第47話 魔王候補者
おいしそうなスープのにおいがする。――意識が戻り、ユキチはゆっくりと瞼を開いた。
「ここは……! アリシアは大丈夫か? イテテテ……」
身を起こすと、身体中が重く、特に左肩がひどく痛む。
「ユキチ! よかった……本当に……」
アリシアが安堵の笑みを浮かべて駆け寄る。彼女の手には、かじりかけのサンドイッチが握られている。
「アリシア……あいつは?」
「無理しないで。寝てなきゃだめ」
アリシアが制するように手を伸ばす。
「……それより、聞いて驚かないでね」
アリシアは間を置き、口を開く。
「ここは――トルメニア大陸の、サンクティオ大神殿」
「んん?」
耳を疑うユキチ。
「信じられないかもしれないけど……あのリュートって魔族との戦いで、あたしたちが完全に詰んだ瞬間……お兄ちゃんが助けて、ここに連れてきてくれたの」
「……連れて……来た?」
理解が追いつかず、ユキチはとりあえず懐から白地図を出す。左手がないせいで、片手でうまく開けない。地図に視線を落とすと、確かに――トルメニア大陸に色がついている。
「ほう……これは面白い……」
地図を覗くニシムラ。
「うおっ!? 誰だ、じいさん?」
「おっと、すまん。ゴブリン君。わしの名前はニシムラ。研究員をしている」
「ニシムラ? その響き……もしかして、サイトーの知り合いか?」
「サイトー?――悪いが、その名前には覚えがないな。ただ、君はユキチという名前で、そのサイトー君にテイムされているのだろう?」
「……ああ」
「ならば、おそらくわしの仲間である可能性は高いかもな」
ニシムラは顎に手を当ててうなずいた。
「その、サイトー君のフルネームはわかるか?」
「すまん……わからない。ただのサイトーだ」
ユキチが視線を落とす。――そういえばサイトーのこと、おれは良く知らないな。
「そうか。ちょっと時間がかかるかもしれないが、調べてみよう」
サイトーの手掛かりが見つかるかもしれない。ユキチの瞳に希望が宿る。
「――お、気づいたか。ユキチ君」
テーブルの奥から声がかかる。そこには落ち着いた雰囲気の男が立っていた。
「おれはガラム。アリシアの兄だ。……いつも妹がお世話になってるね。君と出会ってから、アリシアは毎日楽しそうだよ。ありがとう」
穏やかな笑みを浮かべるガラム。
「ちょっと待って。お兄ちゃんが……なんでそんなこと知ってるの?」
アリシアが眉をひそめる。
「この禁書の魔法で時々見守っていたからに決まっているじゃないか」
当然のように答えるガラム。
「もちろん、問題がないか、ルイスの様子も毎日見守ってたぞ」
「え、なにそれ……」
「最悪。気持ち悪い」
アリシアとルイスの顔が引きつる。
「本当気持ち悪いから、その魔法、もう使わないで!」
アリシアにたしなめられ、しゅんとするガラム。
「……ともあれ、助けてくれてありがとな。ガラム。正直、死んだかと思ったぜ」
「気にするな。妹の友達だ。助けて当然だろう」
ユキチの感謝の言葉で、元気を取り戻すガラム。
「じゃあ、みんなが揃ったところで、話をさせてもらってよいかな。――今、世界で何が起きているか。……まず初めに断っておくと、わしもまだすべてを把握しているわけではない」
ニシムラが眼鏡をかけ直し、もっともらしく咳払いをした。
「魔王軍と呼ばれる魔族の活動が、ここ数年で活発になっておる。魔族の中では“魔王を決める戦い”というものが行われていてな。魔王やその幹部を目指す連中が、自分の力を示すために世界各地で暴れているようだ」
「そういえば……お兄ちゃんは“魔王候補”だって言ってたわよね」
アリシアが思い出したように口を挟む。
「あぁ、よく覚えてたな」
ガラムが苦笑する。
「そう。ぼくは――魔素との相性が良すぎて、体質的には魔族に近いらしいんだ」
「えっ……」
アリシアは目を丸くする。
「その体質もあって、いろんな魔族が僕を排除しようとしたり、逆に魔王に担ぎ上げようとしたり……まったく、厄介なものだよ。で――おまえたちを追い詰めたリュートってやつ、あいつがまさしくぼくを魔王にさせようとしていて、本当にしつこいんだ」
「あいつが――。で、ガラムはその誘いに乗ったのか?」
ルイスが心配そうに尋ねる。
「当然、断ってるさ。でもな、あいつはとにかく言うことを聞かないんだ。退治しようにもバカみたいに強いし……」
「禁書を使いこなすガラムでも勝てないなんて、リュートはとんだバケモノってことだよな。本当に生き延びれてよかった」
ギルが改めて冷や汗をかく。
「あぁ、あいつの強さは半端じゃない。いっそ、あいつが魔王になればいいのに。“トップの柄じゃない”とか何とか言って、しつこくおれを担ぎ上げようとするんだ。もう、面倒くさくてしょうがない」
