第4話 静寂の試練
ワイバーンと遭遇した後は特に大きなトラブルもなく、二人はついに最初の巡礼の街グラスノヴァへとたどり着いた。街の入り口に足を踏み入れると、遠くの丘に白く輝く巨大な建物が見える。空を切り裂くようにそびえる尖塔。堂々たるその姿に、思わず足が止まった。
「あれが……ロシアナ大神殿か」
「本当にでかいわね。あたしも初めて見るけど……あんなの、お城よりすごいじゃない? まぁあたしはお城も見たことないんだけどさ」
ロシアナ大神殿——オルテリス大陸最大の神殿であり、別名『静寂の神殿』と呼ばれる。二つ名の割には随分と雄弁な外観をしている。
「——どんな物々しい場所かと思ったけど、なんだかキラキラしてて楽しそうじゃない! さっそくお祈り済ませちゃいましょう!」
坂道を元気よく駆け上がるアリシア。神殿の大きな門にたどり着くと、彼女は両手を軽く上げて、にこやかに言った。
「こんにちは~! 巡礼中の修道士でーす! お祈りしにきましたー!」
……その明るい声を遮るように、門の前に立つ神官がすっと道を塞ぐ。
「止まりなさい」
「あ、はい?」
「巡礼者よ。この神殿で祈りを捧げるには、試練を受けなければなりません」
「そんな……試練があるなんて聞いてないんだけど……。ねぇ、ちょっとだけでいいの。ほんの……五分とか? ちょっとお祈りしたらすぐ帰るから、ね? ノー声でスッと。神様もOKしてくれると思うのよ?」
神官は首を振る。
「あーもー、わかったわよ。試練ってなに? 腕立て伏せ? 石段百段うさぎ跳び? それとも、もしかして地下迷宮?」
「それは静寂の試練。試練の間、あなたは一言も声を発してはなりません」
「……は?」
予想外の内容に、一瞬顔がこわばるアリシア。
「そんなのでいいの? よゆー。よゆー」
大丈夫かなと見つめるユキチ。神官は無言。アリシアは大きく息を吸って、肩をぐるぐる回しながら気合いを入れる。
「よし、いいわよ。静寂? 沈黙? 上等じゃない。あたし、やってやるんだから!」
「どうかお静かに。試練はもう始まります」
言ってるそばから神官に突っ込まれるアリシア。
「うぐ……」
前途多難なアリシアを見ながら、ユキチがぽつりとつぶやく。
「……まぁ、頑張って。うまい飯と宿は俺が探しとくよ」
「……」
アリシアは一瞬なにかをしゃべりかけかけたが、ぐっとこらえて親指を立てる。
こうして、アリシアの静寂の試練が始まった。早速、神殿の一室に案内される。神殿内部は、どこもかしこもやたらと静かだった。いや、静かというか……うるさいくらい静か。
コツ……コツ……とアリシアの足音が反響するたび、背後の神官が「チラッ」と見る。なぜか「無言」だけじゃなく「無音」も求められているような空気である。
(うー……なんかもう……空気が重い……)
アリシアは口を開けずに、心の中でうなった。そして、神官から手渡された紙にはこう書かれていた。
【試練の内容】
・日没まで声を発してはならない。
・筆談、ジェスチャー、咳払い、口パクも禁止。
・ただし内なる祈りは自由。
(って、それコミュニケーション全部アウトじゃん!? えっ、魂で会話しろってか!? 無理無理無理!)
とはいえ、案内された部屋には何もなく、やることもないので、座禅のように座って“内なる声”で祈りを捧げる。
(……しずけさ……こころを……ととのえる……)
(あ、今日のごはんってなんだろう。おいしいお酒はあるかな? いや違う! 雑念禁止!)
……15分経過。
(もう座るの飽きた)
(喉かわいた)
(なんか腹も減った)
(おしり痛い)
つい、腰を浮かしかけたその瞬間、すぐ近くの柱の陰から神官がすっと近寄ろうとしてきた。
(出たな監視者!)
どうやら神殿では、修行者が“静寂”を破ろうとしたその瞬間に、不思議と神官の誰かが現れる。アリシアはそいつらを「静寂の守護者」と心の中で勝手に命名した。
(……負けてたまるか……!)
