めるオリジナルのアリシア。
「いいわね!」
と、もう一人のアリシアも隣に並んで一緒に描き始めた。
「それはなに?」
「これ? ユキチ」
「ふふふ、上手」
「じゃあこれは?」
「ギルとラムネ」
「ははは、変なの」
とりとめのない会話。もしこの場にユキチ本人がいたら、間違いなく発狂していた。
「これは?」
「お兄ちゃんとルイス」
「じゃあ、これは?」
「シドおじちゃん」
「……誰?」
「知らないの?」
「知らない」
「おかしいなぁ。あなたはあたしなのに。変なの」
くすくす笑うと、夢の中のアリシアは真剣な顔になって続けた。
「ほら、変なこと言うとシドおじちゃんが迎えに来るよ」
その瞬間、影が伸び上がり、手にはナイフが見える。
「やだ……怖い、怖い……!」
遠くから迫ってくる大きな影。眼だけが異様に光り、まるで闇の中に浮かぶ獣のようだ。
「大丈夫か? アリシア!」
聞き覚えのある声。
「お兄ちゃん!」
アリシアは振り返って叫んだ。
「怖かったよ……」
「もう大丈夫。あいつはやっつけたから」
お兄ちゃんは血まみれで立っていた。アリシアの胸の奥に別の痛みが広がる。
「でも……お父さんとお母さんが……」
(お父さん? お母さん? どこ?)
自分で言いながらも混乱する。
(これは夢? あたし……何か大切なことを忘れてるような……)
震えるアリシアの手を、もう一人のアリシアが握った。
「アリシア、負けないで! あたしはいつも一緒だよ!」
「……ありがとう。アリシア」
涙をこぼしながら、アリシアはようやく微笑んだ。
「──っ」
アリシアは大きく息を吸い込み、目を開いた。視界に入ってきたのは石の天井と揺れる燭台の光。そして隣に立つ大司教とニシムラ。手にはもう一人のアリシアのぬくもりがまだ残っている気がした。
「今のは……夢?」
胸の奥にまだ残るざわめきを手で押さえる。
「戻られましたか」
大司教が静かに声をかける。
「なんてひどい夢……でも……あたし、何か大切なことを忘れていたような」
「この祭壇で見た夢はあなたの魂のかけら。もし何かを思い出したのだとしたら、それは今のあなたにとって必要なことなのでしょう。どうか、大事にされますよう」
大司教の言葉は優しくもどこか厳かで、アリシアはうなずいた。
「では、祈祷なさい。そして左手を差し出して」
アリシアは胸に手を当て、短い祈りを口にしながら左手を差し出す。大司教がその甲に印章を押した瞬間、じゅっと焼き付くように熱が走った。
「……っ!」
痛みに顔をしかめるアリシア。──その時。
——Elenas minari——
(また来たな!)
アリシアは今度は何を言われるかと身構える。
——Elenas minari, via mox aperietur. Noli timere, procede.
心の奥に直接響く声。それはこれまでよりも少し長くなった気がした。今なら、あたしの質問にも答えてくれそうな気がする。
「ディク・ミヒ、クィス・エス? ノンネ・ネケッセ・エスト・オヴン・エステラエ・アウト・カリクス・サケル・クァエレレ? ニヒル・アドゥク・インテッレゴ?」
気になることを全てぶつけてみる。
──Noli timere. Tecum sum.
返ってきたのは、短い答え。だが、初めて返答らしい返答が返ってきたことに、アリシアは驚く。
「セレン・タルム…クィ・エス・トーレン?」
もう一回問いかけてみるが、もう返事はなかった。やがて熱はすっと引き、刻印だけが残った。
「……全く、いつも勝手なんだから。でも……初めて会話できた」
アリシアは笑みをこぼした。
「お疲れさまでした」
祭壇から降りてきたアリシアに、ニシムラが声をかける。
「いま、話をしていたようですが……もしかして」
「ええ。また声が聞こえたわ」
アリシアはまだ左手を押さえながら答える。
「それはすごい」
ニシムラの目が輝いた。研究者として興奮が抑えられない。
「ぜひ、詳しくお話を伺いたい。ちょうど昼食も用意しましたので、こちらへどうぞ」
「やった! 食事はいつでも大歓迎よ!」
すっかりいつもの調子を取り戻したアリシアは、にんまりと笑った。ニシムラに案内され、素朴な造りの回廊を抜けると小さな部屋に通される。部屋の中には木の机と椅子、それに素朴な料理が並べられていた。湯気を立てるスープと、焼きたての白いパン。
「あぁ……朝ごはんよりは、豪華かもね……」
昨日と似たような食事。ここの人たちは食事に興味がないのかもしれない。アリシアの目から輝きが消える。その脇で冷ましたスープをハフハフとおいしそうに飲むルメール。ま、この子がうれしそうならそれでいいか。