「ストーカーのストーカーってことね」
アリシアが呆れたようにため息をつき、その表現にユキチは思わず笑ってしまった。ニシムラが話を続ける。
「ガラム君の体質の話はもうしたね――魔素を身体でほぼ無限に増殖できるって。――魔素はそもそも、生命や魔力を強くする特性を持っておる。通常は空気中や大地に漂う魔素を吸収したり、他の生物を食べて取り込むしかない。だがガラム君の場合自分の中でそれを増やすことができるのじゃ。――つまり、無限の魔力を持っていると言っても過言ではない。魔族が彼を欲しがるのも、無理からぬ話よ」
「だから面倒なんだよ。放っておいてくれればいいのに、魔族も人間もいろんな奴らが寄ってくる」
「その左腕の刻印も関係しているの?」
アリシアがちらりと兄の包帯を見やる。
「あぁ、これか。これはな、ぼくの魔力増殖を抑制できるかなと思って、教会で刻印を押してもらったんだけど……どうやら逆効果だったみたいでね。抑制すすどころか、より強化されてしまったんだ」
ガラムが忌々しく左手を見る。
「おかげで、魔族に探知されやすくなって困ってる。ここにぼくがいまーす! って全国に大声で宣伝しているようなものさ。これとリュートが追っかけてくるおかげで、ラグライドに長期滞在できなかったんだよ。全く。おかげでルイスには誤解されるし。勘弁してほしいぜ」
「それはおまえの説明不足が原因だ!」
ルイスが早速否定する。
「ともあれ――そんなこんなで、ぼくは魔王候補にまつわるドタバタから必死に逃げてここにいるわけさ」
「そういえば、ヴェルドットってやつは……人の魂を集めて魔王を復活させるって言ってたけど、魔王ってそういうものじゃないのか? 禁書に魔王の産み出し方が書かれているって聞いたけど」
ユキチが口を挟む。
「あぁ、ヴェルドットか……あいつは……頭がちょっとおかしいんだ。自分のこと“魔王軍四天王”とか名乗ってただろう」
「うん……言ってた」
アリシアがうなずく。
「ありゃ嘘だ。そもそも魔王がいないのに四天王なんて決まってるわけがない」
「えぇ……」
ユキチもげんなりする。
「ぼくもあの禁書は読んだよ。魔王の復活に必要なのは単純に大量の魔素だ。魔素含有量の少ない人間をいくら狩ったところで効率が悪いんだけど、ヴェルドットのやつは魂の質がどうこうとか、わけのわからん理屈を言って聞かない。まったく困ったやつだったよ」
「その禁書ってまさか――グラスノヴァの地下図書館から盗まれた『美少女メイドのイケない異世界転生』?――それは今、どこに?」
ギルがガラムに質問する。地下図書館から無くなった禁書は全部で7冊。そのうちの2冊はギルが回収しており、4冊はガラムが持っている。――つまり、魔王の復活について書かれた禁書『美少女メイドのイケない異世界転生~転生したらそこはパラダイスだった件~』が失った最後の一冊となる。
「そんなタイトルだったかな。――今どこにあるかはわからない。魔族の誰かが持っていると思うけど、ぼくも回し読みで読んだだけなんだ」
「――そうか」
残念そうにするギル。それにしても、あんな貴重な本を回し読みするなんて。魔族はめちゃくちゃだ。
「お兄ちゃん、それにしても魔族の人たちのこと……ずいぶん詳しいのね」
アリシアがじっとガラムを見る。
「まあな。戦いの第一歩は敵を知るべし――ということで、少し前まで、魔王候補者の一人として魔族領に潜入してたんだ」
ガラムは肩を竦め、わざと軽口を叩いた。
「ま、魔族領に潜入!?」
ルイスが声を裏返す。
「あぁ、南の端にある大陸を知ってるか? 氷に閉ざされた不毛の地だ。……魔族はそこを根城にしている」
ユキチは地図を思い浮かべながら、首をかしげる。
「南の氷の大陸……そんな場所はおれの地図になかったぞ」
「そうなのか? なんなんだろうな。とにかくすごい寒いところでさ、普通の人は行こうと思わない場所だよ。行ったら行ったでさ、人間なんて認めないとか絡んでくる魔族がわらわらいて。そいつらを片っ端から倒していったら、魔王候補として逆に注目を浴びちまってな。結局、面倒になって逃げてきたってわけよ。あいつら仲間同士でいつも殴り合ってるんだぜ。頭がおかしいったらありゃしない」
苦笑するガラム。
「帰ってきてすぐかな、ニシムラさんのこの包帯のおかげで魔素の放出を抑えられるようになったから、アリシアやルイスに会いに行こうと思ったんだ。……そしたら、よりによってピンチの真っ最中でな。あわてて助けに入ったってわけさ」
「……まったく、お兄ちゃんはやってることがめちゃくちゃね。言ってることもめちゃめちゃだけど」
アリシアは呆れつつも、どこか嬉しそうに笑った。