——一方、ユキチはというと……
「なんかあっちから、いいにおいがするな……」
静寂の神殿にアリシアを残して、ユキチは鼻を頼りに坂を下っていた。グラスノヴァの街は、どこかゆったりしていて、ミルクやチーズの匂いが流れてくる。酪農が盛んだと聞いていたが、なるほど納得だ。
大通りに出ると、よさげな宿屋の看板が目に入った。外観は清潔で、入り口の軒下に植えられたハーブが風に揺れている。
(……悪くない)
ユキチは中に入り、カウンターに立つ店主らしき初老の男に声をかけた。
「二人、泊まれますか?」
「ん、ああ、もちろん……って、坊や? お母さんとはぐれたのかい?」
「……えっ」
「ここは子供のくる場所じゃない。帰りな」
ユキチは黙って、冒険者証を懐から出して差し出した。男はそれを受け取って、しばし目を凝らす。
「……偽物じゃない……みたいだが……」
「本物だよ。Cランク。正式なギルド発行」
「……うーん……うちは、もう少し大人向けなんでな。坊やは別の宿をあたったほうがいい」
(……なんだよ、大人向けの宿屋って)
意味はよく分からなかったが、歓迎されていないことだけはよくわかったので、ため息をついて、ユキチは冒険者証を引き取り、無言で踵を返した。
しばらく街をさまよう。初めての街だ。土地勘もなく、ただ人通りの多い大通りを色々物色しながら歩く。そんなときだった。
「おい、コラ! 逃げんな!」
酒瓶の割れる音。路地裏の先、怒鳴り声とともに、蹴倒された木箱の陰から小さな影が飛び出した。
「っ……!」
逃げてきたのは、小柄な子供。まだ十歳にも届かないような背格好で、布袋を抱えている。
「へっ、ガキが! 俺様にぶつかっておいて、無視とはいいご身分だな!?」
赤ら顔の酔っ払いがふらつきながら追いかけてくる。ユキチは、ふう、と一つ息を吐いて前に出た。
「おいおい、子供相手にムキになるなよ」
「はあ? なんだお前、関係ないやつはひっこんでな——」
次の瞬間、酔っ払いの足が地面から浮いた。正確には、ユキチの足払いがきれいに決まり、酔っ払いは背中から倒れた。
「いてててっ……!」
「大げさだなぁ。でもこの辺で手を引かないと、怪我しちゃうかもよ」
ユキチに冷たい目でにらまれた酔っ払いはそのままうめき声を上げながら、のそのそと退散していった。
残された子供は、何も言わずユキチを見つめていた。
「大丈夫か」
そう声をかけると、子供はこくこくと頷いた。
「家は? 親は?」
首を横に振る。
「……話せる?」
子供は口を開きかけたが、そのまま何も言わず、また首を横に振る。
(……言葉が話せない?)
ユキチが眉をひそめたとき、背後から足音が近づいた。
「あらあらあら、いたいた! トネリ、 よかった、無事で……!」
走ってきたのは、エプロン姿の中年の女性だった。
事情を聞くと、その子の名前はトネリ。親が早くに他界してしまい、親戚のおかみさんが今は世話をしているらしい。居候する代わりに、おかみさんの食堂を手伝っているのだとか。
「ちょっとお使いに出したらこんなことになっちゃって……ほんとに助けてくださってありがとう。お礼にって言ったらアレだけど、この後私のお店でお昼を食べていかないかい? お昼はまだだろう?」
「ありがとう。でも、まずは宿を見つけたくて……」
「まぁ、それなら、ちょっと狭いけど、うちの離れ部屋今空いてるのよ。よかったら使ってもらっていいわよ?」
「そんなにしてもらっていいんですか?」
「もちろん! トネリを助けてくださったご恩は返させてくださいな。そうと決まれば善は急げよ! トネリ、帰ったらお部屋の準備手伝ってちょうだいね」
(ありがたい話だ……)
ユキチはおかみさんに軽く頭を下げて、グラスノヴァのにぎやかな街並みの中、あとをついていく。
おかみさんがやっている食堂『青空キッチン』はグラスノヴァの中心地からちょっと外れた辺鄙な場所にあった。景色がきれいで、例の大聖堂もよく見える。食堂の裏庭にある離れに案内されると、トネリはこくりとお辞儀をしてから、笑顔で手を振って去っていった。ユキチはふと、荷物を降ろして大聖堂を見ながらアリシアのことを思い出していた。
——あいつ、うまくやってるかな。静寂とは一番縁がなさそうだけど。




